

haku
@itllme
小説を読むのが好きです。
質のいい夜更かしを。
- 2025年9月28日革命前夜須賀しのぶ読み終わった出会ってしまった。 小説を読み終えてこんな感覚になったのはいつぶりだろうか。 わたしはこの1冊を古本屋の隅で目に入って購入を決めた自分にありがとうと言いたい。 この物語は眞山柊史が東ドイツに音楽留学するところから始まる。 まだドイツが東と西に分けられていた時代のときの話。 わたしはこの時のことを勿論全然知らなかった。確かに学生の頃に教科書でベルリンの壁に登る人々の姿を写真で見たことはあったけれど、それだけだった。 この物語は、そのわたしの中ではたった教科書の一部分でしかなかった光景を読み終わった後、そこから沢山の視点を与え、背景を想像させた。 言葉なのに音楽が聴こえてくる。 本当に読みながらふと気づくのだ。 音楽はなっていないことに。 留学生として自分の音楽に向き合い、自分よりも才能を持つ人々と出会い、苦しみ、逃げて、それでも戦った眞山柊史の姿は今のわたしにとって人ごとではなかった。 自分の音楽を見つけた瞬間の彼を私は讃えずにいられなかった。 "僕は手を下ろし、目を閉じた。何度も深く、呼吸をする。" p.226 そして、物語に出てくる2人の秀才。 ヴェンツェルとイェンツ。 この2人の音楽への想いと国への想いが交差していくのを読み進めるたびに感じた。 自分を貫き通すことを彼らはそれぞれの立場で体現していたように思う。 それは彼らにとっては"自分の音を貫く"ということだった。 そう言った、ヴェンツェルとクリスタ。 それを体現した、イェンツとガビィ。 時代の背景も音楽のことも何一つ知らなかったけれど、読み終わった今、静かに蝋燭に焔を灯していた人々のことを思い出さずにはいられない。 そしてドレスデンの音楽大学にいた彼らが見つけていく音を想像せずにはいられない。 この作品はわたしの2025年の1冊になった。 "人はいつか必ず、戦う。破壊せねばならない。その時を迎えたと、僕はおそらく知っていたのだ。戦わなければ、平穏は手に入らないのだから。" p.327
- 2025年9月18日夜のピクニック恩田陸読み終わった読み終わった瞬間、夜が明けた気がした。 2日間の歩行祭。 たった、1つの学校行事のはずなのに、この本を読んだ満足感が本当に1つの出来事の話だったのかと疑ってる。 甲田貴子と西脇融。 最初は、そんなに目線を合わせてどういうことなの!? ってまるで忍のように高見のように思ってたけれど最後には私の気持ちもスッキリしていた。 融と貴子、どちらの語りも繊細で冷静でそれでいて、まだ高校生で。 融が自分の青春に気づいた時は少し嬉しく思った。 今の私も融みたいに未来に生き急いでしまっている気がした。 忍も美和子も杏奈も千秋も皆んなうちに秘めてる想いがあって、それぞれがこの歩行祭だからこそ語る言葉がわたしがるこの本を読む夜に溶け込んでいくようだった。 なんか、私も歩きながら、缶コーヒーで乾杯しながら何かを語り明かしたい気持ちになった。 このなんともないけど、特別なことはないこんな夜が彼らの青春なんだと思った。 そして多分こんなものを貴子が言うように青春だというのならきっと私にもあったと思った。 兎にも角にも忍の遠慮がちなくせに、熱い語りをしてたあの道がわたしには印象深く残っている。 いつか、この夜に戻りたくなる日がきっとあると思う。
