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みっつー
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@nigiwaiwayway
YouTubeでゲーム実況をやってます! 読んだ本の感想を書きつつ、文章力も鍛えていきたいです💪 書ける実況者に俺はなる。
  • 2026年9月13日
    ニューワード ニューワールド 言葉をアップデートし、世界を再定義する
    この本を読んでどう思ったか。 「やばい、分からなすぎる」である。 この本には日本だとあまり聞き馴染みのない「ニューワード」がたくさん出てくる。セラピースピーク、デルル、ドゥーマー、ダムフォン、セフォラキッズ、一個でも知っているワードがありましたか?もちろん、僕はありませんでした(ドヤァ)。 でもねぇこれ、めっちゃおもしろい。 まず、知らなかったことを知れることが面白い。著者の竹田ダニエルさんが暮らすアメリカでのトレンドや社会背景をもとに日本との違いを比較しながら繰り広げられる語りは常に刺激的でドーパミンをドパドパと分泌される(危ない)。 知らなかったことを知るということは、時にはしんどいことでもある。否、スッゲェしんどい。 飲み会でちょろっと真剣な話をすると、その場のノリを乱してしまったような気がして、焦って話題を変えたりした経験ありませんか?もしかしたらその中には真剣に耳を傾けようとしてくれた人もいたのかも知れないけれど、私たちはそういう自分の価値観を他人にさらけ出すことがとても苦手だ。 その苦手意識を持ったまま、難しいことを考えないままでいたり、考えることを放棄してしまったり、吐き出さないでいると、いつか後悔してしまうのでなないか、と最近考えるようになった。 実際この本を読み終えて「何か書きたい」と思ったはずなのに、思ったことが書けない、いや、思っていないのかも知れない、そう感じてしまった。 これは自分が今まで考えることを、アップデートすることを恐れてしまった結果だ。ツケが回ってきたのだ。一回読んだだけでは理解しきれなかった、想像ができなかった。 なぜ、新しい言葉が生まれるのか、生まれてしまったのか、どのような社会背景から生まれたのか。それらについてこれからもっと知っていきたいと思った。 ただドーパミンがドパドパしたのは嘘ではない、僕は脳はこの本に書かれていることを知りたがっている。そう断言できる。 『本当の自由を得るためには、今何が自由を妨げているのかを知らなきゃいけない。それを知ることで、絶望を感じてしまうかもしれないけれど』 考えることを放棄して、ストレスのないやり方で生きることはそれなりに可能なんだと思う。けれど、分かった気にならないで、分かる努力をして、誰かのせいにしないで、自分の選び取った幸せをつかみ取るために、僕はもっと「言葉」を知りたい。
    ニューワード ニューワールド 言葉をアップデートし、世界を再定義する
  • 2026年9月13日
    書けないんじゃない、考えてないだけ。
    もうなにも言うことはあるまい。 考える者は生き、考えぬ者は死ぬ。 そんな弱肉強食の世界の中で、我々「つむぎびと」ができることはいかに「文章」という名の牙で相手の心臓を食いちぎり、逃げようとしても地の果てまでも追い続け疲れさせ脳から快楽物質がでるほどにおかしくさせることだけだ。 これは「文章術」の本などではない。 肉食動物が子どもにその身を持って狩りを教え込むように、生傷を作りながら必死にこの世界での生存戦略を伝えようとしてくれる。 もう一度言おう、考える者は生き、考えぬ者は死ぬ。 この本を読んだ全員が肉食動物的文章を書くようになったら、執筆サバンナ・サークル・オブ・ライフがこの世に誕生することになるだろう。 君は草食動物として「静」を保つのか、それとも肉食動物として「生」に固執するのか。 前者なら読者たちには気をつけろ、あいつらは、いや…“我々”は喰う前に喰えと、叩き込まれているのでねぇ…(じゅるり)
    書けないんじゃない、考えてないだけ。
  • 2026年9月11日
    推すな、横に並んで歩け エンタメ感想オール・タイム・ベスト
    文章が面白すぎる。 致死量の感情を浴びた気がする。 著者は「はじめに」で、「批評」とか「考察」に比べて「感想」が舐められているだろ。もっと単純な「面白かった」「つまらなかった」「カッコいい」「かわいい」といった感想にこそ一人の人間の全てが詰まっている。と書いていて、アツい。激アツ。 SNSを見ているとうまく言葉にできていない人たちが標的になっていたり、晒されたりしていて、胸が苦しくなる時がある。 でも本当は、書き損じ、書かなかった、書けなかった部分にも、想いがあるはずで、自分もそのことについて分かってしまうから、余計に辛い。 もっと自由に、しかしもっと研ぎ澄まし、表現の幅を広げていきたい。 この本に詰まったかんそうさんの「好き」を存分に味わって欲しい。 あとこの本を読み終わったあと、あなたは間宮祥太朗のことが頭から離れなくなるだろう。僕はなってる。誰か助けて欲しい。間宮祥太朗と酒を飲み、朝まで語り合いたい気分である。完全なる他人なのにである。
