

haku
@itllme
小説を読むのが好きです。
質のいい夜更かしを。
- 2025年8月14日何者(新潮文庫)朝井リョウ読み終わった学生のときに映画を見に行った作品。 父の本棚にあったものをとって読んだ。 あの時は訳がわからなくて、ただ知っている俳優さんが出ているだけだった。 読み終わった今は少しドキドキしている。 それは楽しい感じではなくて、自分の心の深部を綺麗に覗かれた感覚。 拓人目線で語られていくこの物語は拓人に没入しないことはできず、どんどん息を止めていく感覚がある。 瑞月と光太郎。 彼らの言葉と姿は自分には持ってないものであるということを認められない。 ずっと、ずっと、否定的な拓人をわたしはいつしか俯瞰して見ることができなくなっていた。 最後の理香の言葉と拓人のラスト。 それはわたしの深部でもあり、ラストでもあった。 何者なのか? という問いならば拓人こそ出てくる登場人物の中で1番何者でもなかったのではなかろうかと思う。 泥臭くって臭い事が前提だよと思った。 かっこわるくても踠き続けるって難しくて、ときに嫉妬するほど眩しい。 "本当の「がんばる」は、インターネットやSNS上のどこにも転がっていない。すぐに止まってしまう各駅停車の中で、寒すぎる二月の強すぎる暖房の中で、ぽろんと転がり落ちるものだ。"p.138
- 2025年8月13日パリ行ったことないの山内マリコ読み終わった@ カフェタイトルよりも表紙に惹かれたのかもしれない。 いや、タイトルかな。 わたしもパリに行ったことがない。 行けない理由というよりもあまりパリに憧れを抱いていない。いなかった。 印象に残っているのは最後の "わたしはエトランゼ"かな。 これまでの物語が一つになる感じがとても素敵だと思った。 色んな女性たちの姿があった。 まだ共感できないことの方が多かったけれど、パリに憧れて実際に行くことになる決断をしたのを見ると、かっこいいなという気持ちを持った。 わたしはこの本を読んでフィガロジャポンを調べたし、パリで煙草を吸ってポイっと道端に捨ててみたいと思ったし、5週間のバカンスはなんて素敵なのと思ってしまった。 頭の中でゆったりと時間が流れるパリ。 このままだとわたしも猫を言い訳にパリに行かないままになりそう。 "C' est la vie" どこに行っても律儀な日本人。 それでもパリに憧れてしまった。南仏の方が行きたいかも?
- 2025年8月3日砂漠伊坂幸太郎読み終わったもう、登場人物達の名前を覚えてしまった。 西嶋、東堂、鳥井、北村、南 ついでに莞爾、古賀さん、鳩麦さんとか? ハラハラもしたしドキドキもしたしグッとくる時もあった。 印象に残っているのは最初の合コン終わりのボウリング。 飲み会のときには嫌悪感を抱いた西嶋にわたしはこの時から既になんだこの人は!?と思っていた。 張り込みをするときはドキドキしたし、 鳥井のことはドキッとした。 東堂と西嶋については今ではどちらも最高に好きだ。 無愛想なん感じも、なのに西嶋なのも。 登場人物の言葉も性格も一人一人がある意味で辛辣で優しくて我があって。 鳥瞰型から近視眼型に変わる北村もいい味だった。 最初は西嶋がどうなることかと思ったがあの西嶋に惹かれていく、4人がわたしは心底羨ましく、それに感謝する西嶋にさらに惚れた。 わたしも砂漠に出ていくときに懐かしむようなオアシスがあるのだろうか。 この1冊を読んで今すぐにでも確率と中国語の勉強をしたいものだと思った。 なんてことは、まるでない。
