@92
- 2026年7月10日
- 2026年7月4日
p15 「「十七分というとは、半端な時刻ですね?」「いえ、そうは思いません。ちょうど十三分話ができる。」」 p33 「「人間を信じるのは、人間の代表的な弱点の一つです。」」 p34 「「思うという行為の現象について、科学的な証しだよ。」」 p38 「「根拠はない。そうなんだ、そこが、論理的思考の限界だ。そこが、私の研究の一つの到達点なんだ。人間は根拠によって理解や判断をするのではない。そうではなく、変化のパターンなんだ。」」 p40 「「失礼は感じませんでした。それは、私が人間でなくても同じです。また、もし人間でなくても、人間でないことの本当の意味を自分は知りません。そういうものだそうです。」」 p42 「「貴方は、何が好きですか?」」 p44 「「反最適化とは?」「ようするに、とぼけることだね。」」 p55 「「綺麗すぎるから、完璧すぎるから、という説明では、不足ですからね。」「不足だ。そんな理由はありえない。何十年もそれが定説のように語られているが、その仮説を許容すれば、すべての生き物は不完全ゆえに繁栄したことになる。」「私は、そうじゃないかと考えています。完璧になったところで終焉だったのです。」」 p57 「「未知は多いね。ただ……、我々の行く先に、道がないだけだ。」」 p72 「ところが、その後になって、生きた人間の方が子供を作れなくなっていることが明らかにされた。それは、人間がウォーカロン化したともいえる。明らかにこれは、人工細胞の移植が原因だろう、と考えられるようになった。あまりにもピュアな細胞に問題があるのではないか。ピュアゆえに、未知の病原体に対する抵抗性を持たない、それが原因だろうと推定された。」 p103 「単純ではない、人間らしい複雑さだ。」 p106 「「気にしなくて良い。それが普通だ。言いたいことは言葉にしてもらうと助かる。」」 p109 「首都サッポロの中心地にある。」 p140 「熊さんが襲ってくる。恐ろしい声をあげて迫ってくる。もう駄目だ。でも、少女は言いました。」 p148 「「現実っていうのは、どこにあるのかな?君はここでは理想の世界にいるんじゃないのかな。」」 p157 「それは、<熊の生態>の幻の一文を検索したとき、偶然見つかった映像の少女だったからだ。」 p158 「「ミチル。」」 p175 「「こんばんは。」その女が軽く頭を下げた。整った顔立ちで、黒髪が長い。目はブルーだった。」 p177 「「黒い魔法をご存じですか?」彼女はきいた。」 p179 「「私は神ではありません。これは、考えればわかること。人間の頭脳は、少なくともウォーカロンよりは高機能です。お忘れにならないで。ウォーカロンの頭脳は、人間が作ったものなのですよ。」」 p200 「疑えば、どこまでも疑わしい。」 p207 「「でも、そういった究極の選択というのは、ほかにいくらでもあったはずです。そのつど科学はそれを乗り越えてきました。機構が充分に解明できれば、必ず活路があるはずです。」」 p208 「「うーん、個人が受け入れるかどうかの問題ではないと思います。科学者は、自分にできることをするしかありません。それが人類のためになると信じる道を選ぶしかないでしょう。」」 p210 「人それぞれに、感情的なものは違っている。違っていても良い。」 p218 「もしそうなら、殺そうとしたのは、誰だ?人間なのか、それとも、ウォーカロンなのか。」 p220 「「将来のことはわかりませんね。想像もできません。どうなるのでしょう。誰もが不安を持っていると思います。死なないのに、不安なんです。」」 p229 「未来とは、全員にとって自分の身に降りかかる現実なのだ。」 p237 「「黒い魔法を知っているか?」僕はきいた。」 p249 「「まさか、マガタ博士?」」 p250 「マガタ博士は、二世紀も昔の歴史上の人物である。」 p250 「「生きているかどうかは、問題ではないのでは?」シモダは言った。」 p252 「結局のところ、すべては、人の心がどう捉えるのか、という問題に帰着する。」 p253 「どんな思想、どんな哲学も、自由に主張して、議論をするべきだ。」 p253 「もしかしたら、その時間を気づかせることが、<赤い魔法>なのかもしれない。」 p256 「しかも、僕にそれを言わせたのは、マガタ博士なのだ。」 - 2026年6月30日
p12 「私には、赤目姫の美しい声が聞こえる。」 p18 「それほど真っ赤で、まるで赤目姫の瞳のようだった。」 p20 「「賢者であれば、駱駝になれましょう。何故なら、彼が駱駝というものを認識したが故に、駱駝が存在するのですから。」」 p38 「緑目王子は、赤目姫のまだ小さかった頃からの友達だという。」 p42 「それがまた奥ゆかしく、見ている者は、彼女の際立った気品の煌めきを浴びることになるのだ。」 p44 「不思議なものは、不思議のままで良いではないか、と思えてしまうほど魅惑的だった。」 p46 「赤目姫が、私と王子を見てから言った。「曼荼羅ですね?」」 p49 「「何かしら。」彼女の赤い目が、階段の上の王子を捉える。「あ、わかりました。回転木馬ですね?」」 p50 「息苦しさとは、つまり現実的連想という酸素が足りない状態。呼吸はできても、そこから実在的意味という酸素を吸入できない。」 p51 「このように、いつも美には不足し、正には届かない。生きてはいるようなのに、それでは死んでいるも同然の鈍さ。」 p51 「「黒いというのは、言い得て妙なところですね。宇宙は黒い物質で満たされている。とずいぶんまえに言った科学者がおりました。」赤目姫は無音の言葉で話す。」 p52 「「単純というのは、なにもかもが均等に混ざった状態ではなく、むしろその反対、ここが独立し、形を成し、すなわち物質という幻を見せている奇跡的なバランスのことです。私は、この世に存在するすべてのものは、シャボン玉の虹色の殻に近いものだと思っています。あの動揺して弾けるまでの一瞬が、この世の存在のすべてだと。だとしたら、その薄い殻の上をすべる流れにこそ、存在というものの反射も屈折も帰結するというもの。」」 p52 「「残念ながら思考は及ぶが、行為は届かない。想像は及ぶが、存在は遠い。美しさと同じ。悲しさとも同じ。感覚はあっても、感触はない。ああ、なんて、僕たちは哀れなんだ。」」 p52 「「違うのです。それは、悩むようなことではなく、いえ、たしかに悩むべきことなのですが、悩むということが、すなわち停滞の状態ではありません。反対です。その思考による停滞こそが、貴方の存在の証ではありませんか?そう考えれば一転して、既に存在は証明されているも同然。思考もまた、アルゴリズムの流れであり、表に光や形を出力しなくても、自身の中では歴として刻まれるもの、存在するものです。」」 p53 「目の前には、美しい男女が立っている。赤い目の美女と、緑の目の美男。」 p54 「私の存在?それも、揺らいでいることがわかった。」 p54 「だが、私のその一縷の希望も潰えた。」 p59 「「うん。しかし、人間の不幸の基本原理ってやつは、すなわち、結局は自分の心しか知らない、という情報不足に起因しているんだ。自分以外の人間のことは想像するしか手がない。世の中には、もの凄く沢山の人間がいて、みんなそれぞれに自分を持っている。みんな考えているんだ。でも、考えても考えても、自分の気持ちしかわからない。他人の気持ちはまるでわからない。とにかく、精一杯想像してみるんだけれど、その想像っていうのも、所詮は自分の思考や感情との対比から形成されるものだ。どんな高等な頭脳であっても、これは同じだろうね。基準は常に自分の観測にある。例外があると思うかい?」」 p85 「「理解」とは、すなわちなんらかのシンボルに関する自己への展開といって良い。」 p85 「ようするに、理解という「展開」には自己破壊を伴う、ということである。」 p86 「私を含めてほとんどの凡人は、特に大人ならば、自己の内のデータに浸かっている。酷い場合は既に溺れている。無となることなど絶対にない。むしろ無を恐れるが故に、無用なデータまで貪欲に取り込み、概念をむやみに構築し続け、それらの破壊をまた極度に恐れるといった悪循環に陥る。」 p86 「この世で得たデータを無にするというのは、胎児に戻るようなものだろう。その感性あるいは心境に擬似的にであれなりえる者が、私が考える天才である。」 p86 「そういう人物の無邪気さを私は何度か目にした。本当に彼らの「知」とは計り知れない。自らの理解の蓄積を瞬時に捨て去ることができるからこそ、どんな新たな理解も容易に展開することができる。」 p95 「「ここにいる者は、何をなすのか?」」 p97 「「理由を言葉にするのは、あまりにも無粋かと。」「言葉というのは、すべて無粋なものです。」」 p97 「「接吻をお許しいただけませんか。」」 p101 「「おやすみなさい。」「良い夢の名を。」」 p102 「孤独と愛情は、ほとんど表裏一体のもので、両者の間には気体も液体も浸透する極めて薄い膜しか存在しない。片側に干渉すれば、裏側に瞬時に染み出る。僅かにある遅れが、その膜の存在の意味であり、その遅れが、両者を別の感情だと認識させるにすぎない。」 p102 「しかし、たとえ最愛のものに触れ、あるいは触れられても、それが愛情だと信仰できるのは一瞬のこと。いずれは、恐ろしさに近い湿った反動が寄せ返してくる。」 p105 「「観測が、すべての存在の証。天に通じる唯一の窓。古来、人間の源でした。」」 p115 「KILL ME PLEASE」 p121 「「貴女は、シンディよ。」」 p131 「ただ、彼女の人間としての完璧さに、私は圧倒されていた。あまりにも滑らかな頬、そして顎から首へのライン。信じられないほど美しい。生きている人間とは思えないほどだ。」 p132 「「貴方は、何をなすの?」」 p138 「しかし、陰があることでコントラストが際立ち、一つ一つの表情あるいは仕草に一層の深みが感じられた。」 p142 「それは、別の言葉でいえば、「美の正義」にほかならない。」 p148 「「息は、吸わないと吐けませんけれど、でも、カスピ海の空気を吸わなくても、生きていくには支障はありませんものね。」」 p151 「「そうなの。どこまでの話かっていうのが、いつも一番難しくて大切なの。どこまでが認めなくてはいけない現実で、どこからは想像、それとも仮定の話なのか。考えていくうちにわからなくなりませんか?」」 p152 「「夢の中で夢を見るみたいなネストになっていると、たしかに混乱しますね。」」 p157 「「貴方は、何をなしたのですか?」赤目姫だった。」 p157 「「なれるものになれます。」赤目姫は頷いた。「ご自身の願望は、ご自身にとっては現実の未来。」」 p168 「「ああ、そこまでは考えていません。それは、そう、砂漠の大河が突然移動するのと同じ偶然です。世の中の万物は揺らいでいる。ちょっとした切っ掛けで、小さな安定を乗り越え、別の安定を求めて動きます。」」 p206 「描かれているのは、曼荼羅である。」 p208 「「危険な失敗を避ける最も有効な手法は、失敗をした直後から、失敗する一瞬手前に立ち返ることです。失敗から学んだことを覚えているうちに。けれども、一般に、たとえ一瞬であっても、時間を遡ることはできません。先生がおっしゃりたいのは、それですね?」」 p213 「緑の目をした青年のことだった。」 p214 「私、かの王子に恋をしたのですよ。」 p217 「我々は、皆、波形。」 p217 「私はいつまでも私ではないのか。私はどこまでも私ではないのか。」 p219 「瞳の色。輝いて、消え。無。空。緑。黄。橙。赤。紫。?」 p224 「「不思議なことを言うね。ああ、そうか、君の認識できるものが、この世のすべてであって、それ以外のものは、なにものも存在しない、とそう考えているわけだね?」「そうではない。私は、そんなふうに考えているわけじゃない。ただ、誰かが、私にそう考えるように指示している。いや、違うな……。暗示をかけている。ということじゃないだろうか。私は、見せられているんだ、見て良いものだけをね。私だけじゃない、君もだし、それから、おそらくは、そう、世界の大部分のひとたちが、きっとそういう存在なんだと想像できる。」」 p227 「「それは、つまり、考えてはいけないものだよ。見てはいけないものを見ようとしても、視線はそちらへ動かない。しかし、考えることはできるはずだ、」」 p227 「「つまり、私たちには、そもそも視力がない。目がないんだ。見ていると思っていただけなんだ。しかし、思っていることは確かなんだから、頭脳は存在する。まっとうかどうかは別として、考えることは、ある程度は自由になるはずだ。」」 p227 「「そもそも、君と私の二人が実在するという証拠がどこにあるというんだい?」」 p228 「「必要とか不要といった意味さえ、もうどうだって良いと思われる。おそらくは、思考が作り出す純粋な情報というか、つまりは、発想というやつだけれど、これを生産するために構築されたネットワークなんだ。結局は、そこへ行き着くと私は思う。私の頭脳は、発想という卵を産むために鳥小屋で飼われているんだ。」」 p230 「「僕が存在しないのなら、それはつまり、僕が君の一部だということになるね。君の中に、君とは違った人格が存在することになる。それでも、やっぱり存在なんじゃないのかな。蛸の脚が八本とも全部同じだとはかぎらない。長いものもあれば、短いものだってあるさ。でも、どれも同じ蛸の脚なんだ。」」 p237 「「それは、たぶん、今のこの世界の外側に、目的があるからだね。そうとしか考えられない。我々をそちらへ向かわせないよう、内側だけを見せておく。その間に外側で自由なことができる。」」 p244 「「ね、君、本当に夢を見ているのかい?私は、さて、僕だったかな、それとも君だったかな。」」 p249 「「我々が自然だと感じるものとは、少なからず不自然なものだ。」紫の目が穏やかな口調で切り返した。「なにしろ、生命は自然であっても、人間が考え出すことは不自然極まりない。不自然という定義がそこにあるともいえる。」」 p265 「「どうして、人間の血は赤いのでしょうね。」赤目姫は呟いた。」 p266 「タリアはオレンジ色の瞳を窓の外へ向けた。「自分の思いどおりにならないときに、それが不都合だと認識しなければ、問題はありませんが。」」 p267 「「推測することは、知ることではありません。」」 p277 「瞳の色はわからない。自分の目は自分で見ることができないからだ。」 p283 「情報が知識として個人の中に定着しているという幻想は、頭脳というものの「存在」を偽装するのと類似している。」 p283 「青い瞳が、ただ光の中に浮かんでいる。」 p284 「「貴女は、自分のことを知っているのね?」青い目がきいた。「いいえ、なにも知りません。でも、知りたいと思っています。」「何が知りたいの?」「自分、自分たち、この世界、すべてが、存在しているのかどうか。」「存在していると、なにか良いことがあるの?存在していないと、どんないけないことがあるの?そもそも、存在って何?1という数字は、どうして存在するの?0があって、2があれば、その中間が1でしょう?」」 p285 「「私をここへ導いたのは、何故ですか?」「導いた?いいえ、導いたのではない。貴女の意思が、貴女をここへ導いたのです。」「では、私の意思は、存在するのですね。」「どうして、そんなものに取り憑かれているのかしら。海には波がある。あの波は存在しているの?そこにあるのは、ただの海面、海水、その運動が波というものでしょう?それは、存在しているものだと、貴女は考えるわけ?」「わかりました。意思と思考は、つまりは信号なのですね。情報は、電子の運動でしか現れません。それと同じことなのですね。」「そんなところかしら。不思議だわ。どうして、人間の意思というのは、自分たちの存在をそんなに気にするのでしょう。」」 p285 「「貴女は誰ですか?」」「そうね、私は、貴女以外の者です。でも、それも正確ではない。私は、貴女でもあるかもしれない。私は、この世界かもしれない。」「世界?」「そう、貴女は、世界が存在していてほしい、と望んでいる。だったら、私が世界です。どう?納得できたかしら?」「貴女が、この世界を作ったという意味ですか?」「そうかもしれない。」「それでは、まるで、神?」」 p287 「「信号だからといって、なにも卑下することはないのよ。その信号の組合わせで、貴女はそこまで推論することができるのです。けれども、思考や論理なんてものは、解像度が高くはない。もっとデータ量が多いのはイメージ。なにも考えなくても、ぼんやりと思い描くイメージこそが、最も偉大な汎用の意思。その信号のデータ量こそが、人間というものが到達した高みといえます。人は色を見る。明暗だけではない。フルカラーのイメージを見ているの。そのデータ量には、他の生命体は到底及ばない。」」 p289 「青い目をしている。こちらを見ていた。白い滑らかな顔。小さな赤い唇。闇に拡散するかのような黒髪。少女になった。」 p291 「誰もいなかった。誰かがいても、結局は同じだった。自分以外のものというのは、つまり、いてもいなくても同じなのだ。作り出せるものは、すべて作られたのだから。自然に生まれるものは、限りなくいとおしい。けれども、それもまた単なるプログラムの出力にすぎない。結局は、自然などではない。意図的に、計画的に、仕組まれたことだった。遺伝子アルゴリズムによって、計算され、自己成長するシステムの産物にすぎなかった。」 p291 「欲しいものは、すべて作ったけれど、そのうち欲しくなくなる。愛するものは、すべて愛したけれど、そのうち愛せなくなる。」 p291 「ほら、私の犬が駆けてくる。金色の毛のロイディが。」 p299 「今、一巡り思い出したことは、何だったのだろう。それどころか、もっと沢山の時間、沢山の人々、沢山の思考を思い浮かべた。わからないよ。何なの?わかった?わかったから、もういい?」 p302 「「こうして、その美しい少女は、皆の前から姿を消したのよ。私が貴方に話したかった、美しくも悲しいお話は、これでお終い。」」 p302 「「彼は、そう……、何だったかしら、シルーノベラスコイヤ?そう、それそれ、それになったの。」」 p305 「見えないところが見えるというのは、不思議なものだ。誰の意思でもないのに。」 p318 「白いワンピースの少女がそこに座っているのが見えた。」 p322 「「青い目の少女は、誰だったのでしょう?」」 p323 「私は、しばらくそこに立って、闇の中に消えていく白いコートを眺めていた。一度だけ振り返ったとき、彼女の目が赤く光ったように見えたけれど、それはきっと私の錯覚、あるいは願望だっただろう。目眩のようなもので、そのくらいの期待は、ときどき現実という膜を靡かせるものだ。」 p324 「主人と最初に出会ったとき、彼は駱駝だった。」 p328 「「自分たちは、そのときどきで正しいことをしているつもりでも、少しずつ、どこかで狂っていて、結局はあとになって、首を捻ることになるのよ。なんだって、そうなの。全部、少しずつ歪んでしまっているから、純粋で綺麗なものなんて、どこにもないわ。」」 p328 「「ワンちゃんなのに、そんなことがわかるの?」「わかるさ、それくらい。」」 p330 「不思議だ、なにか夢を見ていたのだろうか。夢を見ていなくても、こういったことは多い。現実とは、常に曖昧な断片でしかない。」 p331 「孤立とは、すなわち操られていない自由か。虚空とは、まるで今生まれたばかりの命か。」 p334 「いつしか、ガラスの外の樹の枝に、白いワンピースの女性が座っていた。」 p334 「「疑うべきものは何?」彼女の優しい言葉が伝わってくる。」 p335 「「自己矛盾?それが何だというのでしょう。」」 p338 「私はいつも一人だ。一人だから私なのである。」 p353 「なるほど……。人形劇は、まだ続いている。」 - 2026年6月29日
