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@itllme
小説を読むのが好きです。 質のいい夜更かしを。
  • 2025年7月10日
    夜が明ける(新潮文庫)
    西加奈子さんの作品は2冊目だ。 どんな物語なのだろうと思ったけれど 最初の1ページ目でこの物語には西さんの 世界への訴えみたいなものがあるのだと悟った。 "アキ•マケライネン"はこの世にはいないことを知る前に自分でインターネットで調べた。 印象に残っているのはおさ誰よりも"遠峰"だ。自分の貧困を絶対に恨まないように自分で全て背負って、弱音も吐かずに生きて行くことを"戦う"と言った彼女に違和感を感じた。 それは恐らく最後の方に出てくる森の言葉である"苦しかったら助けを求めろ"という言葉の全てが遠峰の中で認識されていないように感じたからだ。 そして、その姿が私と私の知っている誰かに当てはまったからだ。 この物語を読んだ後でも"俺"や"田沢"のように"森"を何処か嫌ってしまう私はまだ怖さを引き受けられていない。 この本で西さんが言いたかったことは簡単には伝わらないけれどそれでも私がこの本を手に取ったことは自分を取り戻す何かに繋がる気がした。 この作品は読み終わると自分を否定しなければいけないことに苦しくなった。 いつか引き受けられるようになりたい。
  • 2025年6月29日
    少女は卒業しない
    眩しくて何処か自分ごとのようだった。 タイトルに惹かれて購入したけれど、眩しい青春ストーリーではなかった。 1つの"終わり"へ向かう登場人物たちの姿はどの場面にも青い風が吹いているように感じた。 お気に入りは「屋上は青」。 こんなにも青が綺麗に私の中に染まった感覚は初めてだった。 「在校生代表」は読み始めたときドキッとした。そしてキュンキュンした。 ハッピーエンドとかそういうんじゃなくて 新たな一歩とかそういう臭いことじゃなくて、ひとりひとりの"終わり"が色んな形であることが愛おしくて切なかった。 自分の卒業式のことを思い出さずにはいられなかったよ。
  • 2025年6月22日
    終末のフール (集英社文庫)
    この本はどの短編でも"死"について綴られていた。けれど、読み終えた今、"死"に対する恐怖が残っているかと言われればそれは全くない。 隕石が落ちてくるあと3年の時間を登場人物たちはそれぞれ生きていて、それぞれ選んでいた。紡いでいた。 生きている人だけが描かれるのではなく混沌とする世界の中で"死"選んだ人、殺された人、悪事を働いた人、生きているけれど大切な人を失った人。 ただ、"生きろよ!"と言うのではない伊坂さんの優しさが散りばめられていたように思う。 この本は2009年のものだけどコロナ禍が終わり落ち着きを取り戻した私にはsfに思うには現実味があったように思う。 最初読み始めた時は本当にその当時のことを書いているのかと思ったくらいだ。 "鋼鉄のフール"に登場する苗場の言葉は強く強調されているように見えた。 それは今の誰かの生き方にもつながるのではないかと思う。 苗場にはモデルが存在するらしく私はあとがきでそれを知り、すぐに調べた。 生きるということは綺麗事ではないし時に醜さの方が勝ることもある。 その醜さがどの作品よりも美しさに紛れて リアルに丁寧に描かれていたように思う。 "明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?" "あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?" この本を手に取って良かった。 古本屋に入って1番最初に目に入ったのだよ。
  • 2025年6月12日
    ここは退屈迎えに来て