- 2025年8月1日海辺のカフカ(下巻)村上春樹読み終わった田村カフカが歩いた数週間の高知での夏をわたしは誰と一緒に歩いていたのか読み終わった今わからない。 主人公は田村カフカだと思うのだけど、わたしはホシノ青年や大島さんが印象に残っている。 佐伯さんと図書館を見守ってきた大島さんとナカタさんと使命を共にすることになったホシノさん。 2人の言葉はカフカとナカタが私であるとするならば振り返りたくなるようなものばかりだった。 ナカタサンの途中の旅に出てくる登場人物との会話も楽しかった。運転手のハギタサンとか。今度パーキングエリアに止まることがあったら食堂に行きたい。 読み終わった今、わたしはあの山小屋に、高知に、いや、図書館に、あの海に行ってみたい。 「大公トリオ」を聞きたいし、「海辺のカフカ」の歌詞を読みなおしたい。 表紙の絵も読み終わった今は、懐かしい記憶のように思えるのです。 "すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる" 大島さん 8月の初日にこの本に触れられてわたしは少し冒険チックなタフな夏を過ごせる気がします。
- 2025年7月29日海辺のカフカ(上巻)村上春樹読み終わった読み出したら止まらなかった。 夏の暑さと出てくる登場人物に戸惑ったのも束の間だった。 私はまだこの時点では上巻しか読んでいないのであらゆる事についてわからない。 故に早く下巻に手を伸ばしたいと思っている。 図書館の一角で暮らすカフカと四国に向かうナカタと。 まるで今の私も2つに分けられてともに走っているように感じているのです。
- 2025年7月25日本へのとびら宮崎駿読み終わった@ 自宅1人で三鷹の森ジブリ美術館に行ったときに購入した。 ジブリ美術館に行って、グッズを買うことになるだろうと思っていたけれど、グッズは買わずに、近くにあるジブリに関する図書閲覧室「トライホークス」に長い時間いた。そして、迷った末に購入した1冊。 読み始めるのに時間がかかったけれど、読み始めれば一瞬だった。 ジブリ作品を好きと言いながら宮崎駿監督について知らないことばかりであった。 最初の方にある、宮崎さんが選んだ児童文学50選。紹介文がどれも心惹かれるもので読みたい本に入ってしまった笑 これまでの作品への向き合い方、特に児童文学について。 わたしは児童文学について深く考えたことがなかったのでとても新鮮な視点がたくさん転がっていた。 これからの児童文学、作品への向き合い方については宮崎さんの経験とともに冷静にそして、葛藤があったように思う。 子どもたちにどんな言葉を、物語を説くのか、この問いはこれから忙しなく、冷たい現実を歩こうとする私にも問いかけられている気がした。 "「子どもにむかって絶望を説くな」ということなんです。子どもの問題になったときに、僕らはそうならざるを得ません。"
- 2025年7月18日あたしたちよくやってる山内マリコ読み終わった@ カフェエッセイ、コラム記事、短編小説、色んな文章が詰まった一冊。 この作品を読んでもっと山内さんの1冊を読みたくなった。 どの文章もわたしの心をほんの少し動かしてくれた。笑ったり、背中を押されたり、 共感したり。 読み終わって印象に残っているのは 「あこがれ」「わたしの京都、喫茶店物語」「50歳」の3つ。 これはきっと、読んだ時期やそのときの悩みによっても変わるのだと思う。 「あこがれ」 は実際に会ってみたあこがれの人が想像とは違うっていう話だけど、共感だった笑 笑っちゃったな。 「わたしの京都、喫茶店物語」 この文章を読んだからでしょうか。わたしはもれなく今、喫茶店にいます。 そして、京都に住みたいのです。 「50歳」 わたしは多分、この文章を柏原さんの目線で読んでいたと思う。 牧野が柏原さんに言った言葉、いや、エールかな。 "「少しでもやりたいって思えることをやらないと、もったいないから。若いんだから、自己中に生きていいよ」 そしてそのツケは、あとで返せばいい。" "自分のために生きたいと思える、迷える若い女性に幸あれ。" そして、こうやって言葉にした自分のことを"まだまだわたしは、本当の大人とは言い切れない、ちょっとだけ変な大人なのでした" と牧野が締めくくるところまでとても好きなのです。
