長い一日
45件の記録
chroju@chroju2026年8月2日買った@ 有隣堂 キュービックプラザ新横浜店最近は文庫本を買うときは必ず有隣堂にして、昨年11月に生産終了してしまった無料カバーを付けてもらってるが、意外と在庫がまだまだあるのか無くならない。今回は8番のアイボリーに。



DN/HP@DN_HP2026年7月21日今作の主要というか滝口作品において重要人物である窓目くんが自身でもモデルになっていると思う(同じく滝口さんの)『「茄子の輝き』の人のことを考えはじめ」ればいつにまにか、直前に髪を切ってもらった美容師の草壁さんと行ったこともない島根のJR伯備線に乗っている「伯備線に乗って」という章も良いんだよな。滝口さんの書く電車の話はいつもちょっと幻想的でロマンティックな気もしてうっとりしちゃう。アンソロジー『鉄道小説』の「反対方向行き」とか『新潮』に載っていた「テレポートの軌道」とか。 で、そんな「窓外をずっと線路と並行するように川が流れていた」シーンに音楽を流すとしたら、草壁さんが「私は音楽はアンビエントとかドローンとかが好きなんですけど、」と言っていたから、Hinako Omoriの「Studies On A River」はどうだろうか。川からの連想というか、わたしが最近聴いていただけな気もするけど、結構良い感じになるのではないだろうか。






たま子@tama_co_co2026年7月20日買った読書日記毎日日記昨日一昨日で買った本。読みたいと思いつづけていた『長い一日』が先に文庫化されてしまった。三宅香帆さんの新刊『「夫婦」不在社会』は、紹介されている本がほぼすべて村上春樹作品ということで、妙に気になり購入。たぶん読んだら、未読の春樹作品をどんどこ読みたくなってしまうので、読み時を見極めねば。ここ数日は一度観たことのある映画を気楽なきもちで観かえすのにハマっていて、むか〜しに観たものが記憶以上によかった!ということが繰り返されていて、とてもよい。朝からたぶん痛んだヨーグルトを大丈夫だろうと食べてしまい(昨日買って帰って冷蔵庫に入れ忘れてリビングに放置されていた)お腹を壊してトイレを行ったり来たりして、何をしているのだか……とおもう。本を読み、漫画を読み、アニメ映画『ルックバック』を観て、ふわあああ……となり、また本を読み、みたいな一日。










DN/HP@DN_HP2026年7月18日心に残る一節「窓目くんは手すりを叩く手を止めて、自分の腹まわりに手をやった。若い頃は皮膚のすぐ向こうにあった胃袋が、いまは厚い肉を隔てた向こうにあると感じられる。体の表面からの距離は遠くなっても、胃袋の存在感は昔より増している。昔はそのなかでどんな音楽も鳴ることはなかった。食い道楽、私は食い道楽、と歌はまだ続いていて、歌の出処は口元から随意に腹のなかへと移動する。体が揺れれば、お腹も揺れる。余分な肉が遠心力でタイムラグを生み、それがグルーヴになる。涙を流した感じはいつの間にかひいていた。」 わたしもお腹でグルーヴを感じるようになってしまった。








ひつじ@hitsuji_zzz2026年7月14日読み終わったずっと、単行本を図書館で借りて読むリストに入れてたら、本屋さんで文庫本が発売されたことを知り大喜びで買った。一ページ目から、自分のチャンネルがカチッと合う感じがした(好きな文章、の意)。 スーパーの話と、料理の話と、しわ犬の話が好き。いやぜんぶ好き。


DN/HP@DN_HP2026年7月8日「私は花の名前は詳しくなくて、すぐ間違える。」 ——「二〇一七年八月一六日(1)」 この言葉が書かれたあと、7年(多分)の年月を経て、『たのしい保育園』収録の「連絡」という短編では、娘と散歩することで花の名前に少しづつ詳しくなっていく父親の胸中が語られることになるんだよな、と別の小説、作中人物と作家は分けて考えるべき、ということを踏まえたうえでもその年月と変化に深くなる感慨を止めることが出来ない。 わたしが花の写真を撮って名前を調べるようになったのは、完全に去年の夏に読んだその短編の影響で。作中の「ももちゃんのお父さん」は「ももちゃん」にその覚えた名前、言葉を向けるわけだけれど、わたしにはそれを向ける先がないのでSNSに投稿しているのだった。久しぶりに読んでいる『長い一日』で以前はあまり注目もせずに読んでいたかもしれないその言葉に再開したことで、わたしの行動には、その変化への少しの羨望や年月への哀しみもあったわけだ、と気付いたりしてもいる。わたしの好きな花はサルビア・ミクロフィアです。









Anna福@reads--2503092026年7月8日読み終わった滝口悠生の本を読むと、いつも空也像が思い浮かぶ。あの口から阿弥陀仏が出てる人。 入れ替わり立ち替わり登場人物が現れてはその思考と言葉が途切れず流れ続けるのが心地よい。 過ぎ去ったもの、今はもうないものへの愛着、愛惜。「その愛着もまた、失ってはじめて気づくものだったから。」 読んでいたら、ひとつの思い出がまた次の思い出を呼ぶ。私の「長い一日」は、まだ終わらないね。








