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ピエ
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@pie_202
スペイン語圏の文学、歴史、美術/英米児童文学 川野芽生/山尾悠子/皆川博子 などを好んで読みます。 今年はイタリア文学に力を入れて読みたい(全然読めてない)。
  • 2026年4月5日
    うたう百物語 Strange Short Songs
    一時期は歌集をよく読んでいたのだが、ここ数年はなぜか詩を読む気力が無くなってしまい…リハビリも兼ねて積読していたこの本を。作者の佐藤弓生は、私が初めて好きになった歌人でもある。 一首の短歌から膨らませた掌編が2ページずつ、100の物語が収録されている。不気味だったり不思議だったり、たった2ページでも引き込まれるような世界が展開される。物語は必ずしも短歌をそのまま解釈したものではなく、この歌からこんな不穏な物語を作り出すのか…!と驚いてしまうものもあった。 山尾悠子や塚本邦夫の歌からは、彼らの小説をオマージュした物語が生まれており、ニヤリとしてしまう。私が寡聞にして気づかなかっただけで、他にもそのような物語があったのかもしれない。 暫く絶版していたが、このほど『短歌百物語』のタイトルで文庫化されるらしい。異なる100人の100首を集めるだけでも大変だろうが、「続短歌百物語」なども出たらよいのに。
  • 2026年4月2日
    ペンギンの憂鬱
    ペンギンの憂鬱
    私はペンギンが好きなので、出てくる小説はとりあえず買ってしまう。 この小説に出てくるペンギンのミーシャは、憂鬱症を患っており、寡黙であまり動かない。しかし動作にどこか愛らしさがあり、この陰鬱な物語世界を想像するのを楽しくしてくれる。一番好きな登場人物を訊かれたら、ほとんどの読者はミーシャと答えそうだ。 売れない小説家の主人公ヴィクトルは、新聞に「まだ生きている人物の」追悼記事を書く仕事にありつく。しかし暫くすると、追悼記事を書いた人物たちが次々に死んでゆき…というストーリー自体は、誰が見てもミステリでも何でもない。この小説の面白さは、話の展開よりもニヒルな人物描写にあると思う。 舞台はソ連崩壊後の不安定なウクライナで、マフィアが幅を利かせ、銃撃音や爆発音にも人々はさほど驚かない。登場人物たちの物分かりの良さは、不穏さの蔓延する社会特有のものだろう。 そんな中でもペンギンをきっかけに交友が生まれ、人生がうまく回り始めたかに見えた前半部と、奇妙な仕事の後ろ暗さに目を背けながら続けていて、何も起きないわけがないよね…という後半部のやり切れなさの塩梅が良かった。 ラストはかなり唐突な幕切れだが、私は割と好きだった。舞台ではまだ劇が続いていきそうなのに、急に幕が下りてしまったような終わり方は、小説ならではのものだと思う。 ペンギンのその後を知りたいという読者の声を受けて、続編も出されたようだが、仮に日本語訳が出ても読みたいと思うかどうか…せっかく下ろした幕をまた上げて気まずい芝居を続けるようなもので、陳腐化してしまわないのか不安だ。
  • 2026年3月26日
    飛ぶ孔雀 (文春文庫)
    先日、母と芦ノ湖で三社参りなどしてきたのだが、その際のお供に持って行った。収録の「飛ぶ孔雀」と「不燃性について」にはどちらも日本の地方都市のような雰囲気があり、それが国内旅行中にこの本を読みたくなる理由かもしれない。 昨年、初めて岡山城に行ったことを思い出す。対岸の中州にある後楽園を見て、「飛ぶ孔雀」に出てくるQ庭園としてイメージしていた景観に近いことに驚いた。実は後楽園自体に入る時間は無かったのだが、後から園内の写真や案内図を見て、あまりに想像していたままのQ庭園であったので、入らなかったことを心から悔やんだ。なお、後楽園には孔雀こそいないが、丹頂がいるらしい。 庭園以外も、この本は全体的に中国地方を思わせるところがある。初めて読んだ時には行ったことがなかったので想起しようがなかったが、今回は、中国山地(瀬戸内海側)の緩やかだがどこまでも連なって続いていく稜線や、川の多い街で橋を渡っていく市電などを思い出した。 宿では早寝の母がさっさと寝てしまった後、乾き物を買い忘れたなと思いながらビールを啜りつつ、この本を読んでいた。山尾悠子の作品には、母系というか女が中心となる一族や集団が多く登場する。今回は母に連れられての二人旅であったことも、山尾の本を選んだ無意識の一因であったかもしれない。
