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ピエ
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@pie_202
スペイン語圏の文学、歴史、美術/英米児童文学 川野芽生/山尾悠子/皆川博子 などを好んで読みます。 今年はイタリア文学に力を入れて読みたい(全然読めてない)。
  • 2026年10月22日
    海と山のオムレツ
    海と山のオムレツ
    タイトルと表紙があまりにも美味しそうで手に取ってしまった。 食いしん坊(私も!)におすすめの小説。作者自身も食べることが大好きで、日々の食事を大切にしていることが伝わってくる。 内容は、幼少期からの食べ物にまつわるエピソードを綴った自伝的小説だ。作者のアバーテはカラブリア州(イタリアの長靴のつま先部分)の出身で、アルバニア系の村「アルバレシュ」の一つに生まれた。オスマン帝国の侵略から逃れ、15世紀頃から移り住み始めたアルバニア人たちが、今も南イタリアやシチリア島に共同体を維持しているとは知らなかった。 日常の食事は、カラブリアらしく唐辛子の効いた激辛の料理が多い。また、ウチワサボテン(フィーキ・ディンディア)が多く生えているというのには驚いた。てっきりメキシコのように葉の部分を食べるのだと思い込んでいたが、後から調べると、カラブリアでは実をそのまま食べたりジャムにしたりするのが主な食べ方のようだ。少年時代のアバーテが好んでいる描写が疑問だったが、甘い実を食べていたのなら納得だ。 アバーテら子どもたちは両親に愛され、幸せそうな家庭に見える。しかし、アルバレシュの人々は地元では労働力を安く買い叩かれており(そもそも南イタリア自体の経済問題もあるだろうが)、父親たちは皆ドイツまで出稼ぎに行く。友人たちも義務教育を終えたらハンブルクに移住し働く中、アバーテ自身は大学を出て教職に就いたが、初めはドイツや北イタリアを臨時教員として転々とすることになる。 故郷を離れて作る料理は、材料が手に入らなかったり以前ほど手間を掛けられなかったりといった理由で変わっていくわけだが、アバーテはそのことを肯定的に捉えているように思える。 かれの尊敬する友人、「アルベリアのシェフ」の言葉は、この本を象徴するものだと感じた。「どこへ行っても、その土地特有の味というものがある。…大切なのは、自分たちの土地の味に、新たな味を加えていくことだ。根っこの部分に郷里の味があるかぎり、べつの場所で暮らしていても、その土くれの香りは失われないはずだ」(p.104) アバーテとドイツ人の妻の食卓も、それぞれの故郷の要素が入り混じっている。世界中で無数に派生していく移民たちの料理を思い、その力強さを感じる本だった。
  • 2026年10月19日
    幸福な無名時代 新版
    幸福な無名時代 新版
    ジャーナリスト時代のガルシア=マルケスが、ベネズエラはカラカスで1958年に書いた雑誌記事のセレクション。30年越しの新版での復刊、ありがとう…ありがとう… 独裁政権と戦う市民や聖職者、指名手配された政治活動家の逃亡譚、狂犬病の犬に噛まれた幼児の救命劇、ゴミ捨て場のど真ん中に居を構え全てを拾い物で賄う人々、クーデタをあわや食い止める緊迫した政治の駆け引き、などなど読み応えのあるルポばかりだ。 「1958年6月6日、干上がったカラカス」だけは事実に基づく記事ではなく、未来予測的な内容だが、自由な描写はほとんど小説のようだ。しかし、節水を呼びかける目的であろう記事で、このような終わり方をしてしまっては効果も半減なのでは…カタルシスを与えずにはいられない、小説家気質が顔を出してしまったのだろうか。 全体を通して存在感があるのは、不安定な政治に翻弄されながらもベネズエラに根を下ろそうとするイタリア人移民たちだ。ベネズエラ社会にも排外主義や労働力を安く買い叩く構造などが垣間見えるが、それでもこの地に留まり、家族を呼び寄せ、あるいは結婚して子どもをベネズエラ人として育てる人々が多く取り上げられている。 特に最後のルポを読んで、今の日本は「犠牲を払うに値する」国からどんどん遠のいてしまっていることを思った。この国のために死ねるなどということではなく、この国のためになるならちょっとばかし懐を痛めてもいいよ、と思ってもらえるくらいにはなりたいよな。
