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ワット
@watt
  • 2025年12月31日
    あしたの朝、頭痛がありませんように
    特定疾患、いわゆる難病の二人の往復書簡。痛みなど生活の困難は確実にあるのだろうけれど、メカニズムが十分説明できなかったり、病気自体が医学的な論争の中にあり病名が病名になっていなかったり、周囲に容易に痛みを否定されてしまう。それは暴力である。こうしたグレーゾーンを背負い込んでいる人から見える、社会の圧力のかたち。  個人モデルから社会モデルへ、という考え方は広がりを持つものの、社会じゃなくてまず私の痛みがなくなればなんとかなるんだから、と悲鳴のような訴えも。モデル化で見えなくなるものがある。相手のことが分からない。それを前提に、私たちはどこまで進めるのか。
  • 2025年12月24日
    小山さんノート
    小山さんノート
    著者は一義的には小山さんなのだが、本は「小山さんノートワークショップ・編」となっている。アーティストや、ホームレス支援、DV支援に関わる女性たちが、まるで仕事のように彼女の日記の文字起こしをしていったという。関係者から途中経過を、何年か前に聞いていた。そのときは、当事者による辛く苦しい手記なのかと思っていた。読んでみると、辛さ苦しさだけではなくついつい踊ったり歌ったり、まちの景色の移り変わりに身を浸し、雨をこわがり、世界全体をめいっぱい受けてその中で懸命に来ている、一人の女性の姿が浮かぶ。彼女が残したノートが貴重だと感じ、それを読み解いていったチームが、本当に素晴らしい仕事をしたと思う。小山さんは、彼女は、つまり私のことだ。
  • 2025年12月17日
    生活史の方法
    著者はいたって謙虚。ただひたすらに聞いて書く。その集積に意味があるのだ、と説く愛の書。技法化には結果的に強くあらがっていて、うまく行った・行かなかった点、つまりコツのレベルの提示にとどまっていて、それが独特な淡さを醸し出している。オートエスノグラフィという言葉ではなく、生活史。一回に二・三時間ほど聞いて、基本的に後は会わない。友人にもならない。その人の人生のハイライトを聞き残すことに、十分意味がある。  なるほど。特定のテーマをもとに、ちくちく聞く。いじる。ファクトチェックをする。研究では意味があるだろうけれど、人の生とは必ずしも関連がないかもしれない。  通常のインタビューでは削除される「ケバ」が残された語りの重大性。自分の現場で実践できるだろうか。
  • 2025年12月10日
    サッチャー
    サッチャー
    鉄の女、新自由主義の急先鋒、女性政治家、反共主義者といったイメージを持っていたサッチャー。本人の自伝は何種類か公刊されているようだけれど、それでも分からないことが多い。11年半に及ぶ首相在任期間が安定的なものではなく、主には経済の波に翻弄され、その合間にフォークランド紛争や、南ア、EUといった地域対立の対応に忙殺されていた様子が分かる。彼女の政権で行われていたことは、必ずしも彼女が本来的に実現したかったことではない場合があり、妥協や、やむを得ずの承認も続いていた。政権末期は、信頼する閣僚が少なく、少数のイエスマンとイギリスのかじ取りをしていたのだなあ、としみじみする。政権運営とは、サッチャーですら、こんなに薄氷を踏みながらのものなのか。
  • 2025年12月8日
    婦人保護事業から女性支援法へ―困難に直面する女性を支える
    2024年に成立した女性支援法ができる直前の2020年に、法改正に向けて経緯を総まとめにした本。ライターを立てて丁寧にリライトすれば、もっと注目される内容だと思う。  売春防止法制定時、買春の処罰規定が入らなかったのは、駐留軍人が買春した場合の法適用の難しさを法務省が嫌ったから、という記述にギャフン。売防法が法務省と厚労省の共管となり、社会防衛と婦人保護がごっちゃになった法律が作られた。その後、売春の形態が変化したあと、関係者の努力によりDV防止法のもと婦人保護事業が位置づけられたこと、生活保護や児童保護などの残余扱いで、他法他施策優先の条項が売防法に入っていたことなど、教えられることが多い。困難な状況にある女性の支援施策、女性福祉は、いまも社会福祉の辺境にある。
  • 2025年12月8日
    後継者不足時代の事業承継 当事者の視点で考える
