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慎
@sin_gt91
for severe addicts onlyというバンドでギターを弾いています (2026年1月登録)
  • 2026年5月16日
    エンド・オブ・ライフ
    それなりに人の死を経験してきてはいるが、看取ったこともないし最期の思いを聞いたこともないなと気付いた。 身近な人との別れもあったが何年経っても現実感が持てない部分もあるのは最期を迎える人に寄り添って向かい合えていなかったのかもしれない。 「助かるための選択肢は増えたが、それゆえに、選択をすることが過酷さを増している。私たちはあきらめが悪くなっている。」 これから先も別れはあるだろうし、自分がいなくなる時も来るだろう。 今、自分なら、自分の時は、と考えていてもいざその時になると意味をなさないかもしれない。 分からないことばかりだけれど、それでも大切な人の為にどんなことができるのかを知っておくことは決して無駄なことではないはずである。
  • 2026年5月7日
    インシテミル (文春文庫)
    それぞれのキャラクターも分かりやすく、漫画みたいな設定だなと思いつつも先が気になりどんどん進む。 何か大事な描写を見逃してしまっているのかもしれないが、目標は目的があってのことだったのかよく分からず終わってしまった。 続編がありそうな終わり方ではあるが、このまま続くことなく終わった方が余韻があっていいのかもしれない。
  • 2026年4月28日
    おかわりは急に嫌
    現代の日記の名手が日記文学の名作について語るとこんなに楽しいことになるのか。 粛々と続いていく人の暮らしに潜むおもしろさがにじみ出る。 人の生活をおもしろがるというのもどうかと思うところもあるが、自分とは全く違う、時には少し共感できるような暮らしが誰しもにあるのだと考えるとやはり人の生活はおもしろい。 他人のエピソードから嫌味なく次々と自分のエピソードを引き出していく(引き出せるものを選んだとはあるが)文章力はすごい。 当然のように「富士日記」が読みたくなる。
  • 2026年4月24日
    近畿地方のある場所について(1)
    終始不気味な雰囲気が漂うが、心配していたような怖さはなかった。 一章一章が長くなく、この様々な要素がどのように収束していくのかという楽しみと共に次々と読み進められた。 最終的に、いつの間にか終わってしまった印象となったが、もう一度読み返せば色々と気付くこともあるのだろうか。 カクヨムに投稿されたものを読んだが、単行本と文庫で内容が違うようなのでまた機会があれば。
  • 2026年4月21日
    しゃぼん玉
    しゃぼん玉
    もう少し続きの話を読みたいと思ったということは物語に入り込んでいたということでもあり、単純に良い物語だったということでもあるのだろう。 話の流れとしては特段珍しいものと言えるようなわけでもないが、それでも惹き込まれるのは人物そのものと感情の描き方のお陰か。 実在する場所が舞台となっており、どんなところか調べてみたら、行きたい場所がひとつ増えた。
  • 2026年4月14日
    星と葬礼 (文春文庫 よ 1-23)
    仄暗く生々しい湿度を持った、死と対峙する姿や死そのものが描かれた短編集。 分かりやすい感動や結末がある訳でもなく、粛々と進んでいく物語はある意味では物語でもないのかもしれない。 最後まで読み終えると、最初はただ綺麗な絵だなと思っていた表紙のイラストの見え方が変わってくる。
  • 2026年3月17日
    河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙
    ある時までは河北新報という新聞があることを知らなかった。 しかしある時からその存在を知るようになった。 新聞やテレビなどマスメディアに対するネガティブな面が取り沙汰されることが増えたように感じる昨今だが、これだけ誰かの地元やそこの出来事に対して真摯に向き合い悩み本当に必要なことを伝えようとしてくれる人だってたくさんいるのだと思うとメディアの持つ力も一方からの視点では簡単に判断はできない。 特にこういった災害時においては電力がなくても情報が得られるというのは近年においてより重要なことになっているだろう。 自らも被災しながら同じ被災者の為に動き続け、誰かの為にはなっているはずなのにまた別の誰かの為になれなかったことを悔やみ苦悩するその心境はどれだけ辛いことだろうか。 医療関係や自衛隊などの方でも同じような思いをされたと耳にしたことがあるので、どうかご自身を責めないでほしいと願うばかり。
  • 2026年3月2日
    ドライブインまほろば
    それぞれのお世辞にも良いとは言えない親子関係が交錯する。 実は加害者もまた被害者だったという話に救いは感じないが、物語でもそれが大きな希望のように描かれることはなく、きちんと納得して安心して終わらせてくれる。 どんな人間関係でどんな人生を送ってきたとしても結局はそれが「光」になり得るのかと思うが、ある意味単純である意味一番大切なことなのかもしれない。
  • 2026年2月19日
    気づいたこと、気づかないままのこと
    日記は日々の積み重ね、エッセイは人生や過去の積み重ね。 それにしてもこんなにも文章に人柄が表れるものなのか。 それはご自身のことを書いておられるのだから当然といえば当然なのかもしれないが、だんだんと友だち、とまではいかなくともご近所さんくらいの親近感が湧いてくる。
  • 2026年2月11日
    脳男
    脳男
    連続爆破事件に隠されたトリックを暴きながら真相に辿り着く。というものではなかった。 最後まで読み、これは何も解決していないのではと思ったがやはり続編があるようでこれはプロローグの物語ということか。 ここから先は精神医学や脳科学、心理学などが深く関わってくるのだろうか。 何となくタイトルにつられて手にとったがシリーズ完結まで追っていきたくなる。