  • 2026年10月17日
    幸福な無名時代 新版
    幸福な無名時代 新版
    「市民が通りを埋めた日」、のっけから引き込まれてしまう。独裁者文学の最終局面かと思った…たった5ページとは思えない密度だ。しかしこれは現実に起きたことなのだよなあ。 独裁政権が倒れるところから本が始まるのは、『族長の秋』を思い出す。スペイン語圏の独裁者文学には、これらの国民が本当に経験してきた政治や社会情勢が反映されていることを実感する。
  • 2026年10月16日
    領土
    領土
    山尾悠子が解説を書いていると知って中身も見ずに買い、しばらく積んでいたが、何となく幻想文学の気分になり手に取った。 ぱらぱらとめくると、句読点が無く空白と改行により区切られた文が並んでおり、これは小説ではなく散文詩だったのか、詩はあまり読まないので困ったな、と思ったが、いざ読んでみたら紛うことなき小説だった。 どの短編も正統派の日本幻想文学といった感じ、夢の中のようなめくるめくイメージの中を歩いているよう。一篇一篇読み進めるにつれて、徐々に句読点がなくなり、改行や空白が多用され始め、ストーリーよりイメージが優位になっていく。文体に少しずつ馴染んで、小説の世界に沈んでいくような感覚が心地よい。 最後の「先カンブリア」だけは詩かも…と思ったが、終わりまで読むとやはり小説だと感じた。この短編は、時空を超えて移り変わるイメージを核としながらも、自我から出発して自我に戻ってくる。自意識が存在するということが、私の中での小説の定義なのかもしれない。 このジャンルをよく読むわけではないのだが、「20世紀の幻想文学」という印象を強く受け、何度も単行本の刊行年(2011年)を確認してしまった。こんなにも前世紀の薫りがするのに、稀に描写の中に21世紀が垣間見え(夜行バスの3列シート、カンクンを「まだ繁華でなかった」と振り返る表現など)、この違和感が癖になる。 猥雑な描写を恐れない、美しいだけのものは描かない姿勢は好ましいのだが、女性が客体化された表現の多いところは、男の作家という感じがした。とはいえ、私もまた(特に思春期以降は)男の作家に育てられてきた読者であるわけで、女(あるいは女体)を性的なものとして扱うことに惹かれる感性と、しかし自分もまた女であり、これを肯定することは自分の存在を客体化することになりはしないかという不安、といった矛盾を抱えている。
  • 2026年10月16日
    積読の流儀
    積読の流儀
    金曜にキツめの残業をした帰りは、遅くまで開いている本屋に寄ってドカドカ買い物するのが楽しみ。 気になっていた本だが、タイムリーすぎて買ってしまった。他に6冊くらい買ったので遠慮なく積ませてもらう。積むぜ積むぜ積むぜ〜 家に帰って早速見せびらかし、「中野善夫は英米文学の翻訳者で〜」などと言いながら著者紹介を見たら、理学博士で日大歯学部教授と書いてあって仰天した。偏愛読書人が本業だと思っていた…
  • 2026年9月27日
    草枕
    草枕
    一人旅をする時に、よく読みたくなる本である。岩波文庫版も持っているが、暗い機内でも読めるのでたいていは電子書籍端末で。 有名な「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」に始まり、地の文のテンポが良いため、気が散りがちな場所でも読みやすい。 語り手の画工は、山を越えた先にある温泉地に滞在する。投宿先は立派な家だが、他に客も無く、那美さんという出戻りの一人娘がいる。嫁ぎ先が没落したために自ら実家に戻ってきたと噂され、評判は良くない。近所でも変り者で通っている。気が触れていると言う者もいる。 映画のシーンのように情景が浮かぶ小説というのはよくあるが、この本の描写はむしろ紙芝居のようだ。その静止した画の中で、那美さんだけがやにわに動く。襖をすらりと開けて入ってくる。引き抜いた短刀を閃かす。湯煙をたなびかせ、ホホホホと笑いながら階段を駆け登る。読者は画工と一緒に、呆気にとられて見つめるしかない。 家の主人(那美さんの父)と懇意な和尚さんの言によれば、那美さんも元から芝居がかった生き方をしていたわけではなさそうだ。