    推すな、横に並んで歩け エンタメ感想オール・タイム・ベスト
  • 2026年9月10日
    悪いことばの力
    ネットなどで見られる誹謗中傷や謂れのない悪口を言う人について知りたくて購入。 「ことばは行為である」と言う前提をもとに、褒め、自慢、自虐、悪口の関係性という軸を用い、それらの発言を言う人、言われる人にどういった力が働いているのか、影響を与えるかなどを紐解いていく一冊。 個人的な話になるのだけど、僕が小学生くらいの頃に両親が離婚し、母子家庭で育った。 母が仕事を頑張ってくれていたのは目に見えて分かっていたし、たくさんの愛情を注いでくれていたことも感じていたので、ありがたいことに、父親の不在が気にならないくらいには幸せな家庭だったといえるだろう。 中学に上がった時、現代国語の授業にて例の「〇〇の気持ちを答えなさい」といった問題が出された。その「〇〇」の中には「父親」と書かれており、僕の家庭事情を知っているクラスメイト数名からは「お前父親いないから気持ちわかんねぇじゃん!」というイジりをされたのだった。 先に言っておくけれど、僕は特段このイジりをなんとも思っていなかった。事実ではあるし、父の不在を気にする必要のない環境を母に作ってもらっていたし、すでに離婚してから7年近く経っていたため、気にするまでもないことだった。 問題はそのあとである。 その日、家に帰るとクラスメイトの一人からメールが来ていたのである。そこにはこう書かれていた。 「あなたはあの時のイジり辛くなかったの?」 詳しく話を聞いていくうちに、その子の家は現在進行形で離婚の話が進んでいるということが分かり、そんな中で僕がイジられていたことを案じてくれたようだったし、これは憶測でしかないけれど、本人も不安になったのだと思う。 僕はその時、初めて怒りなのか、自分のせいではないけれど取り返しのつかなさというか、そういったもの感じた。 クラスメイトたちは僕のキャラや背景を知った上で、父親がいないイジりをしたのだけれど、それを聞いてよく思わなかった、その子と同じように悲しい気持ちになった人がいてもおかしくはなかったのである。 僕自身、自分がイジられていることで誰かが傷ついているかもしれないなんて思いにもよらなかった。 きっと、人は相手を傷つけずに生きることは不可能だ。仮に、自分がいくら気をつけていたとしても、相手は遠慮なく自分を傷つけてくるし、自分自身も知らず知らずのうちに傷つけてしまう。 この本のあとがきの中に出てくる「ノイラートの船」という例え話があるのだけれど、この船は一度港を出たあとはどんなに大規模な修繕が必要な出来事に見舞われようと、海面に浮かんだ流木や部品を再利用して徐々に修理を行いながら旅を続けるらしい。 そのあと筆者は「えんえんと小規模修繕を繰り返すのが人生です」と書いていた。 修繕、アップデート。 この社会で自分のことばが、相手にどんな影響を与えてしまうのか、相手からどんな影響を与えられてしまうのか。それらについて考えさせられる本だった。
    悪いことばの力
  • 2026年9月10日
    週末、森で
    週末、森で
    『すーちゃん』からのハマって読み出した益田ミリさんの作品。 ふと思い立ち田舎育ちを始めた翻訳家の早川さんと、週末にお土産を持って現れる友人たちとの日々を描いた4コマ漫画。 都会での生活に疲れ、心が荒むことが多い友人たちは、早川さんと一緒に森に入り、早川さんのさりげない一言に幾度のなく救われる。 早川さんのすごいところは、田舎での生活を始めたから「救える言葉」をかけることができるようになったわけではなくて、初めから、早川さんは早川さんであるということだ。 森が、早川さんが、都会での生活に疲れた友人たちや、同じような境遇を送っている読者の心を緩やかにほぐしていく。 人が人として生きるために、寄り道をして、ムダを楽しんで、ちょうどいい速さで歩いていくことの大切さを教えてくれる一冊。
    週末、森で
  • 2026年9月9日
    フリースタイル言語学