  • 2026年1月31日
    やがて海へと届く
    大規模な災害などが起これば、社会という大きな枠組みに対して大きな影響が生じる。 しかしそれ以前にそれを体験したひとりひとりそれぞれの人生にも計り知れない影響を与え時には大きな影を落とす。 喪失やそこからの再起、折り合いはあくまでも最後は自分自身で何とかしなければならない。 だからこそ、そばにいる誰かの支えがかけがえのないものになるのもまた事実。 この物語は、同著者の「暗い夜、星を数えて」で綴られた現実に対するひとつの答えなのかもしれない。 淡々と流れていく文章それ自体がまるで海へと流れていくかのよう。
  • 2026年1月24日
    被差別部落の青春
    本筋とは異なるが、人は住んでいる場所や生まれた場所など、「土地」で判断することが多いなと思う。 「○○の人は〜」なんて会話をよく耳にする。 それだけ広い土地の様々な場所に点々とそれぞれの暮らしがあり、それが今ではそれぞれの場所から簡単に行き来や拠点の変更ができるようになり点が線となり面となり自分と異なるところが目につくようになってしまう。 しかし、部落というものはその異なるところを強制的に与えられている。 実際には土地に境界線などないのに文字通り線引きされている。 その中、外、どちらにも様々な思いや意見があり、なかなか一元的には捉えられない問題である。 確かに今では気にしない、そもそも知らないという人も増えているのだろうが、元あった差別がなくなったとしても、かつて差別があったと知ることは次の新たな差別を生む危険性も孕んでいるのではないか。 ならば様々な立場や属性の「人」単位で実情や意見を知ることのできるこの本はとても貴重なものに思える。
  • 2026年1月14日
    クローズドサスペンスヘブン
    突飛な設定の誠実なミステリー。 設定故の都合が良すぎるのではという部分もあったが、設定故のおもしろい仕掛けもありどんどん展開が気になっていく。 全員死んでいるからこそのあまり緊迫感がない空気がこちらをあくまでも傍観者でいさせてくれてやわらかく進んでいく。全員死んでいるのに。 所謂「館もの」はこれが初めてだったのだが、これが基準になってしまうのは良いのか悪いのか。
  • 2026年1月12日
    変な家
    変な家
    とんとん拍子で事が進み、サクサク読める。 想像していた展開ではなかったが、その展開によって「家」の意味が変わるのはそういう仕掛けだったのだろうか。 考察の余地を残しただけなのかまだ続く物語なのか。 どちらにせよ他の「変な」シリーズも気になる。
  • 2026年1月10日
    木曜日の子ども
    終わりが終わってようやく始まった。 いじめや少年犯罪に関わる子ども、そしてそれらに巻き込まれる大人というのはいつどこで歪んでしまいいつどこでその歪みに気付くことができるのか。 この物語はほんの一例であり、現実に起こりニュースで見るような様々な問題にも単純な目線だけでは理解し得ないいくつもの歪みが潜んでいるのだろう。 むしろこの世にどこも歪んでいない人間はいないのかもしれない。 重松清の暗い話における、街全体が醸し出す圧迫感や緊張感は苦しい。
  • 2026年1月4日
    QJKJQ
    QJKJQ
    謎が謎を呼ぶというより、謎が遷移していく。 エンターテイメントから哲学的なところへと。 きっと自分が思い及んでいないような意図や意味がたくさん残されているのだろうが、家族という集団から人間そのものへとスケールが壮大になっていきつつも根本は同じようなものなのかもしれない。
  • 2025年12月17日
    おくれ毛で風を切れ
    他人の日々の暮らしがこんなにも愛おしくなってしまう不思議。 前作に引き続き、なんてことない日常が綴られた本がいつの間にか優しい物語にも変わってしまっていて、「日記エッセイ」「日記文学」と呼ばれているのも大いに頷ける。 フィクションのようでフィクションではない、瞬間瞬間に目を留めることができたら自分の生活もこんな豊かな見方ができるようになるのだろうか。
  • 2025年12月3日
    人の砂漠
    人の砂漠
    人の砂漠を漂った末行き着く先は北か南かそれとも。 あとがきを読み、あるようでないように思えていた8篇の共通点がはっきりした。 昭和55年に発刊されたものなのに今の時代にも通ずるところは多く感じられ、この砂漠は今も広がり続けていて墓標は増え続けているのだと思う。
  • 2025年11月8日
    骨を弔う
    骨を弔う
    生まれ育った町から離れてしまった登場人物それぞれが、幸せだとは到底言えないような生活を送っているのにとある幼少期の出来事をきっかけにまた人生を取り戻していく。 なぜそこにその名前がという引っ掛かりはあったが大した意味はないのだろう。 故郷や幼馴染みの存在というのは例え忘れていたとしてもふと頭に蘇りまた人生の糧になり得るんだなと思う。
  • 2025年10月27日
    巣鴨のお寿司屋で、帰れと言われたことがある
    たぶん、土地や場所に関する思い出や記憶が好きなんだと思う。 ここと言えばこれ、あそこと言えばあれ、のような。 そこに暮らしていたり訪れたりしたことのある人は数え切れないほどいるだろうけれど、当たり前ではあるが、この思い出や記憶を持っているのは自分たったひとりだけ。 例えばこの本にも登場する恐山には自分も行ったことがあるが、自分の記憶の恐山とは全く異なる。 だからこそ他人だけしか持ち得ない記憶のすがたをお裾分けしてもらえるのはとてもおもしろい。 そしてまただからこそ自分も再び色んなところに赴いて記憶を辿ったり思い出を色濃くしたり忘れていたことを思い出したりまた忘れてしまったり、しっかりと自分にしかない「あの場所」にしたいと改めて思わされる。
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