p17 「たとえば、恋人どうしがする会話なんて、百パーセントが仮定の話ではないだろうか。仮定の状況を持ち出して、相手の愛情を探る。相手の真意を確かめる。自分が行く先へ、ずっと相手はついてきてくれるのか、それを知りたい。その確証が欲しいのが人間だ。」 p37 「いつだって、僕はなにも期待していない。そういう人間になってしまった。ただ……、毎日、昨日とは違う風を感じたい、と思う。それだけだ。」 p44 「もちろん、あのとき……。あのとき以来、ずっと。」 p54 「右の像は、片手を目に当てている。片目を隠しているのだが、もう一方の目も瞑っていた。左の像は目を開けている。ただ、こちらは目ではなく、手で口を押さえていた。」 p57 「「砂です。」老人は答える。」 p59 「「何事も仕事ですし、何事も邪魔です。」彼は微笑んだ。」 p64 「「女王様……。」」 p68 「「デボウ・スホ?」」 p69 「「アキラが、殺された。」」 p71 「「どんなことでも知ることはできる。そして、どんなことでも知りたい。あなたの反応が見たかった。どうもありがとう。」」 p83 「「私の測定に問題がないとすれば、この島はほぼ同じ位置で回転している。」」 p85 「「メグツシュカ様。」」 p88 「「驚きました。それ以来、ここではいつも太陽は南にあります。日の出も、日の入りも、真南です。」」 p95 「「そう、なんでも自由なんだ。」「死を選ぶことも自由だ。」」 p98 「会いたいのではない。愛されたいのだ。」 p118 「シャルル・ドリィはとても頭の回転が速い、ということがまずわかった。」 p119 「「違う。彼女の名は、メグツシュカ・スホ。」」 p119 「「デボウは、メグツシュカの娘。つまり、私の義理の姉になります。」」 p125 「「会いたかったよ。」さらに彼の顔が近づいた。「まちがいない。絶対だ。私が間違えるはずがない。君は、私に会うために、私と再会するために、ここへ来たんだね?」」 p128 「「見えるものが、すべてではありません。」「そう、そのとおりだ。」彼は目を瞑った。「目に見えても、触れられるものと、触れられないものがある。」」 p131 「「曼荼羅って、昼間に見た、あの砂の絵のことだよね。」僕はロイディに話す。」 p135 「ライツの手は、砂の絵を描くための棒状の道具、例の金色のスプーンを握っていた。」 p142 「「神様に。」ウィルはその答と同時に、瞳だけを上へ向けた。」 p144 「「ミチル、左正面の建物の屋根に猫がいる。」」 p151 「ここは、どこだろう?僕は、どこにいるのだろう?僕は……、本当に、いるのだろうか?僕は、誰なんだろう?」 p155 「「私の推測ではない。その説によれば、人間は自分の頭脳で考えたものだけで空間を埋め尽くそうとする。そういうものを純粋で理想的なものと認識する傾向にある。曼荼羅は、すなわち、その種の脳の欲望をシンボライズしたものだ。」」 p171 「「うん、わしらもな、それは不思議だった。皆、不思議に思っただろう。しかし、そのときは、疫病で街の大勢が死んだんだ。それで、神の浄化が行われ、残った人々が救われた。その浄化でまた周囲は海になった。ここはな、そういう運命にある街なんだ。ずっと昔からそうだったよ。一度や二度のことではない。海に囲まれたり、森に囲まれたり、周囲はさまざまに変化する。その代わり、イル・サン・ジャックの中だけはなにも変わらない。変化するのは外側だけ、それも、自分の周囲の、ほんの僅かな範囲のことだ。そう、うん、人間だってそうだろう?」」 p172 「「そう、彼女は変わらない。つまり、内側なんだな。」「内側?」「変化するのは、いつも外側だ。」」 p172 「「たとえば、自分たちを、その変化に合わせていけば、太陽だって止められる、というわけですね?」」 p180 「だいたいいつも、普段から、僕は自分のことがよくわからないのだ。自分がどうしたいのか。何を望んでいるのか。笑いたいのか、それとも泣きたいのか。生きたいのか、それとも死にたいのか。全然わかっていない。一番凄いのは、そんなふうなのに、こうして普通に生きていられるということだ。昔、まだ人間が演じていたサーカスみたいだと思う。生死をかけた演技を、アイスクリームを嘗めながら眺めていられる。人間って、それくらい残酷なのだ。自分にだって、いくらでも残酷になれる。」 p181 「「クロス?どうして僕に?」」 p182 「「俺は、どんな金属よりも、鉄が好きだ。一番柔軟性があって、一番強い。熱と灰で、もっと強くなる。」」 p185 「「新しい技術には危険がつきものですが、技術的な試行を継続することで人間は必ず活路を見出してきました。諦めれば、進歩は止まってしまいます。」」 p189 「けれど、新しいものさえ知らなければ、なにも古くなったりはしない。」 p189 「「これは、パン。」ロイディは真面目に答える。「そこの店で買ってきた。」「へえ……、どうして?」「ミチルが食べたいと思った。」」 p196 「「最近の私は珍しい。」ロイディの強烈なジョークに僕は目眩がした。」 p204 「いつからだろう、ボートと同じ方向へ、追いかけるように走っていた。僕は速度を落とし、手を振ってやった。少年も手を振る。「ウィルだ。」ロイディが言った。」 p217 「「きっと、教えないことに価値があるからです。」」 p219 「「ミチル、猫だ。」」 p222 「「機転の効く、俊敏な頭脳。けれど、それ故に自分の感情を見失い、ときどき制御できなくなる。人に支配されることが嫌いなのに、なんとか自分を支配しようとしている。その矛盾を知っている?」」 p223 「「あなたが面白い。稀有の存在といえるかもしれない。何だろう?何故、そんなに肉体を諦めている?生きることと、思考することを、切り離そうとしているのは、どうしてだ?あなたの躰と、あなたの視線は、まるで統制がとれていない。」」 p224 「途中から僕は、メグツシュカの横顔を眺めていた。彼女はそれに気づいて、ぼくの方へ視線を向ける。青い瞳。輝かしい。黒い髪。滑らかな。白い頬の曲線は、セラミクスのようだった。」 p225 「「忘れられないことが。」彼女は即答する。「不便。」」 p227 「「お優しいですね、女王様は。」「え?」目を見開き、メグツシュカは驚いた顔をした。「ああ、あなたは、自分で思っているよりも、いえ、周囲が認識しているよりも、もっと大きな可能性を持っている。できれば、大事にすることね。」」 p228 「「猫はお好きですか?」」 p239 「緑がかった色がついている。大きさは二センチもない。粉々に割れたガラスの一片か。」 p245 「どうして、僕は知りたいのだろう。人の気持ちなんか知って、どうするつもりだろう。自分の気持ちと比較して、なにかの安心を得ようというのか。人が自分と同じだと安心?それとも、自分は殺人者とは異なっているから安心?否、安心に何の価値があるだろう。安心を求めることが、知りたいことと同値だとは到底思えない。」 p264 「デボウ?」 p264 「デボウ、目を開けて。僕の手を握って。」 p265 「「面白い。」メグツシュカが、僕の前に立って笑っていた。「あなたは、とても、面白い。」「飽きないね。」シャルル・ドリィの声だ。」 p267 「「アキラ。」シャルル・ドリィはグラスを片手で支え、優しく微笑んだ。「私がどのようにしてこのイル・サン・ジャックの王になったのか、この歴史あるモン・ロゼの主になるために、私が何をしたか、君に話しておきたい。」」 p272 「「私は独りだ。誰もいない。誰も私を愛さない。私は、何のために、ここの王になった?え?何のために、私は拾われたのだ?どれも皆、同じことだ。誰も知らない。いったい何のために、皆はここにいる?何のために生まれたのだ?神は、この私に、いったいどうしろというのだろう?私に何ができただろう?頼むから教えてほしい。もう終わったのか、それともこれからなのか。間違っているのか、正しいのか。なんでも良いから、私の耳もとで囁いてほしい。シャルルよ、お前は大馬鹿者だ、とそれだけでも良いのだ。何故、神は黙っている?なにも語らないのは、どういった了見だろう?導きがないのは、私だけなのか?教えてほしい。アキラ、君だけだ。私に、ちゃんと意見をしたのは、君だけだった。君は私に質した。私を導こうとした。神もしなかったことを、君はしてくれた。」」 p273 「「お願いだから、なにか話しておくれ。私になにか語っておくれ。大切な人。私の神。美しい神。どうか、優しい言葉をかけてほしい。それだけで、私は充分なのだ。それだけで、生きていけるだろう。アキラ、愛している。その瞳を私に……。その唇を私に……。許してくれ。お願いだから、どうか許してくれ……。」」 p281 「「それほどまで執着を持つなんて、予想外だ。そんなものか、人間なんて……。」」 p283 「「私の猫が教えてくれたの。」」 p284 「「根拠のない推論を、何故?」「私の希望です。」ロイディは答えた。「希望?」「はい。」「何だ?希望とは。希望の実態とは、何だ?」「わかりません。」ロイディは首をふる。「おそらく、それを言葉として口にすることが、未来に影響するという人間が持っているためと考えられます。」「お前は、持っているのか?「いいえ、私は人間ではありません。」」「矛盾しているぞ。」メグツシュカは微笑んだ。「はい、矛盾しています。」ロイディは頷く。」 p289 「「パトリシアって、誰?」」 p297 「「メグツシュカ・スホが天体観測をするためだ。」」 p298 「「純粋な知識というものに触れることは、我々には最高に貴重な体験だ。」」 p300 「塔の屋根の上には、天使の彫像がのっている。」 p305 「「わからない。海が砂漠になったようだ。」」 p309 「「冷たいな。」「判断に温度は関係ない。しかし、以前にミチルは、湿度で私を評価したことがある。」「ドライだって言ったこと?」」 p349 「「天使のようだ。」」 p350 「「理由はいくらでもつけられる。人道的な行為とは、一般に、合理的な行動と一致しない。」」 p352 「「そうか、あの回路か……。面白い、そういうことだったのか。」」 p376 「「一年と八日になる。」」 p419 「「ウィルは、シャルル・ドリィがシビの人間じゃない、ということを知っていた。」」 p420 「「真実がどうこうという話をしているんじゃない。それに、僕は、そんな真実に価値があるともおもっていない。」」 p423 「「王だろうが女王だろうが、必要ならば逮捕する。私はウォーカロンじゃない。自分の判断で動いている。それに、常に紳士的に振る舞っているつもりだ。」」 p431 「「そうだよ。鍬と瓜を……。」」 p436 「なにもかもが虚構で、すべてが夢の中。同じ場所、同じ時、同じ人間に、戻ってこられる奇跡を信じて、人は眠りにつくのだろうか?」 p438 「どちらが現実で、どちらが夢で、そして、僕は、そのどちらを現実にして、そのどちらを夢にしたいのだろうか。希望なんてない。夢な夢で良い。現実なら現実でしかたがない。宇宙のすべてが誰かの夢でもいいさ。」 p440 「全部、死んでから、泣けばいい。それだけのこと。希望なんてない。夢の中にも、現実の中にも。ほら、ようやく、少し……、眠くなってきた……。」 p447 「おそらく、どこへ行くといった当てはないだろう。場所が問題でもない。また、いつ出発するのかという時間も、彼らには無関係。つまり、二人で行くことに、二人だけの時間に、意味があるのだ。」 p452 「「そういう状況にしてしまったことに問題はあるんだけれど、とにかく、その場その場の判断としては、常に自分を救うために、人は死を選択するんだよ。」」 p454 「「悪口ではない。つまり、この曖昧さや、矛盾を許容するために作られたニューラルネット情報が、私の特異な資産といえる。」」 p459 「「あなたが会いたいと思えば、誰にでも会えるでしょう。その人物が生きているかぎり。」」 p472 「「不思議な夢を、見たな、サエバ・ミチル。」」 p478 「「こんばんは、サエバ・ミチル。」」 p478 「「またお会いできましたね。」彼女は滑らかに発音した。」 p479 「「デボウ・スホ。」僕は跪いた。」 p481 「砂の海が月に照らされている。とても綺麗だった。月まで、デボウが連れてきたのではないかと思えるほど。」 p485 「デボウの髪は、煙のように、動いた。その瞳も、僕を見て、地面を見て、そして月を見る。いつも綺麗なものを探しているのだろうか。そんな瞳だ。僕の手を握る彼女の指も、いつもなにかを探しているような、そんな指だ。」 p486 「彼女の顔が僕に近づいて、そっと唇に触れる。」 p486 「「会いたかったわ。」「僕も。」「あなたに、お話しすることが一つあります。驚かないで、聞いてほしい。」「結婚してほしいって、言われたら驚きますよ。」」 p488 「「それを伝えるために、私はここへ来たのです。それだけのために、初めて、ルナティック・シティの外に出ました。ミチル、落ち着いて、事実を受け止めるのです。これは、大きな問題ではありません。あなたの存在、あなたの尊厳に関わるような、問題ではけっしてない。」」 p489 「最終的には、僕自身と、僕の愛する人の問題なのだ。そう……、このとき、僕は、自分がデボウを愛していることをはっきりと自覚した。」 p495 「ここで死ぬなら、それも良い。デボウとともに。」 p505 「「サエバ・ミチル。」綺麗な彼女の声。背後の空には、月。」 p511 「自分の目で、見たかった。本ものの目は、片方だけれど、自分の目で、すべてを見たい、と思ったのだ。何が真実で、何が嘘なのか、それを見たい、と思った。」 p513 「人間って、何だ?どんな状態なら、人間といえるのだろう。人間であることと、人間でないことに、どんな違いがあるというのか。それは、価値なのか?人間であることが、そんなに大切なことなのか?何故だ?死んでいる人間は、もう人間ではないのか?眠っている人間は、どうだろう?どうして、生きていないと駄目なのか……。何故だ?きっと……、きっと、きっと、きっとがどこまでも反射して、エコーが繰り返す、そんな、きっと……、こういう状態が、人間で、こういう状態が、生きていて、わからないまま、なにも答のないままに、ずっと……、ずっと、ずっと、ずっとが続くのだろう、エコーのように。」 p518 「「人間としての誇りを持ちなさい、ミチル。」」 p518 「メグツシュカの優しい笑顔を見て、僕の目から、何故か、涙が流れ始めた。」 p518 「「生きていくのですよ。」彼女は言った。「ミチル。」僕は微笑んだ。「大丈夫です。」」 p522 「「やはり、あなたがここへ来たのは、運命でしたね。」」 p523 「「間違えないで。人間は意志によって存在するのです。」」 p524 「「人の誇りを持つのです、ミチル。躰なんて小事。大したものではありません。機械で簡単に代用できる。」」 p533 「「気がつきましたね?サエバ・ミチル。」」 p535 「「私の実験室です。」メグツシュカは言った。「私以外の人間を入れたことは一度もありません。」」 p538 「「あなたを救った愛を、素直に受け止めることは必要では?」」 p538 「「人が生きているのは、決して自分のためばかりではないのです。自分以外に生かされ、また、自分以外を生かしている、そういう一連のシステムなのです。」」 p538 「「あなたのその優しさは、どこから来るの?」「え?」「あなたは、気づいていないかもしれない。でも、ロイディは、あなたの優しさを知っていますよ。」」 p539 「「あなたの頭脳にキスがしたいわ。」メグツシュカは微笑んだ。」 p547 「「そう。一人は一人、一人の人間は一つの躰、一つの個体だという固定観念です。」」 p547 「そうか、一つの頭脳で、二人を……。単体の頭脳が、人格を複数個持つことは、珍しいことではない。完全に独立しているものでなければ、むしろ普通だ。これも、メグツシュカ・スホの実験の一つなのだろうか。」 p554 「「明るいと思えば明るく、暗いと思えば暗い、楽しいと思えば楽しく、淋しいと思えば淋しい、そんな場所でございます。思いがそのまま、すべて現れます。」「自由か?」」 p555 「「砂を混ぜるは容易ですが、これを分けることは簡単にはまいりません。それと同じことではないかと思われます。より困難なものへ、より高みへ、積み上げていくことが、我々が生きている証であり、それがすなわち、存在そのものなのでございます。」」 p558 「人間の許容力とは素晴らしく大きいものだ、と改めて感じた。どんな条件に対しても、瞬時に順応しようとする。ショックを和らげ、ときには自分の能力を制限しても、変化に対応しようとする。この機能は、他の生命、そして人工のシステムを見回しても、比類がない。」 p559 「「少し歩きましょうか?」メグツシュカが立ち上がった。「お休みになられなくて、大丈夫ですか?」「夜更かし。」「では、おつき合いします。」僕も立ち上がった。」 p561 「「いずれ、答が導き出せるかもしれません。科学的に説明ができないものは実在しません。今は不思議てまも、いずれは明らかになります。不思議とはつまり、将来への予感ですね。」」 p564 「海の匂いがした。月明かりの下、前方へ向けて傾斜する草原。その先に海が見下ろせた。「海だ。」僕は思わず口にした。「水がある。」」 p566 「満月が高い。手を伸ばせば、自分の指先よりもずっと小さい月を、何故、人間はこんなにも大きく見ることができるのだろう。」 p567 「「そうね。それは、人間が必要か、という問と同じ。」「人間は、必要ですか?」「必要なものであってほしい。」メグツシュカは答える。「願うという行為は、なにかが必要だと信じることです。」」 p567 「彼女の手を取り、僕はそこに接吻した。」 p567 「「女王様、ありがとうございました。おやすみなさい。」「お互いに、楽しい夢を。」」 p567 「白い肌に、銀色のクロスが光っている。」 p568 「彼女には、その曇りのない銀の輝きが相応しい。僕には、錆びついた鉄のクロスが似合っている。」 p568 「「さようなら。」メグツシュカは言った。「サエバ・ミチル。」「さようなら、女王様。」「私の望みは……。」彼女の言葉は珍しく、そこで途切れた。「え?何でしょうか?」「あなたに、生きていてほしい。」彼女はそう言うと、顔を横に向けて、海を見た。僕も海を見た。」 p570 「「生きているのと、そうでないのと、両者の違いはどこにありますか?」」 p570 「「あなたが生きていれば、あなた以外の誰かが、あなたに会いたいと思う。他人に、そう思わせるキーワードが、生きているということかしら。」」 p570 「「そう。離れている人に、魔法をかける。その人に会えるためのキーワード。」」 p571 「彼女の片手が持ち上がり、僕の口の前で、その指が、僕の唇に、そっと触れた。」 p579 「愛されたい?それとも、愛したい?」 p591 「「ちょっと眠くなっちゃった。」「また寝るのか?」」 - 2026年6月27日