静止画の中でひとりアニメーションを演じることに決めた彼女は、かっこよくもあり哀れでもある。どこまでも周りに馴染むことが無い。 そんな彼女も、最後には画になる瞬間が訪れる。鎧っていた仮面をふと取り落としてしまったかのようである。画工は無邪気に喜んでいるが、私はどこか寂しさを覚える。結局のところ、私は那美さんのことをちっとも理解できていないのかもしれない。 熊本県は玉名市に、この本の名を冠した「草枕温泉てんすい」という日帰り温泉がある。初めて読んだ十代半ば頃、熊本に帰ると、まだ健在だった祖父がよく連れて行ってくれた場所だ。 きちんと調べたことはないが、あの辺りがこの本の舞台なのだろう。穏やかな有明海に向かう斜面に、みかんの木が一面に植わっている。どこからか逃げ出した鶏が、悠々と道路を歩いている。いまも作中とさして変わらぬ風景である。
  • 2026年9月27日
    一冊でわかるメキシコ史
    メキシコ旅行に行く前に付け焼き刃ながら読んでみたのだが、かなり役に立った! このシリーズは歴史系のライターが書いているのだと思うが、ラテンアメリカ近現代史(特にメキシコ史)が専門の国本伊代が監修とのことで、信頼できそうだと思い手に取った。国本のメキシコ革命に関するブックレットも読んだことがあるが、とてもわかりやすかった。 現在のメキシコに直接繋がる歴史を中心に書いている印象で、いわゆる先スペイン期の割合はかなり少ない。19世紀初頭のメキシコの独立以降の話が、全体の半分以上を占める。 それだけに、今のメキシコについて知るために歴史を学びたい、という人には良い一冊だと思った。このシリーズは、旅行や出張の前にとりあえず読んでおくのがいいかもしれない。現地の人と歴史の話になることはやはりあるし、その時に少しでも知っていると喜ばれる。 今回は国立歴史博物館(チャプルテペック城)に行ったので、この本で読んでいたことが特に役に立った。肖像画が多く展示されているのだが、この本で予習していたお陰で名前を見るだけで誰か分かり、題箋を読む時間を節約できた。 ソル・フアナやホセファ・オルティス・デ・ドミンゲス、バスコンセロスなど、章末のコラムに書かれた人々も重要人物なので、肖像や名前を見かけることが多くある。読み飛ばさなくて良かった。
  • 2026年9月22日
    新しいメキシコ・ガイド
    新しいメキシコ・ガイド
    今、旅行でメキシコシティにいるのだが、かの有名なバスコンセロス図書館(添付の写真)に行ったところ、この本が日本語の語学の棚に所蔵されていた。 あまり時間が無く、パラパラとめくっただけなのだが、今日はさっそく紹介されていた店の2つに行ってみた。どちらも地元の人に愛されるセンスの良い店という感じで、このガイドを出発前に見ていれば…と悔やまれる。 Casa Bosques ローマ・ノルテ地区にある、アート系の本が並ぶ小さな独立系書店。本の並べ方も面白く、表紙を眺めているだけでも楽しい。スペイン語がわからなくても絵や写真を眺めたりできるし、装丁の面白い本も多い。旅行者の多いこの地区にぴったりの本屋かもしれない。 目立たない階段を上ったところにある隠れ家的な店なので、見つけるのに少し時間がかかった。建物を一つ一つ確認しながら何度か通り過ぎた私に、警備員らしき方が声をかけてくれて漸く辿り着けた。 ローマ・ノルテにはCafebrería El Péndulo Romaというカフェ併設の書店もあり、こちらもとても良かった…! こちらは主に文芸書が中心のようで、特に女性作家の本を多く扱っている印象だった。 Chocolatería La Rifa クアウテモック地区にあるチョコレート屋さん。チョコレートバーも売っているが、ホットチョコレートが売りの店である。 カカオ50%のcon agua y chile(水で溶いた唐辛子入り)を注文した。大きめのカップに注がれており、口に合わなかったらどうしようとドキドキしたが、とっても美味しかった! 控えめだがちゃんと甘さがありつつ、唐辛子で喉がカッと熱くなる。結構疲れていたのだが、ホテルまで歩いて帰る元気が出た。 店内はチョコレートの香りがして、とても賑やかな店員さんたちの声を聞きながら、他に誰もいない2階席でのんびりできて良い時間だった。
    新しいメキシコ・ガイド
  • 2026年9月22日