- 2025年7月10日夜が明ける(新潮文庫)西加奈子読み終わった西加奈子さんの作品は2冊目だ。 どんな物語なのだろうと思ったけれど 最初の1ページ目でこの物語には西さんの 世界への訴えみたいなものがあるのだと悟った。 "アキ•マケライネン"はこの世にはいないことを知る前に自分でインターネットで調べた。 印象に残っているのはおさ誰よりも"遠峰"だ。自分の貧困を絶対に恨まないように自分で全て背負って、弱音も吐かずに生きて行くことを"戦う"と言った彼女に違和感を感じた。 それは恐らく最後の方に出てくる森の言葉である"苦しかったら助けを求めろ"という言葉の全てが遠峰の中で認識されていないように感じたからだ。 そして、その姿が私と私の知っている誰かに当てはまったからだ。 この物語を読んだ後でも"俺"や"田沢"のように"森"を何処か嫌ってしまう私はまだ怖さを引き受けられていない。 この本で西さんが言いたかったことは簡単には伝わらないけれどそれでも私がこの本を手に取ったことは自分を取り戻す何かに繋がる気がした。 この作品は読み終わると自分を否定しなければいけないことに苦しくなった。 いつか引き受けられるようになりたい。
- 2025年6月29日少女は卒業しない朝井リョウ読み終わった眩しくて何処か自分ごとのようだった。 タイトルに惹かれて購入したけれど、眩しい青春ストーリーではなかった。 1つの"終わり"へ向かう登場人物たちの姿はどの場面にも青い風が吹いているように感じた。 お気に入りは「屋上は青」。 こんなにも青が綺麗に私の中に染まった感覚は初めてだった。 「在校生代表」は読み始めたときドキッとした。そしてキュンキュンした。 ハッピーエンドとかそういうんじゃなくて 新たな一歩とかそういう臭いことじゃなくて、ひとりひとりの"終わり"が色んな形であることが愛おしくて切なかった。 自分の卒業式のことを思い出さずにはいられなかったよ。
- 2025年6月22日終末のフール (集英社文庫)伊坂幸太郎読み終わった@ 自宅この本はどの短編でも"死"について綴られていた。けれど、読み終えた今、"死"に対する恐怖が残っているかと言われればそれは全くない。 隕石が落ちてくるあと3年の時間を登場人物たちはそれぞれ生きていて、それぞれ選んでいた。紡いでいた。 生きている人だけが描かれるのではなく混沌とする世界の中で"死"選んだ人、殺された人、悪事を働いた人、生きているけれど大切な人を失った人。 ただ、"生きろよ!"と言うのではない伊坂さんの優しさが散りばめられていたように思う。 この本は2009年のものだけどコロナ禍が終わり落ち着きを取り戻した私にはsfに思うには現実味があったように思う。 最初読み始めた時は本当にその当時のことを書いているのかと思ったくらいだ。 "鋼鉄のフール"に登場する苗場の言葉は強く強調されているように見えた。 それは今の誰かの生き方にもつながるのではないかと思う。 苗場にはモデルが存在するらしく私はあとがきでそれを知り、すぐに調べた。 生きるということは綺麗事ではないし時に醜さの方が勝ることもある。 その醜さがどの作品よりも美しさに紛れて リアルに丁寧に描かれていたように思う。 "明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?" "あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?" この本を手に取って良かった。 古本屋に入って1番最初に目に入ったのだよ。
- 2025年6月12日ここは退屈迎えに来て山内マリコ読み終わったタイトルに惹かれた。 これが私のこの本への感想を語るのに十分な言葉だと思う。 都会と地方 年齢、恋愛、友人 色んなものが色んな年代の女性たちから 広がっていた。 1番印象に残ってるのは 「やがて哀しき女の子」かな。 夢に敗れて地元に帰り、自分の人生に疑問を持つことをやめて、いや、その疑問自体が消えていく様子がリアルだった。 南とあかねの2人の奮闘と結婚というものが達成されて瞬間の変化。 「そしてもう、気ままで向こう見ずで生意気だったころの自分を思い出すことはなかったし、まだ見ぬ恋人を求めていた心許ないおぼつかない日々のように、立ち止まって思索的なことに思いを巡らせることもなかった」 こう最後に書かれていたけれど わたしはこの終わり方がどうしてか少し寂しくも感じた。 あとがきに返答するなら わたしはこの本が刺さる方の人間であると思う。