    タイトルに惹かれた。 これが私のこの本への感想を語るのに十分な言葉だと思う。 都会と地方 年齢、恋愛、友人 色んなものが色んな年代の女性たちから 広がっていた。 1番印象に残ってるのは 「やがて哀しき女の子」かな。 夢に敗れて地元に帰り、自分の人生に疑問を持つことをやめて、いや、その疑問自体が消えていく様子がリアルだった。 南とあかねの2人の奮闘と結婚というものが達成されて瞬間の変化。 「そしてもう、気ままで向こう見ずで生意気だったころの自分を思い出すことはなかったし、まだ見ぬ恋人を求めていた心許ないおぼつかない日々のように、立ち止まって思索的なことに思いを巡らせることもなかった」 こう最後に書かれていたけれど わたしはこの終わり方がどうしてか少し寂しくも感じた。 あとがきに返答するなら わたしはこの本が刺さる方の人間であると思う。
  • 2025年6月11日
    号泣する準備はできていた
    まだこの人たちの感情はわたしにはわからない。 そんなことを思うことが多かったように思う。色々な恋愛の形とそれを選んだ自分とその結末を受け入れる彼女たちは私にはまだ少し大人だった。 タイトルの通り、彼女たちは準備はできていた。というより、準備をしていた。 素直にその結末受け入れる。 一見おかしいことをしているようでそれは生半可な覚悟ではできないように思えた。 たぶん、第三者が思っている以上に強いのだと思う。 いつかわかる日が来て欲しいようできてほしくないようなそんな一冊だった。
  • 2025年6月11日
    クジラの彼 (角川文庫 あ 48-4)
    あー、きゅんきゅんした。 あー、かっこよかった。全登場人物。 これが読み終わった後の気持ちをどうにかして言葉にした結果だ。 いつぶりかに手を取った有川浩さんの作品。 最初の"クジラの彼"で冬原春臣"と"聡子"の出会いの会話にやられてしまった。 あの2人の駆け引きだけで私の中でこの作品に夢中になる理由になった。 国防をしている女性、男性がどの作品にも出てくるけど、その人たちの恋愛と仕事への責任感がかっこいい。 そして、それを支えようとする恋人たちもかっこいい。 ただ、国防をしていることを全面に押し出すのではなくて彼等が起こす自分の気持ちへの言動は国防という仕事のことを忘れてしまうほどキュキュンしてしまった。 お気に入りは クジラの彼と国防レンアイかな いや、有能な彼女も。 何回本に顔を突っ伏したかわからない🤦 伸下も夏木もよかった。 でもやっぱ、私は冬原春臣がすきだ!!笑 名前も美しすぎる! 有川浩さん、ありがとうございます! 最高にきゅんきゅんな"ベタ甘ラブロマ"でした!
  • 2025年5月6日
    Tugumi
    Tugumi
    ずっと、読みたかった本だった。 吉本ばななさんの作品っていうのもあるけど表紙の絵が私を惹きつけて話さなかった。 読み始めてからすぐにまりあが語る"つぐみ"という存在に惹かれていった。 ただの強がりなのか、わがままなのかそうやって自分の型に入れていることに気づいたときバカバカしいと思った。 つづみの世界を誰よりも理解しているまりあには到底敵わないなと物語を読み進めながら思った。 つづみに惹かれながら自分のいる場所をこんなにも美しく切なく表現できる語り手であるまりあにものめり込んでいった。 2日で読み終わったのは久しぶりではなかろうか笑 恭一と出会って恋に落ちていくつづみもまた、まりあと同じく愛おしかった。 たったひと夏の数日の物語のはずなのにずっと続いていて、続いていくのが想像できる。 最後の吉本ばななさんのインタビューのところがとても印象的だった。 人生には否定的だから物語の中を描くときだけは肯定的に、ある種のハッピーエンドを望んでるって。 だから、私は救われてるんだね。
  • 2025年4月30日
    ひと
    ひと
    引っ越してきて初めて読んだ小説。 読み終わった今、少しだけ前を向かなきゃっていう前向きな気持ちにさせられている。(23:30なのに笑) 両親を亡くして東京で1人になった21歳の聖輔。 それは読み終わってみれば今の私に重なるところが多かった。 聖輔のそれでも生きようと人に出会い、別れて自分の道を切り開いていく姿は何故か刺さった。 嬉しかった。 寄り添ってくれた。 惣菜屋さんで働く姿もなんかかっこよくてついついコロッケを買ってしまった。 "急がないが、とどまらない。そんなふうにやっていけたらいい。先は大事。でも今も大事。先は見なければいけない。でも今も疎かにしたくない。だって、僕は生きている。" 聖輔の歩んだほんの1年が私の孤独や未来や今の生き方の目印になってくれた気がする。 この春にこの本を手に取って良かった。