    死者の百科事典
    死者の百科事典
    いぬいさんの投稿より。 私も『ハザール事典』はとても面白いと思ったので、似たような読み口の本があればぜひ読んでみたいと思っていた。 架空の書物から、誰かの人生が立ち上がってゆく物語が好きだ。『ハザール事典』は事典という断片から徐々に全体像が浮かび上がってくるが、こちらの「死者の百科事典」は一人一人の人生が事細かに描かれた事典なのかな。
  • 2026年8月29日
    マヤ神話ポポル・ヴフ3版
    マヤ神話ポポル・ヴフ3版
    フヅクエでメソアメリカ文明の入門本を読んだ後、「ポポル・ヴフも読まないとな〜」などと思いながら、オペラシティアートギャラリーの「ほぼ、空:青木淳 + リチャード・タトル」を観に行ったら、ミュージアムショップで売っていて横転した。いや何であるんだよ! 今回の展示は、コレクション展やショップも含めて企画展のために再構成されており、ショップの選書も青木とタトルによるものだそうだ。 考えてみると、天高くそびえるマヤの神殿と、大きな柱や吊られたバスケットを多用する今回の展示には、ともに見る者の視線を斜め上へ(空へ)誘導するという共通点があるようにも思う。青木がセレクトしたコレクション展の野又穫の作品にも、天を突くような遺跡を思わせる建物がいくつかある。 『ポポル・ヴフ』は学生時代に図書館で借りたものの、急に気持ちが離れて読まずに返した記憶がある。しかしこれだけ偶然にお膳立てしてもらったからには、今回は読み切れそうだ。 フヅクエに行くと、本が響き合うように新たな出会いがあることが多く、つくづく不思議である。
  • 2026年8月20日
    ペドロ・パラモ
    ペドロ・パラモ
    フアン・ルルフォ作・杉山晃訳『黄金の軍鶏』が国書刊行会から今年出ているので皆読んでー! 『ペドロ・パラモ』は、フエンテス「チャックモール」と共に、私がイスパノアメリカ文学を読むようになったきっかけの作品である。きっとこの先も何度も読み返す。 初めは大学の授業でこの本の一節を読んだ。やはりラテンアメリカ文学ブームの先駆けとして紹介されていたような気がする。その後、図書館で借りて読み、また読みたくなり本屋で買った。 しかし何度読んでも内容を覚えられない。読み終えて暫くすると、荒れ果てたコマラの乾いた空気と、そこに漂うささめきだけが記憶に残っている。ペドロ・パラモがどんな人物であるかすら忘れてしまう。 ストーリーや語り口が優れているが、それらも含めてこの小説が描き出す情景や空気感を私は愛しているのだと思う。 あとがきの杉山晃による解説も秀逸である。自分の読解力の無さに悲しくもなるが…本当は記憶の新しい内に読み返した方が、新たな発見があって面白いのだろう。 杉山がこの作品を訳し始めたのは大学3年の時だそうで、この1992年のあとがき時点で「合計すると二十年以上ルルフォと付き合ってきたわけだが、たぶんこれで卒業だろう」と書いているが、まさか34年後に『黄金の軍鶏』の翻訳も出すことになるとは…
  • 2026年8月16日
    鏡の角度
    鏡の角度
    都内の大型書店にのみばらばら入荷しているが、買いに行く機会がなかなか無く、通りがかった池袋ジュンク堂で平台にあった最後の1冊を入手。 丸の内の丸善ではまだ在庫に余裕がある様子。 池袋ジュンク堂には初めて行ったのだが、海外文学がとても充実しており良い書店だなあ。 幻想文学のコーナーも大きめに取ってあり、特に川野芽生が凄まじく推されていて嬉しかった(ポップなどは無いが、棚に並ぶ物量がすごい…)。
  • 2026年8月13日
    長崎の教会
    長崎、五島、平戸、天草などの教会堂を撮影した写真集。 あくまで写真集なので、建築をじっくりと見るのには向いていないが、各教会の特徴が際立っており、細部まで眺めてしまう。 人が写ったものはほとんどないが、堂内の扇風機やスピーカー、聖歌集、活けられたばかりの花瓶などが、これらの教会が現役の祈りの場であり、信徒たちによって大切に保たれていることを感じさせる。いくつかのパイプ椅子には座布団が置かれており、いつも座る席があるのだろうなと、ミサの前に信徒たちが挨拶を交わす様が思い浮かんだ。 入口に下足箱のようなものが見える写真もいくつかあり、少し驚いた。