- 2025年9月13日絶対泣かない山本文緒読み終わったわたしの決意みたいなのものを表してるタイトルだった。 そして、表紙についてる帯に書いてあった、"これから仕事と向き合う方へ"という言葉に手に取らずにはいられなかった。 16くらいある短編に出てくる働く女性たちの職業は全て違っていた。 でも、それぞれの苦悩や楽しさに気づく瞬間は全部彼女たちのもので、彼女たちの選択の上にあった。 それはその仕事を選んだことに誇りを持つ瞬間でもあった。 分からない、自分にどんな仕事があってるのか、好きなことを仕事にするべきなのか、それで満足できるのか。 分からないけれど、わたしが悩み悩んだ選択がいつか自分の好きな仕事になるのかもしれないって思った。 山本さんがあとがきで "一人一人が持っている世界は狭いものだけれど、もしそれが広大だったら手におえないよな、手におえる範囲で生きているのは自然なことなんだな、と安堵のようなものを感じました"(p.166)と綴っていた。 わたしはその言葉が自分の仕事に対する気持ちの1つになっているきがする。 世界は広いし、今は"世界へ"という言葉を聞くことが多いけれどその"世界"は、それぞれの小さな生活の、日々の集合体なんじゃ無いかと思った。 そう思えた。 そしたら少しだけこころが軽くなった気がする。 また、何かに迷ったときに開きたい1冊。 わたしのお気に入りは "花のような人•••フラワーデザイナー" "ものすごく見栄っぱり•••体育教師" "今年はじめての半袖•••デパート店員"
- 2025年9月12日ファースト・プライオリティー山本文緒読み終わった山本文緒さんの作品。 ずっと読みたくて、でも中々手に取らなくて。 読みたい本として温めていた作品ではない1冊を購入した。 本屋さんの山本文緒さんの列にある本を見ながらタイトルに惹かれて手に取った。 31歳の女性たちに取ってのファースト•プライオリティーが短編で幾つも散りばめられている。 わたしがわたしの中で持っている大切なものってなんだろうって思いながら、短編ごとのタイトルに予想外のものもあって驚かされた。 でも、その物語に出てくる主人公たちはどの人もリアルだった。 一生懸命で、美しくて、ときに醜くて。 主人公の大切なものへの想いがかっこよかった。だって、ファースト•プライオリティーだもんね。わざわざ、"ファースト"が付けられるのだもの。 短編全ての世界にまんまと引き摺り込まれた1冊だった。 読みやすくて、入りやすくて。山本さんの紡ぐ言葉や人間模様が好きだなと思った。 わたしのお気に入りの一編は、"冒険"。 最後の主人公のセリフがカッコよくって。 主人公の年齢は全員31歳だけど今のわたしもこんな風に自分の大切なものを想ったり、ときに憎く想ったり、片想いをしてるのかな と思った。まだ気づいていないだけで。 自分の少し先の未来が楽しみになって、また読み返したいと思った。 "片思いは苦くもどかしい。夫にも、好きな人にも、小説にも。そのもどかしさが自分を動かす宝物だったと私は混んだ東海道新幹線の中で知った。"p.317
- 2025年8月14日何者(新潮文庫)朝井リョウ読み終わった学生のときに映画を見に行った作品。 父の本棚にあったものをとって読んだ。 あの時は訳がわからなくて、ただ知っている俳優さんが出ているだけだった。 読み終わった今は少しドキドキしている。 それは楽しい感じではなくて、自分の心の深部を綺麗に覗かれた感覚。 拓人目線で語られていくこの物語は拓人に没入しないことはできず、どんどん息を止めていく感覚がある。 瑞月と光太郎。 彼らの言葉と姿は自分には持ってないものであるということを認められない。 ずっと、ずっと、否定的な拓人をわたしはいつしか俯瞰して見ることができなくなっていた。 最後の理香の言葉と拓人のラスト。 それはわたしの深部でもあり、ラストでもあった。 何者なのか? という問いならば拓人こそ出てくる登場人物の中で1番何者でもなかったのではなかろうかと思う。 泥臭くって臭い事が前提だよと思った。 かっこわるくても踠き続けるって難しくて、ときに嫉妬するほど眩しい。 "本当の「がんばる」は、インターネットやSNS上のどこにも転がっていない。すぐに止まってしまう各駅停車の中で、寒すぎる二月の強すぎる暖房の中で、ぽろんと転がり落ちるものだ。"p.138
