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@s_ota92
  • 2026年5月27日
    ψの悲劇 The Tragedy of ψ
    p12 「<死ぬ自由が自分にはある。やにか具体的な不満があったわけではない。自分の意思で自由に活動できるうちに、皆の前から消えようと思う。探さないように。>」 p38 「<真賀田博士への返答>」 p54 「「あ、失礼しました。島田文子と申します。」」 p58 「「人類の知的交流とその蓄積のバックアップです。」」 p61 「「真賀田四季?」」 p66 「「おお、発見……。えっと、ψの悲劇。プサイですよね、これ……。」」
  • 2026年5月25日
    χの悲劇 The Tragedy of χ
    p17 「名刺のサイズで、真っ黒だった。裏返すと、白いフォントで<χ>の一文字が中央に慎ましく記されている。」 p25 「「各務さんなら、えっと、ええ、知っているかもしれない。」」 p31 「「エックス?」彼女は目を見開いてしまった。」 p34 「目の前に、本物の真賀田四季がいた。世界を揺るがすほどの存在。年齢は、島田とそれほど変わらない。ドイツ人の血が混ざっているが、黒髪の日本人。世紀の天才プログラマ、真賀田四季が、部屋の中で待っていた。」 p39 「犠牲となった乗客の中に、N大学総長・西之園恭輔の名を見つけたのだ。夫人もなく亡くなっている。これは、あの西之園萌絵の両親か。」 p42 「えっと、変な先生がいたじゃない。えっと、そうそう、犀川先生だ。シャアみたいな……。」 p43 「そうなったや、その英知はあらゆるものに組み込まれ、意識さえされなくなる。存在さえ忘れられてしまう。世の中は、こうしてどんどん中心に集まり、回転数を上げているようだ。」 p46 「このように、さきざきのことまでつい考えてしまうのが、彼女のような仕事の職業病といえるかもしれない。」 p55 「赤い文字は、<X>に見える。」 p68 「「電車の中で?うーん、あ、オリエント急行殺人事件か。」」 p82 「得るためには与えなくてはいけない、というのがスローガンのようだ。」 p95 「以前から島田の中で眠っていた根深い因果が、突如覚醒したのだった。」 p113 「四季語録のようなものがいつの間にか出回っていたから、それを読んだのだ。」 p118 「「レッドマジックですね?」」 p125 「「コワシヤ。」」 p146 「「ミナス?何それ。マイナスのこと?」」 p150 「「そう。ここが私の世界だ。」」 p152 「この世界の達人が残した格言がある。「評価は別のところがする。そんなものに惑わされるな。」」 p160 「使われたパスワードを探すために処理したところ、<longstreet>が見つかった。」 p175 「天才とは儚いものだ、と皆が語った。そうして、自分たちの社会を守ろうとした。天才は寂しいものだ、と皆が感じた。そうすることで自分たちを慰めたのだ。しかし、それは希望的観測でしかなかった。天才は、大衆が望まないほど大きかった。天才は既存の社会を守ろうとはしなかったし、また、少しの寂しさも感じていなかった。そのことに大衆が気づくのは、いつだろうか?」 p180 「「シ・マ・ダ・さん。」」 p193 「ミナス・ポリスとは、<月の街>という意味になる。」 p199 「「ええ、夢の中で腹ごしらえしておかないと、目が覚めてから頑張れません。」」 p204 「「エックスさん?」」 p207 「「物事をできるだけ正しく認識したいだけです。」」 p262 「「実際に飛行機に乗った二人が実行犯だと思いますが、彼らに名前を貸した、という意味で共犯であることはまちがいない。こそらく、私の両親のパスポートを持った人物が自爆したのです。主導的な立場だった可能性はありますが、それは証拠がありません。」」 p265 「「西之園博士です。」金は即答した。」 p267 「「うーん、じゃあ、それは譲りますけれど……。でも、私が納得がいかないのは、やっぱり、大勢を犠牲にしたという点ね。ありえないと思うわ。博士は、そんなことされる方ではありません。博士が殺したのは、すべて身内の方たちでした。ご自身の内部だと認識される方しか殺していないんです。つまり、自分の人格の一部を殺す。博士にとっては、自殺と同じなんです。他者の命を奪うということは、絶対とは言いませんけれど、ええ、たとえ真賀田博士であっても、簡単にできることではないと思います。」」 p268 「「真賀田博士は、まだ小さかった頃に、西之園博士にアメリカで会っています。そのとき、彼のお嬢さんも一緒だった。のちに、このお嬢さんは、真賀田博士に一人で会いにいきました。二人の間に強烈な印象があったのではないでしょうか。博士は、このお嬢さんのことを意識していました。どこか自分に似たものを感じたのではないかと想像します。自分が両親を殺したように、そのお嬢さんも両親を失ったら、どうなるだろう。その反応が見たかった。」」 p269 「金は言った。「実は、私も、そのお嬢さんをよく知っています。島田さんよりも、知っていると思いますよ。」」 p270 「「私を見つけ出し、私を殺すことが目的だったのでは?」カイがきいた。」 p270 「「それに近い感情を持っていた。」金は頷いた。「初めの頃は、もしかしたらそういった熱いものを持っていたと思います。若いときは、頭に血が昇っている。でも、今は違う。全然違う。たとえ、実行犯本人を見つけても、復讐するつもりはありません。ただ……、そうですね……、言い分を聞く。それだけかな。話が直接聞ければ、納得ができるかな、と考えていた。しかし、結局は、それもエゴだ。納得ができるはずもない。私は、あの飛行機事故で、姉を亡くしたのです。」」 p284 「金とカイは、世間話をしていて、最近の政治や国際情勢など、かなりインテリジェントだった。」 p285 「お昼まえに、日本科学大学に到着した。」 p289 「「今は、<ミナス・ポリス>というプロジェクトの話を聞きました。」金は言った。」 p291 「「いえ、ないと思いますよ。私も、こんなことからは、もう足を洗うつもりです。」「どうなさるの?」「それは、内緒です。」金は微笑んだ。」 p291 「「奥様はいらっしゃるの?」島田は尋ねた。「おります。」金は答えて、片手を伸ばした。島田は微笑んで握手をした。」 p293 「システムに侵入できるなら、なんでも可能であって、基本的に不可能ということはない。データ上であれば、死んだ人を生き返らせることだって……。」 p293 「「やっぱり、もう一度、真賀田四季に会うこと。」」 p295 「自分は一人で生きていくのだ、という気持ちが少々弱まっていることを自覚して、もう一度、自分にネジをまいた。」 p299 「あのロボットが殺人犯だ。」 p303 「遠田は、ドラムのカメラで顔認証され、ロボットは、<kowashiya>という彼の極秘データを参照しただよう。これをブレーカと訳したのか……。そうなると、この規定の文字のとおりになる。ブレーカを殺せ、と規定されているのだ。」 p304 「知ってしまったけれど、納得できるという気分ではない。世の中の問題の多くはそういうものだ。疑問が解決すれば、また別の疑惑が生まれる。」 p308 「「大丈夫よ。もうすぐだから。」」 p316 「「ああ、けっこうさ、面白い人生だったよねぇ。」」 p317 「行きたいところは決まっていた。ミナス・ポリスだ。」 p319 「「ありがとうございます。お待ちしていました。」島田は泣きながら言った。」 p319 「「生きているうちに、博士にもう一度だけ、お会いしたかった。」」 p319 「「私は、生きてきたのでしょうか?」「生きていたのよ。」「どんな人間でしたか?」「貴女は素晴らしい才能を持っていた。天才だった。私は貴女が好きよ。」」 p320 「もう、言葉にならず、島田は声を上げて泣いた。良かった……。ただ、ただ、良かった。」 p321 「「そんな不可能を、科学は消し去ってきました。」」 p322 「目が次第にクリアになる。目の前の姿をしっかりと見ることができた。想像していたとおりの姿。以前に見たままの姿だった。美しく。綺麗。人形のように。人間のように。」 p323 「「そう。そのとおりです。その問いが、すなわち命なの。」」 p324 「白いドレスを着て。目は青く。黒髪に白いリボン。島田は、その前に跪いた。「貴女は、誰?」それを尋ねたのは、自分なのか、それとも少女なのか、わからなかった。」 p325 「入ってきたのは、長髪で顎髭、そしてメガネをかけた初老の男だった。」 p326 「カイだ。」 p331 「「もう一字。下は、ミナスです。」」 p332 「「質問は、二つでした。では、失礼します。」カイはお辞儀をした。」
  • 2026年5月24日
    キウイγは時計仕掛け KIWI γ IN CLOCKWORK
    p18 「「私、夢で見たんだけれど、発表を聴いている人が、みんな、国枝先生なの。」」 p30 「「いえ、それが、その、シールには、荷物の依頼主として、G・O・S・I・Pと書かれているだけです。」」 p31 「「これって、キウイじゃない?」」 p39 「「あらぁ、これ、キウイ。」」 p50 「「あるいは、そうですね……、文字だとしたら、γですか。」」 p60 「「秘密の逢引だよね。」」 p67 「キウイにギリシャ文字のγのサインがあった、というのである。」 p69 「しかし、ほんの僅かに引っ掛かるものがあったので、いちおう、彼に連絡をしておこうか、と考えた。」 p74 「「そうか、海月君、西之園さんの研究室なんですね?」」 p80 「そして、驚いた。島田文子とある。その名前を、犀川は記憶していた。ずいぶん以前に会ったことがある。」 p83 「真賀田四季の名を聞いても、まったく動じない。驚きもしなかった。そういうことなのだ。」 p85 「「ええ、そう。みんな喜んでやっているけれど、利用されているって、どれくらい気づいているかしら。私はやらない。利用されるよりは、利用する側に回りたいから。」「僕もやりません。でも、常に見ています。」「同じ。SNSもね……、まるで家畜。」「そこまで酷くはないでしょう。」「餌はなにかしらって、思わない?」「何でしょう。つながりたいんですよ、人間というのは。」「そうそう、絆ね。絆って、牛をつないでおく網のことでしょう?」「ネットというものが、元来そういう装置なのでしょうね。」「人を縛りつけておく装置?」「そうです。」」 p89 「「国枝先生が、どうおっしゃるでしょうか?」「いや、言わない。ただ、じっと睨むだけだ、横目で。まあ、言うとしても、ご一緒ですか、くらいだろうね。」「いいじゃないですか。ごく普通です。」「普通ほど怖いものはない。」「国枝先生に取り憑かれているみたい。」「そうかもしれない。だいぶまえからだ。彼女がC大に行って、会う機会が減ったんだが、よけいに恐くなった。」「怒られますよ。」「怒られたくないなぁ。」明らかに犀川は面白がっている。西之園も、面白かった。」 p91 「アボカドだったら、六かける十の二十三乗だ。」 p93 「今は自分も研究者として独立したので、国枝からは論文の連名を断られた。これは、犀川研の伝統らしい。」 p95 「今は、もし答えられない質問が来たら、それは素晴らしい課題に出会えたと素直に歓迎できる。」 p100 「「あ、そう……。私もたまに、それ、言われるな。名前でわかったって。」」 p108 「ところが、その低いガラステーブルの上に、キウイが一つ置かれていた。普通のキウイではない。プルトップの金具が刺さっている。」 p112 「キウイといって思い出すのは、この大学の講堂のホールの床の模様だった。それは、キウイをデザインしたものではなかったらしいが、色も模様もキウイフルーツの断面そのもので、皆がその場所をキウイホールと呼んでいる。」 p114 「左手には、キウイを持っている。」 p116 「もう動かなくなっていた学長の横、床にキウイが転がっていた。」 p139 「誰も手を挙げなかった。このまま終わってくれ、と加部谷は思ったが、突然一人が手を挙げた。それは海月及介だった。」 p141 「「お疲れ。」国枝は、加部谷の頭を撫でた。」 p144 「自分に向けられた優しさだと勝手に解釈すれば良いではないか。それだけで自己満足すれば良いではない、と考えようとした。」 p154 「加部谷のセットにはフルーツサラダがついていて、そこにはキウイの輪切りが入っていた。」 p161 「「来ると思ったぁ。懐かし懐かしじゃない。西之園さん。うわぁ、またまた、清楚なお召し物で。」」 p162 「「ね、それで、犀川先生とは、どうなったの?」「えっと、その話は……。」「犀川先生も、教えてくれないのよ。なんか、もぞもぞするだけで。」「ええ、そういう感じです。」「どういう感じ?」「もぞもぞとした感じです。」「わからないよぅ、そんなんじゃ。」「あの、それはまた、別の機会に、きちんとしたら……。」「何?きちんとしていないわけね。」「ええ、まあ……、そうです。ご想像にお任せします。」「すっごい想像しちゃうよぅ、私は。」島田は笑った。」 p166 「「島田さんの中にも、まだそのスイッチがあるのですか?」「あると思う。貴女だって、あるんじゃない?」「私?でも……。」」 p169 「「えっ、犀川先生がですか?」「貴女も。」「私も?どうして?」「恐くない?」「何がですか?」「怖くないってだけで、もう普通じゃないよ。」」 p181 「そのときの燃え残りのような、微かな熱と香りが、今も彼女の胸にあった。灰に近い、形のない気持ち、知らないうちに片隅に追いやられた小さな記憶だった。」 p208 「「先生、朝は、お茶漬けを召し上がりたいのですか?」「いや、お茶漬けも食べたくない。うーん、どちらかというと、シリアルに牛乳をかけて、うん、それで充分だね。」「もしかして、今でも、そうなさっているのですか?」「滅多に朝は食べないし、食べるときは、そうだね……、けっこうシリアルかな。」「ああ、そうですか……。」溜息が漏れる。「どうして、溜息を?落胆したみたいだね。」「ご用意のし甲斐がありませんね。」「誰が用意するって?」「私ですよ。」「あそう……。」「なにか?」「いや……。」」 p212 「「言葉にしなきゃわからないって、おっしゃったじゃないですか。」「そんなこと、言ったかな……、ああ、言ったね。でも、今は、わかる。」」 p214 「正義によって真実が突き止められると信じていた子供の自分が、今では愛おしいけれど、でも、それはやはり正義ではない。正義というものは、それほど単純ではない。今は、少しそれが理解できつつあった。」 p215 「「どうして、アボカドじゃないのかな。」犀川は呟いた。「やっぱり、そこですか?」西之園は吹き出した。」 p216 「もっとも、犀川研は、伝統的に集団行動を避ける傾向にある。 国枝研究室は、さらに輪をかけて個人主義だし、西之園研究室もその伝統に倣っているのかもしれない。」 p218 「でも、それは単に、少し妥協しているだけのことで、この妥協は、結局は、人から嫌われるかもしれないという小さな損を、自分が我慢をするという小さな損と交換しているだけのことなのだ。どちらも、小さな損だ。」 p249 「普通のキウイだが、リングが光って見えた。プルトップが刺さっているようだ。」 p263 「「そういえば、犀川先生も、煙草を吸われたいのでは?」「あ、いえ、やめました。」」 p268 「「西之園君が言った、靴を脱いでいたことは、かなり重要だと思います。」犀川はそうつけ加えた。「でも……、まあ、一番不思議なのは……。」」 p268 「「どつして、前日に、蔵本先生を撃たなかったのか。」」 p269 「「天井は、何でしたっけ?」「は?どういうことですか?」刑事はきき返した。「西之園君、覚えている?」「はい、吸音ボードの、普通の白い天井でした。」西之園は答えた。」 p274 「「君は、もう二つ質問をさせてほしい、とは言わなかった。自分の発言には常に責任を持ちなさい。」」 p282 「西之園博士の跡を、きっと犀川や西之園萌絵が引き継いでいるのだろう。それをまた、山吹や海月が引き継ぐのだろうか。」 p289 「「一つあります。」海月は言った。「どうして、犯人は、最初の日に、二人を撃たなかったのか。」」 p289 「「うん。今のそれね……。」西之園は、海月を指差した。「犀川先生が、まったく同じことをおっしゃった。」」 p290 「「えっと、犀川先生をたった今思い出した、日本に来たときに案内をしてくれた少年だった。もちろん、ドクタ・サイカワという研究者は知っていたが、まさかあのときの少年だとは気づかなかった。ドクタ・ニシノソノは、後継者に恵まれた。そんな話でした。」」 p302 「「正論には従う。」」 p302 「「違う人間だからだよ。」」 p302 「「僕の考えを聞いても、意味はない。真実は、推論の中から生まれるんじゃない。現実の観察から明かされるものだ。」」 p316 「ふとデスクに目をやると、奥の本棚にキウイがあった。」 p326 「「少しずつ割れたんだに、きっと。最初はちょっと割れて、次にもう少し割れて、最後で粉々になった。」」 p331 「「相変わらず、愛想のない奴。」国枝が言う。「あ、今の……、先生、ジョークですね。」西之園が指差した。「久しぶりだわ。」国枝はむっとしていたが、言い返さなかった。口に手を当てて笑っている西之園以外、山吹、加部谷、雨宮は一瞬何が起こったのか、と言う顔になった。」 p333 「「まあ、一つ確かなことは……。」西之園が三人を順番に見据え、真面目な表情で言った。「国枝先生の機嫌がとんでもなく良いこと、だね。」「さあ、もう行かない?」国枝が笑いもせず言う。「食事を奢ってあげる。」」 p337 「「つまり、自分の身を守る本能とまったく同レベルということになるわけだから、親が子供を守るのは、自分が自分を守る、つまりエゴと同じで、なにも美しいことじゃない、むしろ自己中というか、はしたないことと言われてもしかたがないレベルじゃないですか?」」 p339 「「でも、そうやって、近づいたかなって信じられるものが、真実という言葉の意味じゃない?」西之園は答えた。「幻想といえば、幻想だけれど。」」 p356 「「こういうネストって、初心者が作ったプログラムで、よくなるよね。」」 p357 「「うん、今度は、また、おもちゃ会社。でも、ゲームじゃないのよ。お人形を作っている中小企業。」「へえ……。そうなんですか。東京ですか?」「違うの、日本じゃないの。香港。」「あ、じゃあ、遠くなりますね。」「そんなことない。日本の田舎の方が遠い感じじゃない。それに、ネットがあるから、関係ないし。」」 p358 「「会いたいと思えば、会えると思うな。」」
  • 2026年5月23日
    ジグβは神ですか JIG β KNOWS HEAVEN
    p14 「山吹は、今年の四月から国立M大学に助教として勤務している。」 p15 「今は東京にいる海月及介である。山吹の親友であり、加部谷や雨宮の同級生だったのだが、途中で編入学して、W大に移ってしまった。」 p17 「「結論急いではいかんがね。不便だと考えるのがおかしい。鶏小屋の鶏みたいにな、目の前に餌があるのが便利か?わざわざ餌を探しにいくのが不便か?そういう不自由な便利さにならされとるのが都会人だがね。まあ一種、家畜みたいなもんだわさ。」」 p21 「店員がカウンタへ戻っていくのを見ながら、水野は名刺を取り出し、それを椙田に手渡した。」 p23 「「あ、いや、違いますよ。勘違いしないで下さい。ああ、そういえば、彼女の叔母さんに見破られましたよ。えっと、佐々木っていう元知事の奥さん。」」 p25 「「犀川先生にあったことは?」「え?あ、ええ、ほんの少しなら。」「ご両親は?」「誰のです?」「犀川先生の。」「いえ、知りませんよ、そんなこと。どうしてですか?」「お元気かな、と思って。」」 p27 「「ちょっと調べたんですが、そこの教祖が、βと名乗っているらしいんです。」「ベータ?ああ、つまり、神の次に偉いっていう意味で?」」 p29 「「なんだったら、紅子さんに会ってきいてみたら?」「瀬在丸さんですか?彼女、その方面にお詳しいのですか?」「僕よりはね。最近会った?」「いいえ、全然。それって、たしか、このまえのときも、ききましたよね。」「そうだったかな。」「そうかぁ……、今なら、おばさんに戻ったから、久し振りに会ってみようかな。びっくりされるでしょうね。」「しないと思うよ。」」 p35 「一度だけ、山吹早月の実家がある孤島へ、みんなで遊びにいったことがあった。「お姉さん、お元気ですか?」」 p35 「「今度、西之園先生のお祝いのパーティをすることになったよ。」「あ、結婚の?」「結婚?違うよ、准教授になられたから。」」 p41 「今は、言葉が綺麗になった分、なにもかもが曖昧になって、その曖昧さこそが人を安心させているようだ。」 p50 「水野は思わず、「あっ」と声を出すほど驚いた。その三人をよく知っていたからである。向こうも、こちらに気づいたのか、三人とも振り返った。お互いの視線がぶつかった。」 p83 「「もしかして、探偵さん?」」 p83 「「わ、わっ、本当に?えっと、赤柳さんですか?噓でしょう!」」 p84 「「違うって。だから、こちらが本物で……、えっと、赤柳さん?あっちが変装だったんだ。」「正解!そのとおり。」水野は指を立てて、雨宮を指差す。「貴女が、一番ね!」」 p95 「嫌なことは我慢をせず、できるだけ避けるという合理性が、理系の男子にはよく見られる傾向である。」 p99 「「相変わらずだと思うよ。山吹さんは、博士課程はN大へ行かれていたから、国枝先生だけじゃないかも。国枝先生のまたその先生の犀川先生のところ。ほら、西之園さんもそこの講座だった。」」 p101 「「えっと、もう三年近くまえになるけれど、そのとき東京で会って、それ以降連絡が取れなくなっていたの。どうかされたのかなって、心配していたんだけれど。」」 p103 「「いいえ、知らなかった。でも、赤柳さん、私と一緒に写真を撮られたの、東京でね。それをご丁寧に送ってこられたの。その写真を、たまたま叔母様に見せたら、ああ、この人知っているって、女なのに男に変装している人でしょうって言うわけ。」」 p123 「裸体にフィルムが巻かれている。」 p173 「≪絵を描く気分になれない。いつものように散歩を少し。久し振りにジェーンさんを見た。挨拶だけ。また彼女と話がしたい。661661からメッセージあり。神様とどっちが偉い?≫」 p179 「「世の中には、いろいろな人間がいます。ああいうことを本気でしたいと考える人がいても、不思議ではありません。いえ、もの凄く不思議ですけれど、でも、それくらいの異常さは、なんていうか、人間のばらつきとして、ありえる範囲ですよね。」」 p198 「真っ白な肌に黒髪の女性で、目を閉じて眠っているようだった。」 p200 「「目が開いて、こちらをじっと見たんです。なんか、青か緑か、そんな色の目でした。」」 p204 「「あれはジグだってことだね。」」 p208 「みんな、突然離れていってしまったのだ。たぶんそれで、なんとなく、自分もどこかへ行きたくなってしまった。」 p208 「大学院の願書を出すかどうか、一番迷っているとき、国枝先生に相談にいったら、「そんなの、どっちでもいいじゃん。」と言われて、少し気持ちが楽になったっけ。」 p210 「「そうかそうか、それはあとで話す。とにかくね、西之園からね、最後の人形についてリプラィが来たんだ。知っている人かもしれないから、もっと解像度の高い写真を希望って。」」 p213 「「真賀田四季ですね。」」 p215 「良かった、昨日と連続した今日だということが判明したのだから。」 p220 「答が出ないにしても、自分としてはなにがしかの納得が欲しい。それが人情というものではないだろうか。」 p234 「両手を上に伸ばして深呼吸をした。こういう姿を見たら怒るのは、執事の諏訪野か、あるいは叔母様だな、と想像したが、ここには彼女一人だけである。」 p235 「彼とはスケジュールを共有しているので、どこにいるのかはお互いに把握しているのである。」 p236 「「質問が多すぎるわよ。一度見たかったんですもの、可愛い姪の仕事環境がね。昨日からホテルに泊まっているの。諏訪野に案内してもらったのよ。駐車場で待たせています。」」 p240 「「叔母様ね、一度、瀬在丸さんに会っていただけません?」」 p240 「「うーん、だって……、私の保護者といったら、第一に叔母様じゃないですか。」」 p241 「「叔母様と瀬在丸さんとなると、もう意気投合するか、それとも大喧嘩をするか、どちらかでしょうね。」」 p256 「「何故、私を起こしたの?」人形の口が動き、優しそうな声が漏れ出る。」 p257 「「海月君……。」」 p257 「「土曜日は、時間が取れない、と書いた。」」 p261 「人形と同じだ、という言葉を加部谷は呑み込んだ。」 p270 「「ジェーンさん。どこにいたの?」」 p273 「「ああ、そういうこと。ええ、貴女は大丈夫よ。隅吉さんには、殺される理由があったのです。どんなことでも、必ず理由があります。」」 p273 「「羊はいつも怖がっているのよ。でも、それでも毎日草を食べる。」」 p273 「「貴女にお願いがあります。貴女にしかできないことなの。」「え、何?私にできることなら、ええ、ジェーンさんのためなら……、私、できると思う。」「そう、貴女は大丈夫。」「私は、大丈夫?」「可哀想に、迷っているのね?」「私は可哀想?」」 p277 「「解像度の高い写真を送れって、司令を受けているので。」」 p294 「「良いのよ、正直に言っても。どう思うことも自由です。噓をつくことのほうが、不自由を作ってしまうわ。」」 p295 「ああ、私はなんて幸せな人間だっただろう。神様、ありがとうございます。私は、貴女の御許にに行けますか?」 p301 「吊り下げられているのは、洋服ではない。人間だった。」 p302 「ごめんなさい。私がやりました。」 p308 「落葉が集められていた。昨年の秋の落葉だ。」 p309 「「よろしくお願いします。」瀬在丸紅子は笑顔で会釈した。」 p310 「「犀川先生が適任ですが、現在海外だそうですね?」「あら、そうなの?」「中国だそうです。」「西之園さんは?」「東京ですからね。」」 p317 「「科学者というのは、悲観的な人間です。真賀田博士も科学者ですし、世界一の天才なのですから、世界中の誰よりも悲観しているはずです。楽観しているのは、計算をしない幸せな凡人たちよ。」」 p318 「白い顔の女が、目を開けた。青い瞳が、ゆっくりとこちらへ。赤い唇が、少しだけ開き、そして動いた。「どうしましたか?」」 p324 「「カレーのことなら、美味しかった。」海月は顔を上げて即答した。」 p333 「「瀬在丸さんが、いらっしゃっているのかぁ。これは、ちょっと挨拶しておかないと。」」 p337 「「百パーセントなんてことが、普通にありますか?ピタゴラスの定理じゃないのです。これは。真賀田博士の計算でもありません。そうですね……、無理に確率にするとするならば、九十九パーセント以上、確かです。あの方は、ご自分を真賀田博士に見せようとしています。でも、明らかに能力不足。天才なら凡人の振りができますが、凡人には天才の振りはできません。真賀田博士に見せようとしていることが、真賀田博士ではない証拠です。」」 p338 「「二十年や三十年で人間が変わりますか?私は、彼女と話した一言一句を全部覚えています。言い回しも、発声も、アクセントも、どれも一致しません。わざと違うようにしているのではないの。ある程度は似せています。おそらく、そういった練習をしたのでしょう。でも、似ているだけです。ご本人ではありません。」」 p340 「「ですから、趣味ですよ。好きでやったのです。綺麗な形を作りたかった。それが見たかった。自己満足です。あとは、そうですね、やはり、誰かにそれを見てもらいたかった。それは、普通の人にではありません。たぶん神様でしょう。別の表現をすれば、生け贄を捧げたのです。」」 p342 「瀬在丸の両手が、水野の手に触れる。水野も、もう片方の手を添えた。」 p343 「「保呂草さんは、お元気かしら?」」 p347 「「なにかを破壊しようというのではなく、新しいものを建設しているのかもしれない。」」 p358 「「まあ、なんでもええふうに考えやぁ。いかん方に考えるよりは。」」 p359 「朝の気温にしては、暖かい。湿った空気だった。割り箸を振ったら、綿飴になるのではないか、と想像できるくらいで、一度そう思うと、白い景色が甘く感じられた。