    めーちゃくちゃ面白かった。 言語学の本を読み漁っているのだけど、今回初めて音声学の専門家の本に当たった。 今の自分の興味の対象とは違っていたのにも関わらず著者である川原繁人さんの文章があまりにも面白く、340というページ数があっという間だった。 メイドさんの名前、ポケモンの名前、プリキュアの名前などのキャッチーな研究テーマに、確固たる情熱を感じる。 僕も川原先生のように「人の役に立てているのか」精神と「しかし、舐めるなよ」の精神を強く持って努力していきたい。 笑って、考えさせられる、いい気持ちになれる本だったなぁ。
    フリースタイル言語学
  • 2026年9月8日
    デジタル社会の歩き方
    SNSを見ていると毎日誰かが怒っている。もしくは「どうでもいい」というフリをしているくせに渦中の投稿を引用して、人を煽るようなことをボソッとポストする人がいる。 「冷笑」や「ドパガキ」みたいな言葉がおもちゃのように扱われているけれど、もっと危機感を持って、向き合いたいと感じた。 SNSではアルゴリズムによって自分に関心のある内容ばかりが流れてきて、一見広い世界を見ているようで、まったく入ってきていない情報や世界の見方も本当はたくさんあるはずだ。 極端な意見がオススメに乗りやすい現在のデジタル社会で、どんな情報を得て、どのように糧にしていくのか、そういうことを考え続けていかないと巨大な波に飲み込まれてしまう。 どうにかこうにか優しい世界にならないものだろうか。 純粋に意見を交換したり、趣味を共有し合ったり、損得勘定を抜きにしたコミュニケーションを取ることができるデジタル社会になることを願いたくなる一冊。 自分にもなんかできることがあるのかな。とか思ったり。
    デジタル社会の歩き方
  • 2026年9月7日
    会話の0.2秒を言語学する
    再読🙏 個人的にちんぷんかんぷんだった『美しい言語学の話』を乗り越えたのでだいぶ頭に入るようになった気がする。 勉強バカみたいに楽しい。 著者の水野さんがこの本のことを「いびつな本」とおっしゃっていて、自分もこれまでことば関連の本を数冊読んでみたけれど、なるほど読めば読むほど圧倒的な学習範囲に驚かされる。 とりあえず以前読んだときには触れなかった、この本に載っている参考文献から言語学の「全体」についての本と、「誤用論」についての本を中心にまた勉強を始めていこうと思う。 難しいけど楽しい読書体験だった。
    会話の0.2秒を言語学する
  • 2026年9月6日
    平成遺産
    平成遺産
    著名人たちによる「平成とはなんだったのか」を語るエッセイ集。 東日本大震災、SMAPの解散、人工知能、ゆるキャラ、自分自身も経験してきた平成が他者の目と思考を通して流れ込んでくる。 読んでた時はそこまで思わなかったけど、今こうやって感想を書こうとすると、なかなかに人選のクセが凄かったように思う。 けれど、どの著者も「押しつけ感」が一切ない。ちょっとある感じの人もいたけれど、でも世間そのものが「押しつけ感」のある時代だったのだと思う。自己責任、個性を持つこと、そういった時代を肌で感じているから、著者の方たちは「もっと無駄があってもいい」「もっと目立たない人にもスポットライトが当たるべき」と書いてくれているのだと思う。 個人的にとても興味深かったのはエッセイ部分よりも、巻末の武田砂鉄さんと最果タヒさんによる対談だった。 “SNSなどでの発言は、主語が曖昧になればなるほど、大きくなればなるほど、網羅できた気分になり、細やかな感情や、感覚的な部分、個人的な部分を切り捨ててしまう。” といったことを話していて、SNSは「一人ひとりが違った意見を自由に発信できる場所」ではなくて、「誰かによって計算し尽くされたバズに共感(感情)を操作される場所」なのではないかと思った。 現代は個性(キャラ)で目立っても潰されるし、ないと個性を磨かなくてはいけない(これはあくまでも個人的に)という圧力を感じてしまうし、なんか大変な時代を生きているんだな、むしろもっといっぱい本を読んで、自分が呼吸しやすい場所を現実にも頭の中にも欲しいなと感じた。
    平成遺産
  • 2026年9月5日
    なんとなく言語学
    なんとなく言語学
    直近読んでいた言語学の本は“生成文法”やら“語用論”やら“メトミニー”やら“フレネミー”(嘘)などの用語が前面的なものが多かったので、それに比べるとこの本はだいぶ毛色が違った。 川添愛さんの『パンチラインの言語学』でも書いてあったけれど、言語学者たちが私たち言語学を学んでいない人と比べて「どういう言葉に引っかかるか」という例がたくさん書かれているし、ちょこちょこ挟まれる小噺も言葉の不思議を感じさせてくれて面白い。 弊害としてはこの本を読んだあと、(今のように)感想を書くのが少し慎重になってしまうところである。 みんな、伝わる日本語で会話しましょう。 みなさん、伝わる日本語で会話しましょう。 この違い、分かりますか?
