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無限の上機嫌!
無限の上機嫌!
@joukigen
読書日記
  • 2025年4月16日
    別れのワルツ
    別れのワルツ
    中盤から物語が加速しはじめ、すごく面白い群像劇になってきた!
  • 2025年4月11日
    石灰工場
    石灰工場
    中原昌也がエッセイ集のなかで「読んだほうがいい」といっていたので、読みはじめた。  冒頭から、だれだかわからない人物の名前が次々にあがり、そのなかの一人で石灰工場に住んでいるコンラードという男が、病気の妻を射殺したことが語られる。そこから、かつてコンラードがこんなことを言っていた、という知人の証言が延々とはじまる。二時間ぐらい読んだが、延々とつづいている。  タル・ベーラの映画みたいに荒涼とした世界。
  • 2025年4月9日
    銭湯
    銭湯
    〝顔もわからない人と待ち合わせるということになれば、自分から声をかける気恥ずかしさを味わわないですむよう、相手よりも先に目的地にたどり着き、身なりの特徴などを伝えて見つけてもらいたい、そう思って二十五分も早く到着するよう段取りをしていたのに、二つ手前の駅を通過したところで「お疲れ様です、改札前にいます、ジャイアンツのユニホームを着ているのでわかると思います」というメールが届いてしまった。〟  という冒頭の一文でぐっと引きこまれる。そこからは、よくわからないまま気づくと読み終わっている。町田康の小説のような感触もあった。
  • 2025年4月7日
    微笑を誘う愛の物語
    微笑を誘う愛の物語
    夜はN書店の読書室へいく。読書室は今週から月木金の三日間になった。月曜日は今夜がはじめてということになった。  ここのところ『ボヴァリー夫人』『緩やかさ』と傑作をたてつづけに読んでしまい、次になにを読もうか悩んでいる。  ミラン・クンデラの初期短編集『微笑を誘う愛の物語』をすこし読んでみる。第二話「永遠の憧れの黄金のリンゴ」はナンパのはなしだ。マルチンという「永遠に女性を追い求める」男が登場する。語り手はその友人ということになる。マルチンはゆく先々で女性を見つけては声をかけ「登録」と「接触」をくりかえりている。 〝というのも、マルチンには家に若い奥さんがおり、さらに悪 いことにその奥さんを愛しており、さらに一層悪いことに彼女を恐れていて、そしてもっともっと悪 いことには彼女を失わないかと心配しているのである〟  マルチンは二か月まえに四〇歳になったところだという。  ウディ・アレンは『アニー・ホール』を撮ったとき四二歳だった。映画では友人とテニスクラブにでかけ、そこでアニーと出会う。これは数年まえの回想だが、設定が四〇前後なことにかわりない。四〇歳とはなんなのか。
  • 2025年4月6日
    唐突ながら
    唐突ながら
    ウディ・アレンの自伝『唐突ながら』は、映画を見ては、ところどころ読んでいる。今夜は一九八八年作の『私の中のもうひとりの私』を見た。原題は「Another Woman」で、いまだったらそのまま『アナザー・ウーマン』になりそうだ。本人はこう語っている。 〝まあそれで、ぼくは自分がチェーホフでないことを証明したあと、イングマール・ベルイマンでもないことの証明に着手した。〟 〝ずいぶん前に、アパートメントの暖房の通気口から話し声がきこえてくるというアイデアを思いついた。最初の構想だと、そこは精神科医のオフィスでぼくが耳にするのは、ある魅力的な女性が心の奥底に秘めた思いや人生に必要なものについて語る声だった。〟 〝ぼくは主役の女性(見事に演じ切ったのは、もちろん、あの大女優ジーナ・ローランズだ)に、満足感のない冷え切った人生を送らせようと考えた。彼女は人生のあらゆることから目を背けている。もはや何もかも不快で恐ろしくて、あまりにも苦痛で向き合うことができないでいた。だが、やがて真実の声が壁の向こうから、通気口を通じてきこえてくる。〟  ジーナ・ローランズの顔がおっかない。ほとんど『ロスト・ハイウェイ』のミステリーマンみたいにひきつっている!