雲の中にいるみたいでもある。これが死後の世界だとしたら、死んだ人は、この飴を少しずつ食べ続けているのかもしれない。」 p363 「「僕の考えなんか、価値はない。」」 p369 「「変だと思う。」海月は頷いた。「しかし、理由なら、二つ思いつける。一つは、かけがえがない対象であっても、愛情の形は、人それぞれだ。欲求が抑えられない、ということは、まったくありえないというわけではない。かけがえのないものだからこそ、その欲求が大きくなる場合もあるかもしれない。生きているうちに、ただ一度で良いから体験したい、と考えることは、絶対に理解できないというほど、矛盾を含んでいない。想像の範囲内だと思う。また、第二に、自分の最愛の者を殺すことは、古来、神に対しては行われている。生贄という形で世界中で行われているんだ。特に、相手が真賀田四季であれば、どうだろう。彼女自身、自分の娘を殺したと言われている。神に認められたいのならば、確固たる動機になるだろう。自分の信念を示す、自分のコントロールの力を示す、そういう意味で充分な効果を持つ。逆に言えば、これを否定できる材料がない。」」 p372 「「これもレッテルと同じで、ただそういう処理によって安心したいだけだ。異常なんてものは、存在しない。あるとしたら、みんながそれぞれ異常を持っている。あるいは、ほとんどの人間は異常だ。異常を平均したものが常識という幻想だといっても良い。」」 p372 「もう一度考えろ。もう一度理解しろ。考え続けなければ、本当の理解ではない。どうして、理解しなければならないのかといえば、それは、安心のためではなく、自分というものの根本的な不安定さを認めるため、人間が持っている基本的な孤独を認めるためだ。」 p373 「異常という言葉で片付けることは、人間が安定した存在であり、それに反する状態であってはならない、と無理に思い込むことと等しい。その思い込みから脱するためには、問い続けなければならない。」 p373 「「あの死体を見たとき、綺麗だなっていうのが第一印象だったから。ああ、やっぱりそうなんだって思った。綺麗にしてあげたかったのかって。それって、考えてみたらもの凄い経験じゃない?きっと、泣きながらやったんだと思う。凄まじいよね。人間って。そんなことができるんだ。自分はこんなことができるんだって、きっと震えたんじゃないかな。異常ではないと思う。ただ凄まじいだけ。もちろん、私はそんなことしたいとは思わないし、それはやっぱり間違っていると思うけれど、でも、たとえば、イデオロギィの違いだけで無差別に他人を殺すことと比べたら、全然人間らしい行動なんじゃない?」」 p378 「どうも考えが堂々巡りになってきたが、そのうちに、ふと瀬在丸紅子のことを思い出した。そう、今回一番嬉しかったのは、彼女に再会できたことだった。本当に、昔のままの紅子さんだった。自分がこんなに変わってしまったのに、対照的といっても良い。」 p381 「納得のいく答が、必ずしも一般的な真実ではない、ということである。」 p382 「そうなると、PAPAに見える。」 p388 「東京の椙田には、また会うことができた。彼は、瀬在丸紅子の様子を知りたがったので、多少誇張して話しておいた。」 p389 「たぶん、瀬在丸の話のあとだったので、椙田は機嫌が良かったのだろう。いつにもなく饒舌だった。」 p390 「「紅子さんねぇ……。会いたいような、会いたくないような……。」」 p390 「佐々木睦子は、初秋の某日、瀬在丸紅子を訪ねた。姪から会ってほしいと言われたのが、彼女の中での理由だったが、考えてみたら、もっと早く、西之園萌絵の保護者として、瀬在丸紅子に挨拶をしておくべきだった。」 p393 「「よくもまあ、子供が育ったものだと、今になって思います。そうね、結局、育て方じゃありませんわね。その子が育ちたいように育つんだわ。人間なんですからね。」」 p395 「「生きる方法を見つけるでしょう、彼女ならば……。あの、これは、あくまでも私の想像です。この件で、ほかの方と意見交換や議論をしたこともありません。そうだ、創平さんとだって、話し合ったことはありませんのよ。」」 p397 「黒髪は長く、瞳は青い。」 p399 「それは、βという形になった。」 p400 「隅吉は、軽く跳ね、手摺を飛び越えて、その岩へ向かって最後の落下を試みた。」
  • 2026年5月22日
    目薬αで殺菌します DISINFECTANT α FOR THE EYES
    p103 「それは、ギリシャ文字の≪α≫だ。」 p126 「そのとき、ほんの一瞬だけ、良い香りがした。」 p137 「「そのうち話そうと思っていたことだけれど、来年は、別の大学へ行こうと思う。」」 p139 「たとえるなら、夢を見たあとのような、なにか大事なものを忘れてしまって、それが思い出せないときに似ている。なくしてしまったものに気づくとき。そう、喪失感だろうか。」 p156 「国枝は、片手を箱の中に入れ、ケーキを一つ摘み上げると、立ったままでそれを食べた。二口くらいでケーキは消えてしまった。」 p177 「「その街で出会った人で、同業者の人がいたんです。年齢も私と同じくくらいなんですけど、その人が、かなり詳しいんですよね。その街に最初からいるって言っていましたし……。赤柳さん、その人に直接会われたら、いかがですか?」」 p178 「「えっとね、島田文子さんです。アヤは、文章のブンという字です。」」 p179 「私は初めて人間というものが美しいと思った。ずっと、それは醜いものだと私は考えていたのだ。」 p181 「でも、人間は躰ではない。この人間の形をした躰の中にいる存在なのだ。私もそうだ。少なくとも、そこは信じている。人間はここにいる。ただ、この躰から出られないだけなのだ。」 p207 「「そういう非常にゆったりとした時間軸で考える必要がありそうだ、ということです。」」 p215 「「赤柳さんは、時間的にゆっくりとしている、それが、今までにない特徴だ、みたいなことを言っていましたが。」「卓見だ。」犀川は即答した。」 p217 「「まあ、よくわかりませんが、僕がイメージできることといえば、彼女は、新しい生きものを作ろうとしているんじゃないか、ということですね。」犀川は言った。」 p220 「「現在の個人は自由な行動の権利を持っているはずなのに、ほとんど考えもせず、ただ、社会に合わせて生きている。いうなれば、細胞に近い存在です。さて、抽象的な話でしたが、わかりましたか?」」 p221 「「二つあると思います。一つは、それが、つまり成長というものだからです。個人の内側から、外側へ視野が広がっていくことが、成長という現象の最も顕著な観察傾向です。もう一つは、他者に干渉することで、自分への干渉を望んでいるのだと思います。」」 p222 「「まあ、俗っぽくいえば……、愛されたい。」」 p222 「「ということは、地球には、えっと、二人しかいない、ということですか?人類と、真賀田四季と。」」 p223 「「博士は、ただ、地面に豆を撒いて、そこに群がってくる鳩を観察しているだけです。鳩がどう動くのかを見ているのが楽しいのでしょう。」」 p224 「東寺昌子の入院中の夫、東寺健夫は、地元で建設業を営んでいたのだが、以前に殺された神居静哉の館を建設した人物だった。」 p230 「「人生にも、そして人間の社会にも、常に必ず障害はある。私たちの前に立ちはだかっているもの、それは、山のようなものだね。乗り越えるしかない。眺めていたって、消えることはないんだから。」」 p242 「人間なんて不確定なものだ。気持ちなんて簡単に変わってしまうことだってある。けれど時間は取り戻せない。」 p243 「本が読みたくても読めない人たちは多いはずだ。それ以前に、生きていくこと自体が困難な状況がある。そういう報道をときどき聞く。聞くだけだ。どうすることもできない、と目を瞑る。自分たちの周りに広がっているのは、そういう遠くのことに目を瞑るしかない静けさだ。」 p246 「刺々しいのは、いつもの海月及介と同じだ。違う。刺々しくもない。むしろ、いつもより、ずっと優しいではないか。」 p249 「時田玲奈の死亡を知らされたショックは大きかった。メモが残っていたというのは、遺書という意味だろうか。」 p254 「島田文子は、かつて真賀田研究所にいた。」 p255 「「目薬です。」」 p259 「「そうでもない。決められないから、いろいろもっと沢山見てみよう、というだけだ。」」 p275 「大丈夫じゃないよ。くそう!どうして、言えないんだ?言葉だけじゃないか。言葉だけだからだよ。こうなったら……、えっと、もう、どうにでもなれ。」 p279 「「素直に考えた方が良いこともある。」」 p279 「「ねえ、手をつながない?」「どうして?」「怖いから。」」 p282 「わかるでしょう?私の気持ち。その言葉が思い浮かんだ。でも、言えない。自分でも、そんな卑怯な言葉は駄目だと思った。」 p286 「「おそらく、どうすれば良いかがわかるのは、何十年もあと、もしかしたら、次の世紀かもしれません。だから、私たちに今できることは、記録を残すことだと思います。私たちの一生では、追えないレベルのイベントなのです。」」 p287 「「たとえばですね。ナイフや銃弾が躰を貫けば、怪我をします。命を落とすこともあります。でも、もし、ナイフや銃弾が、もっとゆっくりで、何十年もかかってゆっくりと躰を通過したら、どうですか?」「は?」赤柳は口を開けて、そのままの顔になる。「目にはとても見えやすい。考える暇も充分にある。防ぐこともできそうな気がする。ところが一方では、放っておいても、怪我はしないでしょう。それは躰と同化し、きっとそのまま生き続けられる。」」 p288 「「ということは、たぶん、その時間や寿命については、なんらかの解決が既になされているのでしょう。」」 p293 「貴方のことが好きです、なんて言えない。そんな権利、はたしてあるのだろうか。」 p293 「だから、曖昧にしかできない?それも変だ。曖昧にしたのは、自分に逃げ道を残しているだけではないのか?自分を追い込みたくないだけではないのか?」 p294 「「どう考えるのも、どう行動するのも、個人の自由だけれど。」」 p294 「「加部谷は、僕には関わらない方がいい。」」 p294 「「言葉どおりだよ。」海月は静かに言った。これ本優しい響きの海月の声は、今まで聞いたことがなかった。」 p297 「二度と顔を見合うこともなかった。眼差しを交わすことはもうなかった。もう、そんなことはしてはいけないのだ。そのルールがたった今、議論の末に成立したみたいだった。」 p301 「二人は夜の道を歩き続けた。星たちのように会話もなく。」 p306 「その言葉たちが、木の枝の葉っぱみたいに思えた。夜の中で、動かず、沢山集まって、静かに、じっとしている。光に照らされる無数のものたち。透けてしまうほど薄っぺらくて、すぐ散ってしまう存在。言葉、言葉、言葉、葉っぱ、葉っぱ、葉っぱ。沢山ある。沢山ありすぎる。綺麗なものも、汚いものも。正しいものも、間違っているものも。美しいものも、醜いものも。強いものも、弱いものも。そんな無数の対比が、ものの姿をして、形をなして、まるで一つのもののように、存在を見せるのか。対比があるからこそ、エッジが見えるようになるのだ、と私は考えた。対比がなければ、消えてしまうのものたち。対比がなければ、散ってしまうものたち。」 p311 「「そう、自分の力で解決しなきゃあ。ね?わかったでしょう?私に頼っていないで、ちゃんと自分で考えて、自分で行動しなさい。」」 p313 「私の手は血に塗れていたけれど、それは、生まれるときと同じく必然だった。血を流さずに生まれるものはないのだから。」 p326 「背中には、大事なパソコンの感触がある。引越屋に任せたくはなかった。時田玲奈が残してくれた最新型のものだったからだ。」
  • 2026年5月21日
    ηなのに夢のよう DREAMILY IN SPITE OF η
    p50 「ηなのに夢のよう」 p59 「「難しい手続きこそが、生きていくこと、生き続けることの象徴だからだろう。」」 p70 「「ちょっといないんじゃない、こんな素敵な人って。」」 p82 「「ああ、やっぱり、だいぶ変わったな。」金子は窓の方を向いた。「いや、少し、なんていうか、救われたかな。誰でも、ちゃんと成長するんだな……、いや、ごめん、表現が悪かった。なんていったらいいのか、とにかく、大人になったな。」」 p86 「「静けさをときどき愛してあげたいかなって。」」 p90 「「いや、隠してはいない。隠していたのは、君だよ。」」 p90 「「その反動で、自分には関係のない事件に首を突っ込んだ。自分には関係のない死を、求めているようだった。」」 p90 「「でも、だとしたら、私はずっと、夢を見ていたのでしょうか?この十年間、すべて夢だったと?」」 p92 「「本当のことはわからない。事故の調査委員会は、断定的な議論を導けなかった。確固たる物証はない。しかし、人為的な破壊工作の可能性を否定することもまたできなかった。そうすることが、航空会社にも、航空機メーカにも有利なはずなのに、それを結論として書けなかった。何故か。おそらくは、あれ自体が、脅迫状のようなメッセージだったからだ。航空会社もメーカも、そして政府も、脅されていた。何にだと思う?」」 p92 「「飛行機が落ちた理由がわからないのは、それがハード的な行為ではなかったからだ。チップに残ったコードはたとえ、それをすべて取り出すことができても、誰にも完全に解読はできない。それを作ったものにしかわからない。そのチップは、明らかにほかのものよりも優れていたから、あっという間に普及した。これまでにないアーキテクチャだった。しかし、細部に至るまで構造のすべてがチェックされていたわけではない。そんなことはできないんだ。何故なら、人類の誰にも、それを作り出すことができなかったからね、ただ一人を除いては。」」 p94 「「なんでもできただろう。いつでも、どこでも、真賀田四季に不可能はない。」」 p98 「「その答は、今の僕にはわからない。わからないから、保留にするしかない。」」 p99 「「西之園先生が、どれだけ君を愛していたか、真賀田博士は、そのとき見ただろう。彼女は、一度見たもの、一度経験したものを、常に再生できる。忘れない。記憶が劣化しない。」」 p100 「言葉で聞くことなんて、実に簡単だ。どんなに残酷なことでも、言葉にすれば、単純。」 p117 「しかし、会いたいという欲求に比べれば、会える時間は、気が遠くなるほど少ない。彼に会える時間が、残りのすべての時間の目標になってしまっている。」 p121 「窓の外を見ろ。いつかきっとこうなることはわかっていた。大切にしろ。今は自分の中にあると認められるものを。」 p135 「「どうして?ラヴちゃん、医学部でしょう?」「ああ……、なんか今、デジャヴ。」」 p144 「西之園は少し驚いた。犀川の気遣いが意外だったからだ。これくらい自分にも気を遣ってもらいたいものだ、と一瞬思った。」 p145 「「悪事が行われていない、という点だ。」犀川は言った。「悪事が行われていない?」「強いていえば、正しいことが行われている。」」 p148 「「納得できるものと、納得できないものの違いは何?」」 p151 「「たとえば、仮に意味があったとしよう。なにかを示していたとしよう。しかし、その示すものもイドラだ。我々の側の理由ではない。我々の側の理由があれば、それこそ、さらにもっと大きな謎が生まれるだけだね。」」 p153 「「続けよう、君がどうすれば良いか、立場は、僕とほぼ同じだと思う。しかし、少なくとも、君が思考することだ。君の自由だ。」」 p153 「「愛情の差でしょうか?」西之園は言った。顔が笑っているかもしれない、と自覚。「それ、ジョーク?」犀川はきいた。」 p156 「「あの、なんていうか、一緒に暮らすことになった。えっと、その、結婚して……。」」 p167 「「わかりそうなものまでも飲み込んで、大きくなったのです。」」 p168 「真賀田四季に関する情報は、すべて真賀田四季が故意に見せたもの、演習された舞台を、観客席から眺めていたにすぎないのではないのか。」 p169 「わからないという意味は、すなわち、真賀田四季が犀川創平には興味を持っている、と考えていることになるのか。」 p174 「「どちらも、真賀田四季から離れることはできないでしょう。離れた方が即座に不利益を被ります。それが、いわゆる均衡というものです。ある意味では、世界の平和がこの均衡によって保たれているともいえます。」」 p175 「寂しくもない。恐くもない。不安でもない。腹立たしくもない。ただただ、生きていることが悲しいと思った。人間の存在が悲しいと思った。」 p177 「たぶん、そんな恐ろしいことをする意志の存在が、どうしようもなく悲しい。そういう人間の成り立ちがとても悲しい。つまり、人間というものが、そもそも絶対的に悲しいものなのだ。苛立たしいものでもない。恐ろしいものでもない。寂しいのでもない。ただ悲しい。悲しすぎる。」 p177 「苛立たしいのも、恐ろしいのも、寂しいのも、なんとかできる。きっと解決ができる。けれども、悲しみだけは、解決がない。悲しいというのは、解決がない、という意味なのだ。」 p178 「こんなに悲しいのは、悲しみを受け止めることができるようになったからだ。きっと、この十年間に溜まっていた涙なのだろう。もう、運転ができる、と思ったが、犀川に電話をすることにした。運転よりは、そちらの方が、泣いていてもできる。」 p178 「「わかった。なんか、元気がないね。」「そんなことありません。」「そう?」「ちょっと、月を見て、悲しくなってしまったの。」「今日は、月は出ていないだろう。」フロントガラスに顔を近づけた。見える範囲の空は真っ黒だった。」 p179 「「ああ、じゃあね、出しておくよ。」「え、何をです?」「月を。」」 p179 「しばらく緩やかなカーブを走ると、前方に満月が見えた。」 p181 「瀬在丸紅子は、コンクリートの上に降り立った。」 p181 「一人は年輩の男性で、数学者の深川恒之。彼とは顔見知りだ。瀬在丸が若い頃に世話になった小田原長治の弟子である。小田原は世界的なを馳せた大数学者だったが、深川はそんな一流の研究者というよりは、大学で数学を教えている教師である。」 p185 「小田原は既にこの世にいない。しかし、彼の娘は、世界のどこかで生きている。その彼女、藤井苑子は、名の知れたテロリストだ。瀬在丸はやはり若い頃に彼女と会ったことがある。」 p185 「なんと、世の中の結びつきとは複雑なものだ。どんどん複雑になっていく。最初は、まるで蜘蛛の巣のように、その構造が成立する最適の形で構築されるのに、未来への不安からなのか、どんどん補強され、それに従って醜く糸が張り巡らされる。そのうち、自分の糸で身動きが取れなくなるのではないか。」 p188 「「無意識でも生きていける最低限の活動はするわけですね。」瀬在丸は頷いた。「生物と同じ。素晴らしいなあ。」」 p189 「「焦げ痕があります。」」 p193 「「久慈さんは、スワニィ博士をご存知でした?」瀬在丸は尋ねる。」 p195 「「つまり、普通の状態の人間の頭脳は、視覚が捉える映像や、あるいは言葉でしか入力ができません。信号を直接解析するにも、直接入力するにも、新たなデバイスが必要となります。」」 p197 「「この世界は、彼女が作ったといっても良いでしょう。ある意味、我々の知的財産は、すべて真賀田四季の頭脳に吸収されつつある、といえるのでは?」」 p199 「「もし私だったら、ここに隠れます。」「真賀田四季が、ここに隠れているとおっしゃるのですか?」」 p204 「私だったら、簡単に死んでしまうだろう、と彼女は考えた。真賀田四季という人物も、おそらく同じだろう。生きることに執着しているはずがない。肉体に執着しているはずがない。死をまったく怖れていない。頭が正常に働いているうちは、そうだろう。」 p205 「生きている状態に価値を見出せるかどうか、だろうか?生きていることで得られるものは、何だろう?生きていることで得られるものは、生きているときにしか感じられないものか。生きているうちに得られないものもある。たとえば、多くの名声はそれだ。しかし、本人が得たわけではない。それは、単なる名前の同じ、本人に対する他人の認識、形容が変わるだけのこと。つまりは、言葉の定義が変化するだけのこと。本能的なものを除けば、そもそも生きる価値など、最初からないのだ。まったくの幻想でしかない。」 p205 「夢だ。そう、眠っている時の夢と同じ。夢の価値は、起きたときには綺麗に失われている。似ている。夢の価値とは何だろう?苦しい夢を見ているときは、早く覚めてほしいと思う。それは、死を願う気持ちとまったく同類だ。」 p209 「綺麗だ。光は綺麗だ。見えなくなる刹那。輪郭が消え、境界が混じり、融合していく美しさ、輝かしさ。」 p214 「椙田泰男は、都内のある豪邸の一室で、美術品を確認していた。」 p220 「すると、奴がここに来たときには、ぶら下がっている旧友を見ることになるだろう、びっくりするだろうな。うん、面白い。なんなら、デスクの上のメモ用紙に、≪ηなのに夢のよう≫とでも書いておくか。」 p221 「欲しいものはできるだけ少ない方が安全だからだ。」 p224 「信用はしているが、念には念を入れるのが彼の信条だった。」 p226 「「そうそう、瀬在丸紅子さんに、公安の沓掛警部が会いにいきましたよ。」赤柳が話す。」 p231 「「それは無理だろう。納得するということは、なんらかの解釈をするわけで、その解釈をすれば、その次が確かめたくなる。気になる。見たくなる。どこまで行っても奥はある。底なしだ。」」 p254 「「はい、申し訳ありません。たった今なんです。あの、昨夜は犀川先生とご一緒だったので……。」「あらまあ。」瀬在丸はほほほと笑った。」 p261 「「それじゃあ、ηの演出を、深川先生がされたということですか?」」 p261 「「引っ越すべきです。」」 p262 「「突然自殺する人って、珍しくないわよ。私だって、明日あっさり自殺しているかもしれません。人間なんて、そんなものではありませんか?今日大丈夫だから、明日も大丈夫なんて、約束はとてもできないでしょう?」」 p264 「どんな理由ならば満足できる?否、満足など絶対にない。どんな理由も、結局は拒否するだろう。」 p265 「「ですから、自殺についても、そんなに不思議なことではないと私は理解しています。なかには、生きることに執着する人もいますけれど、それとまったく同じレベルで、反対の道を選ぶ人もいる。どうせ一度死ぬのならば、自分で今と決めて死にたい、と考えるのね。そう、たとえばね、立っている場所がもうすぐ崩れ落ちるというとき、崩れるぎりぎりまで待つ人と、自分からジャンプして落ちていく人がいるんじゃない?それだけの違いでしょう?どちらも生きたのです。一回生きて、一回死んだのです。同じじゃありませんか?」」 p272 「「W大から、助手に君を欲しいと言ってきた。」」 p277 「反町愛と金子勇二は、新居のマンションを契約し、そこで同居することになった、と電話で伝えてきた。」 p280 「「トーマね、大丈夫?お医者に連れていった?」」 p281 「「さようでございますね。はい。こればかりはいたしかたがないものと。私めももう長うございません。」」 p284 「玄関を入ると、諏訪野が出迎える。いつものような笑顔ではなかった。無言である。」 p286 「そのうち、動かないトーマの顔が、幸せそうに、楽しそうに、笑っているように見えてきた。」 p286 「彼女の涙で、トーマの毛が濡れていた。」 p287 「「ありがとう、トーマ。」」 p288 「「もし差し支えなければ、私も東京にご一緒したいと存じます。しかしながら、もしも、お嬢さまが、私めを足手まといだとお感じになられますならば、それはその、いたしかたのないところであろうかと……。」」 p288 「彼女はもう一度横になって、トーマの胸に頬を寄せた。何度口にしても足りないと感じる言葉だった。」 p288 「「ありがとう。」」
  • 2026年5月19日
    λに歯がない λ HAS NO TEETH
    p49 「λに歯がない」 p72 「「常識でない行為に対して、常識的な判断をしても、駄目なんじゃないですか?」」 p81 「犀川が驚いた顔を西之園に一瞬向けた。もちろん、それが驚いた顔であると認識できるのは、世界でも西之園と喜多の二人くらいだろう。」 p104 「「あいつ、教授になるんだよ。」犀川は言った。」 p106 「「私、今もの凄く幸せです。これから、美味しい料理を食べるんです。大好きな人と一緒に。」」 p109 「「そう、死ぬことだってできる。」犀川は言った。「だから、生きている方が、少なくとも上位ではある。逆からは戻れないんだからね。しかし、たとえば、芸術家が、ある作品を完成させようとしているとき、それをいつ完成と見なすか、いつ作ることをやめるのか、と考える。その選択にも似ている。手を止め、創作をやめることは、つまり作品の死かもしれない。」「死ぬことで、個人が完成する、という意味ですか?」」 p114 「死んだ人間を、もう一度、生かす?真賀田四季ならば、それができる?」 p114 「「頭脳だって肉体のうちだ。単なるメディアだよ。」「メディア?そうじゃないものって……。」「コンテンツ。」「人間のコンテンツって、何ですか?」「信号だよ。」」 p129 「「自殺にも、ときどき、三島由紀夫みたいに、勝ち逃げのようなものがあるね。」」 p130 「「自分を自分だと思うことなんて、かなり危ういものなんだ。普通は、すべてを自分だと思い込もうとしている。鵜呑みにしているだけだけれどね。吟味しているわけではない。ただ、吟味をするようになると、吟味をしなければならない事項になると、自分ではない、自分らしくない、という判断があるわけで、それに対する感情も起こる。まあ、それだけのことだよ。」」 p133 「「うん、生きているのは、自殺を保留している人たちだ。」」 p135 「そうだ、愛することをやめた、諦めた。いつまでもは、愛せないのだ、生きているものは……。」 p141 「「すべては、イメージだ。生きていることも、生きているとイメージしているだけだ。死んでいる状態も、生きているものが、死んでいるとイメージしているだけだ。」」 p147 「「人間って、結局は自分の人生しか知らない。自分の時間しか経験していない。すべては、それと比較して、それを基準にして、推論するしかないんだ。」」 p152 「「ところで、保呂草という男をご存じですね?」」 p164 「まるで、戦争にかける金があったら、教育や福祉を充実させろ、という主張と同じだ。」 p189 「「保呂草さんのことをご存じですよね?」」 p211 「生きているって、そんなちっぽけな、石を少し移動させるだけのことだった。いえ、移動したい、と思うだけのことだった。」 p217 「真賀田四季は、人の生はプログラムのバグだと言った。ならば、死ぬことで、バグは排除される。さっぱり綺麗になれるのか……。」 p217 「人間は、命というものを、まるで自分の所有物であるかのように認識している。自分が獲得して、自分で育て上げたものだと錯覚している。自分の作品だとでも思っているようだ。それだから、それを取り上げられることに、最大の恐れと恨みを抱いているのだろう。でも、そもそも、すべては自然に発生したもの。自分ではコントロールが難しいもの。手に入れたり、交換したりできないもの。自分の中にあるようで、実は、自然と同じものなのだ。」 p221 「「うん、良い方向だ。」犀川は言った。」 p223 「「保呂草?」」 p237 「「そう……。西之園って子に、話してみたらどうかな?」」 p244 「赤柳は、西之園の言葉に少なからず混乱した。保呂草のこと、そして彼と真賀田四季の関係に、思いを巡らさずにはいられない。」 p252 「真っ黒に焼け焦げた死体、その白黒映像に、色が戻った。彼女は、そのときの記憶に欠けていた色彩を、ようやくこのとき思い出したのである。」 p260 「「もしかしたら、田村さんだから、λにしたのかしら。」」 p262 「この世のすべてを、壊してしまいたかった。もとどおりにならないくらいなら、綺麗に消してしまいたかった。こんな世界なんか、いらない。そして、自分もいらない、と思ったのだ。」 p265 「もっと大昔の仕打ちに対する仕返しのために、爆弾を抱えて飛び込んでいける、それが人間というものなのだ。」 p268 「国枝はケーキをほとんど一口で食べてしまうのである。」 p275 「「あの、実は、犀川先生から……、その……。」」 p277 「「引出しだよ。」」 p284 「正常な奴の方が、ずっと恐ろしく、悲惨で、そして、冷たい。」