  • 2025年2月28日
    ギフト
    ギフト
    20個の短編集からなる1冊。 今まで読んだ原田マハさんの作品とは異なる柔らかくて流れるような日常が切り取られて描かれた作品だった。 どの物語が好きだったか?と聞かれると1つも印象に残ってるものがないというのが正直な感想。 それくらいスッと入って溶けていくような物語だった。 ただどこかずっと心の中に花束が贈られている感じだった。 ゆっくりと進んでいく日常のどこかにもあたたかいものがあるんだと言われているようだった。
  • 2024年11月27日
    対岸の彼女
    対岸の彼女
    話しのあらすじも思いつかないまま読み始めた1冊。 小夜子と葵の出会いとそれぞれの過去が描かれる。 印象に残ってるのは、まるで自分も一緒に追いかけていたような気持ちになった葵の高校生の頃のナナコとの話し。 学校では話さないのに帰りの川辺で集まって語り合い、夏休みに山奥の民宿にアルバイトに行ったり、2人で家出して歩き回ったり。2人で手を繋いで飛び降りた描写はなぜだかそれが必然で美しいものに見えた気がした。 大事なものなどないというナナコはいつまで経っても追いかけたくなるような人だった。どうしても自分自身を葵と重ね合わせてしまう。 葵の今の生き方はまるで高校時代のナナコがいるようだった。それは私も同じなのかもしれないと思った。 小夜子とその子どものあかり。 同じような逃げ場探していた小夜子 1人でいることを選んでしまうあかり 事件として取り上げられた葵とナナコの逃避は2人特有のものなんかではない。 ただの同性愛でもない。 みんな一緒に逃避をしようと自分の手を握ってくれる人を探している。 ただそれができるのは相手がいる人だけで、その手を掴んで川を渡らなければならない。 友情も逃避も孤独も どれかを一度でも選んだことがあるならこの作品は流れるように心に入ってくると思った。 「ひとりでいるのが怖くなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」 葵は小夜子にそういった。 いつか私も伝えたい。そう思わせてくれた友人にありがとうと。 角田さんの作品は好きだと思う。
  • 2024年11月24日
    盲目的な恋と友情
    タイトルと表紙のかわいさにら惹かれて手に取った本。 本の中にある2つの章のタイトルは 「恋」と「友情」 違う登場人物が出てくるのかと思っていたけれどそんなことはなかった。 蘭花と留理絵の話だった。 蘭花が語り手である 「恋」は、茂美との恋の話だった。どんどん泥沼にハマっていく。 出会の場面だけはトキメキを覚えたけれどそのあとはほとんど幸せのシーンがなくて闇の中に消えていく様子があっという間に描かれていた。 できることなら茂美の気持ちを描写したものを知りたかった。けれど、恐らくその願望、他の作品であれば語られているからでこのあと出てくる留理絵という2人の恋に関して第三者となる人間の心情はここでしか描かれないのだと思う。 「友情」 これは留理絵の過去の話から始める。 コンプレックスを抱えた彼女が蘭花との出逢いによって変わっていく。 読みながら思ったのはあまりにも蘭花への気持ちが重いということ。 本当に1つ1つの言動に対して蘭花からの気持ちを誰かと比べている。恋人すらも。 蘭花が付き合っていた人と関係を持った描写には驚いた。 ただ、1つも私の心に刺さる言葉はなかった。それはまだこの2人の泥沼のように見える関係にお互いに思うという気持ちが存在しているように感じなかったからだ。 親友という言葉を発しながらもお互いが見ているのは、茂美と誰かに必要とされている自分自身だったからだ。 この本を読んだ人がいて、もしこれに共感して心揺さぶられた人がいたとするならば、私が分かり得ない考えを持っている人間として話していみたいと思う。
  • 2024年11月20日
    いつか記憶からこぼれおちるとしても