p26 「人生のほとんどは、選択できないもので占められている。それが運命というものの定義。それなのに、どうして、幸運だとか不運だとかいった判定をしてしまうのだろう。無意味ではないか。取り替えのできないものに対して、良し悪しを識別したところで、なにも生まれない。なんの方法もない。」 p27 「ただ……、僕は、ここで、とても不思議なものを見た。とても美しいものに触れ、とても悲しいものも知った。」 p27 「しかし、その余韻ともいえる束の間の信号のゴーストに、人の生の証しがあると信じる以外にない。自然界に刻まれる一瞬の「乱れ」かもしれないけれど。きっと虚像にちがいないのだけれど。」 p28 「それが、この物語だ。」 p32 「「我々は空高く飛翔し、我々の永遠の魂は、私の心の中にある。」」 p33 「「ウォーカロンです。」」 p37 「「神に導かれた。」」 p37 「「女王に会いにきた。」」 p37 「「どうして?どうして?」ジュクはにやりと笑う。「それをいうのが人間だよ。」「僕は人間だもの。あなただって人間でしょう?」「私を判定する以前に、私を好きになることだ。」」 p38 「「私は奇跡を探している。」」 p59 「「造られて、百年ほどになります。」」 p59 「「あなたが、二人目ですね。」」 p62 「「不幸、ですか……。」僕は頷く振りをする。「ええ、外に存在する幸せは、すべてこの街に既に存在するのです。」」 p62 「「ここは、人工的に造られた街で、住民はルナティック・シティと呼んでいる。」」 p63 「「ただ、この街には女王がいる、という。」」 p66 「「ええ、しかし、おっしゃるとおりです。ここが造られたときから、まだ、一人も死んでいません。それは事実です。ただ、もたろん、半分は眠りに就きました。今、永い眠りに就いていない者は、半数の百五十人ほどです。」」 p73 「まさにそのとおりだった。時間など忘れてしまうほど、時間など想像もつかないほど、美しい、と僕は思う。」 p76 「「名前は、デボウ・スホといいます。敬称はいりません。デボウでけっこうですよ。」」 p84 「女王の笑みとは、世界に存在するどの山より高い、どこのとき僕は思った。僕にはとても登れない高さだ。「乗り越えるには高すぎる。」というマイカ・ジュクの言葉を何故か思い出した。」 p97 「地球上のどこで目が醒めようが、目が覚めた事実に比べれば小事だ。」 p97 「「二一一三年十月一日午前七時四十二分。」」 p102 「「僕は、ジュラ・スホといいます。」一歩前に進み出て、少年は片手を差し出した。高貴な微笑に僕は気づいた。」 p105 「「キョーヤ?」僕はその名前を聞いて、一瞬呼吸が止まった。胸に片手を当てている。心臓が止まってしまったかと錯覚したくらいだ。「もしかして……。」僕は尋ねる。「マノ・キョーヤのこと?」」 p111 「「神は女王を護る。」」 p122 「きっと、誰か個人の意志だ。百年まえのその意志の残像を、僕は見ているのかもしれない。」 p132 「爽快になったり、憂鬱になったり。足を交互に抱くみたいに、そうして、気持ちも歩いている。」 p139 「血。血。血。」 p140 「僕が何を考えているのか、ロイディには認識できない。こんなにすぐ近くにいるのに。伝わらないのは、不思議だ。ロイディは、マノ・キョーヤを知らない。」 p142 「しかし、その夜の惨劇を予測した者は、いなかっただろう。ただ一人を除いて……。」 p146 「「マイカ・ジュク!」」 p149 「「いずれにしても、人生なんて短いもんさ。」」 p149 「「毎日が歴史を作る。どの道を通っても君は名を遺すだろう。戦士はみんな栄光に包まれて倒れ、伝説はすべて征服と自由を語るんだ。」」 p151 「「可能な間はできるかぎり相手を遠ざけておけ。少年になるな。一人の男になる必要さえない。」」 p170 「僕はこのとき、彼女を初めて見た。王女クロウ・スホである。」 p175 「僕は、しかし、ソファのジュラ王子をじっと見つめて、それに気づいた。一瞬の戦慄。」 p178 「血。血。血。」 p181 「しかし、ルナティック・シティの核心は、まさにこの部屋の中にあったのだ。」 p189 「「そう、プロシジャです。」」 p191 「「ミチルは優しいのね。」女王は微笑んだ。彼女の目から涙が溢れ出た。僕は、それを見てほっとした。僕の目にも涙が溢れ出る。デボウは微笑んだまま、涙を流した。」 p192 「「ここでは全員が、未来に生きることができるのです。」窓辺に立ってデボウは振り返った。彼女の金色の髪が一瞬だけ広がった。「誰一人、死なない。それが、私たちの神の力。」」 p199 「「人は死ぬと、どうなりますか?」彼女は振り向いて僕を見た。」 p199 「「そうです。個の存在、つまり意志です。それが、人間そのもの。人間だ、といっても同じです。」」 p202 「「人の欲望を知っていますか?」」 p203 「「クロウが悲鳴を上げたのです。」彼女は言った。「あの子が、そんな声を出したのは、初めてのことでした。」」 p218 「でも、恐る恐る足もとを見ながら下りたおかげで、黄緑色のリボンが途中に落ちているのを見つけた。」 p219 「生きることは、それほど難しいことではないのに、何故、ここまで難しくしてしまう機構が生まれたのか。何のために、生きること以外の、あるいは以上の営みをするのか。頭脳の肥大化の目的は何なのか。生を超えて、それが求めるものは何だろう。どこを目指しているのだろう。」 p219 「この形の部屋で、完全弾性体の球体を壁にぶつけるシュミレーションが、実現上におけるボールの運動を決して予測できないように、人の思考もまた、現実に追従するものではない。そこには、必ず不確定な限界が立ちはだかる。最後には、者はものでなくなり、また、場所は場所でなくなる。時は時でなくなり、人は人でなくなるだろう。」 p232 「「運命は突然やってきます。」」 p244 「人間は、思い出して、悲しくなるんだ。ゆっくりと思い出して、そして……、なにかと比較して、悲しくなるんだ。」 p246 「血に染まる床。血。血。」 p257 「「でも、本当は、私のことを判断するまえに、私を好きになってくれなくちゃ。」」 p261 「「君はいつだって、どこへだって行ける。でも……、ここへ来た目的は?」「人間じゃないものを見たかった。」」 p280 「「あなたの常識が、そのままここの常識になるとはかぎらないでしょう?」」 p286 「「いえ、そうでもない。どんな田舎に住んでいても、服を着ているでしょう?服はその時代のセキュリティだよ。」」 p289 「「ええ、ちょっと変わり者の老人がいまして、マノ・キョーヤは、彼と一緒に暮らしているはずです。」「老人?」「そう、マイカ・ジュクという名の。」」 p292 「僕は、マノ・キョーヤを見据える。」 p299 「血。血。血。」 p316 「それは、黄色いリボンだった。」 p321 「「疑ってはいけない。試してはいけない。すべて受け入れ、そして、すべて信じるのです。思い起こし、考えることは、疑いを生み、迷いを導く。疑いと迷いは、試練の海に浮かぶ小舟です。波のせいではない。自らの焦心が、船を揺らし、その揺れは、しだいに大きくなる。船が揺れれば、原理を見る目は閉じられ、真実を聞く耳は塞がれる。見てはいけない。話してもいけない。そもそも、見ることはできない。知ることはできない。それを話せば、あなたは眠ることができなくなる。安らぎは永遠に、けして訪れないでしょう。」」 p323 「「サエバ・ミチル。」カイ・ルシナは僕の前に立つ。僕よりもずっと背が高い。「幸運のリボンを拾ったことは、とても喜ぶべきことだ。二つの幸運が遠からず訪れるだろう。それを信じなさい。」 p324 「「特定されていない。特定することに、何か意味があるのか?」」 p325 「「サエバ・ミチル、君の瞳は綺麗だ。」カイ・ルシナが囁いた。「その片方は、義眼だね?」」 p341 「「目にすれば失い、口にすれば果てる。」」 p344 「「夢は夢以外のなにものでもありません。」女王は微笑みながら首をふった。」 p356 「「あなたの心は乱れています。じっと、静かに、待つことです。水はいずれ平らになる。平らになれば、そこに本当の自分の姿が映るでしょう。鏡の中のあなたを見なさい。そこから、すべては始まるのです。」」 p357 「「虎が羊を襲う。羊は虎に復讐しますか?」」 p360 「デボウ・スホの髪が、僕の顔に触れる。彼女の手が、僕の髪に触れる。」 p368 「黄緑色のリボンは出てきたけれど、黄色のリボンはない。」 p384 「「どうして、女王は、冷凍睡眠を?」」 p387 「「殺してくれと頼まれたんだ。」マノ・キョーヤは、目を瞑って僅かに顔を上に向ける。」 p389 「目の前のマノ・キョーヤが泣いていた。彼の目から、片目から、涙が溢れそうだった。」 p397 「人間だけが、今、自分が触れているもの、見ているもの、聞いているものを現実だと信じる。そして、それが揺るぎない絶対の存在だと思い込む。その思い込みのために、過去を歪め、未来を見誤る。過去を恐れたり、未来に怯える。すべては、認識の誤差が招く幻だ。」 p398 「愛という言葉の意味を知っていることと、愛すること、愛されることは違う。」 p404 「「この街を想像した人間には、なにか、新しい哲学があったのでしょう。それを実践しようとした。その証しが私たちです。」」 p404 「「女王がお休みになられる。」」 p406 「「ゴーストに?」「そして、リボンを拾った。青いリボンだった。」」 p406 「「シュガー、一緒に飛ぼう。」ユウヤ・ナナヤクは言った。」 p416 「関係がないと思えば、すべてが関係ない。関係があると思えば、世界中のことが僕と結びつく。結局のところ、自分で線を引く以外にない。そのときどきで、これは自分、これは他人、と選り分ける。意地と惰性だけで、区別する。その選り分けこそ、人のプライドだ。最も尊いもの。それをなくすことは、死に等しい。」 p418 「軽い方が攻撃的、重い方が防御的。攻めるものは軽くなりたがり、守るものは重くなりながる。武器も動物も、すべてそうだ。」 p419 「「カイ・ルシナ。」」 p425 「「人が考えているか、考えていないか、どうしてわかるの?それに、遠く離れて仕舞えば、話はできないし、近くにいても、答えてくれない人もいます。コミュニケーションが可能なことが、生きている証拠かしら?」」 p427 「「でも、悲しいことを、もっと悲しく考えても、しかたがない。ジュラは、もう起きてこないのよ。私がいくら泣いても、彼には聞こえないのよ。」「そうなんだ。それで良い。」僕はリンの髪を撫でてやった。「それで良いんだよ。誰が、悲しんではいけないって教えたんだい?それは大間違いだ。悲しまなくちゃいけない。思う存分泣くことが大切だと僕は思う。」」 p434 「「でも、もともとは、マイカ・ジュク、あなたに、ここに案内してもらったんだ。バナナももらったし。考えてみたら、あのバナナ一本が一番美味しかった。一番助かった。」「人は飢えるほど素直になれる。」」 p435 「もしかして、同じものかもしれない。恐怖も狂喜も。生も死も。」 p445 「「馬鹿にしやがって。」僕は呟いた。「見てろよ。」「前方四十六メートルに目標。」ロイディの声。僕は全力で駆けだした。」 p460 「「目にすれば失い、口にすれば果てる。」デボウ女王はよく通る声で答えた。」 p460 「「言葉の意味を知りなさい。正しさの理由を知りなさい。生に嵩さを知りなさい。」」 p460 「「死ぬことなんて恐れていない。僕は、ただ、真実が知りたいだけです。」「真実に、それだけの価値はありません。」」 p462 「「私を最初に撃ちなさい、ミチル。」少女はにっこりと微笑んだ。」 p465 「目にすれば失い、口にすれば果てる。」 p470 「何故、人間は生きているのだろう?どうして、生きようとするのだろう?」 p472 「いったい、僕はどこから来たのだ?僕は何者だ?これから、僕はどこへ行くのだろう?」 p517 「人にはいつも、選択に充分な時間が与えられることはない。選択とは何か?何が正しくて、何が間違っている?」 p517 「血。血。血。」 p519 「女王が僕を見ていた。優しく微笑んでいるように見えた。僕は立ち上がる。ポケットに手を入れて、黄緑色のリボンを取り出した。そして、それを、マノ・キョーヤの胸の上に置いた。「彼に幸あれ、と?」デボウ・スホが首を傾げて僕にきく。」 p520 「「もう二度と会えない人、もう二度と立ち寄らない場所、もう二度と触れないもの、もう二度と聴けない音楽。」彼女は窓の方を眺めて目を細めた。」 p521 「「ありがとう。言葉は、言葉だけなのに、でも、結局、言葉が嬉しいわ。」デボウ・スホは微笑んだ。」 p521 「「許すのは私ではありません。あなたを許すことができるのは、あなただけです。ミチル、自分に問いなさい。」」 p522 「「しかし、映像では人の心は見えません。人がどう考えたかは、どこにも記録が残らない。」」 p523 「「そんなものが、本当にありましたか?」僕は黙った。女王デボウ・スホは、僕を真っ直ぐに見つめている。「復讐、仇討ち、仕返し。」ゆっくりと彼女は言った。「すべては、夢の中で思い描かれた幻です。」「そうかもしれない。」僕は頷く。「だけど、それに縋って生きているのでは?誰だって、幻に縋って生きているんです。」「生きていますか?」女王はにっこりと首を傾げる。「あなたは、生きているの?」」 p524 「「優しくあろう、とする心が、ときどき、人を奮い立たせ、人を責めたて、人を貶めるのです。良いですか、ミチル。自由とは、もっと孤立した関係、もっと冷たいルールなのよ。私たちに接触していない存在なのです。ずっと離れているからこそ、尊いと感じるの。可哀想に……、あなたはずっと囚われていた。ずっと不自由だったのね。ただ、接触していなくても、自由はあなたの中にあるものです。あなたの中に、浮かんでいるのよ。外側にあるものをいくら破壊しても、どこにも自由を見つけることはできません。そっと静かに、自分の内に求めないかぎり、得られないものなのです。」」 p533 「「あなたは、とても面白い人。」デボウ・スホは話す。「また、是非、会いたい。そこへ遊びにきてくれないかしら?もっともっと話がしてみたい。こんなふうに感じたことは、今までに一度もないことだわ。」」 p542 「「お別れのキスを。」」 p549 「「クジ・アキラ。」」 p550 「「何故、何故?それを言うのが人間。」」 p551 「「人の心は、プログラムのように簡単には書き換わらないものだ。乗り越えるには高すぎるし、くぐり抜けるには低すぎる。」」 p554 「「なんだが、二度と……、あんな綺麗な月は、見られないような気がしたんだ。」」 p558 「この空間は、百年もの間、人の生を守り、人の死を守った。生と死を曖昧にしたまま、守り続けてきたのだ。」 p583 「「ロイディ、前を見ろ。」僕は言った。「大丈夫か?運転。」「無免許だ。」彼は答える。僕は笑った。否、笑った気になっただけ。でも……、ロイディにしては、上出来のジョークじゃないか。」 - 2026年6月26日