  • 2026年5月17日
    εに誓って SWEARING ON SOLEMN ε
    p22 「イプシロンに誓って。」 p31 「こんなに近い位置に他人がいるなんて……、自分以外の生命、思考力を持った頭脳が、存在するなんて……、その不思議さを、その不安さを、感じないなんて変だ。」 p32 「みんな死んじまえ。できることなら、そうしたいところだけれど、でも、それよりも、自分だけが消えてしまう方がずっと簡単だ。そう、それが一番綺麗だよね、と思う。」 p33 「そうか、情けないものだな、生命とは。たった一つきりの肉体に偶然にも支配され、この危ういシステムの中でしか生きられないのだ。」 p56 「「はあ……。」諏訪野は訝しげに頷いた。しかし、いつも訝しげな顔なのである。」 p68 「押しつけてくるもの、つまり圧力を伴う情報さえ排除すれば良い。必要なものは自分から取りにいけば良いのだ。向こうから入ってこようとするものに、ろくなものはない。」 p70 「幸せじゃないか。そうだ、自分は、自由。これからも、ずっと……。」 p90 「このなにもない空間には、なぜか不思議な自由があるように思える。それはつまり、誰も邪魔をしない、というシールドにも似たイメージのためだろう。」 p99 「しかし、今すべきことはなにも見つからない。多くの場合、思考が導く結論を吟味したあとには、必ずこの台詞を聞くことになる。たしかにそのとおりだ、しかし、今すべきこと、今できることは、なにもない。」 p111 「言語で事態を評価したところで、なんの解決にもならないのだから。」 p113 「「ある一人の天才がいて、その人物が考えるとおりに歴史を動かそうとしている。それが、その人物にとっての理想の形なのかもしれない。」」 p114 「「知るという行為は、情報を自分のものにする。それは明らかに、ある種の支配です。」」 p124 「できれば、誰にも会わずに、一人だけで生きたい。」 p126 「あるいは、この現実、この世界にいる自分の肉体も、もう無関係だ。それは既に僕ではない。抜け殻だ。」 p134 「「しかし、社会を恨んでいる、日本という国家を恨んでいる、人間のすべてを恨んでいる、幸せな状態を恨んでいる、自分以外のものすべてを恨んでいる……。なんだって言えます。言葉にすれば、どんなものも理由にできる。そうすれば、どんなに不可思議なものではあっても、社会はとりあえずは納得してくれる。少なくとも、動機という空欄を埋めて、ファイルを片付けることができるというわけです。」」 p136 「「テロや戦争においても、それはまったく同じです。人は、言葉で解釈し、その言葉で怒りを覚える。こうして怒りを煽り、人を動かして、戦いを始める。あるいは、自分さえも、その言葉に酔ってしまう。」」 p148 「たとえば、≪φは壊れたね≫だ。これが最初だった。このときは、特にこの言葉に意味があるとは思わなかった。そして、二つ目は≪θ≫だ。そういえば、≪θは遊んでくれた≫というフレーズがメールにあったらしい。たしか、そう、そんな感じだった。そして、ついこのまえは、≪τになるまで待って≫というラジオドラマである。」 p155 「とにかく、自分だけは汚れたくない。汚くなるまえに、ここから立ち去りたい。なにもかも縁を切ってしまいたい。このゴミのような偽善が集まった世界から。」 p159 「ものごとはどんなものでも、元には戻らない。それが生きてきて学んだことだ。大人は子供には戻れない。それと同じ。いわば、毎日小さく死んでいるようなものなのだ。」 p163 「そう、たとえば、本を読んでみると、良いことが書いてあったりする。だから、わかっている人はいるんだ。でも、私の周りには、そんなのが全然ない。どうしてだろうか?甘えているからではないと思う。ちゃんと、一人で生きてきたのだ。誰にも助けてもらわずに、生きてきたけれど、ただ、もう疲れた。嫌になった。なにも楽しいことがないのだから。」 p200 「目的か……。そうだな、死ぬための目的を探していたのかもしれない。たとえば、愛する人がいて、その人が突然死んでしまったら、自分には死ぬ目的がある、と思えるだろうか。」 p200 「そもそも人間って、誰だって期限付きなのに。永遠に生きる奴も、永遠につき合う友人も、いないのに。優しさというものが、どういうものなのか、最近までわからなかった。それは、つまり、どうせ将来はないのだから、今を大切にしよう、という気持ちのことだ。」 p204 「みんながみんな、眠っている夜が一番好きだった。宇宙みたいで。死滅した宇宙みたいで。」 p218 「「客観的になりますが、人の命がそれほど高いものだとは、少なくとも僕は認識していません。事実、歴史を見ても、国家的判断を見ても、それは明らかです。」」 p220 「「狙撃させます。」犀川は即答した。」 p229 「「さあね……、でも、たぶんそれは、殺したいという気持ちがあるからだと思うな。破壊したい、むちゃくちゃにしたい、そういう感情が人間にはある。それがいけないことだ、という社会的観念が、こんなにも強固に作られたことが、裏返せば、その純粋感情の存在を証明していると思う。人間は理由があるから殺すんじゃない、殺すための理由を探すんだよ。」」 p240 「人のことはわからない。こうと決めたら、人間って案外、軌道修正をしないものだ。最後まで諦めない、ということはあまりない、ずっと手前で諦めてしまうものだ。」 p240 「そう、目の前の快楽を求めていると思い込んでいるけれど、実は、目の前の辛苦から逃れているだけのこと。ようするにただ、生きていたい、それだけが望みなのだ。」 p243 「二人が存在するのではない、二人の関係が存在するだけだ。そう教えられたではないか。」 p248 「だんだん勇気がわいてきた。力を。願わくば、最後の力を。手を握り締め、呟き、祈る。きよし、ねがい、みたま、あおぎ、すずし、うつくし、みてを、われに。」 p252 「そう、起きたのだ、自分は。どこから起きたのだろう?どこへ起きたのだろう?」 p256 「音も聞こえなくなって。色も失われ、光も失われ。暗闇の中へ沈んでいき。匂いも消え。感覚も遠ざかり。すべてが薄れていく。」 p267 「ただ。泣いているだけです。泣いているだけなんです。生きているから、泣いているんです。もう泣きなくないから、死のうと思ったのに。また泣くことを選んでしまった。だから、みんなの分も、涙が流れるのか。どうか……、もう、泣かなくて良いところへ、お導き下さい。神様。お願いです。」 p270 「意図的にもたらされたごく限られた情報、警察の態度、テレビのレポートなどから、おおよその真相は理解できた。この事件で最も騙されたのは、犯人だろう。トリック、という言葉も思いついた。それは、西之園萌絵がよく口にしていたフレーズだ。そう、彼女はどうしているだろうか。」 p271 「それでも、こういった静かな時間にじっと深い空間へ入っていくことは、貴重といえば貴重。無駄といえば無駄。このように評価できないことこそ、自由の特徴だろう。」 p271 「その自由の深淵には必ずあの女性がいる。天才と呼ばれるあの人だ。」 p272 「「そう、生と死の狭間が美しい。その境界だけが、朝日や夕日のように特別に輝く。」」 p273 「「わからないから美しいのよ。生きてしまえば、ただの生きもの、死んでしまえば、ただの物体。でも、そのどちらでもないものがあるのです。それが作り出せる。私にはそれができる。」」 p284 「「では、警察がトリックを仕掛けたのですね?」」 p305 「だけど、死のうと考えることは、きっと自由なのだ。それを考えられることは、人間の尊厳の一部。 考えても良い。考えるべきなのだ。そして、考えても死なないことに、価値があるのではないか。結果として、死ななかったことに、価値があるのではないか。」 p306 「考えるだけで、涙が出るのは、どうしてだろう。生きている、という喜びではない。死に直面した、という恐れでもない。悲しみでもない。寂しさでもない。どうして、涙が流れるのだろう。だけど、涙が流れることは、とても気持ちがよかった。少しだけ、なにかが綺麗になるような気がするから。流される。小さな疑問、小さな欺瞞、小さな偽り、小さな誇り、いろいろなものが流されていく。それが清々しい。」 p307 「良かったのだろうか。その疑問に、答はない。きっとないだろう。問題を先送りにすること、それが生きるということだ。とにかく、今は死ななかった、それだけのことだ。なのに、涙が出る。変だな。本当に不思議だ。」
  • 2026年5月16日
    τになるまで待って PLEASE STAY UNTIL τ Gシリーズ (講談社文庫)
    p33 「名づけるならば、ティータイム・サタデーアフターヌーン・スペシャル。」 p39 「惨劇は、人知れず最初の小さな亀裂を生じさせる。そして、誰も気づかぬうちに四方へその先端を伸ばす。既に不可逆。破滅が目に見える頃には、もう最終段階。ぱんと弾け飛ぶように、一気に周囲へ拡散し、形を消すことで露わになる。」 p63 「「それには、少しだけ説明をしなければならない。キーワードとしては、MNI、佐織宗尊、それから真賀田四季。」」 p86 「「つまり、一般的に感受性の強い人が、この種のセンスにも長けている。また、感受性の強い人ほど、統計的に美しい。」」 p107 「「子供のときは、数々の能力を誰もが持っています。自覚はできますが、しかし、他人から見れば、単なる一人遊びの領域を出ないものです。相手が関心を示さないことで自分を修正し、また大人に指摘されて、共通する最低限の感覚しか持ってはいけない、ということを子供は学ぶのです。それによって、自らの能力を封じ込める。」」 p111 「「貴女が、そういったセンスに優れているのは、小さい頃に、目の前で悲劇を見たからではないでしょうか。」神居が言う。」 p151 「「主観的な精神反応の個人的解釈に立ち入るつもりはありませんので、否定するというのは、言葉として少し違うと思います。たとえば、子供が人形や縫いぐるみに名前をつけて呼ぶ、ということを否定するのか、というのと同じ問題です。忌み嫌うべきものでもありません。むしろ、多くの場合は微笑ましいとさえ思いますね。」」 p159 「「それは、彼女の自由です。誰もが、自分に最適な解釈を採用します。これはなにかのまやかしだ、単なるマジックだ、と彼女が思えば、それよまた今の彼女には必要なことなのです。しかし、いつか真実に気づくかもしれない。ずっと心の隅に残ることでしょうし、いずれまた将来、偶然にも同じ体験をするかもしれません。」」 p198 「「テーブルの位置を変えるからって言われて、それを手伝った。」」 p205 「「ああ、でも本当に、吹雪の山荘になってきたじゃないですか。」」 p206 「そうは言ったものの、実は諏訪野は最初から、適温にして持ってきてくれる。」 p223 「「これに似たことを国枝先生から言われたことがあるんだ。研究でね。つまり、自分が既に持っている常識が、新しい可能性を知らないうちに排除してしまうことがあるって。」」 p224 「「あの窓を使う方法が、可能性として挙がっていない。」海月が指摘した。」 p269 「「τになるまで待って。」」 p271 「いうまでもなく、いつも気がするだけなのだ、すべて。」 p272 「ようやく、現実が歪みなく見える、という幻想を手に入れた。」 p276 「「いつもの空じゃないか。」犀川は呟いた。けれど、西の空を振り返ったとき、日常的ではないものが近づいてくるのが見えた。」 p280 「「あれはつまり、問題のあの部屋をいくら観察しても、わからないことなんだ。」」 p282 「「沈黙の彼氏。」赤柳がにこにこ顔で言う。」 p293 「「いや、密室は解けた。つまり、僕の仕事は終わった。この煙草を吸い終わったら帰ろう。」」 p305 「「思考というのは、既に知っていることによって限定され、不自由になる。」」 p305 「「まっさらで素直に考えることは、けっこう難しい。重要なことは、立ち入らないことだ。海月君が真理を見抜いたのも、その視点によるところが大きい。」」 p328 「「年季は入っているようですけれど、私の目は誤魔化せませんよ。」赤柳は小さく口を開けたまま、自分の髭に手をやった。じっと佐々木を見据えている。」
  • 2026年5月14日
    θは遊んでくれたよ ANOTHER PLAYMATE θ
    p20 「男性の方は額に、女性の方は手のひらに、θが書かれていた。」 p28 「大きさは五センチ程度で、ギリシャ文字のθに似た形だった。」 p52 「そもそも、国枝にとっては、なにものも珍しくない、ということもありえる。」 p62 「「私は、赤柳と申します。」」 p76 「しかも、そのURLの中に、≪theta≫というスペルを発見したとき、舟元の心臓はやや大きく打った。」 p76 「葉っぱは見られ、鳥は死なない。」 p87 「「PHENIXの六文字が普通だが、PHOENIXの七文字もある。アメリカは後者が多い。」」 p100 「「名前がない?」」 p111 「それは、ギリシャ文字のθだった。」 p140 「「自殺を止めなければならない、という大いなる動機から、原因といえるかもしれないカルト集団に踏み込む選択もありえるだろうけれど、それは彼らの権利に対する侵害である、という立場もまた、成熟した社会ならば当然存在する。」」 p163 「生きているかぎりは、みんな食べている。せいぜいが、自分の好きなものを選ぶくらいの自由しかないのである。」 p192 「「あれは、隣の病棟の方だったわね。懐かしいなぁ。あのときって、ラヴちゃん、何してたんだっけ。」」 p197 「けれど、そういった危うさが、そもそもこの友人にはある。昔からあった。いくら明るく振る舞っていても、いつでもふっと消えてしまいそうな脆さで、西之園萌絵はできているのだ。反町はそれを充分に知っている。」 p199 「「つまり、宗教的ってことになるかな。宗教って、どうして人の命をあんなに軽く扱うのかって考えたことがあるけれど。」「それはそうでしょう。死の恐怖から人を救うために存在する仕組みなんだから、当然ながら、命の軽さを主張する論理になるんじゃない?」」 p200 「「どうしましょう。これが、五年まえだったら、全然迷わなかったと思うわ。そんなことを言われるだけで嬉しくて涙が出たかも。はい、死にますって、絶対に頷いただろうなあ。でも今は、どうかしら。こういうのって、愛情の問題だと思っていたけれど、違うのね。どうしてこんなにクールになっちゃったのかしら。」」 p207 「θの一文字。」 p214 「否、それよりも……、単純なことだが、命は消えない方が良い。絶対にその方が、嬉しい。」 p228 「「見えるものは、すべて幻想だ。」」 p232 「「一番大事な十一個だと思いません?」」 p237 「「いずれにしても、本質ではない。宗教という形態自体が、メディアだからね。」「どういうことですか?」「神様が必要となる理由は、基本的には責任転嫁のメカニズムなんだ。誰か他者のせいにする。そうすることで、自分の立ち位置を保持する、というだけのこと。」」 p238 「「自殺したりするのは、どうなのです?」「神様がいてもいなくても自殺はある。人間として、本質的に選択可能な行為だからね。ただ、神様という記号によって、解釈しようと試みる、言い訳を作ろうと試みる、あるいは逆に、その解釈と言い訳によって、自殺を思いとどまらせる、という使用法もある。それだけ。」「本質的に選択可能なのは、どうしてですか?」「人の知性が高まったことで、生命維持活動から自身を切り離すことができた結果によるものだろうね。」「では、賢いから自殺するのですか?」「ある意味ではそのとおり。未来予測の能力が前提だ。」」 p244 「「保呂草さんですか?私です。」」 p250 「「真賀田四季。」」 p254 「反町の彼氏はしかし、勤務地が関東地方のため、滅多に会えないようである。」 p254 「「うん、あんたは、そう……、友達思いだもの。」 「ふうん。よくわからないけれど。つまり、愛情とは別なのね。」」 p256 「「何が正しいかはわかっとるつもりだよ。ほんでもね、世の中、正しいことが真っ直ぐに通らないことが多いんだ。そんな単純じゃないからなあ……。」」 p259 「「金子君、どうしてる?」国枝がきいた。」 p273 「「シータは遊んでくれたよ。」」 p280 「「うん、あんたに言えば、解決してくれるかなって、思ったのかも……、いや、違うな。たぶん、自分の中だけに仕舞っておけなかったんだ。とにかくその時点で、既に判断はついていたってことか……、うん。」」 p304 「「これ以上仮説を重ねても、意味はない。現実からどんどん遠ざかる。理解するために、ある程度の空想は必要かもしれませんが、しかし、現実をねじ曲げてまで理屈をつけたところで、得られるものなんて、安っぽい同情くらいが関の山です。あるいは、犯罪者がいかに自分たちから遠いところにいるのか、という理屈を躍起になってこじつけ合う、そんな群衆心理がうんざりするほど観察されるだけです。」」 p309 「「ラヴちゃんが教えてくれた郡司先生の秘密は、もちろん話していない。だからその意味では、海月君よりも、少ない情報で、しかも一歩早く、犀川先生は気づかれたわけ。五人めの自殺が、あまりにもこれまでと違っている、という切り口だったみたい。」」 p310 「「リベンジだ!」西之園が叫んだ。」 p313 「物理的な証拠が、仮説を少しずつ揺るぎないものにしていくだろう。事実とはこうしてあとから形成されるものだ。しかし、人の心の中の、そのときどきの葛藤は、二度と正確に再現されることはない。たとえ、本人の口が語ったとしても、その言葉は明らかに虚構である。理由も動機もすべて、光が当てられたときに現れる影に過ぎない。光の当て方によっては、影はどちらにも現れ、価値の歪み方も変わり、幾つもが同時に現れることさえある。そんなのものなのだ。ただ、それがあった、存在していた、ということを仄めかしているにすぎない。人が事実と認識している概念は、その程度のものだ。あるいは、ないに等しい、といっても良いだろう。それなのに、皆、この影に縋りつき、影に纏いつこうとする。影を憎み、影を恨むのである。」
  • 2026年5月12日
    φは壊れたね
    p23 「唯一の接点といえば、山吹が研究指導を受けているN大の二酸化炭素萌絵という名の先輩と、加部谷恵美が知り合いだった、ということくらいだろう。」 p24 「事象の始まりとは、すなわち、意志の立ち上がりであり、決意をし実行しようと最初の息を吸ったときには、多くの結果はほぼ決まっている、といえるだろう。」 p40 「アルファベットのYの形だ。」 p43 「「何、それ、銀色のナイフ?」白金が言った。」 p70 「彼が静寂を製造していることはまちがいない。」 p103 「ドアが開いて、国枝桃子が現れた。この研究室のボスである。西之園とは年齢差が九つ。三十代半ばで、妻帯者、ではなく、夫帯者。」 p116 「人間は、つまり、予想できる対象には、それほど驚かないものである。」 p119 「中学生のときに知り合った西之園萌絵が、すべてにおいて、加部谷の憧れだった。」 p124 「「どうして?西之園さん、密室と関係があるわけ?ああでも、なんかね、そういえば、警察の人たちと、やたら親しいというか、いやどっちかっていうと、刑事の人が、みんな西之園さんを女王様みたいに扱ってるんだよね、うん、もしかして、その方面では、有名な研究者なのかなあって想像したんだけれど。」」 p128 「「人それぞれ、特別なものがあるってこと。」」 p134 「「φ?」」 p135 「「ええ、≪φは壊れたね≫って。」」 p136 「「空集合。」国枝が珍しく口をきいた。」 p144 「人それぞれ、言いたいことは自分で言うべきだ、と彼は考えているので、とにかくこの場は黙っている決意をする。」 p153 「凝りたいときと、簡単に済ませたいときがあるだけで、いつも同じようにしたいとは思わない。」 p182 「「道路を通っている大型ダンプに、土が山盛り積まれているのを、見たことがあるだろう?」」 p183 「「ものを見たとき、人間は、そのものを限定して、思考する。」」 p205 「≪赤柳初郎≫という名前、肩書きは≪探偵≫とある。」 p262 「彼の場合、必要がないから話さない、ということらしい。もしかしたら、他人に絶望しているのだろうか。どうせ話しても理解をしてもらえない、だから話すだけ無駄だ、と考えているのかもしれない。」 p271 「「そのナイフの写真を見せてほしいって言った人が、もう一人いたの。それで、昨日、刑事さんにお願いして、この写真を借りてきたところだったわけ。」」 p274 「「僕自身に大きな影響があるとは思えない。僕が推論の結果を語っても、語らなくても、大差はないんだ。警察は科学的な捜査によって、この犯行の真相を暴くだろう。」」 p283 「「教訓は認識するよりも、実践することに価値がある。」」 p289 「人間がナイフと認識するその物体がない、すなわち物体は存在しても、認識によって人間とナイフが関連づけられなければ、存在しないことに等しい、というようなことを、海月ならば言いそうだ、と山吹は想像した。」 p298 「「すべてが手掛かりだし、同時に、すべてが無関係だ。現実の多層性とは、そういうものだよ。」」 p302 「現実というものを相手にする場合、どんなものであれ、多かれ少なかれ、歩み寄りが必要だろう。自分が掴んだ、と思える真実とは、自分が作り上げた都合の良い真実である。」
  • 2026年5月8日
    地球儀のスライス A SLICE OF TERRESTRIAL GLOBE
    p9 「彼女とは、以前に恋人同士と呼べるような、多少謎めいた、しかし微笑ましい相互干渉があった。」 p12 「「それじゃあ、これっきりってわけか。」別れの言葉は、それだけだった。それ以上でも、それ以下でも未練が残っただろう。だから、最適だったといえる。清文も、彼女のその一言で必要にして充分だと感じたし、思わず微笑んで別れることができた。自分が意外に大人だったことにも気がついた。」 p27 「(それじゃあ、これっきりってわけか。)彼女も大空に羽ばたいたのだろうか……。どんな生命も、必ず自分が幸せになる方を選択する。おそらく例外は、ない。」 p39 「どんなに正しくても、決して頷くことのできない問いが、この世には存在するのだ。どんなに正しくても、否定しなくてはならない問いがある。」 p63 「「たぶん、どちらかが運命に反発したんだね。」」 p64 「トオルに装備されている追加機能を、取り去ったデフォルトの状態がサトルだった。彼は、シンプルで、身軽で、そして、無駄がない。それが、綺麗だったのである。」 p74 「そう、装飾だ。今までカオルが魅力的だと信じていたアイテムは、単なる装飾だった。そのことに思い至った瞬間、一変してそれらは、無駄で鼻持ちならない存在に転化する。」 p110 「既に、自分がトオルなのかサトルなのか、曖昧だった。」 p118 「何故、僕のストーリィだけが、完結しないのだろう。」 p153 「さあ……、日記よ、私も連れていってくれ。」 p170 「けれど、人間は少しずつ違うから、交換できません。それは、とても不便なことだと思います。」 p174 「僕のことも、もし誰かが僕を好きになってくれたら、僕は誰にも似てないように見えるのかもしれない。」 p174 「似ている場所はほかにないからです。」 p177 「雪が少しでもちらついた場合には車の運転を潔く諦める犀川だ。」 p177 「友人の喜多北斗、それに国枝桃子だ。」 p178 「選択肢がないので、文字どおりユニフォームといって良い。というわけで、エレベータには、「いつものとおり」が三つ揃っていたことになる。」 p179 「老練の執事とシェトランド・ドッグとともに、彼女はここで暮らしている。」 p180 「彼こそ、西之園家の重臣にして最強の執事、諏訪野である。」 p182 「「今日は、もう、国枝先生に来てもらえたことが、最高に幸せなんです。」」 p183 「途中でトーマが現れた。萌絵の愛犬、本名は西之園都馬という。」 p183 「「勉強会」などといった怪しいコードネームが用いられていたが、実は、正式名称はTMコネクション(Tはトーマ、Mは萌絵を示す)、あるいは、リビングルームの巨大な黒い窓に因んで「黒窓の会(英語で Banquets of the black windows)」など、いろいろだ。」 p184 「ところが、この話が睦子叔母に伝わり(萌絵はその伝達ルートを非常に怪しんでいる)、萌絵の遠回しの拒絶の甲斐もなく、「犀川先生がいらっしゃるのなら、私、行きますから」の一言で、急遽、睦子が参加することになった。すると、次の日には、捷輔叔父から、自分も出られる、と一方的に電話がかかってくる。さて、次は、県知事夫人と県警本部長が出席するとの暴風のごとき風の噂に、若い刑事たちは軒並み尻込みする事態に陥った。結局、正式名称「TMコネクション」あるいは「黒窓の会」は順延となり、完全にこの叔母と叔父に乗っ取られる形になってしまったのである。噛み砕いていえば、「親族的ジャック」だ。」 p186 「「どちらも好きですよ。メガネの似合う女性も、コンタクトの女性も、それに、裸眼の女性も。」つまり、それは国枝桃子、佐々木睦子、そして、萌絵を意識した喜多らしい発言だ、と萌絵は思う。」 p186 「「メガネと女性を混合して評価することは不可能です。できるとしたら重量くらいでしょう?メガネをかけていれば、その分、重くなるだけです。」」 p186 「「喜多先生と犀川先生は同じ内容の返答をされているのに……。」西之園捷輔が面白そうに言った。「こうも印象が違うというのが愉快ですな。」「同じではありません。」国枝桃子が小声で言う。」 p187 「「いつもいつも殺人事件の話ばかりしている可愛い教え子を案じて、犀川先生が、今夜は特別に、事件ならざる事件、もはやミステリィならざるミステリィをご披露して下さることになっていますの。」」 p188 「「しかたがありません。犀川先生、そのリスクに見合ったお話を期待します。」」 p189 「彼女は、写真と犀川を交互に見る。何故か、若い父と、向かいに座っている犀川を見比べていた。」 p198 「「この問題に対して、西之園先生が導かれた華麗な解答があります、もちろん、この『五つのラタ』に関しては充分な資料が残っているわけではありませんので、定説というのか、これが真実だ、といった唯一確実な解答は存在しません。ただ……、僕は、西之園先生の仮説を伺って、非常に納得しました。つまり、それで安心し、自分で考えることを放棄することができたのです。」」 p198 「「何でもそうですが、正解とは、真実とは、本人が最も納得できる仮説にほかならないのです。され、もしよろしければ、ちょっと推理していただけませんか?僕が納得した、石塔の屋根飾りに関する、細やかなミステリィの答を……。」」 p205 「「あちゃあ?嘆かわしい。」」 p206 「「これはちょっと地味だから、たぶん駄目だと思いますけど。なんていうか、トリック・アートみたいなものだった、という仮説です。つまりですね、屋根の上にあるはずのものが、地面から突き出している、という、その造形自体がとっても面白いでしょう?その、なにか……、連続というか、無限大というか、メビウスの帯のいうか、そんな連鎖を表現している気がしませんか?人は、建物の下に立っているのに、同時に、上から見下ろすことになる、なんで……とても哲学的だし、その連想がインドの宇宙観にも見られると思うのです。たとえば、同じものを造り直すにしても、常に連続を保ちながら、常に一個として存在させる。つまり、下で造った分を、上では削っていく。そうやって、有機的で生命的な連続性を保持しながら、細胞の新陳代謝のように滑らかに建て替えを行ったのです。だって、工事にはとても長い年月が必要だったのでしょう?こうすれば、いつも一体の石塔が、トポロジィ的には存在するのですから。」」 p208 「萌絵は諏訪野に西之園恭輔博士の写真を手渡す。彼は両手でそれを受け取り、深々と頭を下げた。」 p211 「「はい、すなわち、この一群の建物は、本来は山奥あるいは岸壁に建造される本格的な建造物のための、見本でございまして、今でいうところの住宅展示場と申しますのか、いわゆるモデルルームではなかったか、と…….