    初めて読む江國香織さんの作品。 前他の作品を借りた時は数ページで諦めたけれど、どうしてかこの作品は読み続けるたびに続きが気になった。 10人の女子高生の話だと裏表紙に書いてあったけれど、読み終わって10人もいたかな?と思う。 数えてみたら本当に10人だった。 10人分の物語を読んだのかと聞かれるとそんなことはない。 ただ、1話1話語り手は変わっているはずなのに違和感がなくて、すんなりと入ってくるのが不思議だった。 最初の「指」 の電車のお姉さんは強烈だった。 どんな部屋だったのかなとかどんな結末を迎えるのかドキドキした。 1番読み返したいのは「緑の猫」 病気なのかな、おかしくなっていく友人(エミ)の姿を追っていく萌子。 親友ってものを探しているような気がした 彼女は みんなと仲良くしなさい、お友達は多い方がいいのよ と言う言葉にこう返していた。 『ばかみたいなセリフだ、とあたしは思う。この人はいったい、「みんな」って誰のことだと思ってるんだろう。「みんな」なんてどこにも存在しないのだ。誰かをハブにするとき以外は。』 初めて触れた「みんな」に対する 彼女の言葉は私の心に留まらないわけがないよね笑 誰かをハブにするとき以外はって 多分、多くの人がハブにするんじょなくて一緒にする方向で考えるはずなのにそんな期待を抱いてないことが私的に好印象だった。 たかが女子高生。 けれど、こんなにも頭の中は自己で溢れてるんだよ。 と、いつかの私も言っていたように思えた。高校生の頃に戻ったみたいだった。 全員、それぞれに学校以外の世界があって生きてた。まだ、羽ばたく前の少女たちの本の1ページの日々が私にとっては貴重な場面ばかりだった。 一言で表すなら 美しかった。
  • 2024年11月13日
    夜空に泳ぐチョコレートグラミー(新潮文庫)
    友人に勧められて手に取った本。 チョコレードグラミーを最初は美味しいお菓子だと思ってました。違いました笑 町田そのこさんの作品は2作品目だけれど一つ一つの言葉が心に染み入る。 なんてありきたりな表現なんだろうかと思うけど、その言葉が今のところしっくりきている。 (以外ネタバレ有り) *** 「波間に浮かぶイエロー」 環が会いにいったのは昔自分のことを好きだと言ってくれた相手だった。 そんな設定だけを聞くといまからラブストーリーかなにか始まるのかと思うけれど 環はその理由を後でこんなふうに話す 「 いまもわたしのことが好きかな。わたし、それが知りたいの。まだ、信じていたいの。自分がちゃんと誰かの特別で、素敵な人間だって」 この言葉を聞いたとき 2年前、大学2年の京都駅にいる自分を思い出さずにはいられなかった。 環は分かってたけど私は分かってなかった。そんな独りよがりな気持ちに。 この話の本当の結末を環は知らない。 けれど、彼女のことを真っ直ぐに好きだった重史さんの気持ちはずっと彼女にあった。その真実を知ったとき、2人の過去の話を聞いたとき、切なくて、そしてあったかくて羨ましくなった。 重史さんは生き続けるし、環はきっと大丈夫なんだって思えた。誰かからの言葉が人を救ってくんだって思った。 「溺れるスイミー」 プロポーズを機にその場所に留まることから逃げ出したいと思う主人公の唯は、ほんとに私の気持ちを少しばかり代弁してくれているようだった。 そして、彼女が惹かれていく宇崎くんは その自由を手に持っている人だった。 宇崎くんが唯にプロポーズしたとき自分が言われても同じような気持ちになるんだろうなだと思った。 唯のお父さんもお母さんも 自由を求めた立場と 置いて行かれた立場で 描かれてて、わたしは置いて行かれた立場の気持ちをどうにも理解できなかった。 でも、留まることを決めた唯をみてその姿がどうしてか、かっこよく見えたよ。 この作品にはなぜか ありがとう と言いたい。 わたしの今の心を救ってくれるような作品だった。
  • 2024年11月13日
    心淋し川
    心淋し川