    なんとなく言語学
  • 2026年9月4日
    美しい言語学のはなし
    簡単に分かりやすく、楽しく書いてくれているんだろうなぁ〜というのは理解できるのに全くもって歯が立たなかった…。ので、とりあえず一通り読んで言語学のノリを掴むことに徹底して読みました。 自分としては語用論と言語行為論、あと『サピエンス全史』の章の中で書かれていた「共通の想像」、「共有された虚構」のお話が興味深かった。 言語で構成された虚構、フィクションが人間を人間たらしめている的なところが面白い。 現代の推し活文化と比較してもっと探求してみたいなと思った。
    美しい言語学のはなし
  • 2026年9月3日
    働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」
    川添愛先生の著作が大好きなので図書館で借りてきやした🙏 やーーーっぱり難しいっすね。言語学は。 この本は物語仕様になっていて、タイトルの通り働きたくないイタチが「自分たちの代わりになんでもやってくれるロボットがあれば働かなくていいじゃん⭐︎」という思いつきから始まる。 モグラやカメレオン、アリ、フクロウ、オコジョなどなど、他の生き物たちの住処ではいろいろなロボットが開発されていて、少しでも楽をしたいイタチたちはそれぞれの村のロボットのいいとこ取りをしてやろうとするのだけど、これがなかなかうまくいかない。 主人公側に選ばれている動物がイタチである理由もゆくゆく分かるので、気になる方はぜひ読んでほしい。 読み終わって、人がどれだけ高度なコミュニケーションをこなし、相手の気持ちを推し量り、意図を汲もうとしているのかを痛いくらいに感じた。 「あとがき」を読むと機械に言葉を教えるということがどれだけ難しいのか伝わってくるし、これから更に言語学を学びたい自分としても「ひえ〜」と気が遠くなりそうな学問そのものの深淵を感じた。 でもやっぱり、言葉を獲得していくことの不思議、人間が持っている可能性の大きさを知ることができるとても面白い一冊。ありがたや🙏
    働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」
  • 2026年9月2日
    君たちはなぜ、そんなことしてるのか? 東大准教授のひそやかな動物行動学講義
    読んでいた本の中に載っていておもしろそうだったので読んでみた。次から次に好奇心がチェインしていくから読書はやめられねぇ。 その「好奇心」というのがこの本のキーワードの一つになっていると思う。 動物行動学の本なので、動物個体についての解説ももちろん面白い。 けれど、個人的に楽しめたのは著者が教育実習や講演などの際に質問されたことについての思いを綴るエッセイ的な部分だった。 「知りたい」という欲求は正直なくても死にはしない。 しかし、やっぱりあった方が世の中おもしろくね?と思ってしまう。 「それで食えるのか?」とか「意味はあるのか?」といった問いも生きていく上で、自分を、大切な誰かを守る上で大切なものであることは大前提として、それでもどこかしらで自分の好奇心を裏切ったことを後悔するのであれば、好きなことを精一杯に探究するという期間があってもいいのではないかと、この本を読んでいて思った。 終章、最後の節で、筆者がメジロについて思いを巡らす場面があるのだけど、研究者たちはこうやって世界を見ているんだなと感じることができて少しだけ泣きそうになった。 最後にこの本の謝辞(?)に載っていた言葉を引用して終わろうと思う。 ニーチェいわく「神は死んだ」。 だが、好奇心は滅びない。
    君たちはなぜ、そんなことしてるのか? 東大准教授のひそやかな動物行動学講義
  • 2026年9月1日
    パンチラインの言語学