、その、適当な言葉を思いつきませんが、そういった案配のものであったのではと、存じます。」」 p211 「「正解です。」犀川は頷き両手を広げた。「完璧な解答でした。」」 p212 「「その一番右で、三脚とカメラを担いでおりますのが……、私でございます。」」 p215 「「私も……。」友人の大御坊安朋が横で頷く。」 p216 「実は、喜多と大御坊は、同じ中学・高校の同期生で年齢は同じ。そして、今のところは、性別も同じだった。」 p217 「二人の話題に上ったのは、犀川創平という共通の友人で、やはり、同じ中学・高校の出身、同じ年齢、同じ性別だった。」 p218 「当然ながら、西之園萌絵も来る。名門西之園家の一人娘、現役の超お嬢様である。彼女がやってくるとなれば、現役執事であるところの諏訪野もお供をする、ということになるだろう。したがって、これで合計六人だ。喜多と犀川を除けば、ただ一夜の晩餐のために、数万キロメートルを何十時間もかけて往復するのだから、果てしなく馬鹿馬鹿しい。実に無駄である。けれど、「贅沢」という概念の具体的な内容とは、結局は「無駄」以外にないのである。」 p223 「突然、彼女は犀川に近づき、抱きついてきた。」 p225 「喜多と大御坊は、根っからの鉄道マニアである。」 p226 「西之園家の女性は、よく意味のわからない理屈を言うのである。」 p229 「「人生、常に修行なんだよ。いつ何があるかわからん。」喜多は真面目な眼差しのまま、口を斜めにする。「やれるときに、最善を尽くすのみ。」」 p237 「「あ、でも……、その、三本脚のバッジは良いね。西之園君の車のホイルにも、そのマークが付いていた。」」 p242 「「なあんだ……。全員わかっちゃったわけ。」大御坊は両手を広げて示す。「レベル高いわね……。ハイソサエティだわ。」」 p243 「「あの、いささか差し出がましいこととは存じますが、しばらく、お待ちいただければ……、その、三本脚の逆回りのものが存在する、その証拠を、諏訪野がここにお持ちしたいと存じますが、お許しいただけますでしょうか?」」 p247 「口上が長過ぎるため、途中から、聞いている者の言語解読機能を麻痺させてしまう、諏訪野マジックである。」 p253 「「可能性の大小なんて、問題じゃないからね。この場では、今の答が最も相応しいと僕も思います。」」 p254 「「犀川先生、どうか……。」諏訪野はにっこりと微笑み、ゆっくりと頷いた。」 p258 「バラサラという名の駅に到着するまでに、萌絵は犀川の躰に六回触れることができた。もう少し本気になって躰を支えていたら、二回だっただろう。」 p259 「「あ、そうか!」喜多は大声を出した。「なあるほどね。」大御坊が何度も頷いてから、犀川を見る。「そういうことね?」「あれ?」萌さんも小さく叫んだ。「バックしてるの?」」 p262 「「これは、傑作……。悪戯者ね、諏訪野さん。」」 p262 「「佐々木夫人の仮説の方が綺麗だったからだよ。」犀川は答える。「それに……、ディナのホストに恥をかかせちゃいけない。ここは、マナーの国だからね。」」 p285 「時間以外に二人を止めるものがないから、必ず、限界を越えてしまう。」 p297 「秋の夕暮れという境遇は、すべての生きものが帰ってくる安らぎの湖の底に沈んでいる。冷たい澄み切った大気が生命を眠らせ、殺してしまうほどに、優しい。」 p319 「「そう……、そうして、待っているだけの花だ。回りくどい蜜の香で誘う偽善。手を振り広げ博愛をひけらかす狡猾な罠。生け贄を待っている残酷な亡者。それかわ、誇り高き君が望む愛情という名の花だ。」」 p329 「思うんだけど、人間ってさ、現在の幸せよりも、将来の幸せの方がでかく見えるんだよね。希望が好きなんだ。」 p330 「うん、無を練る、てのが、ちょっと哲学的だから、下々の者にはわかんないよ。」 p334 「「わしはな、纐纈じゃ。」」 p355 「「これは、昨日買ったばかりのD51のナメクジ。」」 p357 「「まあ、怒らんでくれよ。小鳥遊君、君が、その……、わしの孫娘に似ておるんじゃ。苑子というんじゃが……、皆は、君を苑子と勘違いしておる。」」 p378 「ちくしょう!じじいのやつ……。死んだら、承知しないからな。ばかやろう!」 p381 「「ええ、纐纈苑子です。はじめまして。」」 p386 「久しぶりに、真っ赤なスカートでも膨らまして、街を闊歩してやろうかしら。「ふん!いらねえよぉ!ナメクジなんか。」」 p400 「そもそも、まだ生きている人間と、もう死んでしまった人間の差が、どれほど大きいものなのかも、僕にはよくわからなかったからだ。」 p402 「どんなものだって、結局のところ何かの代わりなんだ。代わりの代わりの代わり、ってずっと続く存在ばかりなんだから、同じことさ。」
  • 2026年5月6日
    まどろみ消去
    p25 「「確かにそう……、一人だけで良いから、誰か他の人に、自分の生きているところを見てもらいたい、と思うことはありますよ。独りで生きていて、一番困るのは、そんなときです。夫婦や、親子、誰でも良い、すべて同じです。誰もが、自分がこうして生きているところを、自分のすぐ近くで誰かに見守ってほしい。そう思うものです。別に大した生き方をしているわけじゃありませんけどね。まあ、それはたぶん、人間だけにある弱さってやつでしょうね。僕のような立場では、本当は、こんな話をしてはいけないんですよ。ちゃんと、お釈迦様がご覧になっているって、そう言わなくちゃあね。」」 p52 「ここで、毎日、窓を開けて、本を読みます。静かに一日中、本を読むの。」 p76 「「神様に、少しずつ少しずつ、いただいた自分の命を、お返ししているんだね?」」 p77 「「でも、考えると悲しいことばかりだから。」」 p108 「どんな問題でも、顔色一つ変えないで解決してしまう、架空のスーパ・レディ、京野サキに、彼女は嫉妬していた。」 p116 「こうして、遠い国から帰ってきた今も、夫は、サキの近くに本当にいるわけではない。」 p124 「「自分でもわからないんですもの、聖一郎さんにわかるはずがないわ。そうでしょう?理解できないことだってあるのよ、世の中には……。なんでも、数学みたいにはいかないのよ。」」 p177 「名前はとても大切だよ。うん、人間って、結局さ、自分の名前のために生きているといったって良いと思うな。」 p201 「まあ、そんなのも、別に良いの。今でも、大好きな私のダンナ様。」 p207 「「もう少し文法的に的確な副詞と接続詞を使ってしゃべってもらえませんか。あの、それに、私のこと厚顔部員って誰が言っているの?」」 p223 「「みんなには悪いけど、私、駄目なんだ。つまらないミステリィに対する憤りだけは、絶対に隠せないの。もう、本気で頭に来ちゃうから。」」 p227 「「結局のところ、他人どうし……かな。」」 p228 「「私の名前、使わないでほしいなあ、変えてもらえない?」萌絵は座ったまま腕組みをしている。「いや、だから、カタカナにしてあったでしょ。」」 p233 「ミステリィツアー真夏の夜の夢 素敵な謎へのいざない」 p240 「近づいて、フカシとヨーコが手を振ると、西之園萌絵は、両手を顔の横で広げてみせた。人類は十進法を採用しました、というジェスチャではない。」 p242 「つまり、極めて意図的で、幾何学的、人工的な位置配置といえる。「言っておきますが、質問は一切受け付けません。皆さんが観察したものがすべてです。よーく見て下さいね。」」 p247 「二、ヨーコは浜中フカシが好きだ。それは萌絵も知っている(だろうとヨーコは思う。しかし、以前につき合っていた恋人と別れたことをヨーコは萌絵にまだ話していない。これは、一の条件と矛盾するが……)。」 p248 「五、萌絵は十歳以上も歳上の講座の助教授に首ったけだ(まったく、これだけは親友の趣味を疑う)。」 p248 「人間とは、自分の希望とは関係なく、余分で不必要な計算まで無理にしてしまうものらしい。」 p259 「「私、今日は、ちゃんとコンタクトしてきましたから。」」 p262 「「あ、それともやっぱり情報量の多さが禍いするのかしら。そういう意味で、ミステリィの探偵というのはローパスフィルタみたいな存在なのね。読者のようなメタな視点を探偵に与えてしまうことは、そもそもミステリィのリアリティと矛盾するけれど……。」」 p266 「「あんたが教えてくれないつもりなら、私、犀川先生に相談しちゃうもんね。」」 p272 「「ああ、確かに、二十八人分は消えたね。」」 p273 「「惜しかったね、その人形、燃やしてしまってさ。僕、見たかったなあ。」」 p282 「みんな、淡々としている。それが現代の魔法の呪文。タンタン、タンタン、タンタンタン。みんな、平凡にしている。ボンボン、ボンボン、ボンボンボン。これで良い。」 p292 「自分が何者で、どこから来て、どこへ行くのか。」 p353 「もし誰かが、キシマ先生はどんな人物かと尋ねてきたら、僕は間違いなく、先生はとびっきりの天才で、尊敬に値する学者だと答えるだろう。」 p356 「僕の座っていたすぐ前の席で、「キシマの方がエキセントリックだ」と囁く声が聞こえたけれど、僕はキシマ先生は凄いと思った。」 p357 「そのときの印象が強くて、僕はキシマ先生のことが決定的に好きになったし、この「学問には王道しかない」という先生の言葉も、それから永く僕の頭に残った。」 p358 「「午前零時が起床時間だ。時間の計算が楽だよ。」とおっしゃっていた。」 p370 「「なんだぁ?プロポーズ?ああ、そうだ、まあ提案したわけだな……。うん、間違いではない。」」 p374 「先生は嘘を言わなかった。先生の自信は本ものだったのだ。」 p375 「キシマ先生と話した、あの壮大な、純粋な、綺麗な、解析モデルは、今は誰が考えているのだろうか?」 p376 「でも、キシマ先生だけは、今でも相変わらず、学問の王道を歩かれている、と僕は信じている。」
  • 2026年5月5日
    四季 冬 Black Winter
    p9 「どんな安っぽい幻想でも、醒めさえしなければ、それなりに納得できるものだ。」 p12 「「雨がやんだのは、何かの魔法ですか?」彼は尋ねた。「そう、魔法です。」彼女は答える。」 p13 「「こんにちは、ユス。」」 p18 「ドレスは黒い。長い髪と連続するように。瞳は青く。いかなるものにも、連動しない、孤立した輝きだった。」 p20 「「人間がお好きですか?」彼は尋ねる。四季は口もとを緩ませ、そして微笑んだ。「ええ。」」 p22 「すなわち、意志の存在とはネットワークの成長にのみ顕在化する、という単純な予想は、未だ覆されていない。」 p29 「「安心、危険というよりは、所有と喪失ね。」」 p29 「「そう。客観的に考えてみて。どうも違うように思えてくるはず。本当のところは、痛くもない、辛くもない。何故なら、死へ近づくことは、ある意味では、生命活動のゴールなの。目的を達成する行為でしょう?後退ではない、前進なのですからね。」」 p30 「「虹は綺麗だけれどね。」「虹?」」 p31 「「でも、虹は綺麗だよ。」「近づいたら消えてしまうのよ。」「到達したとしたら、どうなる?」「難しい質問ね。」四季は首をふった。「わからない。」「珍しいことを言う。」「珍しいことが、まだあって、良かった。」」 p34 「「百十七歳。」」 p36 「「先生、それでも、人は、類型の中に夢を見ることが可能です。」」 p36 「写真を撮るように、画面を一瞬にして認識する。これが、読む、と彼女が表現している行為である。」 p39 「「人道的と言う言葉だけの価値観に束縛されている人たちには、きっと理解できない。易しく言うと、そういうことです。何故、生きている牛や豚を殺してそれを食べるのか?それは人が生きていくため。では、自分が生きるためならば、何が許されるのか?生命を奪う相手が人間ならば、それは罪なのか。たとえ、殺される本人が許しても、その行為は罪なのか。豚も牛も、殺されたいとは考えていないはずです。その一方では、時が経ち、待っていれば、人は誰でも皆、死んでしまう。つまり、殺すことが可能なのは、生きている間だけです。生命体は、何故、死ぬのか。新しい生命は、古い生命の上に成り立っている。それが自然の摂理。花は枯れて、実をつける。実は落ちて種となる。多くの動物は、産卵のために死ぬのです。では、死が時間的に早まることは、いったいどれほどの意味を持つのでしょう?結局のところ、抽象できる一般性とは、やれることを、やれるうちにやる、やらないよりは、やった方が何か新しいことを感じることができる。なにかを得るかもしれない、そして、得ることによって初めて、なにかを拒否できる。また、生み出すためには、常に破壊が必要なのです。新しいものを生み出すという行為は、必ず、拒否と破壊が伴う。生み出すとは、生まれるとは、元来がそういうことなのです。新しさが、古いものの否定にある以上、避けられません。」」 p42 「それに類似した印象は、図書館で犀川創平に対面にたときにあった。手に触れる実体としての彼は、そのときが最初だった。彼女は生まれて初めて煙草を吸った。」 p44 「そのとき、自分の手は血で汚れていた。あるいは、血で飾られていた。」 p46 「何故、自分は、空間や時間を、現実の並びの中で捉えられないのか。四季はそれをいつも考える。」 p49 「触れずに、愛し続けた、僅か十五年間のスキャニング。」 p52 「完璧なメモリィ。完璧なシステム。そんな完璧さの中にあって、何故、それが必要だろう?約束?どうして、人間は約束をしたがるのか。」 p54 「思考は、もっと自由なのだ。飛躍できる。」 p55 「何故なら、すべては、ここにはない。存在しない。すべては無。ここにいるのではない。ここにいるのは、躰だけ。躰は、つまり、殻なのだ。」 p58 「永遠に。忘れない。私は、なにも忘れない。すべて、私のものにする。さようなら。」 p62 「鮮明な印象は、まったく色褪せない。もう一度、あんな出逢いがないだろうか。否、きっとない。」 p63 「どうも、まだどこかに欠けた部分があって、そこに無限の可能性が残っているような気がしてならないのだ。」 p68 「犀川創平と握手をした感覚が片手にロードされた。多少驚き、彼女は息を止める。」 p69 「「私らしくないこと、それが、新しい私らしい。」」 p78 「四季は遊園地の中を歩いている。雨の平日の夕暮れどき、入園者は少ない。彼女は買ったばかりの傘をさしていたが、その傘を持つ手をときどき交換した。生きていくことの面倒さを象徴するような行為だった。」 p83 「図書館の前ですれ違った犀川創平の映像を取り出した。三回繰り返して再生。」 p83 「記憶には残っていても、取り出せない情報もある。普通の人間ならば、その割合は非常に多い。取り出しにはキーが必要だということを知らないと、特に難しい。キーを自由にコントロールできなければ、それは「忘れた」状態になる。忘れたという信号の記憶に余分なメモリを使って、忘れた状態を作るのだ。まるで、手間をかけ鍵をかけるように。」 p85 「当時は気にならなかったことだが、今になってみると、微妙に彼女の特異性が見えてくる。最後まで覗き見ることができなかった、彼女の心の中のあの不思議な一角は何だったのだろう。死角というよりも、それは見る角度によって形や色を変えた。まるでホログラフのように掴みどころがない。目を離した隙にたちまち消えてしまうほど弱々しいのに、いつもその影が、内側にあって、彼女の中心を取り囲んでいるようだった。」 p86 「「πのような存在かしら。」「パイ?ああ、西之園萌絵の死角のことだね。」」 p89 「すべてを同時に見る。」 p89 「すべてに同時に触れる。」 p90 「すべて同時に立つことができる。」 p96 「観覧車を降りて、次は回転木馬を乗りにいった。」 p96 「特異な人格である。自分のことを語りたがらない。プロテクトの固い精神、それでいて外界に敏感な神経、展開の早い思考。おそらくは、過去にあった凄惨な体験に起因すると考えられる。それを放棄したのか、あるいは克服したのか。あのようなバランスの取れたシステムをどこで手に入れたのだろう。自分と他人の力の差を把握する俊敏さは、まるで野生の猛獣のようだった。一方では、躊躇を一瞬で覆い隠す凄まじいまでの防衛反応。不思議な人物だった。」 p97 「彼もまた、非常に特異な精神の持ち主だった。亜樹良と構造がよく似ている。外側からは見えない。見られることを拒んでいる。理解されることを怖がっている。」 p103 「「君が過去の記憶をすべて鮮明に再現できることは知っている。劣化しない歴史は、もう歴史とはいえない、すべて現実だ。君の現実は、空間も時間も越えている。それはわかる。しかしその場合、君にとって、実在する人間と、死んでしまった人間の差は、何?」」 p104 「「ええ。でも、その人物の思考形態をある程度把握すれば、何を発想するかは、ほぼトレースできるわ。アルゴリズムが完全にコピィされれば、そのプログラムのあらゆる挙動を予測できるのと同じ。」」 p106 「「大好きだった。」」 p106 「「君にはその傾向がある。犀川創平のときもそうだった。君は、彼を把握しようとしなかった。」」 p107 「「期待かな。」「期待?」「それとも、絶望からの回避。」」 p120 「「君に、すべてを捧げよう。」スワニィは再びグラスを片手に取った。「すべてを、その青い瞳に。」」 p121 「「二十年まえの、フォアマンの実験式の微分になっているのに、お気づき?」」 p125 「人を再現するためには、人を超えた頭脳が必要なのだ。」 p127 「「これは、人間じゃない。」G・Aは言う。」 p136 「「それは、世界中のシステムが、君の頭脳によって設計されていることに起因しているだろう。誰も知らないドアが、存在するのだね?」」 p136 「「本人に告げれば、かなりの確率で自首するものと想像します。」「そうかな……。」「そういうタイプですね。あるいは、逃亡するか。」「全然反対じゃないか。」「いいえ、いずれも同じベクトルです。」」 p143 「「道流。」彼女は答えた。」 p147 「川の水が海へ流れ込むように、人の想いもまた、流れ、混ざり、集まり、広がって、やがて静かに沈んでいく。」 p155 「「犀川創平がそうだった?」」 p156 「「教育をすればするほど賢くなるという錯覚を、まず捨て去るべきでしょう。」」 p157 「「頭が悪くなるからこそ、仕事ができる。頭が悪くなったから、世間話ができるのです。賢かったら、仕事なんかしないし、おしゃべりなんかしませんよ。もっと自分にとって有意義なことを見つけて、それを楽しむでしょう、子供をごらんなさい。そうしていますよ。」」 p158 「「ほとんどはソフト的な問題です。統合されない知覚を有すること、すなわち人格を一つにはしない、同時に別のことを考え、無意識に違う方向の思考を行う。これが非常に重要なことなのです。最初の頃の構築知性では、そういったマルチ・シンクのアルゴリズムは、単なるバックグラウンド処理としてしか、認識されていませんでした。ずっと、シングル・エバリュエーションの時代が続いて、統一的な価値観を持たせよう、答を一つに絞らせよう、と教えてきました。それに適したアーキテクチャばかりが作られたのです。最初から限られた仕事をする知性ならば、その手法の方が早く育つメリットはあります。でも、それ以上のものにはなりえません。人間だって、生まれたときには、何になるのか、わからないでしょう?それと同じプロセスを構築知性にも与えるだけのことです。もちろん、多少のハード的なバックアップが必要ですけれど、ソフトさえ明確ならば、それに合わせたデザインは難しくはありません。」」 p159 「「人間はそもそも、どこへ行くのか、何のために存在しているのか。そして、何を得るのでしょうか?それと同じで、わからない、というのが答えではないのでしょうか。ただ、概念的には、構築知性のゴールは明確です。最後は人間になる。私たちとの区別はなくなります。機械が人間になるのです。それだけのことです。しかし、人間は、これまでにない新しいパートナを得るわけではありません。創り出されたそれは、人間と同じものであって、人間以上のものではありません。計算が速く、物覚えが良い、劣化も少ない、ミスも少ない、しかし、それはいずれも、機械を使って人間がすでになしえる範囲のものです。発想の力は同じなのです。つまりは、なにも変わりありません。もし私たちが、構築知性の研究の過程で得るものがあるとすれば、それは、私たち自身を見つめること、鏡を見ることに等しいでしょう。鏡を見たくありませんか?鏡を見ない人間がいますか?何のために私たちは鏡を見るのでしょうか?見たいものは何でしょう?意味がありますか?それが、この分野の研究のゴールです。」」 p163 「「パティ。」」 p163 「「君は、人間かね?」「いいえ。」彼女は即答した。「私はウォーカロンです。」」 p163 「新藤清二と一緒だった砂浜、犀川創平と歩いた砂浜、彼女が一人だけ立っている砂浜、そして、もう誰もいなくなった砂浜。」 p164 「四季は、彼に掛け替えのないものを託した。それは、生きたまま保存されていた細胞。そこから、人間を再生することを、彼に依頼した。当時、それは最先端のテクノロジィであり、それを扱うことが可能な人間は、世界に三人しかいなかった。その三人の中で、久慈が最も若く、最も斬新で、そして最も大きな野望を持っていた。それでも、最後まで譲らなかった条件、彼が主張した条件が一つだけあった。それは、細胞から育った個人に、四季が会わない、つまり関わらない、という拘束だった。」 p165 「よくも、生きる作業を切り捨てずに、いられたと思う。」 p166 「好きになり、そして諦め、なにも好きにならないようにして、それにも厭きて、どちらでも良い、なにも決めない、なにも求めない、そんな状況にもまた懲りて、最後には好きになり、けれど、好きだったものは消えている。愛して、そして破壊して、なにも愛さないように努め、それにも疲れ、どちらでもない、なにも触れない、なにものにも触れさせない、そんな状況もまた陳腐化し、最後には愛する形を創り出し、そして愛したものを失ったと気づく。そう……、気づいた。自分の周囲に群がる愛をすべて破壊して、彼女は彼女になった。」 p168 「「私は、もう死んでいるのよ。」四季は呟いた。それを聞いていたのは犀川だった。」 p169 「「貴女は、貴女から生まれた。」彼は言った。「切り離せますか?」彼は聞くだろう。」 p169 「「貴女は貴女だ。そして、どこへも行かない。」」 p170 「「矛盾している。」犀川が言った。「貴女は、その矛盾に気づいているはずだ。」「言いましたでしょう?」彼女は微笑んだ。「矛盾が綺麗だった。」」 p181 「「ドクタがなさったことに対して、私はなんの意見も持ちません。そのときの最良の選択をなさったものと信じます。まだ生きている、ということがわかっただけで、私には充分です。その事実認識だけが私に影響します。会う会わない、あるいは、彼が私を認識するしない、も問題ではありません。亡くなったのでなければ、それで良いのです。存在していさえすれば、それで良い。」」 p182 「「不思議なものだ。因果なものだね。この世の巡り合わせとは、なんとも、おかしなものじゃないか。え?そうは思わんかね?いったい、我々は、どこへ辿り着こうとしているのだろうね。」」 p184 「「パトリシア。」」 p187 「「そうです。一人一人の人間の存在が、その周辺に影響を与えます。その一人がもしいなくなれば、周辺の者は、困ったり、悲しんだり、あるときは喜んだり、あるときは生活に大きな変化さえ起こることがあります。ですけれど、その一人は、それらの人たちのために存在していたのではありません。つい、誰かのためになりたい、皆の役に立ちたい、そうして、それを自分の存在の理由にしたい、と人は考えがちなのです。存在の理由を、わからないままにしておけないのね。常に答を欲しがる。それが人間という動物の習性です。」」 p189 「「私がいないときも、いつも問いなさい。誰も答えてくれないときでも、問い続けなさい。自分で自分に問うのです。それを忘れてはいけません。それが貴女の優しさになるでしょう。」」 p190 「これは、西之園萌絵だ。彼女は、泣いている。それとも、怒っている?」 p193 「「ごらん、これが、人間だよ。」」 p196 「刺されてあげよう、と四季は思った。血を流そう。私の血で良ければ。死んであげよう。何度でも。貴方のために。」 p196 「「ごらん、これが、人間だよ。」」 p197 「「そう、それが、人間の孤独というものよ。」四季は呟いた。」 p202 「「四季さん!」」 p202 「消えたかった。それとも、私以外のものすべてが、消えてしまえば良い、と思った。」 p204 「「真賀田博士。」犀川創平がそこに立っていた。四季は微笑む。急に嬉しくなった。彼女の内部が、一瞬で明るくなった。」 p205 「彼の内部で誰かが叫び続けていたけれど、その声は小さくて、四季にはよく聞こえなかった。それを聞かせないために、彼は口を閉じているのかもしれない。統合されていない。融合されていない。しかし、やがて調和は訪れるだろう。」 p207 「「こんな不思議な感情は、今までになかった。希代な経験です。」「綺麗な感情ですね?」」 p208 「「貴方は、天才だわ。」「いいえ、僕は天才じゃない。」」 p208 「「私たちは、どこへ行く思います?」「どこへ?」「どこから来た?私は誰?どこへ行く?」」 p208 「「貴女は、貴女から生まれ、貴女は、貴女です。そして、どこへも行かない。」」 p209 「「先生……。私、最近、いろいろな矛盾を受け入れていますのよ。不思議なくらい、これが素敵なのです。宇宙の起源のように、これが綺麗なの。」」 p209 「「よくわかりません。」「そう……、それが、最後の言葉に相応しいわ。」「最後の言葉?」「その言葉こそ、人類の墓標に刻まれるべき一言です。神様、よく分かりませんでした……ってね。」」 p210 「「矛盾が綺麗だって、言いましたでしょう?」「ああ、そうか。」犀川は微笑んだ。「なるほど、僕は……。」「飲み込みが遅い。」四季は微笑んだ。」 p211 「「もし先生が死んだら、私は泣いてみたい。一度で良いから、泣いてみたいわ。」」 p215 「「そこに、生命維持の鍵があるのでは、と思いました。ドクタの方法が成功した鍵は、そこにあるのではないでしょうか。」」 p216 「「極めて特殊な境界条件が、存続を可能にしているのです。」」 p219 「「わしには、アウトプットなど必要ないし、そんなことをしている暇はない、ということだ。」」 p221 「「孤独って知っているわね?」」 p223 「「ミチルですね?」」 p226 「「それは、涙です。涙を、知っている?」」 p227 「「そう、それが孤独です。」四季は答えた。」 p228 「「私は、最近、自分がようやく大人になったと感じています。」」 p229 「「ええ……、難しいわ。子供の方がずっと難しい。大人ほど単純です。」」 p229 「もう涙は乾いていた。これからはずっと、乾いているだろう。一つの処理が終わったからだ。」 p233 「不思議な気持ちだ。不自然な気持ちだ。自分が自由になりたい、という以上に、いくら遺伝子を引き継いでいるとはいえ、明らかに他者の自由を尊重したいという欲望。これはいかなるものか……。」 p234 「今でも、ときどき考える。彼女を、道流を、自由にしてやりたかった。」 p236 「それでは、キスと同じ。」 p241 「私は、貴女と、コミュニケーションがしたい。そう考えた。まだ、そこは、言葉のない世界だった。」 p242 「「ええ、そうね。忠告をきかなかった私がいけないわ。ああ……、もう大丈夫です。面白い経験しました。他人のアドバイスを受けて、そちらの方が良かった、そういう経験って素敵ですわね。多少、アーティフィシャルではありますけれど。」」 p243 「「死を恐れている人はいません。死に至る生を恐れているのよ。苦しまないで死ねるのなら、誰も死を恐れないでしょう?」」 p243 「「そもそも、生きていることの方が異常なのです。死んでいることが本来で、生きているというのは、そうですね、機械が故障しているような状態。生命なんて、バグですものね。」」 p244 「「よくご存知ね。ゾロアスターが生まれたときには、賢者が七人いました。ブッダも泣かなかった。彼は生まれてすぐ七歩あるきました。7は孤独な数字ですね。孤独を知っている者は、泣きません。」」 p245 「「自分の人生を他人に干渉してもらいたい、それが、愛されたい、という言葉の意味ではありませんか?犀川先生。自分の意志で生まれてくる生命はありません。他人の干渉によって死ぬというのは、自分の意志ではなく生まれたものの、本能的な欲求ではないでしょうか?」」 p246 「「私には正しい、貴方には正しくない……。いずれにしても、正しい、なんて概念はその程度のことです。」」 p246 「「貴方が、あの海の中で、おっしゃったことが気に入ったからよ。水の中では煙草が吸えないって、おっしゃった。私には予測できない発言でしたり理由はそれだけです。犀川先生、貴方、頭の回転が遅いけれど、指向性が卓越している。判断力が弱いけれど、客観性は抜群だわ。だふん、まだ何人かお持ちなのでしょう?いろいろな犀川先生がいらっしゃるはずよ。貴方の回転の遅さは、貴方の中にいる人格の独立性に起因しているし、判断力の弱さは、その人格の勢力が均衡しているからです。でも、その独立性が優れた客観力を作った。勢力の均衡が思考の方向性に対する鋭敏さを生むのです。貴方は、幾つもの目を持っている。奇跡的に混ざっていない。いえ、本当の貴方を守るために、ほかの貴方が作られたのね。貴方の構造は、私に、よく似ています。」」 p247 「その百年が過ぎた。彼は、私に追いついただろうか?四季はにっこりと微笑む。」 p249 「「こんにちは……。儀同さん?」四季は玄関のドアを開けて声をかける。」 p255 「犀川創平が入ってきた。「冬だから当たり前だけど、外は寒い。」彼は言った。四季は口もとに手を当て、できるだけ顔を隠す。」 p256 「冷たい空気。包み込まれる。息を吐いた。少し笑う。面白かった。とても、楽しかった。こんな遊びは初めて……。」 p257 「冬。」 p257 「「人間がお好きですか?」犀川は尋ねた。四季は口もとを緩ませ、そして微笑んだ。「ええ……。」」 p257 「彼の姿を見る。彼の思考を見る。それは綺麗だった。「綺麗だから。」だから、自分のものにしたかった。自分も、綺麗になって、自分のものにしたかった。彼も、彼女も、あの心も、精神も、みんな綺麗だった。矛盾しているから。とても、綺麗に矛盾しているから。」 p257 「「雪を降らせましょうか?」四季はきいた。」 p257 「彼は上を向く。四季も空を仰ぐ。白い、細かい雪が、ゆっくりと、広がるように、二人に落ちてきた。」 p258 「今は冬、彼女はそれを思い出す。」