  • 2025年4月5日
    目白雑録1
    目白雑録1
    昨日の夜、ふと金井美恵子のエッセイが読みたくなり、まだ読んでいなかった『目白雑録』をさがしてみたところ、本棚のどこにも見つからず(なぜか『目白雑録2』から『目白雑録4』まではあった)、腑におちないが、古本屋で買ってきた。  二〇〇二年四月という日付がついた冒頭のエッセイは、保坂和志らしき作家への悪口からはじまる。その作家が、テレビの深夜番組に出演したさい、共演者の若い女性タレントたちへの受け答えがデレデレしていて見るに堪えないものだった、「名字が一文字違いの」野坂昭如や、作家が尊敬する田中小実昌だったらもっとうまく立ち回ったことだろう、というようなもので、どうでもいいといえばどうでもいいのだが、それよりも、その作家の新作を「日々のなにげない生活の時間に思索の時間が重層して移ろう静かに波立つ空間を描いた、と、私が編集者だったら、それが仕事なので「帯」に書くかもしれないけれども、ほとんど、苛立しい退屈さしか読後感のない小説」と書いていることが気になった。  というのも二〇〇二年といえば『カンバセイション・ピース』の初出年だからだが、いくら金井美恵子でも『カンバセイション・ピース』が「苛立しい退屈さしか読後感がない」とは書かないだろうとおもったのだ。  結論をいえば、ここで指摘されている新作は『明け方の猫』だった。『カンバセイション・ピース』の初出は、二〇〇二年八月だから、まだ発表されていなかった。私は『明け方の猫』のことはすっかりわすれていたが、たしかに退屈だった記憶がある。たぶん最後まで読んでいない。しかし『カンバセイション・ピース』が苛立たしいほど退屈なわけがないのだった。  ところで、いまではすっかりわすれられていることだが、保坂和志は金井美恵子の『タマや』の河出文庫版(一九九九年)で解説を書いている。それを読むと――。
  • 2025年4月4日
    緩やかさ
    緩やかさ
     昨日につづき、夜はネイボの読書室にきた。『緩やかさ』は、あまりにおもしろく、三日ほどで読みおわってしまった。  クンデラは、この小説の中で緩やかさに速さを対置させている。速さは忘却とむすびつき、緩やかさは記憶とむすびつく。 〝緩やかさと記憶、速さと忘却のあいだには、ひそかな関係がある。ある男が道を歩いているという、これ以上ないほど平凡な状況を想起してみよう。突然、彼はなにかを思い出そうとするが、思い出せない。そのとき、彼は機械的に足取りを緩める。逆に、経験したばかりの辛い事故を忘れようとする者は、時間的にはまだあまりにも近すぎるものから急いで遠ざかりたいとでもいうように、知らぬ間に歩調を速める。〟 〝私たちの時代は速さの魔力に身を任せているので、いとも簡単に自己を忘却してしまう、と。だが私はその命題を逆にして、こう言いたい。私たちの時代は忘却の願望にとりつかれているのであり、その願望を充たすためにこそ、速さの魔力に身を委ねるのだ、と。〟 〝なぜ、緩やかさの快楽が消えさってしまったのだろうか?〟  物語は、いまはホテルとしてつかわれている、あるフランスの古城を舞台に展開する。そこにあつまった個性的な登場人物たちの群像劇がたのしくて仕方ない。彼らの純粋さ、ばかばかしさ、情けなさが、あまりに人間らしく感じられるのだった。
  • 2025年4月3日
    緩やかさ
    緩やかさ
     あまりにおもしろい! 〝「あなたはよく、いつか、真面目な言葉が一つとしてないような小説を書きたいと言っていたわね。『きみを喜ばせるための大いなる愚行』とかなんとかといった。そのときがやって来たんじゃないかって、わたし心配なの。だけど、ひとつだけ言っておくわ。気をつけなさいよ、って」 私はさらに深くうなずく。 「あなた、お母さんがよく言っていたことを覚えている?  わたしにはまるで昨日のことのようにきこえるわ。ミランク、悪ふざけをするのはおやめ。だれもおまえのことなんか理解してくれないんだよ。おまえはみんなを傷つけ、そしてみんながおまえを憎むようになるんだよ。あなた覚えている?〟 〝チェコの学者は狼狽した。わずか二分たらずまえに同輩たちが表明してくれた尊敬は、いったいどこに行ってしまったのか?  どうして彼らは笑えるのか、失礼もかえりみずに笑えるのか?  ひとはそんなにも簡単に、讃美から軽蔑に移ることができるのか?  (もちろんだとも、わが友よ、もちろんだとも)それでは、共感はそんなにも脆く、頼りないものなのか?(もちろんだとも、わが友よ、もちろんだとも)〟 〝もしだれかが、わたしの過去を否定したいというなら、ここにわたしの筋肉が、文句のつけられない証拠としてあるのだ!〟 〝前へ進め、無限の尻の穴のなかに!〟