  • 2026年3月22日
    エル・スール 新装版
    エル・スール 新装版
    何となく読みたくなって再読。100ページほどで行間も広いのでさらりと読める中篇だが、この孤独で閉じた世界に浸れるところが好きだ。 ビクトル・エリセの同名映画の原作だが、私は映画の方は観たことがない。同じくエリセの「ミツバチのささやき」と「瞳をとじて」は昨年末に観たのだが、エリセの静かで余白を大事にするような世界観に、この本は更に孤独を深めたような雰囲気がある。 語り手の少女アドリアナとその家族は、村から少し離れた家に住んでおり、(母とお手伝いのホセファは別にして)互いに理解し合うことはなく生きている。しかし読者としての私から見ると、彼らに仲良し家族として団結していてほしいとは思わない。母は夫や娘にこうあってほしいという気持ちを押し付け、娘は母や父の思惑には沿わず育ち、父はそんな家族を顧みずずっと望んでいた死を選ぶ、そのバラバラなあり方がこの家族には相応しいと思える。 物語の終盤、アドリアナは父の故郷セビーリャに向かう。タイトルの『エル・スール』はスペイン南部アンダルシア、このセビーリャを指しているのだが、この場面になると描かれる情景の日差しが強くなったように感じるのは私の先入観のせいだろうか。 私にとってアンダルシアは、明るい日差しを浴びたパティオ(中庭)の中で歴史が眠り込んでいるような場所である。この物語でセビーリャが描かれる場面はとても短いが、まさにそのイメージに沿っており印象深い。 物語自体は短いが、最後に野谷文昭による訳者解説が20ページも付いているのが嬉しい。また、巻末の著者・訳者の来歴に、野谷の膨大な訳書がかなり網羅的に記載してあるのも有難かった。
  • 2026年3月20日
    文字渦(新潮文庫)
    目まぐるしく変貌する文字の渦に取り込まれてしまったかのような読書だった。しかし溺れているような感覚はない。文字たちの語りにはある種の秩序があり、こちらを置いてきぼりにはしない、人間への歩み寄りがあった。 だが、斬新で奇妙な小説ではある。ジャンルとしてはSFなのだろうか…ページをめくった瞬間のビジュアルに思わず噴き出してしまうような箇所もあり、あまり先の方までパラパラと見ずに、初めから読んでいく方が楽しいと思う。 どの短編も、初めは突拍子もないことを言っているように感じる。文字が闘ったり、光ったり、独立運動やスパイ活動をしている。しかし読み進めていくと、実はこの世界で既に起きていること、あるいは普通に起き得ることについて話しているのだと分かってくる。特に、文字による侵略戦争の話である「誤字」が好きだったのは、私がデジタルな文字の方に馴染みがあるからかもしれない(そもそも全体にコンピュータ言語やソフトウェアに関わる話が多いのだが)。 新たな話に入る度に、「次の話は私に理解できるだろうか…」と不安を抱きながら読み進めるのだが、気づけばどれも面白く読んでいた。私は知らない言葉が出てきても一々調べたりせず勘で読んでしまうのだが、高校レベルの教養しかなくてもまあ各話の大意は取れたのではないか…と信じたい。 とはいえ、巻末の解説を読むと、「えっそういうこと!? …ちょっと読み返してきてもいいですか」となることが何度も発生し、全く自信を失ってしまう。どうやら作者本人による解説がWeb上に存在するようなので、少し置いたら次はそちらを見ながら再読してみたい。
  • 2026年2月20日
    ブエノスアイレス食堂
    ブエノスアイレス食堂