- 2025年8月13日パリ行ったことないの山内マリコ読み終わった@ カフェタイトルよりも表紙に惹かれたのかもしれない。 いや、タイトルかな。 わたしもパリに行ったことがない。 行けない理由というよりもあまりパリに憧れを抱いていない。いなかった。 印象に残っているのは最後の "わたしはエトランゼ"かな。 これまでの物語が一つになる感じがとても素敵だと思った。 色んな女性たちの姿があった。 まだ共感できないことの方が多かったけれど、パリに憧れて実際に行くことになる決断をしたのを見ると、かっこいいなという気持ちを持った。 わたしはこの本を読んでフィガロジャポンを調べたし、パリで煙草を吸ってポイっと道端に捨ててみたいと思ったし、5週間のバカンスはなんて素敵なのと思ってしまった。 頭の中でゆったりと時間が流れるパリ。 このままだとわたしも猫を言い訳にパリに行かないままになりそう。 "C' est la vie" どこに行っても律儀な日本人。 それでもパリに憧れてしまった。南仏の方が行きたいかも?
- 2025年8月3日砂漠伊坂幸太郎読み終わったもう、登場人物達の名前を覚えてしまった。 西嶋、東堂、鳥井、北村、南 ついでに莞爾、古賀さん、鳩麦さんとか? ハラハラもしたしドキドキもしたしグッとくる時もあった。 印象に残っているのは最初の合コン終わりのボウリング。 飲み会のときには嫌悪感を抱いた西嶋にわたしはこの時から既になんだこの人は!?と思っていた。 張り込みをするときはドキドキしたし、 鳥井のことはドキッとした。 東堂と西嶋については今ではどちらも最高に好きだ。 無愛想なん感じも、なのに西嶋なのも。 登場人物の言葉も性格も一人一人がある意味で辛辣で優しくて我があって。 鳥瞰型から近視眼型に変わる北村もいい味だった。 最初は西嶋がどうなることかと思ったがあの西嶋に惹かれていく、4人がわたしは心底羨ましく、それに感謝する西嶋にさらに惚れた。 わたしも砂漠に出ていくときに懐かしむようなオアシスがあるのだろうか。 この1冊を読んで今すぐにでも確率と中国語の勉強をしたいものだと思った。 なんてことは、まるでない。
- 2025年8月1日海辺のカフカ(下巻)村上春樹読み終わった田村カフカが歩いた数週間の高知での夏をわたしは誰と一緒に歩いていたのか読み終わった今わからない。 主人公は田村カフカだと思うのだけど、わたしはホシノ青年や大島さんが印象に残っている。 佐伯さんと図書館を見守ってきた大島さんとナカタさんと使命を共にすることになったホシノさん。 2人の言葉はカフカとナカタが私であるとするならば振り返りたくなるようなものばかりだった。 ナカタサンの途中の旅に出てくる登場人物との会話も楽しかった。運転手のハギタサンとか。今度パーキングエリアに止まることがあったら食堂に行きたい。 読み終わった今、わたしはあの山小屋に、高知に、いや、図書館に、あの海に行ってみたい。 「大公トリオ」を聞きたいし、「海辺のカフカ」の歌詞を読みなおしたい。 表紙の絵も読み終わった今は、懐かしい記憶のように思えるのです。 "すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる" 大島さん 8月の初日にこの本に触れられてわたしは少し冒険チックなタフな夏を過ごせる気がします。
- 2025年7月29日海辺のカフカ(上巻)村上春樹読み終わった読み出したら止まらなかった。 夏の暑さと出てくる登場人物に戸惑ったのも束の間だった。 私はまだこの時点では上巻しか読んでいないのであらゆる事についてわからない。 故に早く下巻に手を伸ばしたいと思っている。 図書館の一角で暮らすカフカと四国に向かうナカタと。 まるで今の私も2つに分けられてともに走っているように感じているのです。