- 2025年6月11日号泣する準備はできていた江國香織読み終わったまだこの人たちの感情はわたしにはわからない。 そんなことを思うことが多かったように思う。色々な恋愛の形とそれを選んだ自分とその結末を受け入れる彼女たちは私にはまだ少し大人だった。 タイトルの通り、彼女たちは準備はできていた。というより、準備をしていた。 素直にその結末受け入れる。 一見おかしいことをしているようでそれは生半可な覚悟ではできないように思えた。 たぶん、第三者が思っている以上に強いのだと思う。 いつかわかる日が来て欲しいようできてほしくないようなそんな一冊だった。
- 2025年6月11日読み終わったあー、きゅんきゅんした。 あー、かっこよかった。全登場人物。 これが読み終わった後の気持ちをどうにかして言葉にした結果だ。 いつぶりかに手を取った有川浩さんの作品。 最初の"クジラの彼"で冬原春臣"と"聡子"の出会いの会話にやられてしまった。 あの2人の駆け引きだけで私の中でこの作品に夢中になる理由になった。 国防をしている女性、男性がどの作品にも出てくるけど、その人たちの恋愛と仕事への責任感がかっこいい。 そして、それを支えようとする恋人たちもかっこいい。 ただ、国防をしていることを全面に押し出すのではなくて彼等が起こす自分の気持ちへの言動は国防という仕事のことを忘れてしまうほどキュキュンしてしまった。 お気に入りは クジラの彼と国防レンアイかな いや、有能な彼女も。 何回本に顔を突っ伏したかわからない🤦 伸下も夏木もよかった。 でもやっぱ、私は冬原春臣がすきだ!!笑 名前も美しすぎる! 有川浩さん、ありがとうございます! 最高にきゅんきゅんな"ベタ甘ラブロマ"でした!
- 2025年5月6日Tugumiよしもとばなな読み終わったずっと、読みたかった本だった。 吉本ばななさんの作品っていうのもあるけど表紙の絵が私を惹きつけて話さなかった。 読み始めてからすぐにまりあが語る"つぐみ"という存在に惹かれていった。 ただの強がりなのか、わがままなのかそうやって自分の型に入れていることに気づいたときバカバカしいと思った。 つぐみの世界を誰よりも理解しているまりあには到底敵わないなと物語を読み進めながら思った。 つぐみに惹かれながら自分のいる場所をこんなにも美しく切なく表現できる語り手であるまりあにものめり込んでいった。 2日で読み終わったのは久しぶりではなかろうか笑 恭一と出会って恋に落ちていくつぐみもまた、まりあと同じく愛おしかった。 たったひと夏の数日の物語のはずなのにずっと続いていて、続いていくのが想像できる。 最後の吉本ばななさんのインタビューのところがとても印象的だった。 人生には否定的だから物語の中を描くときだけは肯定的に、ある種のハッピーエンドを望んでるって。 だから、私は救われてるんだね。
- 2025年4月30日ひと小野寺史宜読み終わった引っ越してきて初めて読んだ小説。 読み終わった今、少しだけ前を向かなきゃっていう前向きな気持ちにさせられている。(23:30なのに笑) 両親を亡くして東京で1人になった21歳の聖輔。 それは読み終わってみれば今の私に重なるところが多かった。 聖輔のそれでも生きようと人に出会い、別れて自分の道を切り開いていく姿は何故か刺さった。 嬉しかった。 寄り添ってくれた。 惣菜屋さんで働く姿もなんかかっこよくてついついコロッケを買ってしまった。 "急がないが、とどまらない。そんなふうにやっていけたらいい。先は大事。でも今も大事。先は見なければいけない。でも今も疎かにしたくない。だって、僕は生きている。" 聖輔の歩んだほんの1年が私の孤独や未来や今の生き方の目印になってくれた気がする。 この春にこの本を手に取って良かった。