    面白かった…! これまで読んだスペイン語文学の中で5本の指に入るほどに好きかもしれない。 表紙は親しみやすそうなレストランの写真に『ブエノスアイレス食堂』のタイトル、小粋なビストロにまつわる物語であることは想像に難くない。しかし小さく書かれた原題は"Manual Del Caníbal"―「食人者の指南書」、この本はカニバリズムを描いたノワールでもあるのだ。 ただ、物語が猟奇的な方向に動き始めるのはラストにかけての3分の1ほどで、私はむしろ先に来る年代記的な部分が気に入った。 ブエノスアイレス食堂の開店前夜から主人公のセサルが生まれるまでの時間の流れを、短い章ごとに繰り返す構成が面白い。各章にテーマがあり、それに沿って数十年の流れが記述される。事実がミルフィーユのように重なり、物語が徐々に堆積してゆく感覚が新鮮だった。 食堂を継承していくイタリア移民たちの描写に、彼らを取り巻く政治や社会情勢が巧みに織り込まれており、20世紀アルゼンチンを描いた時代小説としても興味深く読んだ。 カニバリズムの描写はかなりシンプルであり、グロを期待して読むと拍子抜けするだろう。 恐怖を煽るような描写はない。過剰な暴力や血肉の生々しさを強調する表現もない。牛や豚と同様に解体され、それまでに出てきた他の料理と変わらず、工程が簡潔かつ整然と描かれる。 これまでのレシピの淡々とした描写は、食人においても同じ冷静さで記述し続けるために用意されていたのでは、と思わせる。 読み終えた直後は、割とあっさりした話だったな…という感想を持った。しかしラストをよく思い返してみると、この物語はまだ終わっていないのでは、という気がしてきてぞっとした。ブエノスアイレス食堂の秘伝「南海の料理指南書」はセサルと共に失われたが、セサルが心血注いで書き残したレシピ、おそらくは「食人者の指南書」であろうそのレシピは、まだ食堂に残されたままなのでは…そして次にブエノスアイレス食堂を受け継ぐ料理人が、そこで見つけるのは…ブエノスアイレス食堂の新たな秘伝となる指南書は…
  • 2026年2月8日
    R.U.R.
    R.U.R.
    カレル・チャペックの"R.U.R. (ROSSUM'S UNIVERSAL ROBOTS)"の英訳版を大久保ゆう氏が日本語に訳し、青空文庫に収めたもの。 「戯曲を読もうの会」(ゆーぐれなゆーりんちー様の主催)に参加した折に、第二幕まで参加者みなで朗読した。第三幕は終了後に一人で読んだ。 「ロボット」という言葉を初めて使用したことで知られているが、この作品における「ロボット」は、人間と同じ外見と体構造を持ち、工場で生産される代替労働力というような意味である。人間の労働者の何倍も効率よく働けるが、心や感情を持たない。 そのロボットの生産を一手に担うロボット製作所に、会長の娘ヘレナがやって来るところから第一幕が始まる。この世間知らずのお嬢様の目的は… 人間より安価に働かせられるロボットにあらゆる労働を任せていったらどうなるか…という展開は、今となっては見慣れたものになってしまったが、結末は衝撃的だった。 生命を創り出すという、神に成り代わろうとするかのような行為の描き方は、キリスト教の要素が強い。ロボットの反乱を予防するため、地域ごとに言葉も外見も異なるロボットを創り、彼らの意思疎通を妨げて反目させようとする計画など、バベルの塔の逸話そのものだ。 登場人物、特にヘレナの心情に分かりづらい部分があったが、他の人の朗読の仕方を聞くことで解釈が深まった気がする。 また、掛け合いのシーンも多いので、誰かと一緒に声に出して読むのがとても楽しい作品だった。
  • 2026年2月5日
    ブエノスアイレス食堂
    ブエノスアイレス食堂
    原作が良いのか翻訳が良いのか(おそらく両方だろう)、文章のテンポがよく、ぐいぐいと読んでしまう感覚がある。 言葉で描かれる料理があまりにも美味しそうなのは言わずもがな、人の外見や風景の描写に使われる独特な言葉に妙な説得力があり、本からイメージが押し出されてくるような気がする。例えばブエノスアイレス食堂の創設者である若きカリオストロ兄弟の描写に、「…、白い肌は海風に鍛えられていた。暗い色をした目がそんな肌の上で黒光りするさまは、あたかも海面にばらまかれた石油のようだった。…」(p14)というのがあり、印象に残った。 ※私の読んだ範囲ではまだ一般的な(異国風であってもヨーロッパ趣味的な)「料理」の描写しか出てこないが、本作はカニバリズムを主体として扱う文学であるため苦手な方は注意してほしい