    本を作る際の構成には相当迷っただろうと思われる。学術書にするか、ビジネス書にするか、実用書でも行けそうな気がするし、暴露本なら売れる。全部の要素を詰め込んだ結果、いわゆる同族経営、ファミリービジネスの特徴を明らかにすることと、著者が大塚家具の社長時代の回顧が特徴になっている。奇書に近い構成だけれど、面白い。  ファミリービジネス分野の研究は、近年ようやく進んできたようだ。ステークホルダーとシェアホルダー(株主)の関係が、一般の上場企業とは違い、この部分がトラブルの原因になる。株主利益最優先で考えられてきた経営学の主流の議論と違うものが見える。非営利組織の経営にも参考になる部分がありそうだ。つまり、会社の経営って、うんと多様なわけだ。
  • 2025年12月4日
    地域戦略の考え方
    岩波新書で出た2021年に出た「地域衰退」のアンサーブック。菅内閣以降盛んに喧伝される観光・文化経済戦略は、政府資金導入の規模が小さいこと、特定業種の支援だと全国的な集票につがらないこと、円安の恩恵を受けやすいことなどが背景にあるとする。その上で、結果的に低賃金の観光産業支援では国レベルの経済低迷を打破する力はないと結論づける。いま必要なのは、教育や福祉を含めた、経済以外と思われる分野も含めた社会政策で、社会的連帯経済を提起している。  社会的連帯経済は、まだまだイメージしにくいし、測りにくい。それでも、こうした角度でみんなが議論していくことが大事だろう。財政学の人などが、地域に向けてこう踏み込んでくれるのはうれしいし、心強い。有名事例ではなく、地味な事例の発掘をもっともっと。
  • 2025年12月4日
    政治・社会運動
    政治・社会運動
    資源動員論か、新しい社会運動論かを軸に何十年と議論が交わされる間に、誰も社会運動を気にも留めなくなってしまった。富永京子は、文化の側面から社会運動をもう一回見直そうよと言っていて、舌鋒するどい。でも、当たり前のことだ。射程を広くとれば、昔の川崎のバス闘争だって、誰だかの記念碑を作る活動だって、みんな社会運動だし、文化的なものと不即不離のはず。  しばらくぶりに読んだ、道場親信の論考がやっぱりいい。公共性の議論が、行政との協働やら対論主義の中で無効化されていく中で、革新市政が現場の訴えを無視しても戦った、横浜新貨物線反対運動の読み解き直しをやっている。そうだそうだ。道場さんがなくなって久しい。残念だ。この視点で、もう一度考え直さなくちゃ。
  • 2025年12月3日
    武器としての非暴力
    ジーン・シャープの考え方を紐解いた作品。権力側が用意周到・計画的に武力について考えているのであれば、それに対抗する民間側も、非暴力を戦略的に考えていくべし、ということだ。例として挙がるのは、コスタリカだけど、仕組みが違い過ぎてピンとこない。やはり日本の例を求めたい。そこでは、声なき声の会の小林トミと、沖縄の阿波根昌鴻が特記される。あはごん・しょうこう、という人物は知らなかった。一燈園などを経て、沖縄での非暴力運動を担った人らしいけれど、純粋にこの人のことを知りたくなった。日本の民間思想史みたいなものに連なる人なのか。べ平連のことを、著者がどう考えているのかも知りたい。あと、文化的抵抗というワードは面白い。社会運動論として読みたいものだ。
  • 2025年11月26日
    医療・ケア・障害
    医療・ケア・障害
    社会学から障害を捉えることで、社会全体の見晴らしはとてもよくなったと思う。この30年近くの界隈の概観は、末尾に置かれた山根純佳・前田拓也の論文が分かりやすい。もう少しさかのぼり、コミューンの解放運動から、アソシエーションと解決のための技法へ、そして運動性を喪失してサービス化に傾きつつある自立生活センター(CIL)の動きを追った深田耕一郎の文章も考えさせられる。  星加良司の主張はずっと変わっていないと思うけれど、障害学が解決するべき問題として、不利益の是正に焦点化させるのではなく、不利益の集中の回避に向けるべきという問題提起は、あらためてハッとする。
  • 2025年11月26日
    地方自治全史
    地方自治全史
    地方公共団体の自治は、団体自治と住民自治。そういった当たり前のことを何度も確認してしまった。自分は現場で、いわゆるコミュニティ政策に近い現場を自治だと思っていたけれど、国に対して、どう地方公共団体の範囲を守っていくのかが、地方自治の一つのテーマなのだな。  その昔、自治省・総務省系の偉い人と話をしたら、やたらと国政の動向に興味があり、地方自治のプロフェッショナルというよりは、人事異動に興味を持っているおじさんという感じで失望した。00年代の地方分権というのも、住民自治の中核の部分はけっきょく触らないままで過ぎていった、という感覚は大きい。この本も、国と地方のパワーバランスの話だった。鹿児島の郷士の話は面白かったけれど、それが各都道府県でどうだったのかは分からないまま。
  • 2025年11月19日
    オーラル・ヒストリー入門