  • 2026年5月5日
    四季 秋 White Autumn
    p10 「なんとなくピントが合うまえから、彼女の神経に同調する電波を予感した。くすぐったいような、そして甘いような。それは、犀川創平だった。」 p11 「「雨宿り。」犀川は煙を吐く。それもなしだと言うべきだったと萌絵は後悔する。「これだけ雨が降ると、ニコチンを吸収してくれるかもね。アクア・フィルタ。」」 p13 「「妃真加島の研究所で、停電になったときのこと。」」 p14 「「四年と……。」萌絵は二秒ほど目を瞑った。「七十七日です。ああ、計算が遅くなったわ。」」 p15 「「今頃、真賀田博士はどうしているだろうね。」犀川は呟いた。」 p16 「犀川の言葉の意味がわからなかった。だが、こういうケースは稀ではない。」 p16 「萌絵は犀川を睨みつけていたが、思わず吹き出してしまった。残念ながら、直ったみたいだ。」 p17 「真賀田研究所で四年まえに起きた事件は世界を震撼させた。」 p20 「それを、二度も、しかも、自分の血までも断ち切ろうとした行為に、人々は震撼したのである。」 p23 「そのとき、幼かった萌絵は、真賀田四季を見て泣いたという。」 p23 「四季は明らかに、犀川に関心を持っている。犀川の能力を彼女は知っているのだ。」 p30 「「実は、真賀田四季のことなんだけれど。」」 p32 「「先生は、もしかしたら、真賀田博士と今でも連絡を取り合っているかもしれません。」萌絵は言葉にした。言葉にすると、残酷さはますます際立った。」 p33 「「つまり、もしかしたら、真賀田四季は、創平君のことが好きなのかもしれない、そう言いたいのね。」「言いたくありません。」」 p36 「「いえ、それはわかるの。でもね、正しく理解して、十分に評価することと、愛情は、また別ものでしょう?」」 p37 「「愛情なんて、どこからだって芽生えます。なにかが擦れたときに発生する摩擦熱みたいなものです。」」 p37 「「周りを見てごらんなさいよ。誰か、創平君にアタックしている子、いる?」」 p38 「「どうしてよ?それは、貴女の認識が間違っている。こういうことはねぇ、なんでも包み隠さず、相手に気持ちを打ち明けるべきだと思うな。」」 p38 「犀川も同じようなことを言ったことがある。気持ちなんて伝わらない、言葉を尽くして説明しなければ、コミュニケーションは成り立たない、と。」 p39 「「でもね、本来の世津子さんは、わりかし、こう、きっちりしていて、果敢なところがあって。」」 p40 「儀同世津子は、犀川の妹である。年齢は彼と七歳違い。彼女が兄のことを「創平君」と呼ぶのは、子供の頃には、お互い別々に生活していたためだという。初めて彼に会ったのは、世津子が中学生のときだったらしい。」 p42 「「犀川先生、帰ってきたよ。」国枝は萌絵の窓際の萌絵に視線を移す。」 p43 「機嫌というものが彼女にはない。感情の起伏はほとんど外部からは観察できなかった。」 p44 「「私には私の時間があるの。」洋子はまたぐるりと目を回した。ケーキ屋の人形に似ている。」 p48 「「実は、長崎から帰ったあと、一度だけ、僕は真賀田博士に会った。」」 p50 「振り返ると、長身の男が立っている。年齢は五十前後か。顎鬚を蓄え、茶色っぽいレンズのメガネをかけていた。」 p51 「メールを交換しているときは、彼はずっと海外だったのだ。それも、いつも別の場所。南米かヨーロッパが多かった。」 p52 「「いや、知っているというほどのことではありません。以前に、一度会ったことがある、というくらいです。」「それは、いつのことですか?」「もう、ずいぶん昔ですね。えっと、二十年くらいになるかなぁ。」」 p54 「「各務亜樹良です。」」 p54 「「その各務さんと、真賀田博士の関係については、椙田さん、どうしてご存知なのですか?」」 p56 「「地球の裏側にいると思ったら、すぐに隣にいた、なんてこともあるでしょうね。」」 p56 「「ああ、ええ……。実は、この近くですよ。エヌエス・ランドという遊園地なのですが。」」 p57 「「お母上から、お聞きになったのでしょう?」組み合わせた両手を鬚に当てて、椙田は微笑んだ。」 p58 「「いいえ、なにも。その……、そういったことを人に話すようなタイプじゃないんです。」「うん、そうでしょうね。」」 p60 「「日本じゃなかったら、僕を誘ったと思う。」」 p61 「「それに、こんなことを言ったら、気持ちが悪いかもしれないけれど、なんというか、一度、貴女を見たかった。」その言葉は、世津子には少し重かった。彼女は黙って、椙田の視線を受け止め、同時に確信した。やはり彼は、母のことを知っている。最初から、祖父江七夏の娘として、自分にアプローチしてきたのだ。」 p63 「「君に対して秘密にしようというつもりはない。でも、ある人に、これは言わない方が良いと判断した。」」 p63 「「あの、真賀田博士は、その、犀川先生のことが、好きなんです。」萌絵は口にした。」 p66 「「彼女は、とにかく特別で、誰にも追いつけない。時間が違うと思うしかない。今、君が真賀田四季のことを具体的に考えないように、思考を遮蔽しているのを見て、僕は自問した。自分もそうではなかったかってね。」」 p67 「「そうか、久しぶりに面白い発見だったね、西之園君。」「何がですか?」「ありがとう。」「えっと、先生?」「ん?どうかした?」「会話して下さい、私と。」「うん、ときどき、君って、わけのわからないことを言うね。」萌絵は犀川を上目遣いに睨み、溜息をついた。」 p70 「ただ一つ、研究環境に大きな変化が生じた。萌絵がD1になった四月に、助手だった国枝が、県内の私立C大学へ転出したのである。」 p71 「これは、本当に予想外のことで、しかし、心の奥ではずっと期待していたことで、そして、とんでもない幸せといえるものだった。」 p72 「「犀川先生から、これをいただいたの。」萌絵は片手を差し出して、指を広げて見せる。」 p74 「「それは、つまり、その……、私のことを愛しているっていう、意味です。」」 p79 「明るいうちに佐々木睦子がやってきて、萌絵はキッチンから閉め出されてしまった。」 p81 「「うーん、小さい頃によく預けられたからかな。あまり可愛がってもらえなかったっていう覚えばかり。これ、一種のトラウマね。」」 p83 「ねえねえ、新婚旅行はどこにするか、決めた?」 p86 「「あ、そういえば、えっと、ロバート・スワニィ博士との関係を調べたことがあります。」世津子は言った。それを聞いて、犀川の表情が少しだけ動いた。その小さな変化を萌絵は見逃さなかった。」 p87 「「スワニィか……。」犀川は呟いた。「それは、気づかなかった。」」 p88 「「もちろん、結婚するおつもりがあるのよね?決断なさったのですね?」「あ、はい。」犀川は簡単に返事をした。」 p89 「「私、よく事情がわからないのですけれど、兄と萌絵さん、婚約でもしたのでしょうか?」」 p91 「萌絵の黒い髪は、肩よりも下まで、伸びている。四季の髪型に似ていた。その白い顔も、白い頬も、よく似ている。瞳の色は違う。」 p92 「そう、なにかのプログラムに乗せられたはず。思い出せ。四季は、ファイルにメッセージを残した。そんな真似をする彼女なのだ。犀川のために、犀川に読ませるために、書かれたメッセージ。」 p98 「「どうするかは君の自由だよ。」」 p101 「「考えることだけが、自由なんだ。」犀川は言う。「行動なんて、些細な問題だ。考えたことを、僅かに具体的に、ほんの部分的に試すに過ぎない。完全なサブセットなんだ。考えたことの百分の一だって実現することはできない。行動するだけで時間やエネルギィが消費される。真賀田博士くらいの思考能力を持っていれば、行動はすなわち無駄だ。」」 p101 「「思考は生きていなければできない。肉体を動かすこと、物体を移動させることが無駄だという意味だよ。そう考えている人間が、何故、あんなことを、つまり研究所を抜け出したりしたのか、という問題。」」 p101 「「わからなかった。僕には理解できないものだと考えていた。ただ、ずっとひっかかっていたことは確かなんだ。自由へのイニシエーションといった、ぼんやりとしたイメージでお茶を濁していた。それこそ、彼女のマジックだったかもしれない。でもね、あの人は必ず、自分以外の知能の追従を意識している。その余裕によって、自分自身の位置を持続しているからなゆだ。」」 p102 「「Fになる、というメッセージを残したり、プログラム上でも、形跡をわざと消さなかった。自分よりも、どれだけ人類が遅れているか、そのタイムラグを観測しようとした、といっても良いね。」」 p105 「「どうして、今まで考えなかったんだろう?君のことで頭がいっぱいだったのかもね。」」 p107 「「僕の中の誰かが。」」 p108 「「そう、少し遅れて、あとから気づく。それで距離を測っているんだよ。」」 p112 「「喜多先生。」」 p112 「「こっちは大した用事じゃない。創平によろしく……、っていうよりは、創平をよろしく、だな。」」 p117 「黄色いブロックだった。」 p118 「「これが、真賀田博士が残したメッセージなんだ。」彼は言った。「これ以外にない。」」 p120 「亜樹良は身震いして、顔を上げた。そこに立っていたのは、保呂草潤平だった。」 p122 「彼のために髪を解こうとした自分が可愛いと思った。」 p125 「「真賀田四季とは?」」 p129 「写っているのは、レゴ・ブロックである。」 p132 「普通に聞けば理不尽な話であるが、犀川に限っては、むしろ通常のパターンといって良い。彼の言葉で表現すれば、それが「道筋」なのだ。その道の先に何があるかは、わからないが、とにかくそこを進めば良い、という意味らしい。」 p141 「「椙田さんね。椙田泰男さん。知っている?」」 p146 「「エンジェル・マヌーヴァ?」」 p151 「「レゴの個数。」」 p153 「「久しぶりに良いブレーキングだ。最近、国枝君がいなくて、だらだらしていたんだよ。ありがとう。」」 p154 「「馬鹿みたい。」国枝が言った。」 p157 「そこに並んでいる数字は、明日の日付だ。そして、そのあとに、≪Mondovi≫とあった。街の名前である。」 p159 「「少ないですね。二百三十七個。」「七十九の倍数だ。」」 p162 「一行目は数字で、≪19.01.2001.≫とあり、二行目には≪MNDV,PMNT≫とあった。」 p165 「「僕たちが計算した数よりも、ずっと多かった。三百個以上、なくなっているんだよ。」」 p167 「「婚前旅行ですね。」「え?」「いえいえ、なんでもありません。その前に結婚する手もありますし。」」 p167 「「長かったですよねぇ。」「そう、六年半、七十七ヶ月だからなぁ。」「ホント、長かったわぁ……。」」 p169 「犀川は、もう十三回も「寒いなあ」と口にした。」 p172 「「バイオ・テクノロジィ。」」 p176 「「実は、今日モンドヴィに来ることは、三年もまえから知っていた。これは、真賀田博士が、七年まえに決めたスケジュールなんだ。知っていた?」」 p177 「「気づくとしたら、瀬在丸紅子か、それとも……。」保呂草はそこで少し笑ったように見えた。「七年まえの夏に、真賀田研究所にいた、彼女の息子か。」」 p178 「「それが、僕が知りたかったことだ。真賀田博士が何を考えているのか、僕には興味はない。友人に危害が及ぶのを防ぎたいだけだよ。」」 p183 「「あ!秋野さん!」」 p183 「「エンジェル・マヌーヴァを返しなさい!」」 p184 「「あれ?保呂草さん?」犀川が呟く。」 p184 「「ありがとう。覚えていてくれて。」髭の男が口を斜めにした。「え?先生、この人を知っているんですか?」萌絵はきいた。「ああ、うん。昔から。」」 p187 「「ようこそ。」真賀田四季の声が聞こえた。」 p189 「「何故なら、そちらからアプローチしてきた点が評価できるからです。理解に必要な最小限の条件とは、理解しようとする意志、そして決意。よろしいですか?まず第一に、私の娘の死因です。彼女は事故で亡くなりました。実験中に感電したのです。突然のことでした。これが一点。誤解を防ぐために申し上げますけれど、特に、私は、自分の立場を弁解する必要性を感じませんが、この程度のことで、誤解がもし解けるのならば、理解しようとする意志に対しては、最小限の誠意を示そうと思う、それが真実を打ち明ける理由です。私は、亡くなった娘のために、あそこを出たのです。よろしい?」」 p190 「「第二点は、その事故が、娘の意志によるものだった、ということです。これには確証はありませんけれど、彼女の心理を分析すると、そこへ行き着きます。おそらく自分の意志で、自分の躰を電流に曝したのでしょう。あくまでも、私の推測です。犀川先生、そこにいらっしゃいますね?」」 p190 「「さて、第三点。私は泣いたことがない、と貴方に言いました。覚えていらっしゃるかしら?ここだけのお話ですけれど……。」彼女はそこで少し笑った。「あれは嘘です。私はだって、涙が流れることがありますのよ。化けものではないのです。では、どうして、あんな嘘を貴方についたのでしょうか?不思議ですね。自分でも実に微笑ましいと思っています。」」 p191 「だがしかし、今、初めて、萌絵は彼女が女性だと感じた。あるいは、そこに母性を見たような気がした。」 p192 「「さて、人類はどこまで豊かになれるでしょうか。」四季は話す。「自身の中に、どれだけの自由を取り入れることができるかしら。時間と空間を克服できるのは、私たちの思想以外にありません。生きていることは、すべての価値の根元です。では、どうか心安らかに……。」」 p193 「犀川の片手が動き、萌絵の頭に軽く触れた。子供を撫でるように、その手が数回往復した。嬉しい。目を瞑った。自分は救済されたかもしれない、と彼女は思った。」 p195 「「あの、ここでもう別れよう。」保呂草は犀川に言った。「また、きっと会える。」彼は片手を出す。犀川がそれを握った。」 p195 「「いつだったか、あのときの、西之園君の電話が……。つまり、保呂草さんだったんですね。エンジェル・マヌーヴァ。」」 p195 「「お母さんから、聞いている?」保呂草は犀川に尋ねた。「そう。ずいぶん古い記憶だけれど。」犀川は頷いた。」 p196 「「どんな理由があるにせよ、窃盗は窃盗です。許しませんよ。」「しかし、君は、真賀田四季を許そうとしているじゃないか。」保呂草は言った。「え?」萌絵は驚いた。頭の中に一瞬、閃光が瞬いた。「いいえ、私は……。」「それに、別に僕は、許してもらうつもりはないよ。」保呂草は微笑んだ。「僕自身だって、僕を許したことはないんだ。」」 p196 「「古いお友達なのですか?」萌絵は犀川にきく。「知り合い。」彼は短く答えた。」 p198 「「ドクター・スワニィ?」」 p200 「「フランスへ行こう。」保呂草は囁く。「どうして?」「君のまえの旦那さんのお墓を見たい。」」 p201 「動物は食物を摂取しないと生けていけないことに、犀川もようやく気づいてくれた。」 p201 「「僕たちの社会、今現在の社会には、もう干渉しない、という意味だろうね。」」 p203 「「つまりね、真賀田博士は、お嬢さんの細胞を持ち出したんだよ。」」 p205 「「可能か不可能か、という問題では、きっとない。」犀川は鋭い視線を萌絵に返した。「それを可能にする意志が、あるかどうかだ。」」 p206 「「それは、彼女の価値観であり、モラルだ。」」 p207 「「歴史的に築かれたモラルは、そのほとんどが、生命を守るために、我々が存続するために選ばれた手法の一部なんだ。人を殺してはいけない。人を食べてはいけない。血縁者と交わってはいけない。生命は神聖なものだ。人は神によって作られた。堕胎をしてはいけない。自殺をしてはいけない。しかし……。」」 p207 「「それらはすべて、結局のところ、人の集団を守るためのエゴでしかない。自然を破壊してはいけない、何故か?それは人が生きにくくなるからだ。あらゆる道徳は、そのエゴから発している。それが良い、悪い、という話をしているのではない。誤解しないで。我々のモラルと、真賀田博士のモラルが違うのは、その基盤が、人間社会にあるのか、それとも、彼女自身にあるのか、その差だ。彼女にとっては、自分自身が世界の中心にある。僕たちは、社会の中心にけっして自分を置こうとはしない。最初から、自分の存在を他人に預け、歴史に預け、役割を担うことを恐れ、働きかけをしないよう、避けている。僕たちは、平穏無事に、ただ安穏と生きていければ良い、毎日が楽しければ良い、美味しいものが食べられれば良い、自分だけが病気にならなかったらそれで良い、と考えている。さて、いったい、どっちが本当のモラルだろう?どっちが真のエゴだろう?」」 p209 「ハンカチを出して、涙を拭った。四季も泣いただろうか?人間は、どうして泣くんだろう。どうして、どうして、どうして、それを言うのが人間?けれど、涙を見てくれる人がいる。疑問を受け止めてくれる人がいる。それだけで、充分ではないか。彼女は目を瞑って息を吸った。静かに。自分が泣くことを許すように、沢山のことを許さなくてはいかない、と彼女は思った。」 p212 「「そのときは、エンジェル・マヌーヴァを売ろう。」保呂草は微笑んだ。「僕ら、二人くらいは食っていける。」」 p215 「「実験をしたいとき、ちょっとした設備や人員が身近にあって、すぐに使える、というくらいの価値だよ。だけど、そうだなあ、たとえば、そういうときは国枝君に頼めば良い。君だって、そのうち、どこかの大学の先生になるだろう?僕はもう引退して、ひっそり山小屋にでも籠って暮らしたいな。」」 p216 「「私と結婚すれば、仕事なんてなさらなくても良いのよ。」髪を持ち上げながら、独り言を口にする。」 p219 「「真賀田博士。」」 p219 「「お話よ。私の娘の父親が誰か、貴女は知らないでしょう?」「え?」「それが、昼間の地下室では言えなかった第四番目。」」 p220 「「いいですか。この思考の飛躍、この想像の幅。私が言っていることがわかる?貴女が縛られているものは、貴女自身の歴史。貴女自身の惨めさなのよ。捨てなさい、そんなものは。もっと自由になれる。貴女にはその能力がある。自由を勝ち取るのです。」」 p225 「なんという、儚い幻想。四季の言ったとおりじゃないか。自分で自分を制限して、思考を縛り、想像を抑え、不自由さと惨めさを、自分で演出しているだけ。」 p228 「愛する人を見つめることは、結局は、孤独を知ることであって、そして、きっと、自分を知ることになるのだ。」 p235 「「え?ロバート・スワニィ?」」 p237 「国枝桃子も、あの男を知っている。エンジェル・マヌーヴァが盗まれた場所に二人ともいたからだ。」 p241 「「全然違う。凄い、諏訪野みたい。」」 p243 「「あ、西之園さん、新婚旅行にいったんだって?」」 p249 「「世津子の母親が、保呂草さんのことを、よく知っているんだ。だから、面倒なことになる。彼女、なにもかも母親に話すからね。」」 p256 「「先生のお母様に、一度お会いできないでしょうか?」」 p262 「「そう……、私、抜きですか?ババ抜きってことね。」」 p266 「「はじめまして、瀬在丸紅子でございます。」頭を上げ、彼女は微笑んだ。」 p267 「「会ってくれって、あの子から言われたとき、どうしようかなって思いました。今も、どきどきしているわ。」」 p268 「「懐かしい人に会った、と……。」」「あ、保呂草さんのことですね。」 p269 「「エンジェル・マヌーヴァのことでしょう?」」 p270 「「許すか、許さないか、どちらかに決める必要はないのでは?」」 p272 「「眺めていても、いくら近くで見ていても、その理想には近づかないわ。」」 p272 「「私は、真賀田四季さんから学ぶものはない、と思ったわ。」紅子はゆっくりと話す。」 p273 「「いいの。ごめんなさい。そんなふうに呼ばれることがまたあるなんて、想像もしていなかったものですから……。」「はい、私も、口にするのに、とっても勇気がいりました。なん度も練習してきたのですけれど。」」 p274 「どうしても、あの瞳に見つめられると、話さずにはいられなくなる。そんな効果があるようだ。しかし、それならば、どうして犀川はあんなに無口なのだろう。そうだ、子供の頃の犀川の話を聞かなくては……。」 p276 「「ちょっと、林さん。」」 p276 「「これ、私の家にもあります。ずいぶん、昔のものでは?」」 p278 「「もしかしたら、知らない方が、愛せるかもしれません。」」 p279 「「貴女が、太陽を好きになったか、扇風機を好きになったか、の差です。」」 p280 「「それは、人を許すということですか?」「いいえ、自分を許すということ。」「自分を?」「そうよ。」紅子は言う。」 p280 「「人は、自分が許せないときに、悲しくて泣く、そして、自分が許せたときに、嬉しくて泣くの。」」 p282 「秋でもないのに、紅葉だ。」 p282 「なにかの答を得たような気がする。何だろう?どんな問題だったかしら?解けてしまったときには、問題も消えている。それが、本来の問題だ。消えたあとに、優しい気持ちだけが残る。」 p285 「バランスを取ろうとはせず、極端な状態を望んでいるようだ。その方が自分は安心できるのかもしれない。そう、バランスが取れている状態とは、シーソーみたいに、最も不安定な状態にほかならないからだ。」 p285 「真賀田四季が、レゴのブロックを使って組み立てた冷却装置に関しては、瀬在丸紅子に相談にいったことがあった。」 p289 「「どこへでもついていくよ。」彼女のその口もとを彼は見た。「墓場の一歩手前までだろう?」」
  • 2026年5月4日
    四季 夏 Red Summer