- 2025年7月25日本へのとびら宮崎駿読み終わった@ 自宅1人で三鷹の森ジブリ美術館に行ったときに購入した。 ジブリ美術館に行って、グッズを買うことになるだろうと思っていたけれど、グッズは買わずに、近くにあるジブリに関する図書閲覧室「トライホークス」に長い時間いた。そして、迷った末に購入した1冊。 読み始めるのに時間がかかったけれど、読み始めれば一瞬だった。 ジブリ作品を好きと言いながら宮崎駿監督について知らないことばかりであった。 最初の方にある、宮崎さんが選んだ児童文学50選。紹介文がどれも心惹かれるもので読みたい本に入ってしまった笑 これまでの作品への向き合い方、特に児童文学について。 わたしは児童文学について深く考えたことがなかったのでとても新鮮な視点がたくさん転がっていた。 これからの児童文学、作品への向き合い方については宮崎さんの経験とともに冷静にそして、葛藤があったように思う。 子どもたちにどんな言葉を、物語を説くのか、この問いはこれから忙しなく、冷たい現実を歩こうとする私にも問いかけられている気がした。 "「子どもにむかって絶望を説くな」ということなんです。子どもの問題になったときに、僕らはそうならざるを得ません。"
- 2025年7月18日あたしたちよくやってる山内マリコ読み終わった@ カフェエッセイ、コラム記事、短編小説、色んな文章が詰まった一冊。 この作品を読んでもっと山内さんの1冊を読みたくなった。 どの文章もわたしの心をほんの少し動かしてくれた。笑ったり、背中を押されたり、 共感したり。 読み終わって印象に残っているのは 「あこがれ」「わたしの京都、喫茶店物語」「50歳」の3つ。 これはきっと、読んだ時期やそのときの悩みによっても変わるのだと思う。 「あこがれ」 は実際に会ってみたあこがれの人が想像とは違うっていう話だけど、共感だった笑 笑っちゃったな。 「わたしの京都、喫茶店物語」 この文章を読んだからでしょうか。わたしはもれなく今、喫茶店にいます。 そして、京都に住みたいのです。 「50歳」 わたしは多分、この文章を柏原さんの目線で読んでいたと思う。 牧野が柏原さんに言った言葉、いや、エールかな。 "「少しでもやりたいって思えることをやらないと、もったいないから。若いんだから、自己中に生きていいよ」 そしてそのツケは、あとで返せばいい。" "自分のために生きたいと思える、迷える若い女性に幸あれ。" そして、こうやって言葉にした自分のことを"まだまだわたしは、本当の大人とは言い切れない、ちょっとだけ変な大人なのでした" と牧野が締めくくるところまでとても好きなのです。
- 2025年7月10日夜が明ける(新潮文庫)西加奈子読み終わった西加奈子さんの作品は2冊目だ。 どんな物語なのだろうと思ったけれど 最初の1ページ目でこの物語には西さんの 世界への訴えみたいなものがあるのだと悟った。 "アキ•マケライネン"はこの世にはいないことを知る前に自分でインターネットで調べた。 印象に残っているのはおさ誰よりも"遠峰"だ。自分の貧困を絶対に恨まないように自分で全て背負って、弱音も吐かずに生きて行くことを"戦う"と言った彼女に違和感を感じた。 それは恐らく最後の方に出てくる森の言葉である"苦しかったら助けを求めろ"という言葉の全てが遠峰の中で認識されていないように感じたからだ。 そして、その姿が私と私の知っている誰かに当てはまったからだ。 この物語を読んだ後でも"俺"や"田沢"のように"森"を何処か嫌ってしまう私はまだ怖さを引き受けられていない。 この本で西さんが言いたかったことは簡単には伝わらないけれどそれでも私がこの本を手に取ったことは自分を取り戻す何かに繋がる気がした。 この作品は読み終わると自分を否定しなければいけないことに苦しくなった。 いつか引き受けられるようになりたい。