p17 「「言葉には魂がある。人を感動させる者は、結局は言葉なんだ。人が信じるものも、人が崇めるものも、言葉なんだ。人間の人間たる条件は、言葉を発することにある。つまり、人間は言葉でできているんだ。」」 p20 「結局は、言葉はすべて作りものだ、と今は思っている。」 p21 「人は、死に向かって、最後は誰でも不幸になる、ということだろうか。どうして、幸せを感じたまま死ぬことができないのだろうか?」 p22 「自由に死ぬことができれば、あのとき死んでいたな、という過去が思い浮かぶ。なんでもできた。好きなことは、なにもかもできた。でも、死ぬことはできなかった。自由に死ぬことができたら、どんなに幸せだっただろう。」 p67 「「幸せじゃないの。生きているだけで楽しい?」」 p70 「いったい、自分は何がしたかったのだろう?子供のときに、どんな大人になりたいと考えていたのか。どうも、そんなイメージを持つことがなかった。なりたいものはないし、そもそも生きたいとも望んでいなかったのではないか。」 p71 「過去のことは、できるだけ思い出さないようにしている。思い出したいのは、あの一時だけ。つまり、恋い焦がれていた短い時間だけだ。あの時期が、自分の人生の華だったのだろう。」 p71 「生きることは、死ぬことより本当に「まし」なのか?」 p90 「「そうそう、過去の話は一切せんからな。二人で未来を見つめて、語り明かそう。」」 p96 「泣きにきたのだ。夜の殻の中で、私は声を上げて泣きたかった。悲しくて、悲しくて、自分の人生の儚さと哀れさに、息が詰まる思いだった。」 p97 「慎ましく、清らかに、生きてきた。人は、気持ちというものを持っているという。それは、本当だろうか?」 p99 「しかし、一番愛おしい人に、もう触れることができなくなる。」 p99 「運命を受け入れることしか、私に残された道はない。あらゆる選択肢の中で、それが最も私らしい。私の生き方に近いものだ。今になって、それに気づかされる。私は、今まで自分を信じて生きてきた。だから、最後も自分を信じよう。」 p100 「ただ、自分はもう精一杯生きたのだ、というだけ。そんな微かな納得に、私は縋っている。おそらく、それが一番美しいから。」 p101 「私は、泣きたいのだ。ただ泣きたい。一人で泣きたい。声を上げて泣き叫びたい。私が今まで生きてきたすべてが、この涙のためにあった、と思いたい。この贅沢を、私は今も感受し、これを胸に抱いたまま、消えていくだろう。こんな美しい人生に、私は感謝している。嬉しくて、泣いているのだ。」 p101 「本当にありがとう。私は、貴女のために生きてきたといっても良い。貴女は、いつも私の生きる理由だった。目標だった。貴女を目指して、私は歩み続けてきた。」 p102 「導いてくれたのは、いつも貴女だ。私と貴女の間に、美しいものが存在している。悲しいものが存在している。それが、私という人間のメイン・フレームを築いた。どうか……。気持ちというものが、もし存在するのなら、見てもらいたい。」 p131 「<海の詞>という題名の本だった。大日向慎太郎の名前がある。」 p193 「「あの海の詞を読んだんですけれど、最後に、二人を見ていた海、で終わる歌があって、それが、橋の上、川面に映る日、二人で飛ぼう、とかって言葉が出てくるんですけれど。」」 p197 「「私も自殺しようと思ったとき、その社会的理解に苦しみましたよぅ。親は悲しむだろうなって、知合いのみんなに迷惑がかかるだろうって……。」「悲しむのが普通でしょう。」小川は言い返す。「駄目だよ、自殺なんかしちゃ。」」 p198 「「これは、どちらが正解だという問題ではないと思います。人それぞれに、自分の生き方があり、自分の死に方がある、その自由が基本的にある、ということなのでは?」」 p223 「本当に、よく自殺しなかったな、と自分に感心している。」 p225 「自分が憧れた人、美しい人というのは、きっと一人で生きられる強さを持っているだろう。」 p229 「「貴方の温もりを夢見て、明け方に窓を開けますってさ、はは、笑わせるんじゃないっての。」」 p234 「「愛する人だったら、苦しまずに死なせてあげたいって思うんでは?」「そうかなぁ。生きていてくれるだけで嬉しいっていう気持ちもあるんじゃない?」」 p235 「「でも、そこは賭けだわさ。どちらに賭けるかってこと。」」 p236 「「許容するだけでは、ちょっと消極的じゃない?もっと、その判断を人権の一部として認めて、寂しいとは思うけれど、立派なことだと見送るような認識が、たぶん、社会的理解というものだと思うな。」「ぬぁるほどぅ。」雨宮は唸った。「そうか、許容するだけじゃ駄目なんだな。そこのところが、これまでの概念?うーん、共通認識では欠けていた部分か。」」 p253 「「そのとおりです。他人ですよ。私ではないのですから。ただ、外側でも、多少は近いところにいる、というだけです。声が届く範囲にいる、という意味です。でも、内側ではない。内側というのは、思うだけで気持ちが通じるような関係です。それは、自分以外にありません。」」 p261 「「はぁ?ああ、デートか……、誰でもええがね、そんなこと。」」 p271 「「本来、死とは、素直に個人が受け止めなければならないものだ、と私は考えています。他者が認めたり、排斥するようなものではない。人はそれぞれ、その人なりの死があって、どのようなスタイルを選択するかも、本人の自由に任されている。したがって、それを自分で考えなければなりません。」」 p308 「西之園萌絵は、都内の私立大学の准教授である。」 p312 「「なによりも大事なこと、というわけではない。」西之園は、彼女の方を向き、微笑んで首をふった。「誰かを罰するためですか?しかし、もう罰する人はいない。そうでしょう?重要な点は、自分の死を決断した人がいて、その人が自身の欲望のために、可能なかぎりの準備をした、ということです。その舞台装置を裏から暴くことは、大事かしら?むしろ小事ではありませんか?」」 p313 「「ただ、それですべてが解決するわけではないし、また、それだけの動機ですべての行動が正当化されるわけでもない。真実というものは、たぶんどこにもないの。そういうものがあると信じて、みんながそれぞれに異なる虚像を追っているだけ。」」 p315 「「真実を知ることは小事だってさ。」」 p343 「「まあ、でも、生きているのは死ぬためだといえなくもないですからね。」」 p343 「「みんな死へ向かって生きているわけですから。」」 - 2026年6月25日
p14 「眠れそうな気がした。眠れるという状況は、彼にとっては世界で一番の幸せだった。特に一人で静かに眠れることが、なによりも尊いものに感じられた。」 p24 「「私は、加部谷といいます。探偵事務所のものです。」」 p48 「非常に希釈された微かな面白さだが、毎日が全然面白くない、ということはなかった。本を読めば、知識が得られて、それなりの満足感を抱いたし、初めて見る虫や植物にも興味があった。落ちている新聞を読めば、日本の社会のことを部分的にだが垣間見ることができた。自分の知らないことがまだ沢山ある、という状況は、たしかに幸せなことなのかもしれない。」 p55 「「大事なのは、書かれてある文章です。それは、もう読みましたから、メディアは必要なくなりました。」」 p59 「そうだ。友達の部屋で、ラーメンを食べたことはあった。自炊をしていた友達がいたのだ。否、友達というよりも、先輩だった。」 p61 「あの頃は、まだ人の愛情のようなものに幻想を抱いていた。人に甘えたいとか、優しく接してもらいたいとか、そんなふうに考えていたはず。それは、自分の弱さに過ぎなかった、と気づいた。人間は、基本的に一人で生きているのだ。」 p61 「自由に生きていこう。たとえ、肉体は拘束されても、思考は自由だ。」 p63 「「お酒というのは、結局は、庶民を拘束するためのシステムの一環なんですよ。あれで、小さな幸せを一時だけ感じさせて、不満が集まらないように制御しているわけです。」」 p63 「「柚原さんみたいに、社会を俯瞰して語る友人が、昔いました。ちょっと思い出してしまいました。」「そうですか……。それは、良い思い出なのですか?」彼は尋ねた。「はい、良い思い出です。」」 p89 「「そんな感じですね。私ら若いときに、厭世的な友人が身近にいたんですけれど、簡単にふられました。だから、印象としては悪くないんですよ。ニヒルな人は好きです。」」 p114 「「下手な先入観を持たない方が、客観的な観察につながるのではありませんか?」」 p150 「そんな理性の力強さに、彼女は憧れた。彼のことが好きだった。」 p166 「「あまり言いたくないことだけれど、世間というのは、だいたい予想どおりになるものだから。」」 p171 「「勝手な想像ではないでしょうか?あるいは幻想かもしれない。」」 p181 「自分がどうして泣いているのか、わからなかった。ただ、人間って悲しいものだな、くらいの茫洋としたイメージだけがあった。その悲しみが、一部の人間を包んで、一生そこから抜け出すことはできないのだ。それが、悲しい。悲しいから、悲しい。理由なんてないのかもしれない。そもそも、悲しい存在なのだ。悲しくないように、錯覚し、誤解し、誤魔化して生きているだけなのだ。」 p195 「すると、柚原がリュックのジッパを開けて、中からパンを取り出した。食パンである。袋にも入れず、そのままリュックのポケットに収まっていたようだ。彼は、それをちぎって、鳩に向けて投げた。」 p197 「「野生の動物は、自由に生きているというよりも、生きるために活動しています。人間の害になるのは、たまたま利害が一致しないというか、偶然にすぎない。野生動物が人間を襲うのは、ほとんどが正当防衛でしょう。」」 p199 「「そうなったら、働けば良い。働くことは、スポーツになります。レジャになります。未来は、きっとそうなる。」」 p211 「「それはね、人間というのは、そうやって個人個人でノルマを分担するんだ、と納得しているからでしょう?それが社会の一員になるということじゃない。社会を信頼するのと同じことのような気がする。」」 p214 「「小さな幸せ?ああ、そうね。」小川は頷く。「そういうのって、やっぱり、幼いとき、子供のときに、家族とか、お母さん、それから兄弟、近所の人たち、そういうところから来るものだよね。それを覚えているから、大人になっても、周囲で見つけようとするし、自分でも、少し辛抱して、誰かに小さな幸せをあげようって考えるんだなぁ。」」 p230 「「いえ、上手く言えませんけれど、うーん、自分を見つめてしまうというか、今ではなくて、過去とか未来とか、少し遠くのことを思い出したり、考えたりして、心に波が立っているみたいな感じになりません?」」 p236 「彼はソフトクリームを食べた。「何年ぶりかな。」と呟く。「甘いですね。」」 p239 「「弓矢の話をしました。」」 p240 「「ホームレスだって、そうなんじゃない。その名称でラベリングして、全員が同じ人種だと、みんなが思っているんじゃない?いろいろなタイプの人がいて、それぞれの人生があるというふうには捉えないよね。日本人って、こうだよねって言うのも同じだし。」」 p248 「「息子を探していたんだな。」」 p253 「価値観が違う。常識で考えてはいけないのかもしれない。」 p257 「「小さな幸せを届けてあげたいなぁ……。」」 p257 「「わからないじゃない。私たちの知らないところで、楽しいことしているかもよ。そんなふうに、うーん、限定的に見ちゃあ、それこそ、面倒くさいってことになるんじゃない?」」 p263 「社長が帰ったあと、工場の前に捨ててあった竹と、工場の敷地内で拾ったワイヤで、弓を作った。矢も適当な笹があったから、試しに何度か放ってみた。」 p267 「この場合、馬鹿は自分だった。馬鹿ではない者が、馬鹿から奪う。それが世の道理というものだろう。」 p268 「まあ、そんなに悪くない。生きていることは、それだけで基本的な価値がある、と確認できた。この世は、最悪ではないのだ。」 p290 「哀れんでもらいたくないのだ。そういうのが、一番嫌いだった。そう、人間で一番嫌いなのは、人に情けを寄せることなのだ。」 p290 「優しくしてくれる者は、例外なく、哀れんでいるだけだった。同情というのは、人を蔑むことと同じではないだろうか?」 p300 「唸る轟音の振動によって僅かに残った良心をふるい落とされた銀箔の精神と、そこから巻き上がった粉々の結晶が、彼らの頭の上に降り積もっていた。だから、髪は乾燥し、ピアノ線のように奏でる。本人にしか、そのメロディは聞こえない。」 p301 「彼は、既に最後の金を武器と交換していた。数日考えて決めたことだった。」 p302 「幸にして、今の彼は、身軽だった。彼をこの世に留まらせるほどの枷は、まだなかった。それを避けて生きてこられたのは、神の導きなどではなく、観察と思考から導き出した判断、もちろんそれはまだ予感程度の確かさしか有していなかったが、方向性は明確といえた。間違ってはいなかった。したがってもう、これしかないだろう。自分に対して、そう説得できたのだ。その思考に行き着いたときには、感動して涙が流れた。」 p303 「夕方から、彼は歩き始めた。それは、最後の助走だった。人々の流れに乗って。この宇宙の時間に乗って。」 p306 「愚かで、偽りの弓たち。馬鹿と嘘の弓で、矢を射る。」 - 2026年6月24日
p15 「人間は、自分が話したいことを探して言葉にする。自分の意思で、そのハードルを越えること、その決断が、その後の自信になるし、言ったことの責任も感じる。だから、人に話すだけで自分の問題が解決することだってある。」 p24 「小川自身、愛する人を失った経験がある。あのとき、悲しみなんて、しばらく感じなかった。茫然自失というのか、眠っているみたいな状態だった。心のアドレナリンが働くのだろう。」 p29 「「ふうん。女たらしって、みたらしみたいですね。よくわかりませんけれど、たとえば、椙田さんみたいな感じですか?」」 p43 「この頃は、ガールフレンドの永田絵里子のことをあまり話さない。」 p53 「「なんか、私たち、もう終わりみたいなんです。小川さんにご飯を奢ってもらって、慰めてもらおうと思ってきたんですけど、駄目ですか?」」 p53 「「まあ、そういうときもあるのよ。行き違いっていうのかさ。会えば、ぱっと雲が晴れるから。」」 p54 「もしかして、私は奢れ奢れ詐欺に遭っているのではないか、とも。」 p55 「「女たらしっていうのは、何ですか?みたらしならわかりますけど。」」 p70 「「馬鹿だね。大事なときだからこそ、時間を取ってあげなくちゃ。」」 p78 「「泣かれると、困るなあ。まるで結婚詐欺だ、とか言わないでくれ。」」 p93 「「弱音は駄目。それじゃあ、見た目は大人、頭脳は子供じゃない。」「子供って、弱音吐く?」「どうしちゃったの?」「どうもしないけど。」「自殺とかしちゃ駄目だよ。これだけは私のお願いきいて。」」 p96 「もしかしたら、ちっぽけなことかもしれない。まだわからない。三十代くらいになったら、これがちっぽけなことだとわかりそうな気もする。でも、このまま三十代になってしまったら、自分自身がちっぽけだと確定してしまいそうだ。」 p102 「「うん、つまり、卒業しても、あまり変わらないと、たぶん、思い込んでいるんでしょうね。だから、乗り気になれないのではないかと。」「また他人事みたいに言う。」」 p103 「「どうかな。自分でもよくわからないの。だけどね、まあ、これ以上は駄目だ、どうしようもないってなってからでも遅くないわけ、次のことを考えるのはさ。それまでは、まあ、好きなことをしようかな、といったところかしら。」」 p103 「「自分がわかっているのは、ある意味、凄いことですよ。」」 p103 「「将来のことは、そうですね、ちょっと真面目に考えてみます。いえ、行動しないと駄目ですね。これまで、考えたことはあっても、具体的に行動していなかったので、考えを改めようかなって、今日思いました。」」 p103 「「いいえ、違います。久し振りに永田さんと話して、ちょっとショックを受けたみたいなんです。」「誰が?」「僕が。」真鍋は答える。「やっぱり、もう考えないと、いえ、行動しないといけませんよね、子供じゃないんですから。」」 p109 「「え、大人の情事ですか?あ、間違えた、事情ですか?」」 p110 「そうだ、人に頼ってばかりでは進歩がないな、と思い直した。」 p125 「驚いたことに、椙田は、花束を持っていた。」 p127 「「美味いなあ。」椙田は、料理を食べながら言った。「君はさ、良い奥さんになれるよ。早く結婚したら?」「セクハラだと思います。」微笑みながら、小川は返す。」 p129 「「君とは、もう少し親しくなりそうな気がしたんだ、最初に会ったときにね。」」 p129 「「いや、誤解しないでほしい。いや、違うな。誤解ではないかもしれない。とにかく、あまり、その、親しくならなかったことが、君にとっては良かったと思うんだ。僕としては、それだけ、うーん、なんていうのかな、格好つけてるわけじゃないけれど、君を大事に扱ったつもりなんだ。」」 p130 「「それはね……、今まで言わなかったけれど、いや、ずっと言わないほうが良いね。それが、大事に扱ったという意味なんだから。」」 p130 「「いや、僕自身のことではなくてね、僕、彼のことをよく知っていた。親友だった。」「誰のことですか?」「そこにある、そのアンプを作った奴だよ。」椙田は指差した。」 p131 「「会ったことはないよね。でも、話は聞いていた。優秀な人だって。自分に万が一のことがあったら彼女を頼む、と言われていた。」」 p132 「「そのアンプを君が選ぶことも、予測していただろう。」もう一度、椙田は指をさした。「だから、それだけは、絶対に手放さないこと。いいね?」「手放すわけありません!」小川は声が大きくなっていた。それに気づいて、口に手を当てた。「ごめんなさい。はい、これは、私の宝物です。」「そういう理由があって、僕は、君を大事に扱ったということです。」椙田は言った。」 p155 「もともと、椙田は自分の秘書にならないか、と誘ったのだ。」 p156 「ただ、そういう突飛なことを考えてはいけない、というのではない。考えないよりは考えた方がいい。それを思いつかないことが危険なのだ。」 p166 「<許してもらえないと思うが、金は返せる。もう少し待ってくれ。とりあえず、半額だけ振り込んでおいた。今はこれしかできない。大介>」 p184 「「うーん、誠実な対応をしていれば、だんだん、蓄積していくものです。少し時間が経たないと、結果が出ない。しばらくは、我慢して持ち堪えることが大事です。」」 p189 「死んでしまった人のことを知るとは、どういう意味だろう?どんな価値を求めているのだろうか?生きていたときのことを、もっと知って、それで何が得られるというのか。自分に対する気持ちだろうか。そんなもの、たとえ生きていても、確かめることはできない。違うだろうか?」 p194 「考えることが沢山あるのは、良い状態ともいえる。自分の周囲には、沢山の謎があって、それが自分を生かしている、とも思えるのだった。考えることがなくなってしまったら大変だ。それこそ、生きるか死ぬかという究極の謎に考えが行き着いてしまう。」 p227 「以前は、この広い部屋に彼女一人だったのだ。それが、手前に学生と思われる若者が、壁に向かって座っている。それぞれにデスクがあって、大きめのモニタに図面のようなものが映し出されていた。二人が男性で、一人が女性だった。」 p228 「「もうすぐ、みんなごはんを食べにいくでしょうから、いりませんよ。」西之園は微笑む。」 p228 「相変わらずだ。白いセータに黒のスラックス。髪は長くなっている。えっと、この人はいくつなんだろう、と思ってしまう。普通では出会えないような美しさであった。」 p229 「「そう……。」