DN/HP@DN_HP2026年7月5日ふたつのテクスト、長編小説のなかの一章と短編小説を繋げて考えたり書いたりしたとき、どちらの本に投稿するべきか。と悩んだなら両方に投稿すれば良いのだ。多分。 滝口悠生さんの『長い一日』のなかの大好きな一節を読んだあとには「しわ犬」という章がはじまる。ここも元々好きだったけれど、再読してみれば、そこにある寂しさと悲しさに以前より強く心を動かされ、また違ったことを考えたりして、それから、キジ・ジョンスンのこれも大好きな「蜜蜂の川の流れる先で」(『霧に橋を架ける』収録)という短編を思い出した。 「しわ犬の家のすぐそばだよ、と妻はその家の場所を私に教えてくれた。そう言いながら妻は、しわ犬のことを思い出す。私もそう言われてしわ犬を思い出し、ふたりとも胸がいっぱいになった。私は、しわ犬の家の近くなら、多少無理してでも住みたいと思った。けれどしわ犬の家にしわ犬はもういないのだ。」 ——滝口悠生『長い一日』「しわ犬」(p30) 妻が通勤途中に知り合い、夫もその後に知り合い触れ合うことになる近所に暮らすしわ犬(シャーペイ)。今はもう会うことのできない彼を思い出し、思い、胸をいっぱいにする「しわ犬」のなかの夫妻には、キジ・ジョンスンの短編「蜜蜂の川の流れる先で」を紹介してみたい。けれど、そんなことは出来ないわけだから、わたしがその短編をもう一度読むしかないわけだ。 老いと病で死とそれによる別れを間近に感じているジャーマン・シェパードのサムと彼と暮らすリンナはある日「ドライブ。変化が必要ね?」と車を走らせる。予想外に長くなったそのドライブは、「蜜蜂の川」に突き当たりその川を「終わり」に向かって辿り始めることになる。 その道行は愛するものとの別れを先延ばしにするようなものでもあり、ある意味でそこからの逃避でもあるし、その心の準備のために必要な時間なのかもしれない。なんにせよその間にもリンナはサムを愛し別れを恐れ続ける。「永遠に生きて」と。 そして辿り着いた「蜜蜂の川の流れる先で」は「幻覚をみているとわかっている」ような幻想的な場面に遭遇する。しかし、そこでもリンナの願いは叶わずに、彼女とサムには逃れられない別れが訪れる。けれどこの物語、そこにあるファンタジィの力はそれを優しく包んでくれる。 それは「リンナとサムは永遠に楽しく暮らしました」というようなファンタジーにしても不誠実なものではなくて、死やその別れからは逃れることは出来ないけれど、亡くなってもう会えないものを思い出し、思うことのまた別の意味を優しく教えられ、考えさせてくれるようなもので。 「あの日もらったポスターは今もとってあって、時々壁に立てかけてみる。私はそれを見るとしわ犬の停まいを思い出すけれど、妻は今も毎日のようにしわ犬の家の前を通っているから、しわ犬の家の前を通るたびに、少ししわ犬のことを思い出す。しわ犬がまだ生きていた頃は、今日はいるかな、いないかな、と思いながら中学校の前の道に出る角を曲がった。もういないとわかっていても、角を曲がる時に、少しその感じが心中に起こる。」 ——滝口悠生『長い一日』「しわ犬」(p39) もういないもののことを、とあるきっかけで、あるいは繰り返す日常のなかで思い出すとき、思うとき、そこには思い出すことの寂しさや、もう会うことも触れることも出来ないことの悲しさがもちろんあるけれど、その寂しさや悲しさを感じるということは、つまりはまだ忘れず変わらずに思っているということで。忘れなければ、そのものたちは、まだ、「いる」と思える、思っても良いのかもしれない。だって忘れてしまったら本当にいなくなってしまうから。「蜜蜂の川の流れる先で」を読み返して、そこにあったファンタジィの力に触れて、そう思いはじめている。そう思えば忘れない、思い出し思うことで感じる寂しさや悲しみも、そこから逃れようとしたり、振り払ったりするのではなくて、大切に抱きしめておきたい。それは、誰かが「いた」のではなくて、まだ「いる」ことの証明でもある、と思ってみたいから。 「蜜蜂の川の流れる先で」を読んで感じたそんなことを夫妻に語りかけるように、『長い一日』の「しわ犬」の章ももう一度読んでみたい。というのはちょっとキモいかな、と今書きながら思ったけど、この短編も大好きな小説の一章も、多分また何度も読み返すと思う。







どうどう@toutoutoudo2026年6月30日読み終わった人間は立体なので360度ありますが、私から見える180度じゃなくて裏側の180度が見えるのかな!?と思ったら皮を剥いだ中身が見えた!って感じでした!最高です! 人が自分だったり周囲のことを語る時にどうしてもそうすっかみたいな気持ちになりがちなのになんか吸引力があり引き摺り込まれていった。柴崎さんがでてきて柴崎さんだ!となっていたらなんかあらゆることは今起きるって言葉が実態をもって現れてびっくりした。 窓目くんパートが一番好きでした。




DN/HP@DN_HP2026年6月24日「最寄りのスーパーはオオゼキではないが、地図をたどれば必ずどこかに最寄りのオオゼキはある。」 写真のオオゼキは通りかかったオオゼキだけれど、実は最寄りのオオゼキでもあるかもしれないオオゼキ。










DN/HP@DN_HP2026年6月20日先に倉本さおりさんの「解説」だけ読んでしまったけど、とても良かった。この解説にも「愛があった」。わたしもオオゼキのパートは好き、というかあそこはきっとみんな好きですよね。 わたしも「最寄りのスーパーはオオゼキではないが、地図をたどれば必ずどこかに最寄りのオオゼキはある。」のだ。心に留めておきたい言葉である。あと、わたしの(多分)最寄りのオオゼキの近くには、とても素敵な古本屋さんがある。













