    言語学?なにそれ美味しいの?というところから手に取った本。 『勇者ヨシヒコ』シリーズや、『チャーリーとチョコレート工場』、『タッチ』などの名台詞をもとに言語学者である川添愛さんの視点から語られる、セリフの秀逸さや、違和感を体感できるのがとても楽しい。 中でも『吼えろペン』シリーズで多用されている「形式と内容のズレ」という話が面白かった。 例えばONE PIECE・ルフィの名台詞「おれは‼︎海賊王になる男だ‼︎」のように「〇〇になる男だ!」の「〇〇」には偉業が入るのがベーシックだ。 けれど『吼えろペン』シリーズでは「おれは(中略)炎尾燃のアシスタントをしている男だ‼︎」や「あえて遊びにいくぞっ‼︎」などに見られる、比較的普通の内容を言っているのに感情が乗っかって「ボケ」になっている。 こういうことに気づける人間でありたいし、こういうボケをできる人間になりたい。なんかかっけぇし。
  • 2026年3月1日
    地方創生大全
    たまには全く知らない分野についての本も読んでみようと思いたち購入してみた。 言うてもね。 私、大学では社会学を学んできたので、人と地域の結びつきとかね、余裕っしょ…なわけなかったです。ごめんなさい。 いや〜正直、頭パンパンなことの方が多い本でした。 しかし、「知らない分野」だからといった理由で購入しただけあって、その中身はとても刺激に満ちていた。 地方創生は、2014年に施行された「まち・ひと・しごと創生法」とともに打ち出された、地方活性化を目指す政策または取り組みを指します。国と地方自治体は現在、各々の人口ビジョンと総合戦略に基づいた地方創生戦略の推進に奔走しています。加えてSDGsと絡めた取り組みも各地で進んでいます。 ジチタイムズ『地方創生とは?』 そもそもなぜ「地方創生」についての本を読もうと思ったかというと、職場の同僚が山梨県で宿坊(参拝者や僧侶がお寺や神社にとまるやつ)体験をしてきたとの話を聞いて、ほとんど忘れてしまったけれど「地域の人とのうんぬんかんぬん」みたいな話が頭の片隅にあったようだ。 結局のところ同僚から聞いた話と、関係があったのか、なかったのかは分からなかったけれど、地方創生、つまり地域活性化についての興味深い話が山盛りに載っていたことは確かである。 特に、新幹線は本当に地域活性化に役立ってきたのか?という問いかけである。 個人的に新幹線はただの移動手段としか思っていなかったのだけれど、表向きの理由としては高速移動による広域交流の促進、駅周辺の再開発、観光誘致を通じて地方創生を支える重要なインフラということになっているらしい。 そのため新幹線を引いたからには、その分、魅力ある土地づくりを本来考えなくてはならない。ちゃんとリピートをしてくれる観光客を生み出さなければならない。 しかし、そこの詰めが甘くなっている部分もあるし、加えて駅周辺にはだいたい東京・大阪などの大都市資本企業が入っていて、そこで買い物をすれば結局ほとんどのお金が都市部に流れていってしまい、地方が潤うというわけではない。 それに新幹線が通ったことで、その地域から人が出て行きやすいという状況(ストロー効果)を作ってしまっているという問題もある。 その他にも、地方創生のためにどれだけの補助金や税金が使われているか、同調圧力や好き嫌いで事業が進めたり、潰したりしていたり。 これらをただの「地方創生の現場ってこんな感じなんだぁ〜」という目で見ても十分に楽しめるけれど、自らが働いている会社や、自分ごとに置き換えて読んでみると、なかなか笑えないものも多い。 事業という大きさではないにしても、自分もゲーム実況をYouTubeでしていて、失敗という失敗はもちろんないけれど、見てくれる人が増えるための行動が出来ていないこととかを考えながら読んでしまった。 とにかくトライアンドエラーで、色々やってみたいですね。 個人事業主だと支援してくれる制度とかもあるっぽいんですけど、お金もらったあとの自分が怖くなるような本でしたね…、およよよよ。
    地方創生大全
  • 2026年2月28日
    ミニマル脳習慣