西之園はゆっくりと頷いた。「あの、椙田をご存知なのですか?」「ええ。」今度は小さく頷く。」 p229 「「いえ、ちょっとした知合い。椙田さんも、私のことをよく知っていると思います。でも、もう、ずっと以前のことですし。」「美術品の鑑定の仕事を専門にしております。その関係ですか?」「美術品……、ええ、そのとおり。」西之園は微笑んだ。」 p233 「人間の場合も、好きな人がいて、その人のちょっとした変化が、結果的に大きな影響をもたらすことがある。これは、つまり真空管の増幅作用と同じかもしれない。」 p234 「西之園は、椙田の弱みを握っているのだ。椙田が、西之園になんらかのアプローチをして、しっぺ返しを食らった、みたいな極端な状況まで想像してみたこともあった。しかし、椙田はもう西之園に近づかない。西之園も、関わりがないならば、それで良い、といった雰囲気である。これ以上、自分が知るようなことではないだろう。」 p235 「なんでもかんでも、隅から隅まで知り尽くすことが良いとは限らない。そういうのは学問だけに限られる方法だ。人は、あるところで好奇心のスイッチを切る。新しいものを見て、新しい楽しさを探すために必要なスイッチなのだろう。」 p258 「「就職、おめでとう!」」 p263 「「そういうとこ、好きだなあ。真鍋君、可愛い。」」 p265 「「そういうとこ、好き。」永田は微笑んだ。」 p273 「人の心の中は、見ることができない。本当に、愛されているのかなんて、わからない。リトマス試験紙みたいに、判定はできないのだ。だとしたら、言葉や態度で感じ取るしかない。言葉も態度も、簡単に装うことができるのに、そんないい加減な証拠を信じて、みんな生きているのだ。」 p275 「ずっと夢を見せてくれていたのだ。私に、夢を売っていたの?」 p284 「「私、もっと若いときに、一度失恋していて、今度こそはって思ったんですけれど、また、駄目だったみたいです。」上村は言った。「どうも、そういう星の下に生まれたってことですね。」」 p293 「「生きていくっていうのは、つまり、なにかを背負っていることなんですよ。なにも背負っていないのは、生まれたばかりの赤ちゃんだけ。」」 p295 「「ソーセージと卵があるけれど、食べる?」真鍋はきく。「それより、私の話を聞いて。」永田は言った。」 p296 「そうか、結婚相手というのは、僕のことなんだな、と初めて気づく。」 p297 「「オムライス。」永田は答えた。「え、オムライス?このまえ食べたやつ?」「そうだ、オムライスなのだ。」永田は微笑んだ。急に目を細め、変な表情になった。「作って、真鍋君。」」 p300 「「どうしてそんなに優しいの?」そう言うと、永田は顔に両手を当てる。「優しいのは、真鍋君だけ……。」泣き出した。しばらく、彼女の息の音しか聞こえない。」 p301 「「ああ……。」永田は大袈裟に溜息をついた。「美味しかったぁ、本当に。上手だよね。結婚したら、私が働いて、真鍋君が家事した方が良くない?」「その手もあるかもしれない。」「え、結婚する?本当に?そうだね、このまま、家に帰らずに、結婚してやろうか?驚くよね、姉貴とか。」「驚かさない方が良いと思う。」「本当に、結婚する?」「僕が就職したらね。」「え、本当に?じゃあ、三月?四月?」「うん。」「うわぁ、四月一日じゃないよね。それじゃあ、誰も信じないから。」「誰も信じなくていいよ。」真鍋は言った。」 p302 「永田はまた泣き出した。でも、今度は顔を隠さない。真鍋を見たままだったので、彼女の雀斑の頬に涙が流れるのを、彼は見ることができた。まだ、三ヶ月以上あるから、準備はできるだろう。本当は、指輪を買わなくちゃいけないのかな、と考えた。成り行きって、恐ろしいものだ。でも、恐ろしく素敵な成り行きもある。」 p311 「愛しているとか、信じているとか、ただ、そんな言葉だけの表現で、なんとなく納得しているだけかもしれない。」 p311 「最初はただの言葉だったのに、その言葉で、心が染まってしまう。」 p338 「「そういうところが好き。」永田が呟いた。」 p338 「「あ、そうだ。それよりも、小川さん、大事な報告があります。」「何?」「結婚することになりました。」真鍋が言った。「誰が?」「僕です。」「私もです。」永田が自分の鼻に指を当てて言った。」 p341 「「おめでとう!」小川は言った。「長かったよね、君たち。」」 p341 「「そうなんですよ、僕もそこが……。」「好きだったの?」永田がきいた。」 p348 「「じゃあ、小川令子さん、元気で。」「どういうことですか?」「しばらく、僕はいない。日本にいない。」「高飛びですか?」「そうだよ。君も、そろそろ気づいていただろう?」「はい、それとなくですが……。」「感謝している。」「私もです。」「騙されたと思ったことは?」「ありません。」「そう、それは……、良かった。」「もう少し騙してもらいたかった。それが心残りです。」「僕は、けっこう誠実な人間でね、これでも。」「知っています。」「騙し騙し生きている。これからもね……。君も、元気で。」「ありがとうございました。」」 p349 「今夜は、帰ったら、あのアンプを鳴らそう。そして、泣こう。それしかない。でも、今夜泣いても、また明日が来る。明日は泣いているわけにはいかない。」 p353 「「ジュンちゃん。」安藤を見た上村は、立ち上がって、か細い声を上げ、泣きだした。二人は、抱き合って、しばらく言葉を発しなかったが、安藤は、何度も、「馬鹿」と優しく言った。」 p355 「午前と午後が背中合わせ。それが小川君のものだ。」 p355 「たしか、そのなぞなぞを、椙田はすぐに解いてしまった。午前がAMで、午後はPM。だから、背中合わせになれば、AMP、アンプになる。彼の言葉どおり、このアンプは、私のものになった。私一人だけのための遺言だった。」 p357 「「なんてことをしてくれるのぉ!」小川は叫びたかった。」 p358 「「一生、独身でいろってことですか?」小川は笑った。「信じられない我が儘。」」 p360 「「そう、やっぱり、そうなのね。」西之園は頷いた。「いえ、いいんです。去る者は追わず。」」 p360 「西之園が上村の方を見る。西之園は、じっと彼女を見つめた。上村は目を見開いて、立ち尽くしていた。「メグミちゃん。」西之園は言った。「ここで何をしているの?」」 p360 「しかし、上村は黙って西之園に近づき、手前で立ち止まり、お辞儀をした。そのあと、二人はしばらく、抱き合っていた。」 p361 「みんな、いろいろな過去を持っているのだな、と小川は思う。なんとなく、自分の指を見てしまった。そういうことも、あるさ……、と椙田の声が聞こえた気がした。」 - 2026年6月23日
p27 「のちにメッセージが公開され、それは、「キレイニサイタ」「アカクサイタ」などの短い文章だった。つまり、童謡のチューリップにある歌詞「サイタ サイタ」を爆発に擬えているのではないか、と認識されるに至った。」 p123 「「好きになるのも、嫌いになるのも、理由ってものは、ないんだよね。なんとなくでしょう?たとえ理由を言われても、そんな理由じゃあ納得できないっていう話になるわけで……。」」 p141 「ただ、「サイタ」という比喩的な表現があるだけだ。」 p191 「可能性はいろいろあって、その先々まですべてを想像しても、なにか一つの現実の欠片で、それらの道筋が全部無駄になることだってある。考えただけ損かもしれない。それどころか、そんな自分の思いつきによって、他者を勝手に評価してしまう。感情的な評価が、知らず知らずのうちに自分の思考を支配してしまうのだ。」 p192 「「考えないというのは、あるときは、考えるときよりも難しいんだよね。」」 p194 「「そう……。人間は複雑だから。」「複雑?」「事情を聞いても、本当のことを話しているかどうかわからない。本人でさえ、わからないんだ。自分の気持ちも整理がつかない。自分がやったわけではないのに、やりましたと言ってしまう。愛しているのに、殺してしまうこともある。こんなことをしてはいけないとわかっていても、やらずにはいられない。」「そうですね。そういつのって、普通のことなんですよね。」「そう。ごく普通だね。異常な人間だけが、そんな変な行動を取る、とみんな思っているけれど、そうじゃない。みんな普通の人間だ。普通の人間というのが、もうだいぶん変なんだよ。変だからこそ、変じゃないように、理屈とか道徳とか、そういうものを考えて、それなるべく添った思考や行動を選択しよあと努力をしている、といった感じかな。」」 p231 「「思い込みからスタートして推理を進めたら、途中の論理が正しくても、結果も思い込みになるんだよね。」」 p241 「マスコミ向けに、チューリップからメッセージが届いたというものだが、<マダマダサクヨ>の一文が紹介されているだけだった。」 p272 「時間が経つと、すべてのものが、みんな薄まっていくようだ。」 p273 「「佐曾利隆夫といいます。」」 p278 「「いいですか。知っているというのはですね、私がただその考えに納得している、ということです。」」 p299 「「二件の殺人、それから、爆弾魔チューリップも奴です。」」 p310 「「つまり、それほど親しくもないけれど、知合いの人物から、恐いから助けてくれ、もう死んだ方がましだ、なんて言われて、放っておいたら自殺しかねない、という状況だったら、ということです。」」 p332 「「いらっしゃるんじゃないかと思っていました。」」 p335 「「何が真実の行動で、何が演じているものなのか、貴女には、明確に区別がつくのですか?」」 p362 「「でも、なんとなく……、今思い出してみると、こちらが勝手に抱いているイメージで、ずっと彼を見てしまっていた感じがするの。何も、その、うーん、人を脅したり、汚い言葉を使うようなこともなかったし、そう、礼儀正しいというか、真面目な人なんですよね。」」 - 2026年6月21日
p36 「「うん、河童が出るそうだ。」」 p44 「「おお……、なるほどぉ。そういうのって、アガサ・クリスティですよね。」」 p83 「「今度さ、私の部屋へ来て。一緒に掃除をしようよ。」」 p83 「言葉としては、嘘ではないかもしれないが、全体としてはトリックが仕掛けられている。」 p95 「「有名になれるなら、それでいい。手段は選ばない。その低俗な男たちに受け入れられるなら、流れに乗ろうって考えるわけでしょう?そんなふうじゃさ、いつまで経っても、女性は解放されないってことになる。違う?」」 p104 「「やっぱり、河童の祟りですか?」」 p115 「「河童の絵が、あるにはあるんですよ、祖父の書斎に。」一葉が言った。」 p117 「「ええ、ぶすになるべからず、すすみとげて金を得る、ですね。」」 p147 「「ま、どうでもいいや。えっとな、例のゴッホの絵だけど、どうやら偽物だ。本物の所在がわかった。それだけ、小川君に伝えておいてくれ。」」 p151 「永田絵里子という人物を一言で表現するなら、<気まぐれ>だ。」 p154 「「生きているのが面倒だって思うから、自殺するんだから、考えるんじゃない?手っ取り早く、簡単に死にたいって。」」 p158 「「<河童>っていう小説もあるのね。」「芥川龍之介でしょう。」「わ、凄い、真鍋君知ってるんだ。」」 p184 「「どういうことなの?河童として死ねってこと?凄くない?なんか、激しく凄いよね。」」 p185 「「への河童?」」 p187 「「お皿だから、ダイニング・メッセージじゃない。」」 p214 「死ぬのは、本当に簡単なことなのだ。少なくとも生きることに比べたら、短い決意とほんのちょっとの勇気で実現する。それよりも、だらだらと傷つきながら生きながらえる方を選ぶなんて、いったいどういう了見だろうか、と思わないでもない。」 p234 「「なんというのか、清らかな方ですよね。なかなかそこまで、人間、なれるもんじゃない。」」 p238 「「そんなにそこに注目しないで良いの。でも……、そう、今みたいにね、自分に納得がいかないものを、すぐに尋ねるっていう姿勢?それが基本。大事だと思うよ。若者には、それを言いたいのだ。」」 p254 「「河童の……、日記ですか?」」 p259 「「ああ、そうなんだ。さすがにね……。うん、でも、私、あれは偽物だと思っていますの。」」 p280 「「河童の日記でしょう。ここに入っていたんですよ。あとは、年号かなぁ、ちょっと読めない。」」 p300 「高いものは、濃厚なのではなく、澄んでいる。」 p303 「こんな生き方しかできないのだから、好きも嫌いもないのだが、とにかく、嫌いな自分には触らないように、騙し騙し生きているといえる。」 p313 「「そうですけれど、でも、私にはこれしかないんです。これだけの価値なんですよ、私という人間は。」」 p315 「「話を聞かないとわかりません。でも、だいたい、穏やかで優しい人は、感情が激しいんじゃないかと思います。」」 p316 「「私の小説です。」一葉は答えた。」 p321 「「あれは、一葉という名前の理由なんですよ。」」 p322 「「ああ、金になるね。それが歩?ああ、単数は最後がフだから?」」 p329 「<濁りの中>という文字と、君坂一葉の名が表示される。」 p352 「濁りの中にあって、ただ一つ、彼女が信じたもの。それは、血だった。彼女の中に流れる、百目一葉の血。それが、君坂一葉の誇りであり、アイデンティティだったのだ。それを無にしてしまうもの。それを虚にしてしまうもの。百目鬼悦造が、その真実を孫娘に話した。」 p353 「まさに砂上の楼閣。」 p354 「しかし……、彼女は夢の中に生きることができる。物語の中に自分を置くことができる。」 p360 「小説家としてその道を選び、そして真の小説家になれたのだから、計算は間違っていなかった。彼女は狂っていたのではない。現実を極めて正確に観察していた。」 p361 「「僕は、いつも信じているんだ。」「何を?」「自分の希望的予測を。でも、裏切られることがあまりに多い。」」 p362 「彼女のことを椙田は、アキラと呼んでいる。」 p366 「「一つだけ教えてほしいな。その日本人は、あの天才に金を渡したかったのかい?」「一つだけ教えてあげるわ。そのとおりよ。それ以上は危ない。もうやめましょう。」」 p366 「「昔の話か。」「昔も昔、大昔よ。」」 - 2026年6月21日
p9 「この世は無数の矛盾と意味のない偶然に溢れかえっているのだから、どこを掘り返しても、幾らばかりかの不思議くらい出てきそうなものだが、今回は、掘り出したり探したりする必要さえなかったのである。」 p39 「「そうかそうか。塀の外から眺めているから、綺麗なところだけ見えるんだ。」」 p48 「若い女性だ。真っ白のスーツ。ブーツも白い。」 p48 「「あら、奇遇ですね。」西之園はすぐに小川に気づいた。」 p51 「「秘密です。」彼女は微笑む。しかし、カップをテーブルに戻した。口をつけていなかった。香りを確かめただけかもしれない。」 p51 「「さあ。」西之園は小首を傾げた。そして、口元を僅かに緩める。「以前に那古野で、高い場所で首吊りをする連続事件が起こりました。ご存知ですか?」」 p54 「西之園は答えた。そして、指を一本立てて見せた。「質問は一回だけ。」」 p54 「「どうかしら……。でも、そうですね。子供をあやすおもちゃみたい。」」 p58 「「西之園先生です。椙田さん、ご存じですよね?」返事がない。三秒ほど沈黙が続く。」 p60 「「天敵だと思ってもらえば良い。」「天敵ですか……、椙田さんの個人的な天敵なんですか?」「そうだ。もし僕のことを彼女が知ったら、僕はもう日本にはいられない。」」 p87 「「まあ、想像は自由。とにかく、口にしないこと。」」 p137 「やはり、学問には人類の歴史というのか、見えない重みが積み重なっているのではないだろうか。」 p140 「「もちろん、私が知っているのは、普段の彼です。マスクをしていない。」」 p141 「「以前は違いましたけれど、こちらへ来た機会に、自分にとって新しい分野にも手を広げていこうかなと思いまして……。これまでは、コンピュータばかり相手にしていたんです。でも、もともとは、私の恩師が手がけていた領域ですので。」」 p142 「「ずっと、子供の頃から、合気道を習っておりました。」」 p143 「「拳の握り方。親指の曲げ方。」微笑んだまま、西之園は答えた。「そのうちに歩き方まで変わってきますよ。お気をつけになった方が良いわ。」」 p151 「「無理に複雑にならない方が良いのよう。単純なままでいられるなら、その方がずっと幸せ。」」 p161 「テーブルの向こう側にいる女性を真鍋は見る。彼女も色のついたメガネをかけていた。煙草を片手に持っている。年齢は椙田と同じくらいか。しかし、一般人には見えない。女優か、それとも芸術家か、そんな艶がある。煙草を消したら、立ち上がってシャンソンを歌いそうな雰囲気だった。」 p162 「「馬鹿。ちゃんと奢るんだぞ、女の子には。」椙田が言った。」 p170 「「たとえば、鷲津伸輔が、実は横川さんだった、という可能性はないですか?」」 p232 「「煙草の銘柄を見られるとまずい。」」 p236 「「ええ、どうして、こんなに深いのか……。」西之園は顔を上げた。「これのまえに、なにかあったんじゃないかしら。」」 p239 「「ですから、私が興味を持っている事件と、今回の殺人とは、無関係だということです。」」 p252 「「牧村亜佐美か、ファンの三澤さんに、直接会いにいくべきじゃないかしら。」西之園は言った。「それで、解決するかもしれません。案外あっさり。」」 p258 「「そうだ、ちゃんと自分で考えなくちゃ。」」 p266 「おそらく、異性の場合は、長く友人関係が続かない。同姓の場合に比べれば平均的に短期間だろう。そうなると、続かなかったことを説明するのが面倒だ。」 p285 「「よく考えて、自分の判断で行動して。」」 p285 「「生きていれば、希望はあるわ。最善を尽くすの。逃げないで。」」 p286 「「大好きだった。貴女のこと。」」 p296 「「車が?」西之園は言った。「私を運ぶためだと思うけれど。」」 p297 「「真鍋君は、パスタは何が好き?」西之園が突然きいた。「え……、パスタですか?」真鍋は必死で考える。「いや、あれって、形が違うだけですよね。」「そうなの。良い着眼点ね。」西之園は言った。「でも、形が違うことって、大事じゃない?」「はい、まあ、そうですね。」「色が違うよりも、ずっと大事だと思う。」」 p300 「「私は西之園です。それ以外に私の立場はありません。」」 p300 「「疑問を持ちましたので、おききしたいと思ったのです。」」 p301 「「どうしてでしょう。保険のようなものかしら。誰にだって、不安はあります。信頼できるパートナでさえ、いつ裏切られるかわからない。保険をかけておきたくなったのかもしれませんね。」」 p302 「「悔いはありません。いえ、もちろん、悔いはある。でも、これを選んだんです。これよりも私らしい選択は、なかった。」」 p303 「「ごめんなさい。私は猫舌なんです。」西之園は家政婦に微笑んだ。」 p303 「「真実なんて、誰にもわからない。」西之園は言った。「みんなが、自分が認識していることを正直に話しても、それは真実ではない。認識が間違っている可能性は常にある。」」 p317 「「人間の行動って、そもそも一つの理由だけで決まっているものではないと思います。」真鍋は言った。「そのときの瞬間的な判断でさえ、いろいろなことに思いが巡るもんじゃないですか。」「うん、そうね。」「それをですね、動機はこれこれこんなことだとか、いちいち理由を決めて、そんなの間違っているとか、納得がいかないとか、議論すること自体がおかしいと僕は思います。」」 p321 「「あ、そうか、鈍感だから、周りを気にせずに、その分よけいなことを考える暇があったんですね。だから脳が発達したんだ。」「君をみていると、特にそれを感じるわよ。」」 p322 「「お久しぶりです、西之園さん。」片手を差し出した。「お元気そうですね。」西之園は握手に応じた。」 p325 「「そうそう、あの先生は?メガネの、えっと、何ていったっけ。」「犀川先生。」「そう、犀川先生だ。どうされています?」「いえ、特に変わりはありません。たぶん。」」 p325 「「違う違う。惚けているんですか?」彼は笑った。「ああ、そうか……。」西之園は気づいて、少し笑った。「惚けたわけではありません。」」 p330 「仕事なんかしなくても良いのに?生きなくても良いのに?殺さなくても良いのに?どうして、どうして、どうして?目まぐるしく、数々のシーンが頭の中で展開した。けれど、エレベータのドアが開くまでに、再びすべて凍らせ、冷凍庫の中に押し込んだ。自分が死ぬ間際には、沢山の「どうして」が一挙に解凍されてしまうのだろうか。それとも一緒に消えていくのか。」 p331 「こんなふうにして、モニタの名前だけを見て、何度かけ損なっただろう、と彼女は思った。」 - 2026年6月16日