  • 2025年4月2日
    緩やかさ
    緩やかさ
     次になにを読もうか考えていて、ふと半年まえに買ったままになっていた『緩やかさ』のことをおもいだした。冒頭部分から読みはじめた。  おそらく郊外の夜道を車で走る夫婦がいる。バックミラーごしには、二人の乗った車を追い抜こうとランプを点滅させる車が見える。それに気づいた妻が夫に「無謀な運転」について問いかける。夫は、その答えから三〇年まえにつきあいのあった「エロチスムの幹部党員」というような面持ちで、オルガズムについて語ったアメリカ人女性のことを思いだす。 〝オルガスム崇拝は、性生活に投影されたピューリタン的功利主義、無為に反対する効率であり、性交を障害に――愛と世界の唯一真の目的である忘我的な激発に到達すべく、できるだけ速くのりこえなければならない障害に変えてしまう。〟 〝私たちの世界では、無為は無聊に変わってしまったが、これはまったく別のことなのだ。無聊をかこつ者は欲求不満で、退屈し、自分に欠けている動きをたえず求める。〟 〝しかし私に言わせれば、快楽主義のアキレスの踵[弱点]は利己主義ではなく、(ああ、私が間違っていればいいのだが!)その絶望的なまでにユートピア的な性格なのだ。〟 〝最初は楽しげで淫らな戯れとして現れるものが、それと知られないまま、不可避的に生死を賭けた闘争に変ずるのだと。〟 〝なぜ、緩やかさの快楽が消えさってしまったのだろうか?〟 快楽、目的、闘争。
  • 2025年4月1日
    北関東の異界 エスニック国道354号線
     本を読んで、いてもたってもいられず、というわけでもないのだが、今日は国道354号線を車ではしって、伊勢崎までやってきたわけだが、あたりまえのこととして、ふつうの街だ。  市の南にあるハラルショップへバスマティ米を買いにいった。ガード社のアルティメイト――パキスタン産のものの中でも特に長粒でおいしい――は五キロで四五〇〇円。高い! 一〇〇〇円以上値上がりしている。しかし、日本米の高騰は知っているが、どうしてパキスタンの米まで値上がりしているのか。スパイスをいくつか買いこんだ。  ところで、この本でおもしろいのは、北関東へやってきた移民の変遷だった。最初に、パキスタンやイランといった南西アジアから移民がやってくる。それが、入管法の改正を期に九〇年代からペルー、ブラジルといった南米からの日系人におきかわる。リーマンショック以降は東南アジアからの技能実習生の時代になる。  一方で、私がカレーをたべたり食材を買ったりするパキスタン系の店は、八〇年代に中古車輸出業に鞍替えした南西アジア移民のコミュニティの中にある。業者向けの中古車オークション会場が点在し、車を保管する広い土地がある北関東に、そうしたコミュニティがつくられていった。そういう過程もこの本には書かれている。  市の北西にあるブラジルスーパーで、この本の著者である室橋裕和さんと、移民をテーマに活動している映像ディレクターの比呂啓さんによる、北関東移民街ツアーのチラシを見つけた。日付を見るとすでに先週のことだった。私はツイッターなどもあまり見ないので、こういうことにも気づかないのだった。
  • 2025年3月31日
    ギリシャ語の時間
    ギリシャ語の時間
     午後はTさんと打ちあわせ。Tさんの家にくると、いつもリヴィングのテーブルの横にいま読んでいる本が積んである。今日はハン・ガンの小説が数冊あった。  なん年かまえに『ギリシア語の時間』を読書会で読んだ。そのとき読書会のメンバーのひとりが『すべての、白いものたち』はきれいすぎて好きではないといっていたのを私はおもいだした。『ギリシア語の時間』はよい小説だった。  チーズケーキをいただいて休憩をしていると、いま読んでいる本のはなしになった。ハン・ガンのことが話題になり、私はそのことははなさなかった。  Tさんは、ハン・ガンの横においてあった本を手にとった。台湾の画家についての小説だと教えてくれた。ひどい翻訳で読むのに疲れるともいった。
  • 2025年3月27日
    ボヴァリー夫人
    ボヴァリー夫人
    すごい!
  • 2025年3月21日
    ボヴァリー夫人
    ボヴァリー夫人
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