  • 2026年2月4日
    ロサリオの鋏
    ロサリオの鋏
    1980年代のコロンビア第二の都市メデジンを舞台とする、麻薬カルテルの女殺し屋ロサリオ・ティへーラスの物語。コロンビアでは『百年の孤独』と並ぶベストセラー小説だそうで、映画やドラマにもなった。私はメデジン出身のJuanesが本作をオマージュした楽曲"Rosario Tijeras"が好きで、それをきっかけに読んだ。 冒頭、ロサリオは撃たれて病院に運び込まれ、死にかけている。ロサリオに片想いする「俺」が、病院の待合室で夜を明かしながら、出会いから現在までの彼女の人生を回想していく。 スラムに住むシングルマザーの家に生まれたロサリオは、仕立屋である母の鋏を使い、自分を強姦した男に復讐したことから、ロサリオ・ティへーラスと呼ばれている(tijerasは鋏の意)。殺し屋になったことで金を手に入れたロサリオは、上流階級出身の「俺」とその親友エミリオに出会い、エミリオの恋人として3人でつるむようになる。 女殺し屋というと冷酷な女を想像したが、ロサリオは感情の起伏が激しく、兄や仲間の死に激しいショックを受け、人を殺した後は罪悪感から過食して著しく太る。彼女を殺し屋にしたのは、麻薬カルテルの牛耳る暴力と、固定化された階級と、女性を踏み躙るマチズモであることを、痛々しいほどに感じた。 邦題『ロサリオの鋏』について、Tijerasは二つ名なのだから寧ろ「鋏のロサリオ」ではないかと疑問を覚えながら読んでいたが、本編最後の2ページで腑に落ちた。「鋏」は、周りを傷つけながら、何より自分が傷つきながら生きるしかない彼女自身の象徴なのかもしれないと思う。 最後に、この話の舞台は前世紀であり、現在のメデジンとは全く状況が異なるという点には留意したい。コロンビアに染み付いた麻薬と暴力のイメージが再生産され続けることは本意ではないので。
  • 2026年2月1日
    薔薇の名前[完全版] 下
    薔薇の名前[完全版] 下
    読了。大変に面白かった! 巻末の(と言っても120ページある)覚書と解説で少しペースダウンしたが、本編の後半部分は特に夢中になって読んだ。 第四日で、ウィリアムが書物についてより深く語ってゆく場面が特に気に入った。「書物はしばしば別の書物のことを物語る」(p.53)という彼の言葉を受け、それでは文書館は、その内部で膨大な書物たちがひそかに囁き合っている一種の生き物ではないか…と考えるアドソと共に、私も畏怖のようなものを覚えた。 ウィリアムが故郷であるイギリスやアイルランドの書物について語る時に、懐かしさ愛おしさを込める様子も好きだった。中世においては辺境と見なされただろう故郷から、今の距離感とは比べ物にならないほど遠く隔たって生きる人にとって、かの地で生まれた書物は故郷との繋がりを感じさせる唯一に近いものだったのかもしれない。そう考えると、アドソには「変な言葉」としか思えない崩れたラテン語を、懐かしそうに見つめるウィリアムに何だか共感してしまった。 上下巻を一か月ほどかけてゆっくり読んだため、私もまたこの僧院で過ごしてきたような気持ちになっており、物語が終わって自分の中からこの場所が失われることが少し苦しい。きっとまたこの山上の僧院に、写字室と文書館に戻りたくなり、何度でも読み返すであろう物語だった。
  • 2026年1月25日
    薔薇の名前[完全版] 上
    薔薇の名前[完全版] 上