- 2025年6月29日少女は卒業しない朝井リョウ読み終わった眩しくて何処か自分ごとのようだった。 タイトルに惹かれて購入したけれど、眩しい青春ストーリーではなかった。 1つの"終わり"へ向かう登場人物たちの姿はどの場面にも青い風が吹いているように感じた。 お気に入りは「屋上は青」。 こんなにも青が綺麗に私の中に染まった感覚は初めてだった。 「在校生代表」は読み始めたときドキッとした。そしてキュンキュンした。 ハッピーエンドとかそういうんじゃなくて 新たな一歩とかそういう臭いことじゃなくて、ひとりひとりの"終わり"が色んな形であることが愛おしくて切なかった。 自分の卒業式のことを思い出さずにはいられなかったよ。
- 2025年6月22日終末のフール (集英社文庫)伊坂幸太郎読み終わった@ 自宅この本はどの短編でも"死"について綴られていた。けれど、読み終えた今、"死"に対する恐怖が残っているかと言われればそれは全くない。 隕石が落ちてくるあと3年の時間を登場人物たちはそれぞれ生きていて、それぞれ選んでいた。紡いでいた。 生きている人だけが描かれるのではなく混沌とする世界の中で"死"選んだ人、殺された人、悪事を働いた人、生きているけれど大切な人を失った人。 ただ、"生きろよ!"と言うのではない伊坂さんの優しさが散りばめられていたように思う。 この本は2009年のものだけどコロナ禍が終わり落ち着きを取り戻した私にはsfに思うには現実味があったように思う。 最初読み始めた時は本当にその当時のことを書いているのかと思ったくらいだ。 "鋼鉄のフール"に登場する苗場の言葉は強く強調されているように見えた。 それは今の誰かの生き方にもつながるのではないかと思う。 苗場にはモデルが存在するらしく私はあとがきでそれを知り、すぐに調べた。 生きるということは綺麗事ではないし時に醜さの方が勝ることもある。 その醜さがどの作品よりも美しさに紛れて リアルに丁寧に描かれていたように思う。 "明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?" "あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?" この本を手に取って良かった。 古本屋に入って1番最初に目に入ったのだよ。
- 2025年6月12日ここは退屈迎えに来て山内マリコ読み終わったタイトルに惹かれた。 これが私のこの本への感想を語るのに十分な言葉だと思う。 都会と地方 年齢、恋愛、友人 色んなものが色んな年代の女性たちから 広がっていた。 1番印象に残ってるのは 「やがて哀しき女の子」かな。 夢に敗れて地元に帰り、自分の人生に疑問を持つことをやめて、いや、その疑問自体が消えていく様子がリアルだった。 南とあかねの2人の奮闘と結婚というものが達成されて瞬間の変化。 「そしてもう、気ままで向こう見ずで生意気だったころの自分を思い出すことはなかったし、まだ見ぬ恋人を求めていた心許ないおぼつかない日々のように、立ち止まって思索的なことに思いを巡らせることもなかった」 こう最後に書かれていたけれど わたしはこの終わり方がどうしてか少し寂しくも感じた。 あとがきに返答するなら わたしはこの本が刺さる方の人間であると思う。
- 2025年6月11日号泣する準備はできていた江國香織読み終わったまだこの人たちの感情はわたしにはわからない。 そんなことを思うことが多かったように思う。色々な恋愛の形とそれを選んだ自分とその結末を受け入れる彼女たちは私にはまだ少し大人だった。 タイトルの通り、彼女たちは準備はできていた。というより、準備をしていた。 素直にその結末受け入れる。 一見おかしいことをしているようでそれは生半可な覚悟ではできないように思えた。 たぶん、第三者が思っている以上に強いのだと思う。 いつかわかる日が来て欲しいようできてほしくないようなそんな一冊だった。