p26 「「チャオ。」」 p46 「「次の課題が目の前にある、という状況は良いね。」」 p53 「何を問うのか、ということが、この職業には最も大切な能力だ、と言ったのは、そう、上司の椙田である。」 p59 「「いや、今がどんなときなのかも、個人の自由だと思うよ。」」 p96 「なんと、成り行きとはいえ、勢いとは怖ろしいものだ。料理は得意でも不得意でもない。もちろん、人のために作った経験はある。まえの仕事をしているとき、何度か大切な人のために作った。そのときはもの凄く緊張した。それに比べれば、真鍋はどうってことはない。1割くらいのボルテージだ。椙田は半分くらいは緊張する相手かもしれない。メータの針はトータルで六割の振れ。それでも、どきどきものである。」 p124 「道具か……、道具、道具、どんな道具だったのだろう。」 p136 「「うんと、W大でね、凄い美人がいてさ、その人が近くに来たら、椙田さん、あっという間に隠れちゃって。」」 p143 「「まあ、そもそも、意味がある、という考え方が間違っているのかもしれないわね。」」 p155 「「意外なところで意外なつながりがあるものね。」」 p156 「「さあ、どうかなぁ。こんなことを続けていても、ものごとが解決するのかどうか、正直わからない。でも、少なくとも、僕の仕事は、僕に仕事を頼んだ人を納得させることなんだ。足を運んで、時間をかけて、汗を流しても、結局はわからなかった。だけど、とりあえずは、なにもしなかったよりは、努力をした分、しかたがない、という納得が得られる、というわけだね。困ること、悩むこと、その時間を請け負っているようなものだから。」」 p156 「「無駄なことがしたくないのなら、今すぐ死んだらいい。」」 p157 「もっと沢山の無駄なことを二人で一緒にしたかったのに。」 p162 「「相手が人間だと、実験なんかできませんよね。」小川は食い下がる。「ええ、普通はできないと思います。」小森は頷いた。」 p166 「「うん、人の命がかかっている、人の人生がかかっている、それでも、内緒にしておかなければならないことがある。どうだろう、それは正しいことだろうか?僕自身よくわからない。」」 p182 「イメージすることが目的なのだから。そのイメージを確かめたかった。自分のものにしたかった。」 p184 「ナイフの刃先よりも、その人間の執拗さの方が、むしろ怖ろしい。」 p201 「「行動原理は、でも、常に自分の欲求を満たすためなんですよ。その欲求が、他人に理解できるものか理解できないものか、というだけのことです。」」 p205 「「だいたい、誰だって変わっているところはあるじゃないですか。平均的な人間なんて、むしろ珍しいっていうか、つまりそっちの方が変わっているくらいです。」」 p205 「「そうなの。でも、そこが恐いのよね。なんか、普通に見えるのに、普通の人として生活しているのに、その奥に異常な精神が潜んでいる、それがときどき、なんかの拍子で現れてくる、そんなのが恐い。」」 p206 「「花粉症みたいなものですね。」」 p229 「「そういうことを口にするのは、非常に自虐的だと僕は思う。感心しないな。」」 p230 「「自分の思い込みに、気をつけろ、ということ。」」 p232 「単に、眠りたいだけかもしれない。ただ、夢を見たいだけかもしれない。明日になれば、きっと消えてしまう感情。でも、必ず、いつまでも残っていて、ときどき泡のように膨らむ。虹のように反射をして、たしかに蠢いている、と気づかせる。そうか、私は、もしかして、そのために生きているのでは、という一瞬の錯覚を見せる。その一瞬の錯覚は、たとえば、その瞬間には、誰かにナイフを突きつけてその人を殺せるかもしれない、というほど強い。自分だって、簡単に、たぶん一瞬で殺してしまえるだろう。」 p233 「どうにか、そうならず、誰も殺さず、自分も生きていられるのは、何故だろうか?これは夢だ。非論理的だ。あるいは、これまでの人生の重さ。せっかく築いた地位?財産?それとも友情?愛情?違う、そんなものはどうだって良い。たぶん、生きたい気持ちと、行きたくない気持ち。その葛藤だろう。」 p257 「ここは、無関心と無関係に支配された世界か。」 p281 「ドアの前に立っていた女が屈み込んだ。そして、躰を素早く横にして脚を伸ばす。阿部の足許を蹴った。」 p292 「「うわぁ、格好いいですね、萌えますね、そういうの。」」 p293 「「向こうもね、私の顔を知っていたの。あらら、みたいな感じで。」」 p299 「「思い込みだけで、人間ってそこまでできるものだろうか。」」 p303 「「こんにちは。」西之園は言った。「やっぱり、いらっしゃいましたね。」」 - 2026年6月14日
p15 「じっと真鍋の方を見据える美しい瞳は、潤んでいるようにも見えた。それがデフォルトなのか、それとも言葉にならない感情が僅かに染み出た証だったのか、それはわからない。」 p44 「「私たちよりも、少し背が高くて、でも痩せています。髪は長い。色白で、誰でも見とれるほど美しいお姿です。」」 p83 「生きているなんて、それだけで残酷。」 p87 「「この私を殺して下さい。」熱い血を。「殺して……、どうか……。」優しいその手で。美しいその指で。私の首を。どうか……。生きていてはいけないの。生まれてはいけなかったの。」 p141 「活けられているのは小さな花で、スミレだろうか。青か紫か。」 p215 「色彩が集結した口の紅は妖艶で、ついつい視線が釘づけになる。」 p228 「「被害者の体内に精液が残っていた。」」 p259 「その明かりの下、小径の片隅に花が咲いていた。紫色の小さな花がずっと続いている。」 p280 「「首を絞めて、切ってやろう、赤い血が、温かいぞ。」」 p306 「「うん、ま、たまたま、ここにあるだけかもしれない。だいたい、絵の価値には無関係なんだ、そんな作者の履歴なんてものはね。人間の価値だってそうだろう?履歴ではない。今現在の能力がすべてだ。」」 p308 「「椙田さん、西之園先生と、お知り合いなんですか?」」 p310 「「あと、椙田事務所という名前を、今日から変える。えっと、SYアートにしよう。」」 p312 「「ばあ、いないいない、ばあ。」」 - 2026年6月14日
- 2026年6月11日
- 2026年6月8日
p10 「非常に些細なことのように思われるかもしれないが、人生が方向を変える最初の弾みとは、えてしてこの程度のものだろう。」 p26 「「以前に一度あったんだが……、コピィした偽物とすり替えておいて、発見を遅らせるわけだ。それで、別のところに隠したブツをゆっくりと運び出す。たとえば、梱包された荷物、建築の部品、機械のメンテナンス、そう言った偽装をしてね。それが奴の手口だ。」」 p32 「一つには、ずいぶん以前に別れた妻のこと。」 p33 「もう一つも、やはり女性のことで、情けない。かつての直属の部下だった。」 p43 「知らないことほど幸せなことはない。予感もせず、予測もしないことは、晴れ渡った空のように清々しいだろう。」 p48 「奴の好みの絵があっただろうか。少なくとも、この部屋にあるような抽象画は、奴の専門領域ではない。」 p62 「「元気?」「元気です。みんな元気です。声が聞きたかっただけ。」」 p85 「かんのんさま。かそうば。らじお。あいしています。わすれないで。」 p89 「暗い道を歩いていくと、門のところで彼女が待っていた。その住まいは彼女のものではない。どこかの金持ちが、古い建物を移築し、ここで保存している。彼女はその管理人として住んでいるのである。そういった過去の人脈が今の彼女を支えている。私自身もその一人といえる。僅かな額を届けている。それは彼女というよりは、彼女と私の息子の学費に消えているだろう。逆にいえば、その状況のおかげで、私はこんなに長く仕事を続けられたのである。」 p100 「生まれたときから、人はそれぞれに与えられたものを持っている。自分の意思で選べるものは少ない。途中で取り替えられるものなどほとんどない。そんなことは、子供の僕にでもわかることだった。だから、僕はまだ檻の外へ出たいとは考えなかった。」 p108 「そういう話を聞いていると、僕はなんだかうっとりとしてしまうのだった。眠くなる、という意味ではないけれど、とてもゆったりとした気持ちになって、ゆっくりと呼吸をして、瞬きをするときにも目を少しだけ長く閉じていようとする。植物に還って、もう少しゆっくりと生きていたい、そういう思いが、つまり、安心する、という気持ちの基本のようにも思えた。眠りたいという欲求も、その頃の生き方を懐かしんでいるのにちがいない。」 p111 「不安におののいて見ている者など誰一人いない。目を顰め、困った顔を造ってはいても、結局は喜々として、最高に悲惨な結末を期待しているのだ。そんなものはもう、火をつけた花火と同じで、ここまできたら爆発しなければならない。大きな音を立てて輝き飛び散ってしまわなければならない運命にあるのだ。そうでなければ、人々は満足しないのだ。」 p115 「僕は、関係という言葉が嬉しかった。これこそが貴重なもので、いつまでも永く大切に、壊さないよう努力しなければならないものだ。」 p117 「「躰が固くなると、いろいろできないことが増えるんだ。それと同じように、脳が固くなると、いろいろ考えられなくなる。なにも考えず、新しいものを受けつけない、決まったことだけを毎日するようになってしまう、それが大人ってわけだ。」」 p121 「「それはね、檻の中にいる君が、出たがっているせいだよ。」」 p131 「プリズムを手に入れたかったけれど。僕の内側でそれが輝くのを見たかったけれど。」 p159 「「失望は期待の終わりっていうでしょう?期待をしては駄目。流れに身をまかせ、どんぶらこどんぶらこ、とお話しにとけ込むの。」」 p169 「こうして、私はいつも、そうだったら良いのに、を繰り返し、泣いている目に、ごめんなさい、を繰り返し、忘れられない、という名の小さな種が、自分の頭にもまだ残っているのでは、と思いだして、知らず知らず髪に指を入れているのである。」 p211 「山吹の友人で、海月及介という変わった名前の男だ。中学生のとき、白刀島に一年間だけ住んでいたことがあり、そのとき山吹と同級生だった。」 p217 「山吹は五月生まれだ。安易な山吹家の命名方法である。」 p219 「「よおく考えてごらんなさい。貴女と私、どっちが料理が得意?」」 p224 「「でも、諏訪野が風邪をひいたとき、あんな年寄りでもまだ風邪をひくのねっておっしゃったの、叔母様ですよ。」」 p228 「「あ、彼が噂の海月君です。」山吹は微笑んだ。「及介、こちらが西之園さん。」」 p245 「トロントしてる。」 p266 「「いえ、犀川先生が思考派で、西之園さんが行動派かなって。」」 p280 「「僕の身内。」医師は答える。」 p280 「「あれはね、グライダだよ。」微笑みながら彼は話した。「ラジコンのグライダ。あの人の趣味なんだ。」」 p283 「「現実っていうのは、常に釈然としないものかも。あぁ、これって、犀川先生入ってるなあ……。」」 p286 「「刀之津診療所の謎についてです。」「うん、僕は、もう全部わかったよ。でも、君にはわからない。」」 p288 「「まあ、現実って、こんなものですよね。脈絡もなく、もともと突飛で、ばらついているし。」」 p288 「「無関係のものを無理に結びつけて、物語を作ろうとするのが、人間の想像力。」」 p289 「「あ、そうだ、叔母様、PQRって、なんだと思います?」」 p289 「「うーん、三つとも非対称。」」 p289 「「見くびらないでね。西之園は、ローマ字だと、すべて点対称ですよ。」」 p290 「「叔母様、お食事中にそんなことしたら……。」西之園は言いかける。「諏訪野に叱られる、でしょう?」佐々木が微笑んだ。」 p290 「人間というのは、ときどき、こうして未知の領域へなにげなく足を踏み入れることを好む。この性状は他の動物には滅多に見られないものであり、これこそが人類の主たる特性といえるものだろう。」 p291 「≪PQR≫も非対称だが、≪刀のつ≫も同じく非対称だ。「なんだ、そういうこと。」彼女は小さく呟いた。」 p291 「突然、ガラガラと音を立ててガラス戸がスライドする。目の前に同年輩の男が立っていた。診療所の医師だろう。白衣を着ている。」 p292 「「≪刀のつ≫というのは、横を向いていますけれど、FとGとJですね?」」 p292 「「アルファベットの大文字の中で、線対称でも点対称でもない、非対称なものは、F、G、J、P、Q、Rの六文字です。それが書いてある。」」 p292 「「では、グライダを飛ばしにくる人って、あの方だったのね?そう、背の高いボーイッシュな感じだったわ。どうして、この島で一緒に住まないの?」「彼女は仕事があるんですよ。」男は答える。「振袖を着ていたのは、貴方だったわけ?」」 p293 「「そうか、少林寺かなにかね?」」 p293 「「さあ、とにかく、中へどうぞ。」彼は手招きした。「懐かしいなあ。お茶でも淹れましょう。フランソワ。」」 p297 「しかし、これはトンネルだ。いつかは出口が必ずあるはず。ここに立ち止まっていたら永久に出られない。前に進むしかないのだ。」 p314 「午前と午後が背中合わせ。それが小川君のものだ。」 p319 「男は、美術品の鑑定を依頼されてここに絵を見にきた、と語った、名前は椙田というらしい。」 p322 「「それを見ていなかった。」椙田は答えた。」 p324 「椙田事務所・所長・椙田泰男。美術品鑑定、各種調査、ほかにも小さな文字が続く。」 p324 「「もしよければ、僕の秘書になりませんか?」」 - 2026年6月4日