    p11 「「砂の密度は、石や岩の密度よりも統計的に小さいのです。」四季は話した。」 p13 「目の前に存在するもの、それが絶対的、そして圧倒的だった。」 p13 「天才的ではない。ただの天才でもない。真の天才だ。」 p16 「「ねえ、また遊園地へ行きたいわ。」」 p19 「唯一の問題は、その少女の頭脳、その少女の能力、そして、その少女の美しさになる。」 p25 「「そう、そこまでは洗練されていません。形式的には、あと数十年かかるでしょう。しかし、それがあるべき姿だということです。人の躰は、外側で周囲と接していますが、人は、頭脳によって外部を認識しています。これはすなわち、頭脳の中に、社会や自然というすべての概念が取り込まれていることに等しいのです。そうなれば、結局、その人間の外部は、脳の中にこそ存在するのではありませんか?それが外側なのでは?」」 p29 「「いかがでしたか?妃真加島は。」歩きながら各務はきいた。」 p31 「生きている間に、纏いついたものが、毛玉のように自分の躰の中に溜まっているように感じられる。そういったものは、もちろん個々には取るに足らない存在であるが、気がつくと、空間を占領し、道を塞ぎ、見通しを悪化させている。おそらく、森川須磨が死んだことで、その毛玉が一つになって、目に見える大きさの存在になったのだろう、と彼女は感じた。馬鹿馬鹿しい理屈である。しかし、言葉というものは、元来が馬鹿馬鹿しい記号なのだ。」 p33 「「いえ、知り合いというほどではありません。私の友人の知り合いです。」」 p33 「「瀬在丸紅子は……。」」 p35 「「いえ、私はとても良い経験ができて、むしろ喜んでいるの。なるほど、忘れるというのは、こういうことなのかって、初めてわかりました。」四季は可笑しそうに言う。「なかなか不思議な感覚ですね。くすぐったい、に似ているかな。」」 p38 「そうだ、矛盾だ。あの瀬在丸紅子という女から感じたものが、それだった。」 p43 「「なるほど、トカゲの尻尾みたいなものですな。しかし、そういった攻撃に対しては、お金が最も手っ取り早い。」」 p44 「このままの推移では将来きっと投げ出したくなる。つまり、生きていることを。」 p45 「「いつか、四季様の絵を描かせていただくことが、私の人生の夢です。」」 p49 「「えっと、栗本其志雄さんの妹さんね?」「こんにちは、瀬在丸さん。」四季は頭を下げる。「さすがに速いですね。」」 p49 「「真賀田四季といいます。」」 p50 「四季の中では、既に議論が巻き起こっていた。瀬在丸紅子に対する評価が分かれたのだ。」 p51 「「好意です。」「フェイヴァ?カインドネス?」紅子はすぐにきき返す。四季の中で評価が逆転した。」 p53 「紅子が膝の上にあった片手を僅かに持ち上げたので、四季はこの手を握った。細い指輪が見える。彼女は既婚者なのだ。」 p53 「瀬在丸紅子は既に本に視線を落としている。こちらを見ていなかった。四季の中で、彼女の評価は既に一致していた。」 p56 「「喜多といいます。犀川君と同じ組の。」」 p59 「数が小さくなれば、いずれはゼロになる。」 p70 「ずっと追っている相手だ。美術品専門の窃盗犯。」 p71 「「いいんですか?そんなふうで。ちょっとね、手口が、なんていうか、怪盗っぽいですよね。ほら、いつだったかな、那古野の美術館でも、一度、やられましたよね、関根朔太の……。」」 p75 「「誰なの?」「真賀田四季。」」 p77 「「人それぞれ、別々の歩き方をします。顔の表情を変えるように、仕草にも表情がある。遠くから見たときには、こちらの方がわかりやすい。」」 p78 「「もう一度おききします。彼は誰?各務さん、貴方のボーイフレンドは、泥棒なの?」」 p82 「突然、四季が抱きついてくる。顔を寄せ、彼女は各務の唇に触れる。一瞬だった。」 p86 「「信じられない。本当にこんな場所にいたんだ、ドクタ・パーフェクト。」「デートだったの。」四季は微笑んだ。」 p93 「すぐに飽きてしまうようなことに、人間は時間を使いすぎる。しかし、これは良いことだ。執着することが善と信じられているように思える。飽きることが良い状態だという認識を持つべきではないか。」 p95 「四季は悪戯を考えた。」 p97 「彼女の大部分が驚いた。仕事もすべて中断された。こんなに突然のシャットダウンは非常に珍しいことだ、と彼女は思った。」 p102 「ようきゅうはのちほどこちらからする。」 p104 「その男は、人の行動の裏をかくこと、あるいは、ほんの僅かな隙をつくことにかけて天性の素質を持っていた。」 p106 「あえていうならば、単に趣味的な活動であったし、価値のあるものが、その価値を理解している者、価値を知っている者の近くに置かれるべきだという、ごく自然な方針に従って、慎ましいほど遠慮がちに位置を修正しているに過ぎない。」 p107 「欠陥のないものには特徴がないという理屈である。」 p109 「今回の目的物は、小さな習作のスケッチ。」 p117 「「何が卑劣で、何が正義なのか、そんなことは奴の知ったことじゃないよ。そういったことに影響を受けない人間だ。」」 p122 「「悪かった。君にはなんの恨みもない。あとは、僕がここから出ていっておしまい。すべて忘れてほしいけれど、そうはいかないだろうね。」「何を盗んだの?」四季はきいた。「さあ、何だろう。」彼は微笑んだ。」 p123 「「それならば、最初に殺しているわ。そのときが一番簡単だった。いろいろな手間が省ける。それなのに、私のために無駄で危険な時間を使っている。どうしてわざわざ戻ってきたの?合理的な行動とは思えないわ。貴方、冷静そうだけれど、どこか破滅的な部分があるわね。そこが魅力的なのかしら?各務さんのことが好き?」」 p124 「「今から、私、貴方についていくわ。一緒にどこかへ連れていって。」彼は一度吹き出し、しばらくものが言えなかった。」 p124 「「どうして、一緒に行きたい?僕が立ち去ったあとは、もう自由なんだから、自分でどこへでもいけるだろう?」「貴方に教えてもらいたいことがあるの。」」 p125 「「貴方、とても変わっている。そう言われるでしょう?」」 p128 「「今日の仕事で、最後にするつもりなんだ。遠くへ行こうと思っている。」」 p134 「「私は全部覚えています。」」 p136 「「そんな馬鹿なことしたんだ。」四季は小声で言った。可笑しそうな声、笑っているようだった。」 p136 「「犀川といいます。」林は答える。」 p137 「「いいえ。でも、仕事は済んだって。もう、これで終わりにするって。」」 p138 「「瀬在丸紅子さんと、おつき合いがあるのね?」」 p138 「「心配しないで。貴方の指輪を見ただけ。」「ああ、彼女と……、会ったそうだね。」「結婚しているの?」「今はしていない。」「そう……。」四季は頷いた。「離婚したのに、どうして指輪をしているの?」「外れないだけだよ。」「嘘。」四季は微笑んだ。「緩そうだもの。」」 p140 「「奴は、今回の仕事を最後にするつもりだと言ったそうだ。」「え?」七夏はそれを聞いて立ち止まった。」 p141 「「駐車場なんかで寝ていると、だんだん気が短くなって、エキサイトしたままの人生になる。しかし、そういう熱いときに、人は打たれて、形を変えるんだ。」」 p142 「結局、どちらの男も、捕まえられなかった。」 p143 「今まで、父の人格をこのように見切ったことは一度もない。それをしないように、彼女は今まで気を遣ってきた。そうすることが、娘としてのマナーだ、と彼女なりに考えていたからだ。」 p145 「なにもかもが遅い。彼女の思考の外は、ほとんど止まっているかのようだ。」 p147 「人に会いたいとは、その人間の躰を見たいという意味だし、人を愛したいとは、その人間の躰に触れたいという意味だ。」 p150 「おそらく、最近の自分は母親を遠ざけている、と四季は感じていた。それは、五年まえ、あの山荘で見た光景、首を絞められた女の死体のせいかもしれなかった。」 p151 「「ご心配には及びません。彼は、私には関心がなく、自分の目的があって、警察の警戒を別の方へ向けさせようとしたのです。それに、たまたま私が利用されただけです。」」 p153 「循環を望んでいるようで、阻害する。永遠を望んでいるようで、悉く断ち切る。」 p154 「そう、生きようとする幻想は、つまりは、死への憧れなのだ。」 p155 「「恐いのよ、なにもかもが。自分の外側のものが、自分の内側に入ってくることが恐い。」」 p158 「「貴女を産んだのは、この私です。それは信じて。」」 p159 「夏は過ぎた。」 p164 「「私は、全然大丈夫。今日も、散歩に出かけました。お昼寝も沢山しました。猫みたいによく寝るって、みんなに言われています。」」 p166 「しかし、数ヶ月の観測では、その感情が弱まることはなかった。むしろ、強くなっている気がする。否、明らかに望みは強くなっていた。」 p166 「おそらくは、その不確定さこそが、この特殊な感情の持続性に関係しているだろう。」 p169 「「シンタックス・エラーばかりだからな。」」 p172 「「いえ、現在は、息子は父親が引き取っています。たぶん、通っている高校が近いためだと思われますが。」」 p172 「「ええ、たしか……、十七か十八。」「なるほど、それがあの人を、あんなふうにしたんだわ。」四季は言った。」 p174 「「失礼ですが、たぶん、四季様もいつかご理解なさるでしょう。相手がどう思おうが、どんな仕打ちを受けようが、自分から相手に向かった愛情の強さには関係がないのです。」「それで報われるの?」各務は首をふった。「よくわかりませんが、そういうものなのです。人を愛することは、うーん、自分が死んでしまうことと、大差がありません。」」 p175 「「その、結局は、私自身のことしか考えられない人間なのです。こんな因果な仕事をしていますが、これも、自分が我が儘でいられるということが、主たる理由です。彼が私のことをどう思っていようと、私には関係がありません。私は、その……、その一時の、その一夜だけの時間を手に入れた自分に酔うだけです。時間も、社会も、それに、彼さえも、私にとっては、単なる背景に過ぎません。」」 p180 「人はチェスの駒のようには動かない。」 p181 「これまでに会ったことのある人物の中で、自分に一番似ているのは、おそらく瀬在丸紅子だろう。」 p182 「まだ十三年しか生きていない。もう十三年も生きた。」 p182 「一度記憶したものを、忘れるということが、できない。そのコントロールだけが、どうしてもできないのだ。」 p182 「あのとき、なにかが掴めそうな気がした。あの感覚は、今までになかったものだ。」 p184 「すべて抽象に過ぎない。しかし、具象よりは真だった。」 p185 「後悔とは、何だろう?その感覚を、彼女はまだ理解できないでいる。何故、悔いることがあるのか。どうやったら、悔いることができるのか。それがわからない。想像するに、瀬在丸紅子は、きっと後悔を初めて知ったのだ。」 p193 「「ありがとう、正しいことは、いつか理解されるわ。」」 p195 「おそらくは、これも自分自身を確認する行為に帰着するのだろう。他人を意識したことは、かつてないこと。他人にこれほど依存しようと欲したことも、一度もない。」 p202 「「女性が日本の首相になるには、まだ二十年以上はかかります。」」四季の口調は既に平生のものに戻っていた。 p204 「四季は黙って彼を睨みつけた。十六種類の言葉を同時に思いついたが、どれもこの場に適当だとは思えなかった。すべてが却下されることは、非常に珍しい。」 p209 「「忘れちゃった。」其志雄は笑いながら言った、機嫌が良さそうだ。「森川さんもいるよ。」」 p214 「「そうだったの。それは気がつかなかった。意識って、それくらいでは不連続に認識されないってことかしら。」」 p219 「ピストルがあったら、時計を撃ち殺していただろう。」 p222 「驚いたことに、なにも、考えていない。四季の中で、なにも、考えていない。四季の中で、誰も考えていない。黙っていた。みんな、黙っていた。」 p223 「また夏が来る。」 p226 「四季は、しかし、両親のことについては関心を失っていた。」 p226 「その他の人間たちは、つまりは自然環境と同じレベルのもの、あるいは人工物、建物や機械や書物などと同じ存在だった。」 p228 「「彼が南米にいることがわかりました。私は、彼のところへ行きます。」」 p231 「「はい、回転木馬です。」」 p232 「曖昧な判断の積み重ねで、社会は作られているようだ。空を横切る太陽のような、精確さを、誰も求めていない。判断しない、考えない、関わらない、知らない振りをする、それでも、みんながここに集まって、こんなに接近して、生きているのだ。ほとんど、身を寄せ合っているのに等しいのに、大多数は他人、名前も知らない、話をしたこともない。言葉と信号。記録と再生。コミュニケーションを複雑化して、絡みつくネットワークに、善意の集結を夢見ている。どうして、ここまで善良なのか。しかし、アスファルトだって、鉄だって、善良だ。この世に邪悪なものはない。邪悪さを知らないのだ。」 p234 「眩しい夏の光。」 p235 「酸化するだけのプログラム。」 p237 「「えっと、ナイフを。」四季は答えた。」 p240 「「妃真加島へ行きたいのです。」」 p241 「見えるものと、見えないものの差は大きい。不思議なことに、存在するものと、存在しないものの差よりも、ずっと大きいようだ。」 p242 「六つの新しい感覚を認識した。このところの新しい概念の発見は、しかし言葉に還元することが難しい。既に言葉を超えた細分化の領域へ、彼女の意識は到達している。そういった場合には、自分だけの言葉を生み出すか、あるいは、そのニュアンスを抽象のままそっくり記憶するしか方法はない。」 p245 「この島に、自分一人だけだったら、良かったのに、と思いついた。誰も近づけないで、自分だけで生きていく、それも面白そうだ。雑多なことに気を遣う必要もなく、いろいろな自分と対話して、自分の精神空間を隅々まで見てみたい。世界旅行をするよりも、ずっと楽しいだろう。良い考えだ、と彼女は思った。」 p246 「そうか、これが後悔か。四季は少し笑った。」 p246 「科学的な根拠も二十数例挙げることができる。」 p249 「季節からは絶縁された場所だ。」 p255 「結局のところ、精神が躰を支配しているようで、実は、精神は躰に隷属しているのだ。瀬在丸紅子が行き着いた袋小路がこれなのだ。」 p256 「彼は、壁際にある荷物のところへ行き、袋から人形を取り出した。」 p259 「「私の子です。」四季は答えた。」 p262 「「私という人格に、これは関係のないことです。私の躰の問題です。」」 p263 「「早くはありません。私が学位を取ったのも、早すぎましたか?」」 p264 「人の心も、このメカニズムで、波を鎮める。同じ波の反射で、それを緩和するのだ。しかし、ときには、位相が一致し、共振する。生かすか、殺すか、の判断は、その僅かなタイミングの差。」 p265 「波形認識は、確か、瀬在丸紅子の専門領域。」 p266 「チャンスを与えよう。誰が、気づくだろう。頭脳明晰な人たちよ、己を拘束している、形もなく、目に見えることもなく、しかも存在さえしない呪縛の鎖を解きたまえ。」 p274 「四季は人形を本棚に飾り、それから、新藤に近づいた。」 p274 「新藤はナイフを掴み、じっとそれに見入った。彼は佐千朗を見て、それから美千代を見て、そして、四季はを見た。」 p275 「「私がやります。」四季は小声で囁く。」 p277 「「私の産む子が大きくなれば、私や、叔父様をきっと殺すでしょう。」」 p280 「「どう?経験すべきことを経験した感想は?」「思っていたとおりの答えになった計算。」「君の場合、なんだって思ったとおりになるんだろう?」「それだけ沢山の予想を立てて、準備をしているだけのこと。未来が予測できるわけではないわ。」」 p282 「十四回目の夏だった。」
  • 2026年5月4日
    四季 春 Green Spring
    p9 「空間、そして時間。それらのいずれとも、彼女は乖離していた。」 p14 「たとえるならば、それは天体の運行に類似している。たまたま、彼女の軌道と、僕の軌道が、最も接近する位置に、そのときの二人が存在しただけのこと。つまり、偶然。次の瞬間にはもう、僕たちは遠ざかる一方で、以後二度と、そんな近しい距離へ、そんな奇跡的な関係へは、戻ることができなかった。」 p25 「「四季といいます。」」 p29 「「自分自身をコントロールすることを忘れてはいけないわ。」」 p32 「「ありがとう、パパ。」」 p33 「数ヶ月で、彼女は、英語とドイツ語を完全にマスタした。」 p34 「つまりは、彼女と会話ができる機会は、一人一度きり、数分間しかない、ということが周囲に知られるようになった。」 p36 「森川が来るようになって、再び四季は電子工作に熱中し始めた。」 p38 「「不思議。」」 p40 「「その心配はありません。見せてくれたら、私はますます貴方が好きになるでしょう。貴方の描いた絵を見たときのように、もっと貴方のことを知りたくなるわ。」」 p44 「「僕の方が死んでも良かった。そちらの方がずっと簡単だけれど、それには、彼女がうんと言わなかった。自分は残されたくない。自分の方がさきに死にたい、と彼女にお願いされてしまったんだ。」」 p45 「しかし、四季自身は、計算高い人間の方が「便利」だと、僕にもらしたことがある。」 p47 「「そうみたいね。私も期待はしていない。お母様の判断は、実はとても優しいものだし、それに正しいわ。」」 p51 「静かだ。空間が、止まって。時間が、黙って。四季は、表情を変えず、軽く微笑んだまま、僕を見据えている。」 p53 「「私には、貴方が見えるわ。」」 p60 「「見ては駄目?私、死んでいる人間を一度も見たことがないの。是非、見てみたい。」」 p62 「「人は、いつかは必ず死ぬのに。」」 p73 「真賀田教授というのは、四季の父親のことである。四季の母親も教授であるが、旧姓で呼ばれている。」 p80 「「どこにいても、自分には影響がほとんどない、そういう場所を選んでいます。完全に外的要因を遮断できるような、理想的な環境は滅多にありませんけれど。」」 p83 「「貴方にとって価値がなくても、私には価値があるの。ですから、私に黙って消えてしまわないで。」」 p85 「新藤清二も裕見子も、森川須磨とはこのときが初対面である。」 p89 「彼女が表情を変えることは、彼女が計算してそうしている場合以外にはないといえる。しかし、このとき、僅かに漏れ出た光のように、ほんの一瞬だけ僕には見えた。」 p91 「「また、其志雄君と話していたね。どんな話題?」」 p91 「「物理学、工学のプロセス、あるいはツールとして数学を学んでます。」」 p92 「「今は、私の手は、とても文字が書けるような耐久性を持っていません。文字を書いていたら、どれだけ時間があっても足りないでしょう。思考の記録をもっと迅速に行うようなシステムがあれば、嬉しいのですが。」」 p93 「「叔父様、それよりも、一度遊園地に連れていってもらいたいの。」」 p96 「「そう、人が沢山いた。どうして、あんなに人間が沢山必要なのかしら。密集することに、価値が見出せない。」」 p97 「「作りものだとわかっていても、その場では楽しめる、というのは、高等な精神構造なのか、それとも単純なのか、少し考え直さなければいけないわ。私が想像しているよりも、人間の感情コントロールは回路が多そう。誰でも切り換えられる。何のために、こんなストラクチャになったのかしら。どうして、一つの躰に一つの精神を据えて、着実なコントロール系を構築しなかったのだろう。生きるためには、そちらの方が絶対に都合が良いのに。必要とはとうてい思えないものが、沢山あるの。」」 p99 「同じ大学の森川須磨、それに、新藤病院の看護婦であった阪本美絵、この二人の女性が、浅埜と知り合いだったことは、事実だ。」 p105 「「はじめまして、佐織と申します。」」 p108 「「神様の仕事は、人間を騙すことです。」四季は言った。「お金を稼がれますように、そして、今度お会いするときには、私に新しい靴を買っていらしてね。」」 p110 「このまえに会ったときには、彼女はコンピュータの話をしていた。」 p115 「「私には、今のところ、書物で充分です。読む本がなくなったら、どなたかに伺いに参ります。何をどなたにきけば良いかくらいのことはわかります。大学へ入学するメリットは、実験設備を使用できる、ということでしょうけれど、これもまだその必要性に迫られてはいません。それほど先駆的な領域へは私が到達していない、ということかと思います。四ヶ月後に、もう一度判断させて下さい。」」 p120 「「そろそろ、入力も最終段階に入っています。一年後には、今ほど本を読む必要はなくなっているでしょう。私は、私の躰が生きている、この世界、この時代に、これから定着を図る必要があるの。今は、単なる子供です。ちょっと変わった子供だと思われている。理解者は少数ですが、これから増加させる必要があります。私の立場、私の権利、私の資格を、明確にさせて、人々の意識の中で、私が記号化されることが望ましい。」」 p124 「「過小に評価されることは、安全側です。」四季は普通の口調で冗談を言った。」 p128 「「貴方は、自分が思っているほど単純な人格ではありません。コントロールが難しいことは事実ですけれど、貴方にはその力があります。ご自分をお信じになって、どうか諦めないでください。」」 p132 「「ええ、栗本其志雄です。初めてってことはありませんよね?」」 p132 「「あえて言えば、兄妹みたいなものです。」」 p135 「「怒っているね。」僕は彼女に聞いた。「私が?」四季は目を丸くする。「まさか。」」 p137 「「君は遠くを見すぎている。すぐそこに見えて、今にも手に届きそうに思えても、それはまだまだずっと遠い、ずっと先にあるものなんだよ。君は、誰も見えない、はるか彼方のものを見ているんだ。」」 p138 「四季は笑った。「どさくさに紛れて……。」」 p142 「帰って、四季のために、新しいプログラムを組もう。」 p146 「「明日の約束を信じないのに、何故人間は、ずっと未来の約束ならば信じるのでしょうね?」」 p150 「次のアトラクションは、回転木馬である。」 p151 「「私が支配したいのは、私以外にないわ。」」 p154 「「そうね。でも、それが正解。論理とは、そういうもの。結果がどんなに信じがたいものでも、論理的に導かれた結論を受け入れること。それが科学の発展につながる最初の一歩でした。」」 p155 「「はじめまして。各務亜樹良と申します。」」 p159 「実のところ、眠っていたのは表層部だけの彼女で、内面の活動は、まったくいつものとおり。この世界には、彼女以外に立ち入ることはできない。」 p161 「「私は、私が誰なのか知らないわ。」」 p170 「「ありがとう。貴方はとても優しい。」四季は目を細めた。「とても純粋で、それに、とても有能です。」」 p171 「僕はもともと四季の双子の兄としてこの世に生を受けた。名前は栗本其志雄という。」 p177 「彼女の庭園を散策できたら、どんなに幸せだろう。想像するだけで楽しくなる。見せてもらえるだろうか。いつになったら、それが見せてもらえるだろう。僕の可愛らしい妹。世界一の妹。君のために、僕が望むことは、それだけだよ。」 p179 「「真賀田其志雄。」彼は答えた。」 p182 「「誰もが、結局のところ、生かされているのだよ。四季。」其志雄は言った。「僕だけじゃない、君もだ。」「私は、私によって生かされています。」」 p187 「額に彼女は接吻した。僕は泣いていた。」 p191 「「貴方のことが好きよ。」僕は、彼女を見つめる。抱き締めたい、と思った。けれど、僕の手は、そういう手ではない、それに相応しい手ではない、と思い出して、諦めた。」 p195 「人は知らないうちに、思考の経路を制限する。発想を無意識のうちに否定してしまうものだ。それが一瞬のことだから、自分でも認識できない、という理屈だろうか。」 p199 「「四季?怒った?」「いいえ。」」 p202 「「コンピュータ分野の技術者を集める。五人もいれば充分です。日本人でなくても良い。お互いがコミュニケーションを取る必要はありません。一人は、もう決まっています。私の兄です。」」 p204 「「彼は、四季様に是非お会いしたいと申しております。できれば一度、どこかで。そう、フランスにいらっしゃいませんか?」」 p205 「「世の中、どうしてこんな善意に満ちているのだろう。」僕は囁いた。「そう見える、そう見ようとする善意があるからじゃないかしら。」四季は答える。」 p206 「どうやら僕は、空間とも時間とも乖離しているようだ。」 p210 「「どうして人間って、すぐに使えなくなってしまうのかしら。」「使われたくないからだよ。」」 p226 「四季は、いつも、基本的に生命に執着していない。自分の命さえ、彼女はなんとも思っていない。」 p228 「「生きていることが、どれだけ、私たちの重荷になっているか、どれだけ、自由を束縛しているか、わかっている?」」 p232 「「よくやった、お前の役目はもう終わった。ゆっくりと休むことだ。」」 p234 「彼女に勘違いなどありえない、と僕は思った。しかし、黙っていることにする。」 p239 「でも、それだからこそ、四季は四季なのであって、僕にとっては、それがこのうえなく愛おしい。彼女のことが好きだ。僕以外に、いったい誰が彼女をちゃんと理解できるだろう。この近さは、それでもアンドロメダほども隔たりがある。単に最も近い、というだけのことだ。」 p240 「高原で見た、あの女。」 p243 「「あら、また会ったわね。」彼女は言った。僕には覚えはない。きっと、四季が会ったのだろう。」 p243 「少しだけ、普通の人間よりも反応が速い。ときどき、この種の人間に出会うことがある。僕は試してみることにした。」 p245 「相手を見くびっていたことに僕は気づいた。軽く処理できる相手ではない。ちゃんと接しよう。しかし、四季を呼び起こしたくはなかった。なんとか僕一人で対処しなければ……。」 p247 「「反応する時間でわかります。」」 p248 「これが驚かず最後だ。僕は、彼女の目をじっと見た。それが、どう変化するのかを……。けれど、彼女の表情は、意外なほど穏やかなまま。変わらない。」 p249 「こいつは、何者だ?」 p249 「「もう、どうでも良いことですけれど……。」四季が答える。」 p250 「「違う、どうして、もっと早く起こしてくれなかったの。それが迂闊だって言ったのよ。」「え?」「あの女のこと、調べさせて。」四季は言った。「瀬在丸紅子って聞いたけれど、会ったことがあるんでしょう?」「えけ、一度だけ。」」 p260 「「はい、そのとおりです。美千代様のお姉様に当たる方でした。結婚して、姓はクリムト。」」 p262 「四季が泣いている。「四季?どうしたの?何故、泣いているの?」」 p266 「僕は、僕という人間は、脆かった。それが嬉しい。なんだ、普通じゃないか。僕は、普通の人間じゃないか。」 p266 「「私はね、貴方に殺されるために、今まで生きてきたのです。」」 p268 「この世は、全部、なにもかも、四季が思い描いている物語。」 p272 「「これは、約束なんだ。」僕は静かに呟いた。ずっとまえに決まっていたプログラム。」 p276 「「其志雄!」四季は叫んだ。」 p282 「四季、さようなら。」 p284 「「あぁ、ええ、西之園博士。」四季はお辞儀をする。」 p284 「「お嬢様ですか?」」 p285 「「お名前は?」四季はきいた。」 p285 「少女はじっと四季を見つめていたが、突然表情を崩し、泣きだした。」 p286 「今は春、彼女はそれを思い出す。」
  • 2026年5月3日
    赤緑黒白
    赤緑黒白
    p12 「長期間にわたって、一つのベクトルを持つことは尊いことだと思えてしかたがない。もしそれが自分にできるなら、とても素敵だと心底感じるのである。」 p14 「ただ、急速に熱して、将来に広がる夢を描き、それらを収めるためのケースを準備をする。そして、最初の二つ三つの戦利品を恍惚と眺めつつ、その後は、静かに消えてしまう。まるで魔法ではないか。」 p15 「完成に近づくことを私自身が忘れている、という可能性が考えられる。完成のあとにやってくるものが恐いのでは?」 p17 「山の頂上に石を積み上げるように、その一つずつに意味があってほしい。それが、人の望みというもの。崩れても良い。願わくば、それを私が見ていないときに、崩れてほしい。そんな矮小な奇跡的な我が儘に、私たち人間の生は支えられているのだ。」 p21 「人は赤色を作り、赤色を集める。人は緑色を作り、緑色を集める。しかし、それらは、人間が生まれるまえからあった。赤も緑も、その中間も、ある。自然はいずれも連続している。人は黒色を作り、黒色を恐れた。人は白色を作り、白色に憧れた。しかし、それらは、人間が滅びたのちにも残るだろう。黒も白も、その中間も、残る。いずれも宇宙には存在し続ける。」 p24 「エッシャの絵のように同じ形のブロックを並べた歩道がまだ新しい。」 p37 「赤。」 p48 「「誰が犯人かは、あの、私、わかっているんです。」」 p58 「タイトルは『虹色の死』。作者の帆山美澪の写真がカバーにあった。」 p58 「「えっと……、毎週一人、ペインタによって誰かが殺される。赤、橙、黄、黄緑、緑、青、紫と、七人の被害者は、いずれも全裸で全身を塗装されていた。七色には、いったいどんな意味があるのか。世間を恐怖に陥れた虹色連続殺人に、名探偵、早阪香太郎が立ち上がった。」」 p62 「否、紅子という人間には、親しい者などいない、ということもできる。」 p65 「「赤井さんと結婚してたら、赤井美登里さんだね。」練無がにこにこと微笑みながら言う。「赤い緑なんて、色彩的矛盾っていうか、目の検査みたいな名前になっちゃう。」」 p94 「すると、その階段を小さな女の子が下りてくる。小学生だろうか。人形ような可愛いらしいドレスで、スカートを左右に揺らしていた。」 p94 「淡いピンクのドレスと同じ色の小さな靴を履いている。ほっそりとした手足に小さな白い顔。髪はまっすぐで長く、本当に人形のようだった。」 p95 「「お願いしたいことがあります。ボタンを押してもらえないかしら。」」 p95 「「どうもありがとう。」彼女は練無を見上げて言う。「貴方、男の子なの?」」 p97 「「まあ、新しいお友達?」彼女は少女を見る。ジュースのストローをくわえていた少女が、口からそれを離して紅子を見上げた。」 p97 「「どうして子供なのに敬語を使うの?」少女がきいた。」 p97 「少女は階段を上っていき、図書館の建物の中へ消えた。」 p110 「「ああ、そういえば、彼、読書家でしたね。文庫本をいつも持っていましたから。」」 p116 「「赤というのは、やはり、恨みの色かな。」筆を絵の具の缶に入れながら、佐織が呟くように言った。「情熱の色、その裏返し、人の血の色だ。」」 p117 「「女だろうね。」」 p120 「「どんなに正常な人間でも、あるいは、どんなに規則正しい生活をしている人間でも、ときとして、自分の生き方、自分の人生、さらには、人間の歴史、人間の将来に目を向けるときがある。まるで自然見つめるように、自分を見つめ、そして、その中にいる小さな存在として、自分の位置を感じる一瞬がある。そういったとき、その圧倒的な孤独感から、自分の生命も含めて、あらゆる存在を、宇宙的な視野から見下ろしてしまう感情が生まれる。ごく自然のことだ。つまりは、タイミングの問題でもある。そのときに、たまたま、手に拳銃を持っていれば、それでなにかを破壊してみようと思いつくかもしれない。あるいは、ペンキを持っていれば、めちゃくちゃに色を塗りたくなるかもしれない。なにも持っていなければ、酒でも飲んで寝てしまうだけかもしれない。違うかね?そもそもが、我々人間は、そういった揺れ動く存在なのだ。今までレールの上を走ってきたからといって、ずっとレールから外れないと思う方が、どうかしている。そちらの方が不可解だ。」」 p136 「緑色。」 p153 「関根朔太は、地元出身の世界的に著名な画家である。彼がこの地に戻ったのはつい最近のことで、それまではずっとフランスで活動していた。今回の展示作品の多くは、フランスからやってくるものらしい。」 p159 「「各務亜樹良さんでしょう?」紅子は言う。」 p166 「「あ、そうだそうだ。割引券をもらったんだ。」