明治から昭和の初め頃にかけて建てられた教会が多いので、履物を脱いで上がる日本の習慣に沿ったつくりとなったのだろうか。 写真だけでなく、それぞれの教会とその地区の信徒たちの来歴が添えられており、読み応えがある。どの教会も、信徒たちが資金や労力を出し合い、数年から数十年かけて建てたものだ。かつては潜伏キリシタンであった家も多いかれらにとって、皆で集まって堂々と祈れる場所をつくることは、どれほどの悲願であっただろう。 どの教会も静謐で美しいが、私は特にリブ・ヴォールト(ゴシック建築によく見られる肋骨様の交差アーチ)天井に惹かれた。これらは上五島生まれの大工棟梁・鉄川与助によって設計・施工されたものが多いようだ。 熊本市の中心街にある手取教会もかれが手掛けたものとのこと、通る度に綺麗な教会だと思っていたがちゃんと見たことはなかった。今度見学してみたい。
    長崎の教会
  • 2026年8月12日
    深淵のかなた
    深淵のかなた
    ピラール・キンタナの日本語訳2作目がいつの間にか出ていた! 既に出ている『雌犬』(村岡直子訳)は海辺の寒村が舞台だったが、本作では作者の生まれ故郷でもあるコロンビア第3の都市・カリ。主人公も大人の女性ではなく、まだ8歳くらいの女の子、クラウディアだ。 そのため、読み始めのあたりでは児童文学のようにも感じられたが、この物語で描かれる主体は語り手のクラウディアではなく、その目を通して捉えられる母ではないか。 母(彼女の名もまたクラウディア)は若く美しく、物質的には何不自由ない生活を送っている。しかし口には出さずとも、安定した暮らしのために20も年上のつまらない男と結婚してしまったこと、娘という足枷を産んでしまったことを後悔しているのは明らかだ。 決して同情を引くような人物ではないのだが、若くして専業主婦(お手伝いがいるため家事を頑張る必要すらない)となった日々の単調さと、学が無くコツコツ働く勤勉さにも欠けるため自分で生計も立てられないやるせなさを思うと、鬱病のような状態になるのも頷ける。 勢いで離婚をちらつかせたりもしつつ、結局一人で生きてゆくことのできない彼女は、若くして死んだ女たちに惹き付けられている。そしてその話を聞く娘のクラウディアも、階段やマンションの高層階、断崖といった「深淵」に惹かれていく。 原題は"Los Abismos"(losは定冠詞複数形、abismoは深淵)。深淵は一つではなく、一人一人にとって、あらゆる場所に存在していることを思わせる。 訳者の加藤尚子は、書籍翻訳としては本作が初めての出版とのこと。読みやすい訳ながら物語の不穏さを保っており、他の翻訳が出たらまた是非読んでみたい。 スペイン語文学の日本語訳は、ラテンアメリカ文学ブームの頃の翻訳者たちから、より若い世代の翻訳者たちへ移り変わりつつある。殊に女性翻訳者が増え、様々な女性作家の作品が訳されるようになったことが本当に嬉しい。
  • 2026年8月10日
    プラネット・ダイアリー
    プラネット・ダイアリー
    装画が素敵なのと、あらすじを読んで気になったので手に取った。 フィラデルフィアに人間として生まれた宇宙人のアディーナの物語。幼い頃に自分は宇宙人だと知らされた彼女の使命は、ファックスで日々の出来事を母星の「上官たち」に書き送り、地球に関する知見を集めること。毎日送り続ける報告には、上官たちの短い返答が同じくファックスで返ってくる。 本屋ではSFコーナーに置いてあったが、あまり「SFっぽい」小説ではない。未知の技術は上官たちとやり取りするファックスのみで、アディーナの生活は他の人々とさほど変わりない。 しかし、彼女は宇宙人であること以外にも、周縁化されがちな特徴を持って生きており(イタリア系アメリカ人であること、アセクシュアルであることなど)、それが時に彼女に疎外感を与えているように見える。 原題の"Beautyland"は、アディーナが育った家の近所にある化粧品専門店の名前だ。シングルマザーの母は金銭的な余裕が無く、カウンター奥に並ぶブランドものには手を出せずに生活必需品のみを買っていた。 大人になったアディーナが再訪した時、会計時の雑談で店員が言う。この辺りの店名は「みんながよく知っている場所っぽく」名前が付けられている、それは「なんか安心する」からではないか、と。だが、子供の頃のアディーナと母にとっては、香水のテスターを次々試すという束の間の楽しみがありつつ、それをあけすけに非難する嫌味な店員のいる、少し気後れのする場所だった。 アディーナや社会の中で異質とされる「エイリアン」たちにとって、地球や国もまた"Beautyland"なのかもしれない。マジョリティにとっては所属感のあり安心する場所でも、そうでない人にとっては時に気まずい思いをさせられたり排除されたりする場所になり得る。それでもそこには愛する人々もいるし楽しいことだってあり、何よりそこ以外にもっと良い居場所があるわけでもないのだ。