    どの短編の結末も忘れられないものばっかり。 結ばれない恋も結ばれないと思ったら結ばれた恋も。 江戸時代の小さな街を舞台に描かれてるけれど読み進んでいくと最初は言葉が難しいと思っていたけれどどんどん街の風景が頭の中で広がって人と人が繋がっていった。 読み終わった今では心町(うらまち)が心の中であったかいまま留まってくれてる。 心町では絶対に人の過去や淀みを聞かないことが言葉にはせぬルールになってることがまた、読者の私をも受け入れてくれているように感じた。 「冬虫夏草」では1人息子に依存していく母の姿が描かれてる。 でもそれは自分が嫁いだ旦那が過去に自分の母親にしている姿と同じだった。 母親が語り手となってるからか、読みながら苛々した。けれど、自分の気持ちにも気づかないくらい拠り所がそこしかないのだと可哀想にもなった。 寂しいんだなと。 それは 「明けぬ里」 ででてくる売れっ子の遊女も。 してはいけぬ恋を、でもどんな相手もよりも自分が心を寄せてる相手とした。 最後、全てを悟って葛藤(クズノハ)の泣き叫ぶ姿には明里の姿とともに喪失感を与えられた。 そして「灰の男」 ずっと、心町のことを見つめてきた茂十の過去。寂しさを晴らしたくて過ごしていたのにそばにいた楡爺との最後の結末は、 誰しも寂しさを持たずには生きることができないんじゃないかとさえ思わせた。 どのお話も人の心にある拠り所みたいな淋しさが滲み出てた。 淋しさって拠り所になることがあるのかな 読み終わった今でも彼等の心のうちをもう1度覗きたくなる。
  • 2024年10月29日
    太陽と毒ぐも
    太陽と毒ぐも
    こんなことで別れるのか こんなことがあっても続くのか うわー、わかる そんな驚きと笑いがこの本を読みながらおこった。 1番笑えたのは 通販サイトで商品を買いまくる彼氏。 こんな人もいるのかと驚いたけれど段々と受け入れてしまう彼女をみていると友達から言われた「誰かと付き合ったら流されちゃうよ」って言葉を思い出した。 自分でもそうなるんだろうなと思うけどさ それが愛なんか好きなんかは段々わからなくなるんだろうね。 形がなくなっていってなんて呼べばいいかわからなくなるんだろう。 続いていく理由も終わる理由もそんなもんなんだよね。 泣きじゃくる彼女をみて彼氏が言った言葉 "小さい子どもは、まだ知らないのだ。何かを正直に言えば言うほど罪深くなっていく世界があることを。ゆるす役目を持った人が存在しない場所があることを。" 彼女の小さい頃の写真を見たいと思っていた彼氏は目の前で泣きじゃくる彼女が小さい子どもに見えた。 "ゆるす役割りはかわりばんこにやるしかないだって部屋には僕らしかいない" と思う彼氏に何故かありがとうと思ったよ 「八月の蝉」で初めて角田光代さんの本を読んで2冊目だったけれど角田さんが書く人間の繊細な内面はいつの間にか読者をその本の主人公に憑依させる力があると思う。 変な恋愛経験(仮)の記憶がインプットされた気もする。笑 本を読みながら久しぶりクスッと笑えた。
  • 2024年10月21日
    博士の愛した数式
    数式っていう言葉がタイトルにあって 何となく取るのを躊躇いそうになった。 読み始めてみると なんか、私とルートと博士の関係性が 少しずつ、ほんとに少しずつ 明らかになっていくことに居心地の良さを感じた。 のめり込むとか激しいものではなくて 少しずつ明らかになっていく感じ。 数式が美しい 完全だ なんて初めての感覚を知ったけれど 少し早めに知ることができていたら数学を多少は楽しく勉強できてたのかななんて思った。 最後まで博士は私のこともルートのことも覚えてなかったけど それがすごく悲しいことに思えなかったのが不思議だった。 そんなことよりも3人の間にあるそれぞれの優しい愛がまさっていた。
  • 2024年10月13日
    わたしの知る花
    わたしの知る花
    初めて手にした町田その子さんの話し。 読んでる途中は中々、平が誰なのかわからなくてモヤモヤしたし、多様性の話ばかりなのかなと思って退屈してた。 けれど終盤に祖母(悦子)の1人語りから始まる話は一気に読み上げてしまった。 悦子と平の一生をかけた結ばれなかったようで強い糸で結ばれていたものは悦子の気持ちからも読み取れるものばかりだった。 ただ、その2人の愛を語るのではなく 他の登場人物の愛と絡め合わせながら徐々に正体を表してくる真実は、ミステリーとは違うあったかくて、でも、すっきりするそんな結末だったと思う。 会いたくても会えなかった。 お互いがお互いを思っていたことが最後の最後に伝わってよかった。 できることならその思いを伝える場面まで見たかった。 作者はきっと、そうしなかったことさえも2人の糸なのだと言っているようだった。 「最後まで、生きていくしかないんだよねえ。どれだけすれ違っても、大事な相手も一生懸命生きてると思って、願って。ひとは、それしかない。たまに会えたら、めっけもんさ」