- 2025年6月11日読み終わったあー、きゅんきゅんした。 あー、かっこよかった。全登場人物。 これが読み終わった後の気持ちをどうにかして言葉にした結果だ。 いつぶりかに手を取った有川浩さんの作品。 最初の"クジラの彼"で冬原春臣"と"聡子"の出会いの会話にやられてしまった。 あの2人の駆け引きだけで私の中でこの作品に夢中になる理由になった。 国防をしている女性、男性がどの作品にも出てくるけど、その人たちの恋愛と仕事への責任感がかっこいい。 そして、それを支えようとする恋人たちもかっこいい。 ただ、国防をしていることを全面に押し出すのではなくて彼等が起こす自分の気持ちへの言動は国防という仕事のことを忘れてしまうほどキュキュンしてしまった。 お気に入りは クジラの彼と国防レンアイかな いや、有能な彼女も。 何回本に顔を突っ伏したかわからない🤦 伸下も夏木もよかった。 でもやっぱ、私は冬原春臣がすきだ!!笑 名前も美しすぎる! 有川浩さん、ありがとうございます! 最高にきゅんきゅんな"ベタ甘ラブロマ"でした!
- 2025年5月6日Tugumiよしもとばなな読み終わったずっと、読みたかった本だった。 吉本ばななさんの作品っていうのもあるけど表紙の絵が私を惹きつけて話さなかった。 読み始めてからすぐにまりあが語る"つぐみ"という存在に惹かれていった。 ただの強がりなのか、わがままなのかそうやって自分の型に入れていることに気づいたときバカバカしいと思った。 つぐみの世界を誰よりも理解しているまりあには到底敵わないなと物語を読み進めながら思った。 つぐみに惹かれながら自分のいる場所をこんなにも美しく切なく表現できる語り手であるまりあにものめり込んでいった。 2日で読み終わったのは久しぶりではなかろうか笑 恭一と出会って恋に落ちていくつぐみもまた、まりあと同じく愛おしかった。 たったひと夏の数日の物語のはずなのにずっと続いていて、続いていくのが想像できる。 最後の吉本ばななさんのインタビューのところがとても印象的だった。 人生には否定的だから物語の中を描くときだけは肯定的に、ある種のハッピーエンドを望んでるって。 だから、私は救われてるんだね。
- 2025年4月30日ひと小野寺史宜読み終わった引っ越してきて初めて読んだ小説。 読み終わった今、少しだけ前を向かなきゃっていう前向きな気持ちにさせられている。(23:30なのに笑) 両親を亡くして東京で1人になった21歳の聖輔。 それは読み終わってみれば今の私に重なるところが多かった。 聖輔のそれでも生きようと人に出会い、別れて自分の道を切り開いていく姿は何故か刺さった。 嬉しかった。 寄り添ってくれた。 惣菜屋さんで働く姿もなんかかっこよくてついついコロッケを買ってしまった。 "急がないが、とどまらない。そんなふうにやっていけたらいい。先は大事。でも今も大事。先は見なければいけない。でも今も疎かにしたくない。だって、僕は生きている。" 聖輔の歩んだほんの1年が私の孤独や未来や今の生き方の目印になってくれた気がする。 この春にこの本を手に取って良かった。
- 2025年2月28日ギフト原田マハ読み終わった20個の短編集からなる1冊。 今まで読んだ原田マハさんの作品とは異なる柔らかくて流れるような日常が切り取られて描かれた作品だった。 どの物語が好きだったか?と聞かれると1つも印象に残ってるものがないというのが正直な感想。 それくらいスッと入って溶けていくような物語だった。 ただどこかずっと心の中に花束が贈られている感じだった。 ゆっくりと進んでいく日常のどこかにもあたたかいものがあるんだと言われているようだった。
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