    オーラル・ヒストリーという手法を使うにはどうしたらいいか。依頼状のひな型や、情報公開に関するコンプラ配慮の部分まで書いてあり、実用的で丁寧だ。「差別はありましたか」と聞いて、対象者と話がすれ違ってしまった、在日コリアン研究の朴沙羅の文章がグッとくる。政治家、官僚、外交官よりも、基礎資料を集めにくい市井の人たちの話を聞くための準備が、やはり難しいんではないかと思うな。  研究というのを、いわゆる学術研究という方向ではなく、ある成員ないしは地域のために資料として生かしていくためには、どんなアウトプットがあり得るのだろうか。たぶん、聞き取り部分と、完成されたものの公表、の二つの間に、中間公開だとか、イベントとしてのいくつかのバリエーションがあるのではないかしら。全体をオーラル・ヒストリーを含んだ一連のプロジェクトとして見立てるのがいいのかしら。別に、当該分野のパイオニアになりたいわけじゃないからなあ。
  • 2025年11月12日
    ニッポン珍供養
    2018年の朝日新書「ペットと葬式」の大規模修正版。ガイドブック以上研究書未満という位置づけか。ペット葬の是非という論点などは扱わず、昆虫、アイボなどの玩具、人形、草木塔、月待供養など、日本で暮らしてきた人特有の弔いの現在に焦点をあてている。鯨墓などは、捕鯨反対派から「供養するくらいなら、鯨を取らなければいいじゃないか」といわれるそうだ。うーん、そういうことじゃないんだよな、という部分が、つまり弔いの文化となのだろう。  それぞれの寺社などがどのような本心で人間以外の弔いに注目したのかは大雑把にしかは、分からない。冷静に考えれば利殖目当てという批判もあるだろうけど、それぞれの葬儀を行う縁起などは、各寺社はそれなりに明瞭に説明している。というよりそこが重要なのだろう。人形葬で非常に圧迫感を感じたという僧侶の述懐はうなづけるところがある。
  • 2025年11月5日
    死ともののけ
    死ともののけ
    著者は在野の民俗学研究者。ちゃんと知らなかったけれど、とにかく日本の辺鄙なところを歩き続け、地域の伝承を聞き取り続けた。在野っぽさ爆発。手書きの調査カードは、東京文化財研究所に寄託されている。本書は「死」に関する各地の風習の聞き取り。  一つ一つの項目に委細漏らさず記録するのが至上命題だから、どうしてもくだくだしくなる。それでも総体を通して見えるのは、本人への哀惜よりも、魔物が寄り付かないようにするための作業が膨大にあって、それが一連の葬送の営みの中に自然と埋め込まれていたこと。誰かが死んだら、上から服を逆向きに掛けてあげる、というような些細なしぐさも、元々は意味を持ちながらも、自然とルール化してしまったから、誰ももとの意味は分からない(答えは、魔物をだますため)。  こうした一つ一つのしぐさ、人の動き、身体性を、近代化・合理化・生活改善の名目で消して来た数十年があるのだろう。
  • 2025年10月29日
    オートエスノグラフィー・マッピング
    オートエスノグラフィー・マッピング
    社会学界隈では、このマッピングシリーズがある程度の重さを持っているらしい。確かに入門書としては最高だ。オートエスノグラフィーは、自分自身のことを研究していく手法で、従来は客観性が乏しいので研究の範疇に入らなかった課題を取り上げられる。多様な広がりを持つ個別の使い方について、いくつかの方向性の中で位置づけている。  自伝すれすれの人生語りみたいなもの、自分のモヤモヤした記憶を誤認も含めて客観的に振り返るもの、論文という形式にとどまらず芸術表現を含めて表出していくものなど、相当バラバラだけれど、手法の奥に共通点がある。nが大きい・小さいという問題とは違う何か、真実があるという強い思い。それが研究になるのなら面白い。私にも資料で裏付けられない、私しか承知していない重要なものが自分の引き出しの奥に眠っている。どうにかしたい、そのよすがになった、と思いたい。さてどこから始めるか。
  • 2025年10月22日
    世界はさわらないとわからない(1008;1008)
    瞽女や琵琶法師が活躍していた時代には、触る文化が一般的だった。これが、近代化の中で資格が優先する文化が形づくられていった。その先兵はたとえば、博物館である。大阪・国立民族学博物館に在籍する全盲の著者は、ユニバーサルミュージアムを提唱し、博物館からの、触文化の再興を考えている。視覚障害者と晴眼者という分類に対しても異議を申し立て、触常者と見常者という分け方を提案している。  みんぱくは、文化相対主義を基本にしていて、その流れにも沿うものだ。「合理的配慮」「誰ひとり取り残さない」という発想からは、主語が欠けていて、マジョリティの優位性が透けて見える。今こそ日本ライトハウス、点字毎日以降の視覚障害者と近代を問い直すべきと、鼻息が荒い著者。オヤジギャグ的な連想が多いのは、同音異義語が多い点字ユーザーのあるあるかも。あと、短文の最後のキメがいちいちスローガンっぽくなっている不思議。  障害者のアクセシビリティ確保や鑑賞サポートの活動は、もちろんやった方がいい。だけど、個々人に対応できるよう精緻化すればするほど「障害者」として話がくくれなくなる。結果としては、差別というと言葉は厳しいけれど、分断に与するようになってしまう気もする。背景にある文化の、深い理解がいるのだろう。