  • 2024年9月26日
    阪急電車
    阪急電車
    ほっこりした。 すっきりした。 この本を読み終わった後の感想はこんな言葉で表すことにする。 父の本棚から持ってきたこの本。 多分読むのは2回目。 ひとつひとつの物語にあったかさも人間の心のうちも、現代社会も映し出されてて、読み出したら止まらなかった。 私も一緒に電車に揺られながら読んでみたりした。 好きなのは征志たち2人が図書館での人見知りから恋人になっていく話と、 ゴンちゃんと圭一くんの話かな。 図書館でお互い知り合ってたなんて素敵だなあと思ったし 圭一くんのゴンちゃんを可愛いと思う心のうちが愛おしすぎて。 でも、おばあちゃんも彼氏と別れることを決意したミサも、ダブル翔子もすき。 なんか強気な女性だけどみんな悲しみや愛を抱えててかっこいいなと思ったから。 いつか私も今津線に乗ってみたいな。
  • 2024年9月22日
    ミトンとふびん (幻冬舎文庫)
    誰にもわかってもらえないと思っていた心の奥底の気持ちをを救われて、新たな旅に出たくなる、そんな一冊だった。 孤独な夜は主人公と共にイタリアに行き、ヘルシンキに行った。 誰にもわかってもらえないとネガティブになってしまった日には主人公たちの言葉に救われた。 誰かの死を乗り越えようと日々を歩む姿は大切な人の誰にも死んでほしくないと思ってしまう私にとって少しだけその悲観的な視線から解いてくれた。 "みんながいなくなっていくことを、もっともっと「自然」と思えるのはきっと私にその順番が近づいてきたとき。" 人間なんてそんなもんだよねって負の感情として抱いていたものがこの一冊には沢山あって、私は少しだけ自分の負の感情を受け入れることができた。 "人の気持ちなんてそんなものだ。真実は頭の中には常にない。真実は流れついた状況の中にだけ存在する" "どんなに他人と親しくなり、その人のことをわかったつもりになっても、結局その他人とは自分の中に生きているその人にすぎない。その人本人ではない。" この本は自分のそばに置いておきたい。 そして孤独な夜にまた読み返すと思う。 "幻影と幻影のあいだに、ほのかに温かい空間があって、人と人はそこでしか出会えないのだ。"
  • 2024年9月10日
    スター
    スター
    正直にいうとこの本を読み終わって私は未だに何かの正解に向かっているし、どこかに正しさがあるんじゃないかって思ってる。 誰もが発信できて受信できる。 誰もがスターになりうる。 そんな世界に生きてるからこそ自分の可能性から、その限界から目を背けることができなくなってしまう。 絋と尚吾はそれぞれの正しさを信じてて、信じたくて必死に正解を探していた。 けれど、この時代にそんなものはなかった それが良い点でもあるし、誰かを苦しくさせるものでもある。 そんな当たり前に潜んでいるものに気づかせるものだった。 2人はそういう小さな世界が集まったものを受け入れていたけど、私はまだどこかで受け入れられないところがあるんだと思う。 尚吾の師匠である鐘々江監督が"映画館"にこだわり続けたように。 私にはまだ時間がかかる。 でも、2人がその世界を受け入れた先にも 自分の本気や揺るぎない価値は持ち続けて良い、というか、持ち続けようとしている姿は、そんな世界も悪くないかなと思わせるものだった。 "私の言葉を信じるのではなくて、私の言葉をきっかけに始まった自分の時間を信じなさい" 鐘々江監督 またいつか読み返したときにそんな世界を受け入れながら変わらない私がいてほしいと願うよ。
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