- 2025年2月28日ギフト原田マハ読み終わった20個の短編集からなる1冊。 今まで読んだ原田マハさんの作品とは異なる柔らかくて流れるような日常が切り取られて描かれた作品だった。 どの物語が好きだったか?と聞かれると1つも印象に残ってるものがないというのが正直な感想。 それくらいスッと入って溶けていくような物語だった。 ただどこかずっと心の中に花束が贈られている感じだった。 ゆっくりと進んでいく日常のどこかにもあたたかいものがあるんだと言われているようだった。
- 2024年11月27日対岸の彼女角田光代読み終わった話しのあらすじも思いつかないまま読み始めた1冊。 小夜子と葵の出会いとそれぞれの過去が描かれる。 印象に残ってるのは、まるで自分も一緒に追いかけていたような気持ちになった葵の高校生の頃のナナコとの話し。 学校では話さないのに帰りの川辺で集まって語り合い、夏休みに山奥の民宿にアルバイトに行ったり、2人で家出して歩き回ったり。2人で手を繋いで飛び降りた描写はなぜだかそれが必然で美しいものに見えた気がした。 大事なものなどないというナナコはいつまで経っても追いかけたくなるような人だった。どうしても自分自身を葵と重ね合わせてしまう。 葵の今の生き方はまるで高校時代のナナコがいるようだった。それは私も同じなのかもしれないと思った。 小夜子とその子どものあかり。 同じような逃げ場探していた小夜子 1人でいることを選んでしまうあかり 事件として取り上げられた葵とナナコの逃避は2人特有のものなんかではない。 ただの同性愛でもない。 みんな一緒に逃避をしようと自分の手を握ってくれる人を探している。 ただそれができるのは相手がいる人だけで、その手を掴んで川を渡らなければならない。 友情も逃避も孤独も どれかを一度でも選んだことがあるならこの作品は流れるように心に入ってくると思った。 「ひとりでいるのが怖くなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」 葵は小夜子にそういった。 いつか私も伝えたい。そう思わせてくれた友人にありがとうと。 角田さんの作品は好きだと思う。
- 2024年11月24日盲目的な恋と友情辻村深月読み終わったタイトルと表紙のかわいさにら惹かれて手に取った本。 本の中にある2つの章のタイトルは 「恋」と「友情」 違う登場人物が出てくるのかと思っていたけれどそんなことはなかった。 蘭花と留理絵の話だった。 蘭花が語り手である 「恋」は、茂美との恋の話だった。どんどん泥沼にハマっていく。 出会の場面だけはトキメキを覚えたけれどそのあとはほとんど幸せのシーンがなくて闇の中に消えていく様子があっという間に描かれていた。 できることなら茂美の気持ちを描写したものを知りたかった。けれど、恐らくその願望、他の作品であれば語られているからでこのあと出てくる留理絵という2人の恋に関して第三者となる人間の心情はここでしか描かれないのだと思う。 「友情」 これは留理絵の過去の話から始める。 コンプレックスを抱えた彼女が蘭花との出逢いによって変わっていく。 読みながら思ったのはあまりにも蘭花への気持ちが重いということ。 本当に1つ1つの言動に対して蘭花からの気持ちを誰かと比べている。恋人すらも。 蘭花が付き合っていた人と関係を持った描写には驚いた。 ただ、1つも私の心に刺さる言葉はなかった。それはまだこの2人の泥沼のように見える関係にお互いに思うという気持ちが存在しているように感じなかったからだ。 親友という言葉を発しながらもお互いが見ているのは、茂美と誰かに必要とされている自分自身だったからだ。 この本を読んだ人がいて、もしこれに共感して心揺さぶられた人がいたとするならば、私が分かり得ない考えを持っている人間として話していみたいと思う。