  • 2025年10月15日
    増補 股間若衆
    銅像のちんちんの部分はどうなっているのかを延々と探求した奇書。筑摩書房のオヤジ系ラインナップに連なるところだけれど、親本は新潮社で、初出の芸術新潮掲載時は「日本近現代彫刻の男性裸体表現の研究」とのサブタイトルがついていた。美学で正面から話が進められそうなものを、微妙にずらして考える。その作品よりも、作品によって起こった反応や影響に焦点を置くことによって、社会におけるちんちん、というか、人々の羞恥の感覚、猥褻の捉え方、表現におけるタブーのあり方、ジェンダーに関する問題が次々にあぶり出されていく。  絵画などの平面作品と違い背景が描かれない分、タイトルとポーズで作品解釈を行う彫刻の世界。一つ一つの裸像のパーツは、とても重大だ。そんな中でふんわりとしか表現されていない作品のちんちん部分のことを、著者は「曖昧模っ糊り」と名付ける。丸出しか、葉っぱか、曖昧模っ糊りか。なぜ、曖昧模っ糊りなのか。なぜ、なぜ、どうして。彫刻家に話を当てることはしない。その作品との距離感が快い。
  • 2025年10月8日
    アセクシュアル アロマンティック入門 性的惹かれや恋愛感情を持たない人たち
    アセクシュアルは、性的惹かれがない人。アロマンティックは、恋愛感情を持たない人。そのほか、いわゆる性的少数者にもさまざまな定義の可能性があり、論争がある。よっぽど友人が多ければ、山田さんはコレかも、佐藤さんはアレかもと整理がつくかもしれないけど、全人口の1%程度を問題にしているから、現実的には難しい。もちろん著者は、性的少数者の分類学をやりたいわけでは全くない。もともと二次元創作モノに関心があった著者の関心は、異性愛が正常であり一般的であるという、現在の社会を問い直すことに主眼がある。  つまり、『私たちはここにいる、私たちを見よ』ではなく『私たちはこの場のどこかにいる(かもしれない)よ』という、見えないマイノリティに対するまなざしを拡大するための実践である。暮らしの中にあるささやかな行動や言動の中にある、悪気のないマイルドな表現の積み重ねで、文化が、私が、かたちづくられている。だからこそ、痛くて、切実なのだ。
  • 2025年10月1日
    新しいリベラル
    新しいリベラル
    リベラルというものがふわっとして形のないものに見えるけれど、社会的投資を通じた福祉国家づくりを目指す考え方ということで、あるカタマリになりうるじゃないか、ということを著者らは主張する。エスピン=アンデルセンの論の紹介に続いて、ベラメンディの考えを整理している。大きな政府・小さな政府という軸のほかに、投資か消費かという軸を示していて、これは興味深いところだ。私は、投資という言葉が大嫌いだけれど。  全体を見ると、結果的に、現状に流されている。本書前半の旧リベラル、革新、戦後民主主義、平和主義の再考というか批判なんて部分は、さすがに浅すぎる。従軍慰安婦問題で謝り続けるか否か、朝日新聞はどうか、だとかそんな視点で検討するのはくだらない。結果として、反共的に吠えているだけにみえる。江田ビジョンの今日的問い直しなんて、いまの視点で検討しても無意味だろう。もっと地方自治体レベルというか、生活に近い視点で考え方を整理したほうがいいだろう。
  • 2025年9月24日
    日本のバス問題
    バスをはじめとした地域交通が、許認可という点から徹底的に行政に縛られていた長い長い歴史があり、それは現在にも通じている。曲がり角を曲がり切れないまま、地域の衰退が深刻化していってしまったわけだ。これからの地域交通としてのバスを考えたら、ビジネスとしての存続はほぼ不可能で、行政サービスの一環になるだろうというのが著者の見立てで、地域公共交通計画を官民でもっと議論する土壌をつくる必要がある。  ハッとしたのは、民間バス事業者は道路の保守整備にはカネを出していない、という指摘だ。バスレーンの設置とか、連結バスの整備といった方法では間に合わなくて、もっと根本的な国のインフラの考え方の整理が先に来そうな気がする。本書ではほとんど触れられていないけど、基本的人権としての移動権について、考えなくては。
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