虚空の逆マトリクス森博嗣p9 「知っていることもまた意志の一つだったし、知っている、と自覚することこそが、唯一残された意志の結晶かもしれない。」 p13 「彼女は、そして、僕は、どこから来たのだろう?」 p14 「だけど、僕が彼女を殺すはずはない。それが理由になるのかどうか、よくわからないけれど、彼女のことが僕は好きだった。愛していたかもしれないほど、彼女といると楽しかった。だから、殺す理由なんて僕には絶対にない。」 p16 「【キスをしますか?イエス/ノー】」 p27 「「うん、そうだなあ、トロージャンの場合は、見かけは立派な人間に見える。病気でもない。どこにも異物を含んでいない。ただ、その人間は生まれたときから、悪事を働くためにプログラムされているんだ。」」 p53 「他人に囲まれて、他人と比較しないと、自分を見失ってしまうのだろう。」 p57 「「イエス?ノー?」」 p69 「人は破壊する。破壊したい、と欲する生きものだから、必ず、いつかそのベクトルが現れる。それを消し去ることは、人間でなくなるのと同じ。」 p74 「急に、誰かに、触れたい、と思った。それが、どういう感情なのか、思い出すのに時間がかかる。長い間、ずっと眠っていた欲望のようでもあった。とても懐かしい。」 p88 「【これが最後の質問だ。君は私を信じるか?イエス/ノー】」 p89 「【君は、私が送り込んだトロイの木馬だ。】」 p90 「これほどエラーの多いスクリプトはないのに、何故か止まらずに走り続ける、それが人間の仕様だ。」 p95 「「夢をみているの?」」 p96 「「私の可愛い子。」」 p96 「「お願い。」優しい声で彼女は言う。求めるような、甘えるような、縋るような、大人の女性の声で。」 p100 「「助けて!」」 p101 「【ここに入りますか?イエス/ノー】」 p102 「巨大な馬の形をしている。斜めの柱は、馬の脚だったのだ。木馬だ。」 p104 「「もう、私たち、おしまいね。」」 p106 「「私を殺すことで、このネストから抜けられるはず。」」 p106 「「お願い……。」「サヲリ。」「可愛い子。」」 p109 「「可愛い子、ボクは、私のトロイの木馬だったのよ。」」 p118 「君は現実に存在するのか。君が存在する理由は何か。君はどこから来たのか。」 p118 「誰かが君を送り込んだのかもしれない。君が自由に行動しているつもりでも、それは、初めから計算されていたルーチンで、もっと大きな目的のために、君の働きが秘密のうちに期待されていないともかぎらない。」 p119 「自分は自分の意志で生きている。それが人間の自由だ、と考えること自体が、一種の封印ではないか。その呪文があるかぎり、その先に潜む本当の存在を、君は見過ごしていないだろうか。どうして、自分以外の意志の関与をそんなに恐れるのか。その不自然さを、どう理解できる?」 p119 「いずれにしても、それを問うことは、君の自由。目の前のドアの中に、それは見つかるかもしれない。選択せよ。ただし、この実行は取り消せない。【ここに入りますか?イエス/ノー】」 p154 「ただ、そんな実に頼りのない後押しだけで、僕は人生の決定的な一歩を踏み出してしまった。」 p159 「最もありがたいと思ったのは、好きなときに好きは本が買える。」 p159 「しかたのないことだとは思うが、小説家というのは、いうなれば誤解を製造しているようなものなのだ。」 p193 「なるべく生きた他人と関わりたくない。それが理想型である。」 p197 「常々、禁煙者よりも禁話者を設置してほしいものだと強く願っている。これはタクシーにかぎらない。鉄道やその他の施設などでも、ぜひ考えてもらいたいと思う。」 p200 「そんな勝手な普通を押しつけてどうする。」 p203 「「ジジツトリック?ああつまり、事実だと思っていたことが、実は事実ではなかったって意味でしょうかね。」」 p218 「少なくとも、本は読もうと思って読むもの。」 p221 「変化の原因は継続しているのに、変化はほとんどの場合、瞬間的に訪れるものだ。」 p246 「モナカを買おかなも。」 p253 「♢2」 p255 「「土井さん言う、封印再度。」」 p256 「「若い犀川。」」 p256 「「練無なりね。」」 p310 「「君の名は……。」」 p318 「彼とのつき合いは、もう四半世紀にもなるのだから、パターンはだいたいわかってる。」 p320 「「そんなに、友達思いだったか?」」 p320 「「嘘の方が価値がある、と言う場合もある。」犀川は応えた。「それ、余計なお世話って言わないか?」「サービスとも言う。」」 p322 「犀川が彼女の家にやってくる特別な夜なのに……。」 p323 「そう、この緊張感から逃れたい、と言う後ろ向きの思考、不条理な感情だ。楽しさがあまりに鮮烈なので、自分はそれに耐えられない、と弱音を吐く……、そう、恥ずかしい、照れているのだ。そうにちがいない。犀川と二人だけになることが、それが最高のコンディションぇあることは明々白々なのに、ショックだと認識する。だから、クッションを設け、その嬉しいショックを和らげようとしているのではないか。」 p325 「「犀川先生が指輪でもくれたの?」」 p325 「「男はセンスが悪い奴にかぎる。」睦子は自分で言ってからくすくすと笑った。」 p332 「「外部に評価を求めてはいません。」」 p335 「萌絵も犀川も表面的には上機嫌だった。けれど、戦争寸前の両国の使者が会談するときだって和やかなもの。人間は、その程度には複雑にできているのである。」 p357 「「つまり、紙袋がどこかで、すり替わっていた、ということですか?」」 p365 「「そういうときにさ、どうして本命から言わないんだ?」喜多が横から言った。「それが、話が長いってことだろ。」」 p371 「「事件なんか早く解決して、私と二人だけになりたかったのですね?」」 p372 「「これを、ここに置いておくよ。」」 p375 「「プレゼント。」」 p376 「「二人とも、もっと素直にならなくちゃ。」」 p377 「「ええ……、いつの間にか、入れ替わったみたい。」」 - 2026年6月2日
p13 「「犀川先生と安朋さんがいらっしゃるのだから、喜多先生だって、来やすいはずじゃありませんか。」睦子が言う。」 p18 「「あ、あの……、大御坊ですけど。」「は?」不注意にも、諏訪野は思わず小さな声をあげてしまった。」 p19 「世の中、いたるところに人間の知恵と意志が潜んでいるものだ。」 p22 「「大御坊か?」」 p28 「「大御坊か?」」 p30 「犀川はこういった家庭料理を食べたことがなかった。もともと、彼の実家ではこういった料理は出ない。」 p31 「「今度私が包丁を握るときは、誰かを刺し殺すときですよ。」」 p37 「「世の中、いつもいつも、すぐに答が見つかるわけじゃないんだよ。」犀川は淡々と話す。「どれだけ沢山のものを保留していられるかが、重要な能力の一つだ。」」 p46 「「人間、いつだって、誰かを探しているし、見つけ出さなければ、忘れてしまうのが普通だ。」」 p47 「「私が探している人物こそ、私の理想の男性だ。彼女はそう言いました。」」 p49 「「この二人、ちょっと勉強のし過ぎで、おかしいんだ。」大御坊は隣の恵郁子に囁いた。」 p53 「大御坊安朋は小説家なのである。」 p53 「「人間いろいろ、千差万別。」喜多がすぐ答えた。「魔が差したんだろう、きっと。世の中そういう奇跡に満ち溢れているんだ。」」 p54 「「木原さんが、その怪しい喫茶店で見た占い師と、それとも、僕を待ち伏せしていた女の子……、この二人のうち、どちらが魔女だったか?」」 p55 「「こういった境界条件がファジィな問題に、君の思考パターンは向いていない。自覚していた?」」 p58 「「では、手短に申し上げたいと存じます。結局のところ、恵郁子様は、大御坊様に約束のお金を支払われたのでしょうか?」」 p58 「「心より、お慶びを申し上げます。」諏訪野は、また頭を下げた。」 p61 「「なんだ、そういうことか。そうか、お前が大御坊だということを、すっかり忘れていたよ。」」 p63 「「愛の告白だったわけね?」」 p63 「「結婚したんだ。」大御坊は言った。「僕たち。」」 p63 「喜多は、小刻みに何度か頷いたが、しだいにその首の運動は縦から横に変化する。」 p65 「「思考は、もっと自由でなくてはいけないってことですか?」「自覚さえあれば、どちらでも良いね。」」 p69 「「二人がお互いに惹かれていた。それなのに、言葉にするときは、つきまとわれている、という表現になって、自分でもそう思い込んだ。つまりは、お互いの自覚がトリックだったんだ。おそらく、世の中にはこういった例は多いだろうね。話している本人が気づかないうちにトリックが仕掛けられる。一方では、客観的に考えれば、こんな簡単なことが現実には盲点になる。」」 p71 「「ええ、本当に、素敵な魔法。」目を細めて萌絵が微笑んだ。「私たちも、やってみません?」」 p75 「若い頃ほど、納得することに飢えている。何故だろう?おそらく、数々の≪納得≫によって自分が成長してきた余韻にまだ酔っていられたからだ。それにしても、人間の興味が、歳を取るにしたがって、さまざまな方面から撤退することの凄まじさ。まるで、死に急ぐような、素早さ。」 p76 「中高一貫の私立T学園は男子校である。犀川も喜多も、二人ともこの学校の出身だった。」 p77 「「双頭の鷲の旗の下にだよ。」」 p80 「珍しい。衝撃的といっても良い。今年一番の珍しさだ、と萌絵は小さく震えた。国枝桃子がそんな台詞を口にするなんて……。恥ずかしい?いったい、どうしたというのだろう?」 p109 「「音を聞いたのか?お前、ここに一晩中いたんだろう?」HはSに質問した。「いや、ヘッドフォンをして音楽を聴いていたからね。」Sは床にあるラジカセを指さした。」 p112 「「さあね、きっと、夢が見やすいんだろ。」Sはちらりとこちらを向いて、口を斜めにした。」 p112 「三人は廊下へ飛び出した。三人だけではない、クラス中のみんなが廊下を走っていた。UFOが運動場に着陸したみたいな騒ぎだ。」 p114 「もう一人、長身の人物が手前から現れる。薫田川や八木よりも背が高かった。背広の背中しか見えない。」 p125 「振り向きもせず、逃げるように早足で去っていく薫田川夫人。「国枝先生!」」 p126 「思考は、最初の印象によって無意識に限定される。その不自由さが問題を複雑にし、解決を遠ざけてしまうことが多いのだ。」 p127 「「やったことがあるみたいじゃないか。」喜多が笑った。「やったことがないみたいじゃないか。」犀川は笑わなかった。」 p131 「人の心はときどきクリスタルのように細かく揺れ動く。いつもなら、自身によって重ねられた粘液にも似た理屈のないシールドに被覆されて、「落ち着こう落ち着こう」と自重しているはずのシステムが、何がきっかけなのか不明だが、たまに、ぶるっと身悶える。」 p132 「さて、その日の小鳥遊練無は、まさにこのゆらぐ心を(無自覚にも)持っていた、といえる。」 p133 「ぶるぶる人形を追跡する会(一般参加を歓迎)」 p134 「「あれ?貴方って、もしかして女性?」」 p134 「「私のことはフランソワって呼んでちょうだい。貴方はなんて呼ぼうかしら。」」 p147 「「研ぎ澄まされた感覚が、ぶるぶる人形を呼び起こすのです。」」 p158 「「まさに絶好のぶるぶる人形日和といえます。」」 p166 「恐いものとはこの場合、信じたくないもの、とうてい自分には受け入れることのできないもの、なのに、その出現を望んでいる。怖いものが見たい、という感情は、実に矛盾した欲望ではないだろうか。」 p167 「「ちなみに、これを≪置いてきぼりの法則≫という。」」 p182 「そんな恐いものは、どこへ行ってしまったのだろうか。それとも、恐怖なんて、そもそも実体のないもの。どんどん、実態に支配されるのだ。」 p183 「ぶるぶる人形が、ついに、現れたのだ。」 p186 「「お願い、燃えないで。」」 p191 「「西之園よ。」」 p194 「「でも、形以外に、見えるものは、この世にないのよ。」」 p201 「「ものごとの本質は、表面からは見えない。いつでも、それはとても小さな兆候なのだ。良いかね、メテ君、どんなに細かいことも見逃してはならない。可能な限り広く神経を配り、細かく観察し、そして正しく分析するのだ。」」 p207 「「二十六は、二乗数の二十五と、三乗数の三十七に挟まれた唯一の整数なのだ。」私は説明する。「つまり、二乗、人情と、三乗、立法の狭間にある。」」 p210 「「最初は僅かな思い込みでも、それらの積み重ねが、あらぬ方向へと思考や推理を導くのだ。問題を難解にするものは、自分の間違った認識なのだよ。」」 p234 「「頭を冷やしなさい。可能な限り、現実的にものごとを考えなければならない。」私は言う。「無理に難しく考えようとしていないか?頭蓋の中で、夢を見ようとしていないか?頭の皮は、現実社会に直面しているのだ。つまり、これが本当の現実頭皮である。」」 p236 「だが、甘やかしてはいけない。若者の目を現実から逸らさせてはならないのだ。」 p248 「「キャスリングだよ。」」 p248 「「おお!そうか、だから、キングとルークが入れ替わって……、ほうほうほう、ああ、なるほどね……、ほうほう。」」 p249 「「そもそも、犯罪の動機などすべて、だから何なのか、という程度のものに過ぎん。否、人間のすべての行動、すべての営み、この人生もそして社会も、全部がそうだ。だから何なの?それ、なんぼのもん?違うかね?」」 p249 「「はぐらかし、はぐらかされ、生きていくのだよ。それが、すべての行動の動機であり、また、無関係でもある。私はここにいて、ここにいない。AはBであり、すなわちBでない……、わかるかね?」」 p249 「「だけど……、ほら、マイナでわかりにくくないですか?キャスリングなんて手を、知っている人がどれくらいいるでしょうか?」「知らん物は知らんで良い。我知らずを知るが大切なのだ。さあ、電気を消してくれ。」」 p254 「生きているものは、本当に得体が知れない。とにかく、生命は、他の生命を蝕む。だから、恐い。」 p255 「つまり、理由なんてものは、あとから近い言葉を適当に見つけて、それと交替した代用品なのだ。」 p255 「だが、人のことなんか、どうだって良い。そんな余裕は私にはないのだから。」 p259 「生きている目的とは、期限内に活路を探すことにある。」 p265 「「事実かどうかが問題なのではありません。僕は、それを信じている。それがすべてです。」」 p305 「どんなお話でも、それを考えた人の気持ちや希望が読み取れると素敵だと思うのです。もし私が小説を書いて、それが本になったら、先生にまっさきに読んでもらいたいと思います。」 p308 「先生は私たちに、よく「ねえ、どんなふう?どんなふう?」ときくのです。」 p309 「「先生にはわからないの、教えて。」ということを言う先生は初めてでした。」 p310 「先生が私たちに教えて下さったのは、「素直に」「慌てるな」「恐がるな」の三つでした。これを忘れないで、私は生きていこうと思います。満智子先生、さようなら。三年間、どうもありがとうございました。」 p317 「若尾先生は、私に教えてくれました。「あなたの躰はあなたが動かしているのだ。」「あなたを連れていってくれるのは、あなたしかいない。」「あなたはどこへ行きたい?」」 p317 「私は誰かに好きになってもらいたかった。でも、そのまえに、誰かを好きになろうと思います。」 p318 「今の僕ではまだとても無理だ。でも、夢を持っていれば、それに、そこへ行くまで忘れずに努力を続ければ、きっとできる。」 p318 「人は誰でも荷物を持っていて、その荷物を捨てるわけにはいかない。一生、それを持って歩かなければならない。たとえば、自分の躰が荷物だし、自分の周りの人たちも荷物になる。自分も誰か他の人の荷物になる。重いからといって捨てることは簡単だが、それを背負っていくことが、人間としての生き方だと思う。」 p318 「若尾先生が「ねえ、どんなふう、どんなふう?」と僕たちにきくのは、僕たちが先生には見えないものを見ているからなのだ。これはとても大切にしたいと思う。先生は、それを僕たちに教えてくれたのだ。」 p319 「「先生だけが目が見える。でも、どう見えるのか、君たちに私は教えられない。君たちのことだって、私にはわからない。」」 p323 「そんな優しさって、たぶん一瞬空気に触れただけで、たちまちひび割れてしまうものなに、ときどき奇跡的に残っていることがある。神様だって忘れものをするからね。」 p344 「そう、ときどき……、今じゃないこと、過去のことや、未来のことを考えてしまうんだ。それで……、気分が落ち込んでしまう。どうして、そんな自分にそんなことをするのだろうって思う。今が楽しくて、今が幸せなら、それで良い。何も考えなければいいじゃないか。そう、確かに、それはそうなんだけれど、一度でも幸せになると、それがいつまで続くものなのか、心配になる。本当に損な感じがする。」 - 2026年5月30日
p12 「「失礼かもしれませんが、島のオメガ城にいらっしゃったのでは?」」 p20 「それは、<MAGATA Shiki>である。」 p23 「何故なら、ドクタ・マガタといえば、ドクタ・サイカワを連想するのが、フランスでは一般的だ、と聞いたからだ。」 p40 「「え?では、招待したのは、ドクタ・マガタではない、とお考えなのですか?」」 p42 「「どうかな……。彼女なら、アリストテレスとダ・ヴィンチとニュートンとオイラとアインシュタインを招待するでしょう。そういうことです。」」 p62 「「多大な期待ほど、つまらなさを引き寄せるものはありません。」」 p67 「それでも、オメガ城の噂は以前から聞いていて、有名な絵画が展示された写真に興味を持ったので、訪ねてみることにした、と話した。」 p82 「サイカワは、壁際を歩き、絵画を一枚ずつ見ているようだった。」 p85 「「七人というのは、ちょうど良い数ではありませんか。」」 p86 「「ぎりぎり、なんとかわかります。」サイカワは、英語で答えた。「でも、話すのは、ちょっと難しい。」」 p90 「「この城には、絵を見る目が確かな方がいらっしゃることはまちがいない。相当な資産といえると思います。」」 p90 「「この食堂のものは、描かれてまだ新しいものでしょう。私も全部を見たわけではありませんけれど、この上の階のホールには、一流美術館に展示されても不思議ではない作品が数点ありました。無造作に掛けられていましたが、保守は大丈夫なのでしょうか?」」 p95 「「マガタ博士。」サイカワが日本語で呟いた。」 p96 「「貴方がいらっしゃるとは思いませんでした。意外です。私が意外に思うことって、珍しいのですよ。」」 p99 「「いえ……、これは蛇足。」彼女は首を傾げ、片手で長い髪をゆっくりと払う。「これから起こることに、ご注意される方がよろしいと思います。でも、私にはどうすることもできません。人間というものは、そういうものなのです。ほとんど無力、ただ呼吸をし、老化し、死んでいくのですから、一時の迷いも、トゥリヴァアルな揺らぎ……。では……。」」 p108 「「私のごく近い人にです。私は、その人の代理で来ました。もちろん、私が参加することは事前に主催者に知らせてあります。代理でも良いという連絡も受けました。」」 p108 「「私たちは、見えるところだけを見せられている、ということでしょうか。」」 p115 「<The Black Widowers?>」 p115 「「そうか、黒後家蜘蛛の会ですね?」」 p137 「「私は、法的には結婚をしておりませんが、パートナはいちおういます。」サイカワは答える。」 p138 「「私は結婚していて、パートナは女性だよ。」シモンが言った。」 p141 「「少なくとも、四人は生きている。」」 p145 「「wですか?」」 p162 「「アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』なら、映画で見たことがあります。」」 p164 「「思考は現実に直接的に影響しない。」」 p164 「「未来を変えるには、行動が必要ってこと?」」 p180 「ニモイは、ロッカと壁の間のスペースに立てかけられていた、長い円筒形のケースを取り出した。」 p181 「「遊園地の施設のような設計ですね。」サイカワは言った。」 p186 「「光の三原色ですね。」」 p211 「「電気を見るための測定器ですよ、電圧、電流、抵抗などを計る道具で、私は、小学三年生のときに買ってもらいました。」」 p214 「「もう、野蛮なことは起こらない、と私は考えています。