このクソみたいな社会で“イカれる”賢い女たち
48件の記録
タレ@miki_nike2026年3月24日@ 喫茶 ニト鬱々としていた時期にちょうど予約図書が回ってきたので、とても参考になった。 筆者のインタビューに答えている20〜30代のうつ病女性患者は、みな聡明で物言いが的確。ケアラーやサバイバーが孤立やトラウマの経験を語るので、読んでいてしんどくなるが、自分の歴史を捉え直し、同じ目線に立って集まった女たちが前を向く姿に勇気をもらえる。 個人的には「文化依存症候群」のトピックがとても興味深かった。例えば韓国では「火病」と呼ばれる病が存在する。本来文化的/社会的な背景が大きく影響し多様なはずの精神病が、極めてアメリカ的である「うつ病」として一括りにされ、それを基に治療されているという現状。今後自分が不調になったときの考え方として、大きなヒントになりそう。




- ant-310345@ant-3103452026年3月18日読み終わった通院もカウンセリングもしていた、している自分としては、同年代の近しい状況の方々の言葉にいちいち首肯しながら読む。 私が狂っているのではなく、社会がおかしいことに怒っているのか。自分の中に起こる怒りは、私だけのものじゃない。連帯に安堵できる部分はあれど、明日どうなっているかわからないとも思う。 理性で感情や症状を解体して、それでも残るただの私をケアできない。
ヒヨリ@charonll2026年3月5日読み終わった「治療中心主義は自殺とうつ病の蔓延を生みだしている社会の構造的な要因を不可視化し、個人の絶望と不幸を心理的な問題へと還元することで自殺を個人化し私事化する。脆弱な自己を支え改善することにのみ没頭させる治癒中心主義はわたしたちの生と政治を断絶させる風潮を生みだしている。」 私たちはうつ病すらも自己責任で片付けられる社会に生きている… インタビューの中で多く出てきた、「役に立つ」人間じゃないから、「何かを得る資格がない」という自己否定のレトリックも、こうした自己責任を内面化した社会全体の雰囲気によって生まれると思う。 役に立つためには「自己マネジメント」「自己投資」「セルフケア」が必要で、私たちはもっと成長して良い人間にならなければならない。 昨日読んだ『目の眩んだ者たちの国家』の感想とも繋がるけど、市場原理を内面化しすぎて、私たちは自分の価値すら、セルフプロデュースすべきものだと思い込まされている。 そこにいるだけでいいはずなのに、ただ、「いる」ということに耐えられなくなっている。 だからこそ他人との関係で「ただ、いる、だけ」の自分を受け入れてもらえないのがどれだけ辛く、トラウマになるのかは想像に難くない。 (東畑開人『居るのはつらいよ』を読み直したい) ケアが私的領域、つまり自分か、自分と密接な関係にある人との中で完結させられる限り 病気も回復もすべて自己責任だ。 「私」に見えるものだけが「社会」の真実であると、「私」にとっての問題だけが「社会」の問題であると、見えるものと見えないもののあわいを消そうとする「透明社会」が気づくまで、「私たち」に主語を変え続けなければならない。 「私」が辛いのではなく、「私たち」が辛いのだ。 「愛は救いになれるか。わたしはそうだと言いたい。今でも愛を信じている。 しかしわたしたちは、愛されるのではなく愛を与えるとき、わたしたち自らを救うことができる。 救いの対象ではなく救いの主体になるときだけ、愛は救いになる。わたしを救おうとするのは悪い人だ。愛する対象は必ずしも人間である必要はない。動物でもいいし、物書きのような行為でもいい。」 「わたしたちが何を持っていないのかに重きを置くのが愛の世界だ。わたしの「無」とあなたの「無」が互いを認識するとき、激しくはないが何か穏やかで揺るぎのないことがわたしたちのあいだに起こる。ともにあることでしか耐えることのできない欠如があるが、ないものはそれ以上なくなることはないので、わたしはあなたから去る必要がないだろう。」 同時に、ケアが一対一の(特に、ロマンティック な)関係で完結することを目指すのは危険だ、と いうことについて。『ハートストッパー』のシー ズン3におけるニックとチャーリーのあり方を思 い出させた。 二人きりじゃない、と気づくことも愛である。






Ayako@aya_rb2025年12月29日読み始めた読み終わった一日かけて読み終わった。 今年は宮地尚子さんの『傷を愛せるか』を読んだり、文月悠光さんの『傷』という詩に心を揺さぶられたり、「傷」について考えることはテーマだった。 この本の、「傷を誇れるか」の節が胸に響く。




















