    第三日まで、そして上巻を読了。 見習修道僧であるアドソが、異端に関して年配者たちに尋ねて回る一日。第一日に僧たちが異端について議論していた時にはよく分からずさらっと読み流したことが、アドソがしつこく質問してくれたことで理解できるようになった。常にアドソと同じくらいの理解度で読み進めることが、この小説を楽しむポイントなのではと思われたので、この日は彼と同じくらい真剣に読んだ。 アドソという少年(語り手としての現在は老人)の人となりも、だんだんに分かってきた。彼はいわばワトソン的な探偵助手のポジションなのだが、この立場の登場人物は探偵(師のウィリアム)より思慮が浅いために、読者を苛立たせやすい。しかしアドソの未熟さはまだ少年であるがゆえであり、かつ、老年となった今では反省や後悔も交えながら回想しているため、読者のヘイトを集めにくいのが巧いなと思った。 アドソは聖処女像の胸元の清らかな美しさを説かれて顔を赤らめてしまうような初な少年で、思わず微笑んでしまうような言動も多い。しかしその純粋さは、おそらくはそこそこ裕福な家の生まれであることにも由来しているなと、貧しい生まれの人との間に生じるギャップからも感じた。第三日は彼の危うさが露わになり、語り手の揺らぎは読者の感情をも不安定にさせるものだが、それでも物語は動いてゆき、アドソも我々もそれについてゆかねばならないという、第四日(下巻)へ引き込まれる感覚が面白い。
  • 2026年1月21日
    影をなくした男
    影をなくした男
    無限に金を取り出せる革袋と引き換えに、自分の影を失った男。金さえあれば安逸な人生を送れるかと思いきや、影のない人間など誰にも信用されず、方々で忌み嫌われ…という寓話のような中編。 件の革袋や七里靴など昔話でおなじみのモチーフが出てきて面白かったが、主人公シュレミールの嗜好には近代的なところがあり、これは作者自身を投影しているのかな…と思いながら読んだ。 訳者あとがきから、確かにシュレミールには作者シャミッソーと共通する部分もあることが分かるのだが、一方でシャミッソーは「影をなくした男」が「祖国をなくした」かれ自身を示唆していると読まれることは否定していた(シャミッソーはフランス貴族の生まれだが革命を避けてドイツに逃れてきた過去を持つ)。 私たちは作者に似たところのある登場人物を見つけると、「これはきっと作者の分身だ」と考えてしまいがちだが、作者が明言していない限り、安易にそのような読みをすべきではないなと考えさせられた。 この本はきっかけも覚えていないほど以前から読みたいものリストに入れていたが、本屋でふと見かけて買った。こういった薄い文庫本は持ち歩きやすくて好きだ。
  • 2026年1月12日
    薔薇の名前[完全版] 上
    薔薇の名前[完全版] 上
    第二日まで読んだ。 夜明けと共に明らかになった第二の事件、一面の雪景色とどす黒い豚の血の大甕のコントラストにぞくぞくした。聖務日課に従って物語も動き始め、どんどん面白くなってゆく。そして聖務を外れた深夜課、いよいよ文書館の迷宮の探索に至ると夢中になって読んでしまった。 頭の中で図形を描くのが苦手なので、迷宮の地図が載っていて有難かった…しかし、地図を見るとアドソたちの辿ったルートが分かってしまうため、最初はテクストだけで彼らと一緒に頭を悩ませてみた方がより楽しめたかもしれない。
  • 2026年1月8日
    薔薇の名前[完全版] 上
    薔薇の名前[完全版] 上
    お正月になかなか時間が取れず、ようやく第一日まで読み終わった。舞台となる僧院の概観と、修道僧たちの一日の流れを把握でき、前提知識の無い私のような読者にもわかりやすい導入だった。写字室や写本の描写が大変に美しく、中世のキリスト教芸術が好きな人にはきっと堪らない本だろう
  • 2026年1月2日
    女教皇ヨハンナ 下
    女教皇ヨハンナ 下
  • 2026年1月2日
    女教皇ヨハンナ 上
    女教皇ヨハンナ 上
  • 2026年1月2日
    82年生まれ、キム・ジヨン
    82年生まれ、キム・ジヨン
  • 2025年12月31日
    薔薇の名前[完全版] 上
    薔薇の名前[完全版] 上
    お正月に読む! ずっと読みたいと思っていたら完全版が出たので嬉しい。
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