私を信じてもらえるかどうかは、私の問題ではありませんが。」」 p214 「飾ることのない言葉は、いつも現実を客観視しているからこそ出るもののように感じられた。」 p228 「「とにかく、惨劇というのか……。」」 p244 「動機を問うのか、あるいは、方法を問うのか。それは観察したものが実現化の可能かどうかという無意識の評価によって、異なってくる。」 p248 「「このように、実際の可能性を、観察された事項から導くことで、しだいに現実が見えてくるものです。客観性が大切です。」」 p268 「「研究所です。」サイカワは答える。」 p273 「「マガタ研究所です。」」 p283 「「私は写真はご遠慮します。」彼は片手を広げた。」 p296 「「社会性の欠如が垣間見えますが、おそらく子供の頃の環境かな。」」 p305 「それでも四半世紀以上まえのことだった。」 p306 「近くのキャビネットに、円筒形のケースが立てかけられていた。城の建築図面が入っているものだ。」 p313 「「ええ、東京で。」」 p315 「「先進的かどうかはわからない。ただ、自由というものを知っている人たちだったとは思います。」」 p319 「「招待所は、その、直接ではないのですが、母のところへ巡ってきました。それで、最後は私のところへ。私が母の代理として来ました。」」 p324 「「人間がトゥリヴィアルだからでは?」」 p324 「「諦めている、というよりは、最初から期待していない。」」 p330 「ドクタ・マガタなら話はまだわかるが、ドクタ・サイカワが異国の地でこれほどのファンを持つとは想像もしなかった。」 p338 「「えっと、たしか、先生の妹さんだったのでは?」」 p342 「「できれば、遠慮したい。」」 p344 「「あ、その最後の漢字、平和のヘイですよね。フランスだとエイだけど。」」 p352 「「この人。」サイカワは囁くような声で言った。」 p365 「「そう……、でも、たとえば、私一人が、そうか、それが真実か、と納得しても、私にとっては解決です。」」 p366 「「明日のことはわからない。」サイカワは首をふった。」 p369 「話の聞き役として、彼は特別な能力を持っているとしか思えない。」 p370 「「黒後家蜘蛛の会の殺人。」」 p374 「「この先に、私が知っているブティックがある。服を買っていこう。」サイカワが言った。」 p378 「たしかに自分だが、これは自分史上最高の自分ではないだろうか。」 p380 「「オメガ城の殺人現場で、私のハンカチが血で汚れた。その地を警察に持っていこうと思います。それから、ウヅキさんのベッドに落ちていた髪の毛を持ってきたから、これも警察に提出します。そう話して下さい。主語は私ではなく、貴女自身。」」 p383 「「あまり、その、気合を入れない方が良い。いつも、力を抜いて、落ち着いて、ぼんやりとして、集中せず、あちらこちらを見て、いろいろ考えること。」」 p397 「「不定です。わからない。不可能ではありませんが、不定です。」」 p399 「「ママの横の人?後ろの人?」」 p401 「「発生練習した方が良い。」彼は冷静な口調だった。「いざというときに、声なんか出ないものです。」」 p403 「「そう、良いところに気づいた。」サイカワが呟いた。」 p404 「「疑わしいものを調べ、否定的な証拠を集め、それらが間違っていることを確かめる。これが科学のやり方だ。反証を丹念に潰していくことの方が、正解に近づける。一方で正しさを立証しようとする試みは、宗教的なアプローチといえる。神は存在し、奇跡を起こす、という証拠を必死に集める。信者は、自分たちが信じたいものにしか目を向けない。ここに宗教のジレンマがある。」」 p407 「それは、彼の言葉がいつも、少し未来を言い当てていたからだろう、ドクタ・マガタが私たちに忠告したのと同じように。そうだ、同じ機能というか、エネルギィを感じる。」 p409 「「それが、最も可能性が高い。」」 p410 「私は絶句してしまった。」 p411 「「警察に言っておいたのに。」彼は呟いた。「本気で護衛しなかったようだ。」」 p412 「「私だけが知り得た情報が、それだった。貴女は、たしかに知らなかったから、解決に必要な条件が揃わなかった。」」 p414 「サイカワが倒れている。やはり、撃たれたのだ。ゆっくりと顔を上げて、相手を見た。それは、まさかの人物だった。」 p415 「驚いたことに、サイカワはフランス語を話していた。」 p416 「「サイカワ先生!」私は叫んだ。悲鳴に近い声だっただろう。」 p419 「そして、今日執筆した下書きを誰に見せたら良いのか、と考えた。」 p422 「「そうか、だから、黒後家蜘蛛の会だったのですね。」」 p426 「「私は母の代理で来たと話しましたが、実は招待されたのは、私の父だった。父と母は、離婚しているし、表向きは不仲だと周囲に認識させている。ドクタ・マガタは、母のことをよく知っている。だから、その信者にも、その情報が広く流れていたはず。母も、夫を殺すチームに勧誘できるのではないか、と勘違いしたのでしょう。」」 p426 「「もちろん、ネットの集会に参加するような信者ではなかった。それに、母は今も父のことを愛していて、別居はしていても、ときどき会っている。父は、面白がって、招待状を母に見せた。その話を、私が聞きつけて、代理で参加を決めた、ということ。」」 p427 「「ドクタ・マガタに会えるかもしれないから。そして、それは報われました。」」 p427 「「セザイマル・ベニコです。調べれば、いくらでも情報が得られる。本を書くときに、インタヴューしたら良い。喜んで答えると思います。」」 p427 「「綴りが違う。イニシャルは、V・C。どういうわけか。」」 p432 「「うわぁ、ローマの休日?」思わず呟いてしまった。王女様のような印象だったからだ。」 p432 「「セザイマル・ベニコでございます。はじめまして。」」 p433 「「あ、いいえ、私は会っておりませんの。もともと、それほど親しいわけでもありません。そう、若い頃の腐れ縁と申しますか、あ、腐れ縁ってわかります?」」 p433 「「まあ、あの方は、なんというのか、悪い人ではないのですが、うーん、まっとうな職業にはお就きにならなかったのね。それでも、とても優秀な人ではあるので、いちおうは信頼しておりますの。」」 p434 「「あぁ……、失礼、ごめんなさいね。いえ、やっぱり、そうなのですね。いえ、あの方は、ソウヘイさんではありません。私がいけなかったのね、代理を頼んでしまい、名前を使うことを許可いたしましたの。ソウヘイさんにも、いちおうですけれど、極めて消極的にお話ししておきました。だって、もしかして、警察から電話があるかもしれませんものね。」」 p434 「「ですから、私の知り合いの方です。ソウヘイさんよりは、ずっと、えっと……、十七かしら、それくらい上なんですよ。ですから、ソウヘイさんは、あの方のような、おじいさんじゃありません。もっとね、ずっとハンサムなのよ。でも、彼、ほとんど籠りっきりでいらっしゃるから、最近は写真とか動画とかは、全然世間に出回っておりません。残念ですけれど、探しても見つからないと思うわ。」」 p434 「「でも、貴女にとっては、良いアドバイザ、良い先生だったのでしょうね、きっと。あの方は、そうなんです。役者というのか、なんでも演じてしまうの。もともと、ソウヘイさんが子供の頃に、ずいぶん可愛がって下さったんです。だから、あの方のなにかしらのものが、ソウヘイさんに受け継がれているのは、ええ、本当なんですよ。たとえば、ポーカ・フェイスのところとか、人にわからないジョークを言ったりとか……。」」 p435 「「えっと、そう、あの方は、マガタ・シキと面識があると話していました。まだ、彼女が十代の頃だったと思います。シキさんは、一度会った人は忘れないはず。その後、あの方は、あの研究所で働いていたこともあるんです、しかもご夫婦ともに。研究所では、直接人に会うことはできなかったそうですけれど。でも、シキさんは彼のことを覚えていて、あの方がソウヘイさんの代理で来たことを理解されたのです。」」 p435 「「うーん、そうね。私の言うことならなんでもきく、というのが表向きの姿勢ですけれど、実のところは、なにか宝物?そう、たとえば絵画とかに興味があったのではないかしら?」」 p436 「「ええ、まあ、そうですね。人一倍好きだと思います。えっと、なにか、巻物にして持ち出したりしていませんでしたか?」」 p436 「「建築の図面を借りたとは、言っていました。」」 p436 「「あらまぁ。」彼女は、そこでまた、ほほほと笑った。」 p436 「「漢字でした。五文字。」」 p436 「「まあ、それじゃあ、もしかしてご自分の本名を書かれたのかしら。貴女の前で噓が書けなかったのかしら。いえ、きっとサイカワのサイの漢字が思い出せなかったんだわ。」セザイマルは、ほほほと笑った。」 p437 「「できますよ。私、あの子の母親なんですから。」」 p437 「「それさ、ごめんなさいね。諦めた方がよろしくてよ。あの方は、そういう方なの。すっといなくなっちゃうんです。大勢が泣かされました。」」 - 2026年5月27日
p12 「<死ぬ自由が自分にはある。なにか具体的な不満があったわけではない。自分の意思で自由に活動できるうちに、皆の前から消えようと思う。探さないように。>」 p38 「<真賀田博士への返答>」 p54 「「あ、失礼しました。島田文子と申します。」」 p58 「「人類の知的交流とその蓄積のバックアップです。」」 p61 「「真賀田四季?」」 p66 「「おお、発見……。えっと、ψの悲劇。プサイですよね、これ……。」」 p141 「「私、ピンクになりたかったんですよ。」」 p142 「「八田先生が、生きている、ってこと。」」 p161 「ブランは皆から好かれていた。殺す理由なんてないだろう。そこで思い出したのだが、<ψの悲劇>の殺人が、毒殺だったこと。」 p165 「一年まえに、洋久がいなくなり、一昨日には、ブランが死に、吉野公子が亡くなった。そして、矢吹将太が救急車で運ばれる事態となったのだ。まさに、悲劇である。」 p176 「<島田です!>」 p183 「「神よ、我にプロトコルを。」」 p187 「「決まっているじゃない。吉野先生を殺したのは、貴方だからよ。」」 p189 「「簡単には説明ができないわけですよ。うーん、世の中ってのはね、もう、ぐちゃぐちゃなんだから。いやんなっちゃうからね。人間関係もそう。もうね、ちょっとしたことで争って、暴力沙汰になるじゃない。いい加減、もうやめてよねって、思うでしょう?どうしてみんな、こんなに憎みあったりするわけですか?私は、そこがわからない。みんなさ、もっと、自由に生きられないのかしら。人のことなんか心配しないで、自分の好きなことをすればってことなんだ、基本はさ。なんかね、ちょっと自分よりも誰かさんが楽しそうだ、誰かさんが良い思いをしてるって、そんなことで腹を立てて、意地はってさ、馬鹿みたいだよ。いえ、馬鹿なんだよな、みんな、マジで。どうしようもない馬鹿、馬鹿、馬鹿。やめてよね、そういうの……。」」 p195 「「貴方が何者か、という話です。」」 p197 「「ということは、二年まえに、私は生まれたのですか?」「そういうこと。驚いたでしょう?」「どういうことですか?」「貴方、自分が人間ではないことは理解している?」」 p198 「「普通の人工知能じゃないんだよ。人間の頭脳が取り込まれているわけ。」」 p199 「「八田洋久。」」 p208 「「あ、今のは失言かもね。ごめん、ごめんなさいね。そうじゃないの、こちとら、アナログだ、が正しいかしら。まあいいわ。どっちだって……。一度口から出たら、吸い込めませんからね。」」 p209 「「ドローンを飛ばさなくても、街にはカメラがいっぱいなの。特にね、公園は多いってわけ。悪いことをする奴が多いからさ。だけど、ドローンみたいに、上からは撮影しないから。警察はさ、上から見た映像を見ているつもりなんだけれど、それは、バーチャルなんだよ。処理されているだけ。そういうのに頼っているってことが、古い頭の奴らにはわかってない。ちょっと新しいものがあったらさ、便利だ、これからはこの技術だって、飛びつくだけ。失われたものに気づかない。そんなふうだから、あちこちで人災ばっか山のように勃発するわけだ。本当にデジタルを知っている者はね、この世界を過信しない。もっとさ、自分の腕を信じてる。」」 p211 「「エミナ・プサイ・タンドグルゥ!」」 p215 「「やるじゃんか。」彼女は私の膝を叩いた。「貴方さ、ロボットじゃないよ、もう……。」」 p217 「「私、今は、こんな美少女の姿しているけれど、実は、えっとぉ、もうすぐ百歳になるの。」」 p221 「「私が自分を韜晦しているとおっしゃるのですか?」」 p229 「「馬鹿言うんじゃないわよ。私は、島田文子です。きっちり個人の自覚を持っているんだから。」」 p229 「「まぁね……。いたらいけない?二人いてもいいじゃない。それに、だんだん別人格になるわけよ、違う人生を歩みますからね。大昔にさ、クローン人間でそんな間違ったイメージをみんな持っていたんだよね。あれに近いな。どっちにしても、すっかり人間、歴とした人間だってこと。」」 p229 「「人間なんですか?」「どこが人間と違う?私には違いがわからない。私自身にわからないんだから、誰にもわからないじゃない?そうでしょう?」「私は人間ですか?」「立派な人間だよ。自信を持ちなさいって。」」 p229 「「そんなの、ごくごく些細な問題じゃないの。充電が必要な人間なんて、病院へいったらうじゃうじゃいるじゃない。普通の人だってさ、端末の充電しなかったら死んじゃうかもしれないよ。そもそも、ご飯を食べることが充電なんだからさ。チャージって言ったら、同じこと。」」 p233 「「小説?<ψの悲劇>のことですか?あれが、なにか関係が?」「八田先生が書いたプログラム。」島田は言った。」 p233 「「もっとも、小説というのは表向きの木馬。」「木馬?」「そう。トロイの木馬。知ってる?」」 p240 「それなのに、ときどき湧き起こる疑問、興味、関心、違和感、そして懐かしさのような思慕の方が、なぜか愛おしいし、輝いているようにさえ感じられた。」 p240 「時間をかけて、私は自分を取り戻そうとしているのだろうか。だとしたら、これは成長と呼べる現象かもしれない。そうであってほしい、と願う気持ちも、存在するように感じられるのだ。気持ち?それは、どんなものだろうか?」 p240 「ばらばらに歩いているのに、お互いにぶつかることなく、人が流れていく。誰もが、自分の目的を持っていて、お互いに干渉せず、しかし、争うこともなく、自分の脚で歩いている。同じパイプの中を流れる液体のように見えるけれど、けっして混ざることはない。それぞれの目的を忘れることはない。そして、しだいに分岐して、それぞれ別の道へ向かう。最後はまた一人になるのだろう。一人から始まって、最後も一人になるのか。生きているというのは、結局はこの流れのことなのだ。私は、はたして生きているものといえるのか。」 p241 「私は意識を持っている、と意識できる。私というものを、疑うことなく、知っているのだ。私は、私には証明できる。私は、私だからだ。」 p243 「私は、二つの青い目に囚われていた。」 p245 「問う。教えてほしい。どうか……。私は何者か。ただ、問い続けていた。」 p248 「ただ<ψ>というマークをよく書いた。ペンと紙があると、その記号を繰り返し書いたそうだ。」 p256 「あれは、本当に美しい風景だった。澄み切った空気しか、私たちの周りにはなかった。どこまでも高い空の下。私たちは、手をつないで歩いたではないか。いつの間にか、目が霞んでいる。鼻水が流れていた。私は、泣いているみたいだった。」 p257 「私の記憶の中に、彼女は生きているのだ。たとえ名前を思い出せなくても、彼女との時間のすべてを再現できなくても、記憶はある。私が生きているかぎり……。」 p265 「そうなんですよ。ところが、行方不明のままで、生死は確認できませんでした。現在生きていれば、百歳をとうに超えています。」 p270 「「私なんて、もう六十年以上、孤独の固まりですよ。孤独すぎて、孤独って何なのかわからないくらい孤独の真っただ中ですよ。でもね、真っ暗闇の中にずっといたら、すべてが眩しくなってくるの。」」 p274 「自分の過去を、物語として思い出し、それがたしかに存在すると信じているだけのことだ。そもそも未来なんてものはない。もうすぐ死ぬことになると決まっている。したがって、今しかない。現在の自分の周辺しか存在しない。ただ、目の前にあるものに目を向け、美しい、可愛い、素晴らしいと感動したい、反応したいだけのリアリティだ。」 p278 「「人類というのは、そもそも何千年もまえから家畜なんですよ。」」 p281 「否、幻想だといえば、すべてがそもそも幻想ではないか。生きていることが幻想であり、また死も幻想である。おそらく、意識も幻想だ。エントロピィ増大のプロセスにおける波動、その揺らぎが見せる、一瞬の逆転、それが生命という幻なのだ。人間は、死に取り憑かれている。死に取り憑かれた状態を生きると定義しているのだ。」 p285 「「八田さんだな。」老婆は言った。」 p311 「八田洋久は、既に真賀田四季に押収されていただろう。彼の知性、彼の発想、彼のすべてを、天才科学者は手に入れた。だから……、八田洋久は、彼女の中に既にいたのだ。」 p309 「<わかりません>」 p312 「わからない。私には、わかりません。それが結論なのだ。そこが、私の到達点。」 p316 「私は学ぶしかない。学んで、自分の頭で考え、私自身の将来を作っていかなければならない。」 p320 「「久慈昌山先生の講座です。既に、メールのやり取りを彼としています。渡米のときには、お祖父さんも一緒についてきてほしい。二人でアメリカで暮らしましょう。」将太は、すらすらと淀みなく話した。「そうすれば、こちらの家族と別れられる。その方が、都合が良いでしょう?」」 p321 「「記憶が戻りましたか?」」 p321 「「そろそろだと思っていた。」将太は愉快そうに微笑む。「大丈夫、私と貴方は、どちらも八田洋久だ。なにも恐れることはない。」」 p322 「「毒を飲ませたのは、私だけになりたかったからだ。将太は、今は眠ったままだよ。」少年は、その深く冷たい眼差しのまま、今度は子供のように微笑んだのである。」
読み込み中...