「映画?」「違う。関根朔太展。」」 p182 「もしかして、それは無意識の願望?つまり、甘えか……。」 p189 「「別に、あの、ノーコメントでもかまいませんよ。そんな、将来のことなんて、普通決められないし、決めていても、どうなるものか、わかりませんからね。」」 p198 「保呂草は、思わず吹き出した。紅子に凧のように簡単にコントロールされている自分が微笑ましい。彼女が引いている糸は、どこにあるだろう、と自分の胸を見る。」 p202 「灰色の夜空は望洋としていて、月も星も見えない。欲望と危険はいつもセットになる。うまい具合に組み合わさっているものだ。いずれを取るか、いずれを棄てるか……。」 p205 「「でもね、当てになりませんよ。僕、女性に対しては、見る目がないってよく言われますから。」「誰から言われる?」「だいたい、その女性本人から。」保呂草は欠伸をする。」 p207 「「で、冷静になって考えてみたら、保呂草って男、わりと信頼できるぞって。」」 p209 「「こんばんは。」突然、後ろから声をかけられる。保呂草は驚いた。」 p210 「空腹だったが、紅子、七夏、亜樹良のフルコース、とこっそり不謹慎なことを考える。少々カロリィが高過ぎるだろう。寿命が縮まるメニューだ。」 p211 「「うん、いや、別に用件はないよ。」」 p213 「保呂草は空を見上げた。星は見えない。各務亜樹良の真意もまったく見えなかった。だが、そんなことは小事である。星が見えようが、見えまいが、夜には違いない。それと同じで、彼女が何を考えていようが、彼女には変わりない。」 p228 「「焼身自殺かと思った。」老人が言う。」 p228 「真っ黒なのだ。」 p233 「「だって、赤、緑、と来て、今度は黒。」」 p236 「「みんなそれぞれ良い人なのに、組合せって難しいもんだよね。」」 p251 「「秋野秀和を知っているな?」」 p252 「「瀬在丸紅子に会わせろと言っている。」」 p255 「「てんねん。」練無が繰り返す。「ナチュラル。」」 p257 「「僕思うけど、医者もそうなんだよね。病気の原因とか、悪い場所を教えてくれるだけで、それを治すのは、結局は患者さん本人の体力なわけでしょう?」」 p261 「「そうかな……。戦争って、みんなその平和を夢見て戦っているみたいだけど、それだけかな?それだけの動機で、あんなに長く戦いが続けられるかな?」」 p264 「「お嬢様、あの……。」彼は頭に片手をやってジェスチャで示す。紅子が気づいて、髪を解いた。ストレートの長髪が肩に軟らかく広がった。根来はにっこりと微笑み、パイプを片手にキッチンへ入っていった。」 p270 「「帆山美澪の本名は?」下を向いたまま保呂草は尋ねた。「えっと、市川優子。」「高橋じゃないのか……。」」 p272 「「この事件が解決したら、お祝いに、飲みにいきましょう。」」 p274 「「赤、緑ときたら、黄色、そして紫ね。」」 p275 「「意味がないことに意味があるっていうの、まえにあったよね。」」 p279 「裏切りというものは、結局のところ、裏切りを許す環境で増殖するものなのだ。」 p282 「「字しかない本を読む奴ってのは、魔法使いじゃないかって思っている口だ。」」 p287 「「だから、プライベートだって言ったでしょう?仕事の話じゃない。」」 p288 「「関根朔太展から目を逸らしたいために、貴方が、スプレィを持って夜な夜な出没しているんじゃないかって。」」 p298 「「いえ、単に、見たかっただけだと思います。」」 p299 「「普通じゃない。そう、誰だって、普通じゃないわ。普通っていうのは、つまり平均でしょう?平均したものは、シーソーの中心に来る。だけど、そこには誰も乗っていない。」」 p300 「「二人だけ例外がいます。一人は今からお会いする秋野さん。彼が最も今回の殺人に相応しい人格ですが、物理的に犯行は不可能です。」「もう一人は、誰ですか?」七夏はきいた。「言えません。」紅子は即答する。「大丈夫、その人ではありません。私が保証します。」」 p304 「人間の人格、人間の自由、人間の尊厳、人間の欲望、いろいろなものが、たった一本のキーで封じ込められている。否、そうではない。そもそも、初めから、すべてが封じ込められているのだ。人の躰の中に、そして、人の社会の中に。個の人格、個の自由、個の尊厳、そして、個の欲望、それらすべてが封じ込められている。人の形の殻の中に。そして、人々が手をつなぐ、その鎖の内側に。」 p309 「「紅子さん、貴女を殺さなくて良かった、と今は思いますよ。こうして再会できたわけですからね。」」 p310 「「貴女は、寂しくなった。というよりも、寂しさを思い出した。欠け落ちていたのもに、ようやく気づいて、だからそれで、警部のことを求めるようになったんじゃないかな。急に、彼のことが恋しくなった。違いますか?自分の変化に、貴女はどんな解釈を持っていますか?」「いいえ、解釈なんてしていません。」「そうかな。一度別れた男でしょう?自分の決断に対するフォローが必要だったんじゃありませんか?貴女は後悔をするような人ではない。新しい価値観を生み出したはずです。たぶん、貴女はその処理にまだ慣れていない。戸惑っているはずだ。」」 p310 「「そうだ、へっ君は元気ですか?」」 p311 「「人の家には、勝手に上がってはいけないの。貴方は、自分でも知らないうちに、人の心の中に立ち入ってしまう。」」 p312 「「そう。自分がやってもおかしくない、と思います。とても自然だ。こんなに自然な犯罪は珍しい。でも、この種の自然な欲望を持った人間は、多くはない。そして、その特異性のために、同類には敏感にそれがわかる。」」 p312 「秋野は紅子を見た。顎を引き、上目遣いに。獲物を威嚇するような角度だった。貴女もそうだ、と彼は言いたかったのだろう。その言葉は語られなかった。」 p313 「「これまでに僕が出会った人間の中で、これができる、いや、これをしてもおかしくない人物が三人いる。」」 p313 「「一人は除外しましょう。」秋野は楽しそうな表情で話す。「もう一人は、N大のキャンパスで会ったことがある少女です。」「え?少女?」「そう……、もう一年以上まえになりますね。講堂の前の広場で遊んでいた。たまたま通りかかって、少し話をした。彼女、手にトカゲを持っていました。」「トカゲを?」紅子は首を傾げる。「いくつくらいの子?」「さあ、七つか八つかな。」」 p314 「「あとの一人は、中学・高校のときに文通をした女の子です。実際に会ったことは一度もありません。僕よりも歳上でした。」」 p314 「「さあ、そこにあった一文が気に入ったからかな。こうあったんです。生きることを自分任せにしても平気な男の子へ。」」 p314 「「僕たちは、人を殺すことについて、かなり深い議論をしました。彼女が書いてきたことで、一番印象的だったのは、知らない人を何人か殺してみたい。殺したら、死体に綺麗な花を飾ってやりたい、この人間は、私が最後を仕上げてあげたんだ、という気持ちを想像できる、できれば、そんな死体を色鉛筆のように並べてみたいって、そう書いてきたんです。」」 p315 「「その当時は、漢字ではなかったんですが、ホヤマ・ミレイ。」」 p320 「液体に浮いた瞳。しかし、涙は零れない。「優しい目だわ。」紅子は、秋野の額に、唇をつけた。」 p320 「紅子は、紅子を必死で抑えている。紅子は、紅子を殺したくなかった。理由は、それだけだ。生きることなんて、平気で自分に任せられる。」 p325 「「佐織宗尊。」」 p336 「「端的に言えば、それは問題解決です。その邪魔ものが科学的な謎であれば、解決した者は科学者として成功し、その邪魔ものが技術的困難であれば、解決した者は一流のエンジニアになる。その邪魔ものが、たまたま生きた人間だったときには、解決に成功した者が、殺人者と呼ばれるのです。」」 p339 「「けれど、そんな矛盾を抱え込むことが、すなわち、人間として生きていく、成長していく、ということなんだと、そのうちに気づきました。しかも、そういった小さな矛盾を抱え込むことで、もっと大きな矛盾に立ち向かうこともできる。まるで、予防接種みたいなものだなって。」」 p341 「「それは、そのあとに、自分の手できちんと並べたいからなのよ。本人が気づいていなくても、最後にはそれがあると思うな。子供の頃に、なにかを散らかしてしまって、怒られる。ちゃんと仕舞いなさい、と命令される。泣きながら、元どおりに戻すの。そのときの安心感こそ、人間というシステムの非常に重要なパーツなんです。泣きながら並べたこと、それが、とても幸福なシンボルになる。幼い子供は、親に叱られて泣きたいために、おもちゃ箱をひっくり返すのよ。結果はちゃんとわかっているのに、それをやるの。」」 p342 「時刻は午後の三時。市立美術館が閉まるのは五時。時計を見ながら、その引き算をした。」 p350 「関根朔太画伯の娘が、練無の中学時代の先輩で、どういうわけか、彼は、その古い友人の前では普通の青年でいたいようだった。」 p358 「真っ白なのだ。」 p363 「もしかしたら、これが、この絵の機能……、関根朔太という天才画家の技かもしれない、と練無は発想する。」 p367 「「そうそう、さっきな、むこうの、その卒業展だかで、マネキン人形にべったりペンキを塗ったやつがおいてあったで。そのタイトルが、確か、『当て込んでヒューマン』。」」 p369 「赤、緑、黒、そして、今回は白だ。」 p383 「何度も自分に言い聞かせている。何度も、何度も。諦めなさい。諦めなさい。もう、終わったのだから、と。」 p385 「棚上げにできる、ということが、人の素晴らしさかもしれないな。」 p398 「「誰かの幸せは、誰かの不幸なんよ。そういう理屈なんやから。民衆の苦労を掻き集めて、王様が一人幸せになってきたん。幸せって、そうやって君臨するもんよ。」」 p400 「練無が口にしたものよりも適当な言葉を、どうしても思いつけなかったからだ。つまり、紫子がいつも思っていて、常に考えていて、それでも何故か言葉にできなかったもの、言葉にすることを恐れていたもの、それを練無の口から聞いた気がした。」 p416 「「ああ、なんか、引っ越しばかりの新居みたいじゃなないですか。」「そうかな。」林は低い声で言う。「僕には、離婚が決まって、出ていったあとの部屋に見える。」」 p418 「「変わったペンダントだった。」」 p421 「プレートのタイトルには、≪幼い友人≫とある。」 p426 「「じゃあ、僕は……、白。」」 p429 「「言っておきますけど、僕、そんなもの持っていませんからね。だけど、仮に、仮にですよ、僕が≪幼い友人≫を今持っているなら……。」」 p434 「「あまり、思い込まない方が良いな。」「思い込む?」「自分はこうだって、思い込んでいるよ。」」 p436 「自分は、ここにいるのだろうか?否、自分はここにはいない。彼女は、自分の影を見ているのだ。光が当たれば消えてしまう影を。違いすぎる。」 p444 「「これは、帆山さんにもお話ししたことですが、このような事件を起こす人物は、間違いなく子供ですね。」」 p446 「「私は、ある少女に出会いました。彼女はまだ、当時五歳だった。こんなに小さい女の子だった。」」 p446 「「愛らしい、あどけない、無垢な少女だった。しかし、私は、彼女からすべてを学んだのです。自分でも信じられなかった。こんなことがあるのか。こんなところにあったのか。そう思いましたよ。彼女は、私の友人のお嬢さんだったが、最初は少々ませた子だな、くらいにしか思っていなかった。しかし、何度か会って、話をするうちに、私はそこに真実を発見したのです。彼女の中に、真実があった。別の言い方をすれば、神が宿っていたのです。そして、同時に、その少女に教えを乞う自分を、発見した。そこに真実があった。」」 p447 「「いわゆる、視点の飛翔。」佐織がゆっくりと言う。「すべては、その飛翔にある。人はそのために生まれてきたのです。」」 p449 「「金に困ってやっているんじゃないだけに、難しいところですね。もしかしたら、どこにも流さないで、自分の部屋に飾っているのかもしれない。」」 p456 「「本の印税といえば、本の値段の十パーセントなんだから、超ベストセラになって二千円の本が百万部売れたら、二百円の百万倍だから……。」「二億円?」」 p457 「そやけど、赤、緑、黒、白って、なんか、意味がありそう。」 p461 「「役者が駄目なら、本ものの怪盗になるか、だね。」保呂草は笑った。」 p464 「急に思い出したことだが、初めて会ったときの紅子は、今と同じように白衣を着ていた。まだ、十六か十七歳だっただろう。階段から下りてきた彼女は、客として訪れた林に驚き、今と同じように、自分の着ている服のことを謝った。誰がそんな服を見ていただろうか?誰が化粧の出来など見ていただろうか?それは、今でも、変わらない。」 p470 「「では、その卒業展の作品の中です。」紅子が言う。「何が?」麻井がきょとんとした顔で尋ねる。「関根朔太画伯の絵が、まだそこにあると思います。」」 p476 「「あ、そういや、麻雀牌も、ほら。」紫子が言った。「赤が中で、緑が發で、あと東南西北が黒くて、白がまっ白やん。あらま、もしかきて、麻雀を意味してるんちがう?」「だったら、大三元殺人事件だね。」」 p481 「「いえ、簡単なのよ。」」 p484 「「これ、どこにでも同じもんが出回っていると思いますよ。あ、おんなじ言うても、私のは色が違います。この真ん中の黄色いガラスが、私のはピンクっぽい紫です。確か、色違いで、もっと何種類かあったと思いますけど。」」 p487 「一番大事なものを切り捨てさえすれば、友人として林とつき合えるのではないか、という期待もあった。そんなことは、もう十年も考えている。しかし、どうしてもできない。それを切り捨てることは、自分を失うことに等しいと思えた。そして、そう思えるうちは、つまり、彼との関係は前進しない。このまま、平衡状態だ。いつまでも。必要なものは、きっと革命家の心臓。それ以外にない。」 p488 「「学費は全部僕が出すから、好きなところへ入れなさい。」」 p489 「「不思議なものですね。自分も含めて、死ぬ事が恐くなった。若い頃に比較して、という意味ですけれど。」」 p505 「「紫ではなく、黄色でしたか?」紅子はにっこりと微笑む。」 p510 「「おそらく、あの二人の後ろに、彼がいるんじゃないですか?」壁際で保呂草が発言した。」 p517 「ケーブルの中の四本のコード。それらは、四色で、赤と緑と黒と白だった。」 p517 「「何度も言いましたけれど、逆なんです。彼女は、まず第一に、殺したかった。次に、それを彩るアイテムを、周辺から探したの。なにか使えるものはないかしらってね。」「そうしたら、この四色のコードがあったというのか?」「うーん、どうかな。」紅子は首を傾げて微笑んだ。「これだけでは、ないと思うんだけれど……。」」 p521 「「理解する必要はないと思う。そうではなくて、それらの存在を認め、それらの実体を正確に把握することだ、重要なのは。それ以外に防御のしようはないよ。」」 p524 「「帆山美澪さんが、自殺したって……。」」 p526 「「紅子さん。」保呂草が話しかける。「何?」彼女は厳しい表情で保呂草を見上げた。「落ち着いて。」彼は言う。「え?」「大丈夫ですから。」「何が?」「貴女が。」保呂草は口元を上げる。紅子はしばらく保呂草の顔を見据えていたが、やがて微笑んだ。「ありがとう。」」 p529 「「普通の人間には、貴女のことが理解できない。確かにそうかもしれないけれど、でもね、ちゃんと理解できる人間がいる。秋野さんがそうだったように、この私が、そう。貴女の考えていることが、手に取るように、まるで自分のことのように、よくわかる。」」 p531 「「もう終わった。貴女は、自分の設計図どおりに、作品を作り上げ、そして、最後には自分で壊してしまった。満足でしょう?」」 p531 「「最後は、自分の作った人形を壊してしまわなければならなかった。今やその人形が、あなたのシステムにおける最大の危険物だったからです。彼女さえ死んでしまえば、もう恐いものはない。どう?そう思っているのでしょう?だけど、まだ完璧じゃない。この際だから、もう一つ、貴女の弱点を教えてさしあげましょうか?」」 p532 「「それは、名前です。」」 p532 「「もしかして、世界で一番自分が上だと思っていた?自分の才能を、そこまで信じられたの?」」 p534 「「むろうは、み、れ、い。あ、そうか、まゆみが、えっと、ほ、や、まになるわけか。」」 p534 「「五人、殺した。」」 p557 「「いや、たとえ僕がですね、その≪幼い友人≫の絵を、美術大学の展示作品の中に隠したとしてもですよ……、ええ、そんなの、もう終わってしまったことなんですよ。たぶん、そんなことした僕がいたとしたら、裏側にある絵が見たかっただけじゃないでしょうか?それを一晩中、堪能できたのですから、もう充分。あとは、どっちだって良い。ポストカードは、ちゃんと買ってきましたしね。」」 p559 「「ネルソンを預かってもらえませんか?」」 p559 「「貴女の幸せは、僕の幸せです。」」 p560 「夜が逃げ出すのではないか、とさえ思った。」 p560 「保呂草は彼女の手を取り、地面に片膝をつく。彼女の手にキスをした。」 p560 「「また、会えますか?」彼女はきいた。「紅子さんが、そう思えば、いつだって。」保呂草は答える。彼女は頷く。「じゃあ、さようならは、やめておこう。」紅子は最後にそう言った。」 p564 「「だから、≪幼い友人≫です。」」 p575 「「うーん、川と、林。」」 p575 「「何だろう。へっ君の卒業祝いかなあ?」練無が首を傾げる。「根来さんの還暦祝いかも。」欠伸をしながら紫子が言った。」 p577 「だんだん、自分が探しているものへと近づく、この感覚が彼女は好きだ。」 p578 「「こんにちは。」後ろで声がした。少し驚く。思いもしない声だった。振り返ると、小さな女の子がそこに立っている。大きな本を両手で抱えていた。」 p580 「「二年と四か月と十三日まえ。」」 p581 「「反応する時間でわかります。」」 p582 「「私は、其志雄です。」」 p582 「「赤、緑、黒、白の四色は、四つの季節を表しています。」」 p583 「「もう、どうでも良いことですけれど……。失礼します。」」
  • 2026年5月3日
    朽ちる散る落ちる
    p9 「毎日違う道を選択しても、その数は知れているけれど、その高々数万、数千という数を、若者は無限だと錯覚できるかもしれない。」 p10 「そんな有限の中で、人間は無限への畏怖を抱き、有限の生の儚さを懐かしむ。」 p15 「「客観というのはね、つまり主観の裏返しなんです。客観だけで存在するものではありません。主観があって、初めて体現できる感覚なの。したがって、思いっきり主観的な情報入力を通してこそ、私たちの視点は高く駆け上がることができる、というわけ。ほら、ジャンプをするときだって、まず膝を折って、一度は小さくなるでしょう?」」 p19 「子供の頃は、遊園地に来ただけで、全てが目新しかったせいだろうか、何を見てもどきどきしたものだ。いたしか、遊園地は、他の誰かと一緒に来る場所になり、その誰かを見つめることが主となった。歳を重ねるほど、人の視野は狭くなるという一例である。あるいは、このさき、他人との関わりを遠ざけ、孤独の中に楽園を見つけられるだろうか、と保呂草は考える。」 p23 「覗いたその瞳は、相変わらずの栄光を宿している。」 p26 「保呂草は驚き、一瞬言葉が出なくなる。髪型も違う、メガネも違う、しかし、藤井の顔に見覚えがあった。」 p31 「「そこで、貴方に、確かめてもらいたい。あるものが、そこにないか……、もし、それがあったときには、それを持ち出してほしい。」」 p32 「結局のところ、空にはなにもない。だから、空なのである。」 p33 「今、へっ君のグローブをはめているのが練無である。イニシャルがS・Sとあった。」 p34 「彼は黄色のデニムのオーバオールを着ていたが、頭の上には赤い風船が一つ浮かんでいた。どこかでもらってきたもののようだ。風船の糸が肩のところに結ばれていた。」 p39 「「うん、図書館で少し調べものがあったんだけれど、知り合いの教授に摑まってしまって、話が長いんだ。」」 p41 「「鬼も十八、番茶も出花って。」 「一途に向かっていくのに、受け止めてくれる人がいない。私は寂しい。」」 p57 「「生きていることが、つまり、死にかけている状態なんだから。」」 p66 「「たしか、数学者の小田原長治、と聞きました。」」 p70 「「小田原先生が、私をパーティに行かせた理由。」」 p74 「「一途な男だったな。」小田原は目を細める。「先生が最後にお会いになられたのは、いつ頃ですか?」「さあ、何年もまえ、もう三年、いや四年になるかな……。だいたい、わしは、あまり人に会わんことにしておるからな。人間に直接接近したところで、大した違いはない。会っても会わんでも、ほとんど同じだ。」」 p74 「「ようは、徐々に死んでいるのという道理だ。最後は、屍を晒すかどうかの違いだけじゃな。雄ネコなどは偉いもんだ。ちゃんと、死ぬ間際に姿を消してしまう。おおそう、デルタはどうした?」」 p76 「「大好きな方に、自分の大事なことをお話しできないのは、とても残念です。」」 p77 「シャトルの事件を、この人に説明して下さい。そのあとに、「Odawara」の小さなサインもある。」 p86 「「さあ、私を平和な読書に戻してもらおう。」」 p93 「SLUG ONLY MAD IS JUNKIE」 p99 「「もういい。誰かが嘘をついている。誰かが私たちを騙した。それだけのことだわ。もう、その誰かさんの思うとおりになってしまったのだから、あとは……、そうね、どうせ考えるなら、目的が何か、という方はエネルギィを向けた方が賢明。」」 p116 「それは、NASAの友人が送ってくれたレポートだった。」 p125 「壊れた人形のようなものが、投げ出されていたのだ。服を着ている。」 p141 「「謎が謎を呼ぶ、地下密室の怪。」」 p143 「人工衛星に乗り込んだ宇宙飛行士が四人とも、地球周回軌道上で殺害された。このため、衛星は地上からの操作で強制的に軟着陸する結果になった、という短い物語だった。」 p144 「保呂草がなにかを知っている、あるいは、なにかを企んでいることは、まず間違いない。それに、小田原長治も、紅子の知らないことを知っている。何のために、自分をここへ来させたのか?どうして、周防教授のところへ行かせたのか?何故、宇宙船の殺人事件の話など聞かせたのだろう?」 p145 「そんなに簡単に橋が架かるものなのか、もしそうなら、どうして、普通の橋の工事は、あんなに長期間かかるのか、という疑問を、誰かが口にした。そう、根来機千瑛だ。彼が紅子にそう尋ねたのだった。」 p148 「これは、知らない谷だ。それが、目の前に見えた。まったく新しい橋を、そこに架ける必要がある。」 p153 「「ええ、私の印象では、少なくとも、レンドル博士や、宮下博士は、知っているのでは、と思います。」」 p154 「「えっと、理学部の周防教授のところですよ。ご存じですか?」」 p161 「「思い出した。指輪が落ちていなかったかね?」」 p167 「「もし、私に協力を求めるのなら、できるだけ早く、そして隠し立てなく、情報を流して下さいね。」」 p171 「「なんか、そこんとこを、こそこそっと上手にできへんもん?うーん、ほら、磁石とか、糸とか、電波とか、適当に使って……。あ、そやそや、ほれ、超音波とか、ふんだんに使ってもええんよ。」」 p175 「お互いに、相手のことなんてわからない。自分のことだって、よくわからないのだ。」 p189 「「こいつだ!」」 p196 「「周防先生の部屋から、何が盗まれたのか、お話ししようと思ったのに……。」」 p208 「「女の子って、女の子って、複雑ね。」練無が歌う。」 p225 「「僕にあんな依頼をすること自体、そんな感じだ。でも、このまえの彼女が、知っていたんじゃないかな。」」 p229 「「現在の名前は存じませんが、旧姓は、纐纈。」」 p233 「「ようするに、つながっているのに、つながらない。」」 p233 「「お互いにまったく関連のない要素ばかりを集めた集合があったとしよう。」小田原は指を一本立てた。「その条件は、一般に確定ができる。したがって、属性としても成立するだろう。すると、その集合で作られたことで、それらの要素は、同じ集合に属している、という条件によってお互いに関連を持つ。すなわち、お互いに関連がなかったとする最初の条件と矛盾する結果になる。」」 p234 「「ある存在が秘密である場合、それが秘密だと示すことによって、その存在を明かしてしまうのだ。秘密だと答えるだけで、既に存在は秘密でなくなる。隠したいものは、命に代えても隠さねばならぬが、その強い意志によって、結果的に際立つことになろう。ドアに鍵がかかっておれば、その中になにかがある、と必ず人は考えるだろう。どうしても開かなければ、ドアを壊してでも、そこへ入ろうとする。それが人の心、人の情、人の流れというものだ。」」 p234 「「ああ、星空が見たいな。」小田原は呟く。「花園が見たい。」目を瞑ったまま、彼は言った。「潮騒が見たい。」」 p234 「「星空なら、今夜にでもご覧になれますわ。花園だって、春になれば……。もう少し暖かくなれば、潮騒だって、思う存分ご覧になれますよ。私がご一緒いたしましょうか?」」 p235 「「小田原長治、一生のお願いだ。」彼は紅子を優しく見つめた。「どうか、謎の答を探さないでほしい。」」 p241 「「しかし、個人の出資者が三人いて、これが大きい。一人はもちろん、土井博士本人。それから、数学者の小田原博士……、当然、知っているよな?」」 p243 「「ホームステイ先は、あっちの大学の教授の家だった。もちろん、彼女とは学部が違う。工学部の先生で、名前は、ジョージ・レンドル。」」 p253 「「藤井苑子と申します。」」 p253 「熱い自分の息を感じて、小田原は驚いた。まさか、これが……、死と呼ばれている人の最後の夢ではないか、と思う。」 p255 「「何を嘆くことがあろう。もう、わしは長くない。貴女は、貴女の思うように、貴女の信じるところを生きなさい。会えて嬉しい。本当に嬉しいよ。ありがとう。本当に、ありがとう。よく来てくれたね。」」 p257 「「藤井苑子さんです。」保呂草はずばりと答えた。「つまり、纐纈苑子さん、その人です。」」 p261 「「貴方、纐纈さんと会ったことがあるでしょう?」」 p262 「「会ったから。」」 p263 「「デゴイチ。」練無が言った。「そうか、D51のナメクジか……。」紅子が呟いた。」 p277 「瀬在丸家の元執事、根来機千瑛は、練無が通う少林寺の道場の師範代である。」 p279 「「へっ君が一人で寝ているんだぞ。なにをぼやぼやしてる、早く帰れ。」」 p279 「しかし、彼女は腕を伸ばして、根来の手を取った。「ご苦労様でした、帰りなさい。」「お嬢様も、お気をつけて。」根来は満面に笑みを浮かべ、もう一度頭を下げてから立ち去った。」 p283 「「私の勝手な想像ですが、小田原先生も同じ気持ちだったと思います。しかし、世の中は、なかなかそうは見てくれない。気持ちは同じでも、そこに、お金や立場が絡んでくると、特に、それが沢山で立派なほど、真っ直ぐなものも捩れて、単純なものも歪んでしまう。正しい形も、斜めから見られれば歪んだ形になります。放っておけば、人はいくらでも捩曲げる。基本的に人間って残酷なんです。」」 p291 「「あ、おぼっちゃま。」奥から根来が声をかける。「そちらへは……。」「図書館に行く。」少年は振り返り、根来に答えた。それから、テーブルに七夏がいることに気づき、彼女の前まで来て、頭を下げた。」 p293 「「まえにね、林さんが来たとき、とんでもなく苦い紅茶を出したのよ。」彼女はキッチンの方を窺った。「私も嫌われているみたいです。」七夏は言う。」 p295 「「外国。」」 p296 「「機千瑛!ちょっと!」」 p297 「「こんにちは。」少年はお辞儀をした。」 p298 「かつて、林は息子と一緒に暮らしていた。」 p298 「紅子と別れて既に六年あまり。その後、一度だけ、四年ほどまえに、一週間だけ、息子が彼の家にやってきたことがあった。」 p307 「その後、紫子が二十項目くらいの質問をして、それに対して森川素直が短く答える、という応酬を繰り返すことによって、だいたいの事情がわかってきた。」 