社会は「私」をどうかたちづくるのか
78件の記録
かいわれ@iskaiware2025年10月30日読み終わったYoutubeで三宅香帆さんが「社会学の教科書本」として強くオススメされていたため購入。 結果、面白過ぎたため、2回読みました。 自己と社会の関係について様々な角度で理解できます。 入門書的立ち位置なだけあって、難解な用語も平易に分かりやすく、それだけでなく社会学の奥深さも感じられました。 私が日頃思っていることや感じていることには、昔の学者先生や社会学的な名称が付けられているんだな、とその点でも面白く感じます。 フーコーが気になったのですが、著作に手を出すのはハードルが高そうなので、同じような入門書ないしは教科書本を読んでみたい。 参考文献にも面白そうな本が多く、社会学の沼にはまりそうです。

445@00labo2025年10月28日気になる『働くための〜』で、 社会に出て仕事の文章を書くのが難しくなるのは主語があいまいになるからで、それは関係性の中の自己をうまく捉えられないから。 と言うような趣旨のことが書いてあり、関わり合いは自己を捉えることにおいてどのような作用をしてるのか知りたくなった。- 腰掛椅子@consider_302025年7月24日読んでるp.180〜 ニコラス・ローズ 「現代を生きる私たちが「心」に関する知識・技術を自ら用いながら、自分自身をよく知り、よくコントロールして自律的・再帰的に社会生活を送るそのとき、つまり…「問題はすべて自分で解決しないといけないんだ」と思うそのとき、私たちは今日の社会的要求に最もよく応えた「主体」つまりは最もよく統治された「主体」になっている」 「よりよい生を送るためにそれら[生物医学やバイオテクノロジー、神経科学や脳科学など]のある部分をとりいれ、ときにリスクを負って選択するというかたちで人々がそれら活用することで、身体や脳を対象に含めた自律的・再帰的な自己コントロールが強まることになるだろう」

- 腰掛椅子@consider_302025年7月24日p.194〜ケネス・ガーゲン 自己についての語り=聞き手を説得しうるように(および自分自身が納得できるように)関係づけられた出来事の連なりが要請される 社会で受け入れられやすい言葉や物語のパターンを活用して、お互いに調整・交渉しながら語る (→ナラティブセラピーへつらなる) p.200〜 浅野智彦 「自己物語はいつでも「語り得ないもの」を前提にし、かつそれを隠蔽している」 =語る自己、語られる自己/過去、現在との間で引き裂かれつつ、同じ自己である ある視点には盲点や偏りが含まれざるを得ない=物語には他の編集可能性がある 聞き手の「本当かな?」といった疑問を原理的に避けられない →自己物語が成立することに貢献するのが他者(聞き手) 語りを受け入れてもらえることで、自己の同一性がひとまず獲得される

- 腰掛椅子@consider_302025年7月24日読んでるp.185〜 筆者の自己啓発本による研究 〜1990半ば 自分にかかわっていく技法=抽象的徳目(心構え、勤勉とか誠実とか)や表面的操作(外見や持ち物) 1990半ば〜 自らの内面にかかわっていく技法へ :自らと向き合い、「自分らしさ」を知り、受け入れ、好きになり、「なりたい自分」目指して自らをコントロールしていくことができる、望ましい →容易にコントロールできないものとして「社会」を遠ざける

- 腰掛椅子@consider_302025年7月23日読んでるp.122~ アンソニー・エリオット「新しい個人主義」 「特に先進国に暮らす人々はさまざまなモノおよびシンボルを用いて自己表現し、「私が今のような私であること」を示すべく促されている」 ↔︎「そこで示した自分のあり方が明日以降も耐えうるものなのかは定かではない」 →人々に多大な感情的コストを強いる
にわか読書家@niwakadokushoka2025年6月6日読み終わった@ 自宅こういうのも社会学か。広い。 少なくとも、経営・採用・人事、各種マネジャーは、こういう知識を持っておいた方が、うまくいきそうだと思う。

文庫のある生活♪@bunko_mylife2025年5月25日読み終わった牧野智和『社会は「私」をどうかたちづくるのか』(ちくまプリマー新書)を読了。 私とは何だろう?という根源的な問い。 社会学者らは、社会の中に私の表れを見出してきた。 社会学における「自己論」の変遷を丹念に紹介してくれる一冊だ。 読了後、次に読まなきゃならん本がたくさん出てきたぞ!!






























