  • 2026年8月3日
    深い穴に落ちてしまった
    深い穴に落ちてしまった
    ちいかわの「穴に落ちた」の話をアニメで見ていて、ふと思い出したので引っ張り出してきて読んだ(この本はちいかわと特に関係はない)。 深い穴に落ちてしまった兄弟が、脱出を試みる話。 泥水をすすり、木の根をかじり、ミミズやウジをご馳走のように食べ、兄弟が何とか生き延びようとしながらも弱っていく描写には息が詰まる。 しかし、体が強く専制的で現実主義者の兄と、ひ弱で夢見がちな弟という対照的な二人の会話には、妙に引き込まれてぐいぐいと読んでしまう。 素数のみが振られた章番号には理由があり、本文には暗号が隠されているそうだが、ただ物語を追うだけの私には相変わらず何も分からない。次に読む時に考えてみよう…とは初読の時にも思った気がする。 原題は"El Niño Que Robó El Caballo De Atila"(アッティラ王の馬を盗んだ少年)だが、これは31章で錯乱した弟が語る話か。あとがきでヒントとして挙げられた「数字にはひとつひとつ、対応する言葉がある」という話もしているので、この章がキーとなるのだろうか…。 ところで、裏表紙のあらすじには「力強い感動をもたらす」や「暗闇で生きるあなたに捧げる」などと書いてあるが、寓話風の小説にこの手の紹介が付いていると途端に安っぽく感じてしまうのは私だけだろうか(『アルケミスト』然り、『星の王子さま』然り)。 確か川野芽生が読んでいたのを見て面白そうだと手に取ったのだが、このあらすじを見て買うか躊躇ったのを覚えている。私は「感動すること」自体に何の価値も感じないが、この本は何度読んでも面白いので結果的に買ってよかった。
  • 2026年7月31日
    バーティミアスソロモンの指輪 3 スナネコ編
    バーティミアスソロモンの指輪 3 スナネコ編
    いやバーティミアスがスナネコに化けてるの可愛すぎませんか!? おみ足でちょいちょいする仕草が良すぎてひっくり返った。かれは元々ネコ科に変身することが多いけど、こんなに可愛かったことは今までなかったでしょうが… 毒舌な丸顔ネコちゃんが活躍するのを見たい猫派の皆様はぜひ読んでください。 外伝の完結巻として、物語は文句なしに面白い。 ソロモン配下の妖霊たちの強さがインフレを起こしているために、力で遥かに劣るバーティミアスはひたすら機転で切り抜ける。今回の物語だけで何十体の妖霊から恨みを買ったかを思うと、3000年後の本編では、遭遇するのは因縁の敵ばかりになるのも頷ける。 今回の物語は、バーティミアスがナサニエルやキティ以外の人間とどのように関わってきたかが見えて良かった。人間への恨みつらみを零しまくる割に、様々な時代や場所の魔術師たちとの思い出話も多いよなあと思っていたが、何だかんだかれは人間と関わるのが好きなんだな。 特に『ゴーレムの眼』でフィジカルも負けん気も強いキティと再会した時には、きっとアズマイラのことが脳裏に浮かんでいたと思う。本編を読み返す時に深みを与える、良い外伝だった。
  • 2026年7月30日
    エーコ『薔薇の名前』