p313 「「そうやって、自分の意見に対する反論を持っていることが、強力な意見の条件だと思う。」」 p316 「「どんなに突飛で、確率の低い現象であっても、それが現実に起こったのだとしたら、それを理解したときには、もっと感動があるものです。」」 p322 「「へっ君が?」」 p323 「根来を含め三人には、少年に注意をして止める機会があったのだ。」 p323 「いつだったか、紅子の口から、林のためならば息子を殺せる、と言う言葉を聞いたことがあった。今の彼女の様子は、その言葉と矛盾しているだろうか、それとも、それ以上に彼女は林を愛している、ということだろうか。」 p323 「いずれにしても、単純ではない。人間は複雑な生きものである。」 p324 「「友達とかは?」林が尋ねる。紅子は黙って首をふった。」 p330 「「彼女たち、きっと昔は毎日こんな食事をしていたんじゃないかなって。なのに、へっ君なんて、今はコーンフレークとか食べてるんだもん、なんか可哀想だし。」」 p331 「「へっ君、さっき会ったよ。」森川が言った。「どこで?」「図書館まで送ってった。」」 p334 「「へっ君なら、えっとね、森川君の車に乗っていったよ。」」 p337 「「へっ君が行きたいって言ったからです。ええ、それに……、貴方が、私たちのことを忘れないようにって、少し思ったから。」」 p338 「自分は、結局、彼女がしてほしいと口で言ったことしかできない男なのだ、とわかっていた。別れた理由は、そこにある。もちろん、それも、彼女の方から言い出したことだった。彼女が言ったことには、何一つ逆らったことはない。何一つ……。紅子の方から手を放した。彼女は視線を窓に向け、諦めたように、感情を遮断した。表情にそれが表れる。彼女はもう覚悟をしているのだ、と林にはわかった。なにもかも、先回りして、すべて考えてしまう。それが、彼女の仕組み。そう、なにもかも。彼女は、すべてを考えてしまう。」 p340 「「はい、いつもと違う図書館だったんです。千種の図書館にいました。」」 p340 「「ええ、たまたま彼が出かけるところだったみたいで、じゃあ図書館まで乗せてあげる、という話になったみたいですけど、それで、車に乗ってから、息子さんが、まえから隣の区の図書館へ行きたかった、と話したようで、それで、森川君はわざわざ大回りして……。」」 p342 「「でも、この本は貸し出し禁止だから、また来なくちゃいけない。」」 p344 「「そういう意味じゃなくて、僕には、どっちかわからない、のわからない。」」 p344 「「歩いて五キロもありません。徒歩で一時間十五分くらいの距離です。」「そう、そんなに近いかな。」「地図まで確かめたことがあります。」「そうなんだ。ずっとまえから、ここへ来たかったのね?」「はい。それに……。」少年は少し口籠もった。「何?」「お父様が家に来たから。」「来たから、何?」「しばらく、帰らない方が良いと思った。」「どうして?」「わからない。」「私も、いたよ。」「だから、三人で、喧嘩をするんだと思った。」「私のこと、知っているのね?」「なんとなく。」」 p345 「何がそうなのか、言葉にはできなかったけれど、なんとなく、彼の言いたかったことがわかった。自分にも、同様の感情がある。おそらく、一言で片づけてしまえば、甘え、だろう。しかし、もっと複雑で、もっとプライドが入り込み、もっと、異形なものと化している感情。彼は、きっと自分では気づいていないだろう。彼の中の一部が、明らかに反発して、自分に無茶をさせて、大人に心配をかけようとしたはず。そういった感情が絶対にあったはず。」 p349 「この後、二十項目ほどの質問を浴びせ、それに対する短い返答から類推して、練無はようやく状況を把握することができた。」 p349 「「ふうん、そう……。昨日のことがあったから、みんな、過敏に反応したってことだね。」「どうして、花瓶に?」「保呂草さんとか殴られたんだよ。」「花瓶で?」「え?何?どうして過敏だと殴られんの?」」 p350 「いずれも赤い風船である。」 p351 「このように、彼の省略の美学を理解するためには、高度な推理力が要求されるのである。」 p354 「「森川君、わかってるじゃん。無口探偵、すっかり素直。」「もともとは地下じゃなかったとか。」」 p364 「「私が言いたかったのは、メカニズム的に、あるいは現象的に違いがないからといって、戦争や人殺しを許しても良い、という意味ではありません。そうではなくて、そういった行為を排除するための方法論が間違っている、と思うわけ。これこれ、こういう理屈だから、戦争や人殺しはいけない、という理由をつけようとする。そこに矛盾が生じる。だから逆に、その矛盾をついて、過激な思想が生まれ、社会に対する威嚇になってしまう。学校では、子供に理屈を教えようとする。ところが、教師よりも頭の良い子供は当然沢山いるわけで、彼らは、たちまち教師の思想の浅薄さ、論じられる理由の軽薄さを見抜く。彼らは自分たちの理屈を求めて、より高等な、より説得力のある論理を築こうとする。その一部が、やがては反動の力を生むのです。いったい、どこが間違っていますか?明らかに、最初の理屈なの。だって、もともと理屈なんかなかったんだから。人を殺したら気持ちが悪い。友達が死んだら悲しい。もっと話がしたかった。自分はもっとやりたいことがある。だからもっと生きていたい。そんな簡単な感情だったはずでしょう?嫌だ、というとてもシンプルな気持ち、それがすべてなのよ。そらを、みんながただ確認すれば良い。理屈を捏ねるための議論なんかやめて、もっと、その本質を見据えて、これは自分が望んでいるもの、見たいものなのか、あるいは、避けたいもの、見たくないものなのか、という判断すれば良い、私はそう思います。特に、抵抗を感じるのは、科学技術が理由に使われること。銃や兵器が人を殺すわけではないのにね。」」 p367 「「だから、加速するんだってば。」」 p368 「「科学とは真実を見るための目だ、って言うものね。」」 p373 「「日本に潜伏している、ということかしら?NASAの殺人事件の犯人が、藤井苑子の夫、藤井徳郎だった。いえ、直接、宇宙船に乗り込んで手を下した人間は、もちろんパイロットのうちの一人でした。彼だけが生き残って地上へ帰ってきた。CIAは彼を尋問をして、指導者の藤井を割り出した。違いますか?」」 p380 「「瀬在丸紅子。スペルはC・E・Z・A・I・M・A・R・U、これがファミリィネーム。ファーストネームは、V・E・N・I・C・O。」「私は、リィ・ジェンです。」」 p382 「「ええ、そのとおり。周防教授は、藤井苑子がテロリストだと知っていました。彼女の顔を覚えていたのです。」紅子は咄嗟に嘘をついた。嘘はすべてギャンブルである。リィが周防教授の勘違いの本当の理由に気づかないことを、彼女は祈った。」 p383 「「簡単なことよ。」」 p383 「「タカナシさんに話があって待っていた。」」 p384 「「君にそっくりの……、纐纈家の最後の娘だ。」」 p387 「この駐車場で最後に会った友も、強かっただろうか。」 p389 「「デゴイチ?」」 p393 「「あ、はい、そのときは、ええ、お嬢様とご一緒だったのです。お孫さんですよね。もちろん、ここへいらっしゃったのは、初めてのことですが、とても可愛らしい方で、ええ、よく覚えていますよ。その後も、もう一度、纐纈さんと二人でいらっしゃいましたね。」」 p394 「「ああ、そういえば、ご自分のことを、僕っておっしゃるんですよ。お嬢様がですよ。それが可笑しくて、あとで、女房にきかせましたっけ。」」 p397 「この研究所の六人の博士たちの顔を描いたモダンな作品である。」 p398 「「迷うのは必ず、行き先がはっきりしているとき。」」 p398 「「数学者らしい、抽象的な思考だと思う。」「自分自身で来て、直接確かめたら良いのに。」「それでは、具体的過ぎます。」」 p399 「「私が、それに気づいたのは、小鳥遊君の風船のおかげだよ。」」 p401 「そこには、<SLUG ONLY>、そして、<MAD IS JUNKIE>と書かれている。」 p402 「デゴイチのナメクジ、これをアルファベットで書くんです。ただし、5がSに、1がIになるんですけどね、DSI、NAMEKUJIを並び替えたわけ。」 p409 「若き色に響く音もあり掠れ消え遠く逃げ行く道の音もあり」 p418 「「どうなってるのかな。こっちへ加速度を感じるから……。」練無が背中をつけている壁を指さす。「あ、そうか!傾いているんじゃなくて、もしかしてさ……、ぐるぐる回っているんじゃない?」」 p429 「「落下したのです。」」 p433 「「小田原長治に会いにいく、一緒に来てくれ。」」 p435 「「小田原先生に会いに。」」 p436 「そして、そのうちの一人が、小田原長治であることは、まず間違いないだろう。」 p441 「「淡い期待だが、あるいは、小田原が話してくれるかもしれない。もし聞けるとしたら、これが最大で最後のチャンスだ。」」 p446 「こちら側は白いワンピース。向こう側は赤いワンピース。」 p448 「「月を見ている。」」 p450 「憧れの形は溶け、慈しみの味となる。羨みの影は混ざり、恥じらいの香りとなる。」 p453 「「彼、今日はオレンジだったはずです。」」 p454 「「迫真だったな。」布団に寝ている小田原が目を開ける。「本当に、わしは死んだのかもしれん、と思ったよ。」」 p454 「「思うとおりに生きなさい。」」 p454 「「ご恩はけっして忘れません、などといった具体性のない約束は無意味かもしれませんけれど、万が一、将来、私にできることが巡ってきたときには、そちらにお知らせもせず、こっそりと借りをかえさせていただきたいと思います。」」 p456 「保呂草はポケットから指輪を取り出し、苑子に手渡した。」 p457 「「保呂草さんは、絵画に造詣が深いとお聞きしています。私の実家へ行って、この名刺をお見せになって下さい。手配はしておきます。」」 p458 「「まさにまさに、散りどきではないか……。なあ?死ぬなら、今夜が最高だったのに。月も良い加減であったのになあ……。」」 p459 「自分に触れようとする手、自分から離れようとしている手、そういった数々の影を、知らず知らずに見過ごしている。」 p462 「「あ!」へっ君が突然立ち上がる。」 p464 「「どうも、ご声援ありがとう。サンキュー、へっ君。」」
  • 2026年5月2日
    捩れ屋敷の利鈍
    p10 「瀬在丸紅子が、そういって微笑んでくれた唯一の女性である。」 p11 「良い思い出は、できるだけ早く、新鮮なうちに素早くフリーズしておくにかぎる。」 p12 「車高の低い車だなあとは思っていたけれど、私の車を追い越していったのは、赤いフェラーリだった。」 p14 「道具に限らず、目に見えない数々の手法、それも、自然に習得し、知らぬ間に構築された独自のやり方によって、人の営みの多くは支えられている。それらは掛け替えのないもの、消えてしまって初めて気づく価値である。」 p14 「このことは、あらゆる手法、たとえば、言葉やマナー、さらには、健康や友人、そして愛情や恋人にも当てはまる法則であろう。」 p20 「エンジェル・マヌーヴァ(Angel maneuver)は絵画ではない。」 p21 「こうしてみると、人間はすべて緊張の奴隷、といっても良いかもしれない。」 p21 「保呂草は、その笑顔が誰かに似ている、と感じた。」 p22 「そう、思い出した。あれは瀬在丸紅子の笑顔に似ている。自信と博愛の笑顔といえばオーバだろうか。人形のように滑らかな、完璧な微笑である。」 p24 「「もしかして、ビートルでいらっしゃいました?」」 p25 「「あの、私は、熊野御堂氏にご招待いただいた西之園といいます。」」 p26 「「でしたら、こちらにある、エンジェル・マヌーヴァは専門外でしょうか?」」 p32 「彼女の隣、保呂草から向かって左側に、メガネをかけたボーイフレンド氏が座ったが、これが大間違いだということはあとで判明する。つまり、男性だと勘違いしていたが、彼女の先生というのは女性だったのだ。名前は国枝というらしい。」 p37 「「メビウスの帯をご存じかな?」」 p41 「「馬鹿みたい。」」 p45 「「あのログハウスは、また、別の趣向でね。」熊野御堂譲が答える。」 p46 「ほんの僅かの自然の変化にびくびくして、それを自然破壊と呼ばねばならない。それが弱い人間の立場なのだ。」 p47 「「素敵……、本当にメビウスの帯なんだ。」西之園が呟く。」 p49 「西之園はまだ両手を合わせている。この仕草は、瀬在丸紅子と似ている、と保呂草は思い出した。」 p50 「「先生、私にも謝ってくださいよう。」西之園が嬉しそうに言う。「そうだね。」国枝が頷く。「それだけですか?」「うん……、悪かった。」」 p55 「ぐるりと回りながら、一周で百八十度捩れる。」 p56 「だが、振り返ると、後ろの国枝がそのポーズで腕組みをして立っていた。」 p59 「呼吸が止まるほど、それは美しかった。「エンジェル・マヌーヴァですね?」」 p60 「「ひょんなことから、この短剣を手に入れて、それからというもの、仕事上でも、私生活でも、沢山の幸運に恵まれた。私はとてもついていた、本当にラッキィの連続だったんだよ。まあ、そのお返しというわけでもないけれど、ちゃんとした場所にこれを飾ってやりたいと思ったわけだ。」」 p61 「「しかし、芸術とな、そもそもが役に立たないもの、無駄で、とんでもないものなのだから、それに相応しい場所だとは思わないかね?歴史ある宮殿の中にあるのと同様に、この場所もまた、実に無駄な造形の極致という点では、負けていない。」」 p63 「「どうぞ。特に呪いなどの噂のある代物でもない。」」 p63 「「なるほど、抜けないから、エンジェル・マヌーヴァなんだ。」」 p65 「「恋人を奪うために、首を切っていくようなものだ。」熊野御堂が笑いながら言った。」 p66 「密室に秘宝、うーん、あとは、首なし死体とかがあると最高なんですけれど、でも、本当にあったら困るし。」 p68 「西之園が大きな瞳を天井に向ける。この表情は、保呂草に瀬在丸紅子を連想させた。」 p71 「「西之園萌絵といいます。」」 p73 「「秋野秀和といえば、有名な殺人犯の名前じゃありませんか。」」 p77 「「この中に首なし死体でもあったら、どうでしょう?」」 p78 「「いいえ、密室・インポッシブル。」萌絵が繰り返した。「ローマ字でMISSHITSU、それから、英語で IMPOSSIBLE。」」 p81 「一つの部屋が四メートルくらいだった。それが三十六部屋。つまり、百五十メートルに近い円周になる。直径は約五十メートルにも及ぶ巨大な捩れたリング。」 p83 「答があったとしても、きっとそれさえも、人間と同様に、限りなく無に近いちっぽけな理由だろう。」 p84 「「人を心配させるのが好き?」」 p90 「少しずつ捩れていく連続した部屋、永遠に柱に通されたままの秘宝の鎖、地面に埋もれた巨大なリング、そして、秋野と名乗っている男……。」 p91 「「あそこ、グラウンドみたいで、走りやすそうだったから。」」 p92 「「私じゃなくて、犀川先生と来たら良かったのに。」国枝が言った。」 p92 「運動のあとのようだが、汗もかいていなければ、息も上がっていない。「どうして、一周で百八十度捩ったのかな。九十度捩れば、床も壁も天井も、全部連続になるのにね。ずっと、それを考えていた。」」 p94 「「私も、ちょっと、捩れ屋敷を見てこよっと。」萌絵は、国枝の腕を取り、引っ張った。」 p100 「そのとき、萌絵は一瞬、僅かな閃光を感じた。それは目が見た現実の映像ではない。彼女の脳裏に、何かのシグナルが光ったのである。」 p104 「つまり……、まだ、あの中に?そう、あの捩れ屋敷の中にいることになる。」 p107 「国枝は死体に近づき、じっと見つめていた。まるで資料を調べるときのように冷静に観察しているようだ。彼女はまだバールを持っていた。」 p107 「「私たちの知らない条件がある、と考える方が自然だね。」「いつだって、自分の知っている条件の下で考えるしかありません。」」 p109 「しかし、萌絵の頭の中にあったのは、リングのほぼ中央、一番奥に位置する部屋。そこにある、あの美しい短剣だった。」 p112 「「ねえ、どこへ行くの?」」 p114 「秋野は小屋のドアを開けようとした。しかし、それはびくとも動かない。」 p114 「「ねえ、どうしたの?」」 p116 「そこに、短剣がなかったのだ。「ない」その一言しか言葉を思いつかない。国枝も近づいてきて、そこを確かめる。鎖はもちろん、短剣の本体も、すべて消えていた。」 p116 「「盗まれたのかしら。」「持っていった人間が、持ち主でなければ。」「犀川先生みたい。」」 p121 「この密室が解けるかな。この謎を看破した者に、エンジェル・マヌーヴァを譲ろう。ただし、あれを柱から抜ける者に限る。」 p122 「昨夜の熊野御堂譲の発言を思い出した。「あのログハウスは、また、別の趣向でね。」」 p123 「「国枝先生と、こんな議論ができるなんて、夢のようです。」「私も夢のようだよ。」国枝が片目を僅かに細める。「悪夢ってやつ?」」 p126 「「まさか、でも、これが熊野御堂さんが言っていた、趣向じゃないでしょうね。」」 p127 「「先生、可愛い。」萌絵は笑った。」 p131 「「最初はそっちは鍵がかかっていた。左のそっちのドアは閉まっていたけれど、壊れているみたいだったから、こじ開けた。」」 p132 「「密室が、君には解ける?」秋野が言った。」 p134 「この男には、殺人よりも秘宝の盗難の方がビッグ・ニュースらしい。」 p140 「「ずっと以前に、このセメントを使った密室の事件がありました。そのときは、さらに硬化が早いセメントでしたけれど……。この早強は、どこにでも売っている一般的なものです。」」 p141 「彼とのメールのやり取り、電話での会話、そして昨日の幾つかのシーンが、彼女の頭の中で無理矢理、倉庫に仕舞われようとしていた。一切を詰め込んで、真空パックにして、その弾力も、匂いも、なくしてしまおうとしている自分に気づく。こういう機能が、いつの間にか働くようになってしまったのだ。彼女の両親が死んだ夜からである。」 p141 「「解けそう?」「え?」萌絵は秋野を見上げている。「密室が解けそう?」」 p144 「「捩れ屋敷の死体は、倉知さんという人だったそうです。演出家の方だとか……。」」 p148 「「少しは現実を見たら?」」 p149 「「人は見かけほど、また、こうありたいと望んでいるほど、感情的な生物ではない、と保呂草は考えている。」」 p149 「「僕、入ったことあるよ。」」 p150 「「違う、開いていた。」」 p152 「「そうだよ。」コーヒーカップを口から離し、沈黙が続く。」 p153 「「ようやく、現実が少し見えた?」隣の国枝がきいた。」 p155 「「僕の知り合いにも、そういう無理な選択問題も を出す人がいる。」」 p156 「「私の知っている方にも、それと同じリアクションをされる方がいます。」」 p157 「「だから、エンジェル・マヌーヴァを……。」」 p159 「「貴方が盗んだエンジェル・マヌーヴァをいただきたいのです。」」 p159 「否、あるいは、この多重人格性は天性のものだろうか。もしそうだとしたら、瀬在丸紅子に酷似している。そう、彼女にそっくりではないか。」 p160 「彼女は真剣な表情だった。しかしそれは、僅かに悲しみに曇っているようにも見えた。また同時に、どことなく微笑んでいるようにも見えるのだ。おそらく、この女性は、そんな多面性を生来持っているのだろう。ただこのとき、保呂草は、この若い娘がすべてを見通していることを知った。」 p162 「「君たちが見たままの状態、つまり、右のドアがロックされている状態の方が自然だと、咄嗟に考えて、答えてしまった。あとで考えて、まずかったとは思ったよ。」」 p163 「「負け惜しみですか?」「そのとおり、負け惜しみだ。」」 p163 「「お認めになるのですね?」「君の前では認める。」保呂草は頷いた。「え?」萌絵は初めて驚いた表情を見せた。「どういう意味ですか?」「君以外の前では絶対に認めない。」」 p164 「「貴方は普通の方です。」」 p165 「「すると君は、誰が犯人なのかを僕が知っている、と言いたいんだ。」」 p166 「「僕は、殺人犯を見ていない。それに、エンジェル・マヌーヴァも盗んではいない。」」 p166 「彼女の怒った顔はとても可愛らしい、と保呂草は思った。」 p167 「「僕は盗んでいない。エンジェル・マヌーヴァは、もうなかった。あの部屋になかったんだ。僕は、何もない柱を見にいっただけ。」」 p169 「「とにかく、そういうわけで、僕は君にエンジェル・マヌーヴァを渡せない。天地神明に誓って、僕はエンジェル・マヌーヴァを持ち出していない。」」 p179 「国枝桃子は、つい最近までN大学工学部の研究室の助手だったが、今は、那古野市内の私立大学の助教授だという。」 p179 「もしかしたら、人類全体に絶望しているのではないか、と思えるほどだ。」 p181 「「あ、そうか、あれは、熊野御堂さんが私たちを驚かせようとした趣向の一つだったんだ。」」 p184 「「ここだけの話ですよ。私たちも、愛知県警からの電話がなければ、貴女にこんな話はしていません。ぶっちゃけた話、僕の上司が、貴女のことをよく知っていましてね、是非とも情報を提供して、アドバイスを受けろ、なんて言うんですよ。普段そんなことを言う人じゃないものですから、ちょっと驚きました。」」 p184 「「ただ、エンジェル・マヌーヴァを彼が隠し持っている可能性を、私はまだ捨てきれないんです。部屋になければ、庭のどこかにでも埋めたのか……。」」 p187 「「エンジェル・マヌーヴァをどこへやった?」保呂草はきいた。「え?」「この部屋にあるはずだ。」」 p189 「「この状態だって話せるだろう?君は左利きだ。何かの武道を習っている。そういう相手を僕はあまり信用しないことにしているんだ。何度も酷い目に遭っているからね。それに、一度攻撃を受けると、僕は何をするかわからない。制御が苦手でね。」」 p190 「「彼は、君にログハウスの密室を見せようとした。それと同じように、僕には、エンジェル・マヌーヴァを見せた。さも、あの場所から、あれは永久に外せないかのように思わせたんだ。それが、つまり、セキュリティだったってわけ。」 「わからないけれど、たぶん、あの柱が床か天井へ抜けるんじゃないかな。柱自体が上がるか下がるかして、鎖が外せるようになっているんだ。あの捩れ屋敷は、そういう、巨大なキー・ホルダなんだ。外側ではなくて、内側に鎖を取り付けるキー・ホルダ。捩れたリングに相応しい反転だ。」」 p191 「今夜は月が出ていない。そんなものは夜にも、そして彼にも、必要なかった。」 p202 「「私が父にプレゼントしたキー・ホルダーなんです。最近、お友達のおつきあいで、革細工を少しだけやったんですよ。そのときに、一日でできる簡単なもの、ということで、小さな革をベルト状に切って、それをリングにして、そこに金具を付ける、というだけのものなんですけれど、私、それを作って父にプレゼントしたんです。でもね、そのとき、ちょっと捻ってやろうと悪戯を思いつきまして、わざとベルトを捻って縫い合わせたんです。」」 p204 「「保君か。」萌絵は微笑んだ。」 p206 「「そうか……、車か……。」」 p208 「「おねえちゃん、ログハウスの謎、解けた?」」 p209 「「こんにちは。」保が国枝に挨拶する。「こんばんはだろ。」国枝がにっこりともせず答える。」 p210 「「あ、わかった!」」 p211 「「そうか……、そうだったんだ。犀川先生に電話しなくちゃ!」」 p211 「「あのね、そのまえに私に教えてくれても良くない?」国枝が腕組みをして言った。「こんなにつき合ってるんだからさ。」」 p213 「「結婚しているわけじゃないし。」「あ、そうなんですか?」萌絵は国枝の言葉を聞き逃さなかった。「あの、結婚していたら、やっぱり、良くないですか?」「結婚した相手による。」国枝は本を見たまま答えた。「国枝先生の場合は?」「不明。」」 p215 「「相対運動っていうやつだろう?」」 p215 「「もし絶対に鎖を切らない、と仮定すると、君が観察した現象を説明する解答は、一つしかない。」」 p217 「「ええ、正解でした。もちろんですよ。あ、それに、もう、凄いんですよう。犀川先生、エンジェル・マヌーヴァの方も解けたって、おっしゃるんです。柱からあれを抜く方法を思いつかれたみたい。」」 p218 「「それが、私に与えられたラスト・チャンス。私も、エンジェル・マヌーヴァの謎を絶対に解いてみせますから。」」 p218 「期待外れかもしれない、と保呂草は思った。彼女の聡明な指導教官の頭脳に期待するしかないだろうか。保呂草は、誰にも見られていないのに微笑んだ。」 p220 「本当に、瀬在丸紅子に似ている。何度そう思っただろう。」 p220 「「五回だ。」保呂草は小声で呟いた。「誤解かどうか、もつすぐわかります。」「いや、違う。」保呂草は両手を広げる。「今のが誤解だ。」」 p222 「「殺人犯が、誰か教えよう……、君だけに。」」 p227 「「この小屋は、ドアは基礎に固定され、小屋の方が回転するように造られていたのだ。」」 p228 「それに、これならば、保少年が見たという、ドアが開いている状態、も頷ける。子供の言うことだと信用しなかったのを、大いに反省した保呂草だった。」 p232 「「エンジェル・マヌーヴァは、いかにして巨大なキー・ホルダから外されたのか、です。」」 p232 「柱から短剣の鎖を外すことは絶対に不可能だ。」 p233 「捩れ屋敷に潜んでいたのも、エンジェル・マヌーヴァを盗み出したのも、間違いなく、あの男なのだ。」 p234 「「あ、そうか!」」 p234 「犀川助教授の顔が思い浮かんだ。彼は、いつだって、何かのヒントをくれる。あとになって、それがわかるのだ。」 p236 「「わかった。」」 p238 「「ところで、車は調べた?」」 p239 「さて、理論と現実との比較が待っている。」 p241 「「ただ、エンジェル・マヌーヴァは、盗まれてはいないのです。」」 p242 「「変ですか?でも、思いつこうと思わなければ、思いつかないでしょう?考えなければ、アイデアは浮かびません。突然、何もしていないのに思いつくなんてことはないはずです。」」 p246 「いつだって……、綺麗なものが、汚される。大切なものが、壊されてしまう。」 p249 「「私の車?」」 p251 「自分の座右の銘は何だろう、と保呂草は考える。おそらく、欲しいものは手に入れる、どんなことをしても。くらいだろうか。色紙に書くには多少文字数が多いが。」 p252 「セダンは校門の前に停まった。」 p253 「目的のものを左手が掴む。そのまま地面の新聞に挟み込む。」 p253 「エンジェル・マヌーヴァの鎖の、最初のリングと接続している部分、そこが一部壊れていた。」 p254 「おそらく、西之園萌絵に出会っていなければ、そのままで逃げ出していただろう。彼女の顔を思い浮かべ、そして、瀬在丸紅子のことを連想しつつ、彼は、練ったモルタルをすべて使うことにした。捨てるくらいならば、ここで使ってやった方が良いだろう、と考えた。まさに、塞翁が馬。色紙に書くとしたら、これだな、と彼は思った。」 p257 「「エンジェル・マヌーヴァを手に入れましたよ。」」 p258 「彼女の反応が見たかったから、私はあれを手に入れたのだ、とさえ思える。それは言い訳か、あるいは洒落か……。まあ、どちらでもかまわない。だいたい同じだ。」 p258 「エンジェル・マヌーヴァと聞いたときよりも、ずっと大きな驚きだったようだ。これには、私もびっくりしたほどだ。」 p259 「「うーん、いろいろ理由があるわ。彼女の叔父様は、愛知県警本部長ですよ。叔母様は、県知事夫人。亡くなったお父上は、N大の元総長でした。」」 p259 「「あの……、紅子さん、なんか誤魔化しているでしょう?」」 p260 「「それに……、誰かにそっくりだ。」「誰に?」紅子は真剣な表情で目を丸くした。「わかりません?」彼女は首を傾げ、大きな瞳を天井へ向ける。そっくりだ。」 p261 「瀬在丸紅子と西之園萌絵の二人の類似を、私よりもさきに知った人物がいたことだけは確かだ。」
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