- 2024年11月20日読み終わった初めて読む江國香織さんの作品。 前他の作品を借りた時は数ページで諦めたけれど、どうしてかこの作品は読み続けるたびに続きが気になった。 10人の女子高生の話だと裏表紙に書いてあったけれど、読み終わって10人もいたかな?と思う。 数えてみたら本当に10人だった。 10人分の物語を読んだのかと聞かれるとそんなことはない。 ただ、1話1話語り手は変わっているはずなのに違和感がなくて、すんなりと入ってくるのが不思議だった。 最初の「指」 の電車のお姉さんは強烈だった。 どんな部屋だったのかなとかどんな結末を迎えるのかドキドキした。 1番読み返したいのは「緑の猫」 病気なのかな、おかしくなっていく友人(エミ)の姿を追っていく萌子。 親友ってものを探しているような気がした 彼女は みんなと仲良くしなさい、お友達は多い方がいいのよ と言う言葉にこう返していた。 『ばかみたいなセリフだ、とあたしは思う。この人はいったい、「みんな」って誰のことだと思ってるんだろう。「みんな」なんてどこにも存在しないのだ。誰かをハブにするとき以外は。』 初めて触れた「みんな」に対する 彼女の言葉は私の心に留まらないわけがないよね笑 誰かをハブにするとき以外はって 多分、多くの人がハブにするんじょなくて一緒にする方向で考えるはずなのにそんな期待を抱いてないことが私的に好印象だった。 たかが女子高生。 けれど、こんなにも頭の中は自己で溢れてるんだよ。 と、いつかの私も言っていたように思えた。高校生の頃に戻ったみたいだった。 全員、それぞれに学校以外の世界があって生きてた。まだ、羽ばたく前の少女たちの本の1ページの日々が私にとっては貴重な場面ばかりだった。 一言で表すなら 美しかった。
- 2024年11月13日読み終わった友人に勧められて手に取った本。 チョコレードグラミーを最初は美味しいお菓子だと思ってました。違いました笑 町田そのこさんの作品は2作品目だけれど一つ一つの言葉が心に染み入る。 なんてありきたりな表現なんだろうかと思うけど、その言葉が今のところしっくりきている。 (以外ネタバレ有り) *** 「波間に浮かぶイエロー」 環が会いにいったのは昔自分のことを好きだと言ってくれた相手だった。 そんな設定だけを聞くといまからラブストーリーかなにか始まるのかと思うけれど 環はその理由を後でこんなふうに話す 「 いまもわたしのことが好きかな。わたし、それが知りたいの。まだ、信じていたいの。自分がちゃんと誰かの特別で、素敵な人間だって」 この言葉を聞いたとき 2年前、大学2年の京都駅にいる自分を思い出さずにはいられなかった。 環は分かってたけど私は分かってなかった。そんな独りよがりな気持ちに。 この話の本当の結末を環は知らない。 けれど、彼女のことを真っ直ぐに好きだった重史さんの気持ちはずっと彼女にあった。その真実を知ったとき、2人の過去の話を聞いたとき、切なくて、そしてあったかくて羨ましくなった。 重史さんは生き続けるし、環はきっと大丈夫なんだって思えた。誰かからの言葉が人を救ってくんだって思った。 「溺れるスイミー」 プロポーズを機にその場所に留まることから逃げ出したいと思う主人公の唯は、ほんとに私の気持ちを少しばかり代弁してくれているようだった。 そして、彼女が惹かれていく宇崎くんは その自由を手に持っている人だった。 宇崎くんが唯にプロポーズしたとき自分が言われても同じような気持ちになるんだろうなだと思った。 唯のお父さんもお母さんも 自由を求めた立場と 置いて行かれた立場で 描かれてて、わたしは置いて行かれた立場の気持ちをどうにも理解できなかった。 でも、留まることを決めた唯をみてその姿がどうしてか、かっこよく見えたよ。 この作品にはなぜか ありがとう と言いたい。 わたしの今の心を救ってくれるような作品だった。
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