    図書館で見かけて手に取ったところ、先日読んだ『カタリ派とアルビジョア十字軍』で解説を書いていた図師宣忠による本だった。あの解説は分かりやすかったな…と思い借りてみたら、この本もとても読みやすかった。内容が簡単なわけでは決してないが、文体が滑らかで論考の繋がりが明確なために読みやすく感じるのかもしれない。 昨年末に日本語訳の完全版が出た『薔薇の名前』を、史学の観点から読み解く本である。図師先生の専門は西洋中世史、まさに『薔薇の名前』の背景世界だ。 宗教的な背景に始まり、モデルとなった修道院や中世の写本文化、異端審問などについて語られており、『薔薇の名前』の世界をより鮮やかに思い描けるようになる。ただ、ネタバレには配慮していないので、中世やキリスト教の知識が全く無くとも、本編を先に読んだ方が良いと思う。 改めて、エーコがいかに膨大なテクストを再構成してあの世界を構築したのかを思い、気が遠くなった。 例えば、作中でのベルナール・ギー(実在した異端審問官)による尋問は、かれの記した審問マニュアル『異端審問官提要』に書かれた手法に倣っているというのが面白かった。こうしたディテールを積み上げ、知識の浅い私のような読者の前にも、中世の修道院がまざまざと描かれるのだ。 図師は『薔薇の名前』を、氾濫する断片的な情報を読み解き、そこから世界を再構築する書物として捉えている。これこそまさに歴史学の手法であり、インターネットの普及を経て拡大し続ける情報の洪水に翻弄される我々にとって、「文系」の学問を学ぶ意義にも繋がるのであろうと思った。
  • 2026年7月28日
    バーティミアス2ソロモンの指輪 ヤモリ編 (静山社ペガサス文庫)
    バーティミアス2ソロモンの指輪 ヤモリ編 (静山社ペガサス文庫)
    理論社版のヤモリ編がReadsに登録されていなかったので、こちらをお借りする。 フェイキアールの供給ありがてえ…普段は知的で常識人なのに、人間への憎悪が深くて隙あらば食おうとする残酷さを急に出してくるとこが良すぎる。 コックになる前の定番の姿もおいしい…ジンが人間に変身する時は美形になりがちなのに、かれは大柄でふくよかな姿を好むんだよな。おそらく人間を油断させるためだよね…見栄を張る必要もないという自信に満ちたクレバーな男(男?)、良い… あと、フェイキアールがバーティミアスのことちょっと面食いだと思ってるの面白すぎた。確かに理由がなければ必ず顔立ちの整った若者の姿になってるもんな。 まあ顔はともかく、バーティミアスが勇敢で知恵と力に満ちた自己犠牲的な若者にやたらと甘いのは本当にそうで…てっきりプトレマイオスと出会ってからだと思っていたけれど、この頃からそうだったのは意外だった。
  • 2026年7月26日
    バーティミアスII ゴーレムの眼
    バーティミアスII ゴーレムの眼
    根がオタクなので実に20年ぶりに再燃しちゃってずっとバーティミアスシリーズのこと考えちゃうよ〜! 重くて会社に持って行けないので、毎晩ご飯を食べながらちみちみ読んでいる。もっと早く帰って沢山読みたいのに… 2巻に入り、記憶の100倍くらい酷い寡頭制が敷かれていてびっくりした…労働者搾取と人種差別のキメラみたいになっている。 現実で起こる分断には人種、性別、階級、宗教など様々な要素が多層的に絡んでくるけど、この世界のロンドンではひたすらに魔術師と一般人の2層のみが存在するんだな。 単純化しすぎてる割に、中途半端に現実の歴史を反映しているので、「ん?」となるところも結構多いのだけれども…これだけ大っぴらに魔術が存在している世界線で、古代はともかく近現代が現実と似たような展開を辿ることがあり得るかね? 物語の本筋は整合性が取れていると思うが、宗教とかナチズムとかが現実と似たような感じで存在したらしき言及には、世界観が詰めれていないのではと思わせるところもある。 まあそんなことはどうでも良くなるくらいに面白いのだけれど! 一般人たちが魔術師に支配されることに疑問を抱かないようにして生きている(歯向かえば粛清されるため)描写などは、子供の頃には気づかなかったリアルさがある。 魔術師の見習いは家庭教師からあらゆる高度な学問を学ぶのに対し、一般人の学校では技術工作系の教科ばかりが奨励されているところにはぞっとした。一般人は工場や手工業の労働者になるためであり、学校は職業訓練の場でしかない。考えることやそれを言葉で表現することを学ばせず、従順で搾取しやすい人間をつくっている…ちょっとわが国に似ているな。 しかも、祝日には無料の食べ物や飲み物が振る舞われ、「娯楽省」(直截すぎて笑った)主催のあらゆるショーが行われる。歴史の授業で習う、少数の支配階級が庶民を従える方法を全部実践してます!という社会なので、高校生くらいで再読していたら味わい深かったろうなあと思う。
読み込み中...