    なんかちょっとエンジンかかっちゃってるな、という日が増えてきた。 毎日ゲーム実況をしていくうちに、「もっとこうした方がいいかな」みたいな自分が思っている努力と結果のバランスが釣り合わないな、と感じる時がある。 それでも根はポジティブなので、「仕方ねぇ、やれることをやるしかねぇ」という気持ちで切り替えることができる自分は褒めてあげたいけれど、そうなると次はどこか「やり過ぎ」になってしまいがちだ。 一日に四本ゲーム実況動画を撮ろうとすれば喉も痛めるし、パソコン作業をやり過ぎれば首から肩にかけての神経痛を起こす。 でもやる気だけはあるという状態。 これがいわゆる「かかってる状態」である。 この状態は自分の視野を狭くすることがあるので、扱いに気をつけなくてはならない。けれど、かかっている状態だからこそ、出せるモチベーションも存在する。 どのようにすればこの「アツい」と「冷静」をうまく同居させることができるのだろうか。 ただこうやって「どうしたらいいのか」と考えている時間、大切らしいです。 「こうなりたい」 「こんな状態になったらいいのに」 と考えること自体が、 すでに脳にいい影響を与えている。 菅原道人『ミニマル脳習慣』p.11 私はお金持ちになる想像をよくする。 勘違いしないでいただきたいのは、「うまい肉を食って、イイ女を抱く」のような「お前は海賊か」といった妄想ではなく、人からこういうふうに見られたいとか、見てくれている人から頂けたお金でどんなことがしたいか(新しい機器を買うとか、旅行に行きたいとか)を考える。 人のために頑張って稼いだお金を使って何かをするって、めちゃくちゃ素敵なことじゃないですか? なんか、そんな妄想しちゃいますね。 こんないいイメージを持ったり、いい妄想をするだけで脳からはドーパミン(やる気を生み出してくれる脳内物質)が発生すると、この本には書かれていた。 なるほど、ここまで自分がゲーム実況を続けてこれたのは自分がいい妄想をたくさんしてきたからなのかもしれない。夢見がちと言われれてしまえばそれまでな部分でもあるだろうけれど。 本を読むこと自体も常にいいモチベーションで臨むことができている。そもそも、本を読んでいることがカッケェ〜と思っているので、そりゃ続けたくもなる。 で、実際に知識がついたり、メンタルのコントロールが上手にできるようになれば、本当にカッケェ〜人間になれる可能性だってぐんぐん上がるのだ。スッゲェ〜。 脳には、「面白いから笑う」だけでなく、 「笑っているうちに、面白く感じてくる」 という面もあるのです。 菅原道人『ミニマル脳習慣』p.42 これを読んだとき、嵐の相葉雅紀さんの言葉を思い出した。 「ひみつの嵐ちゃん!」という番組内で、学生さんの悩みに答えるという企画があった際に、「楽しいから笑うんじゃなくて、笑っていれば楽しいことがあるかなと思って笑っています」と答えていたのがとても印象的だった。 他人を見ていても、仏頂面をしている人であったり、つまらなそうにしている顔の人よりも、笑顔の人の方が話しかけやすいし、幸せそうに見える。 実際、人は口角を上げるだけで楽しさを実感することができるらしいので、気になった方はやってみよう。おれはもうすでに口角アゲアゲでこれを書いてます。怖いか? その他にも真似しやすい、小さな習慣がこの本にはたくさん書かれている。 脳のための、運動習慣、食習慣、ストレスのかからない人との付き合い方。 たまに思い出したように読むことで、「今日からこれを試してみようかな」という気持ちにさせてくれるので、ぜひ試してみてください。 おれの口角はまだアゲアゲです。 これを読んでくれたあなたもアゲアゲで行きましょう⤴︎
    ミニマル脳習慣
  • 2026年2月27日
    私が間違っているかもしれない
    私が間違っているかもしれない
    はじめはタイトルに惹かれただけだった。 「私が間違っているかもしれない」 ここ最近、人と話をしたり、SNSを見たりしていると、「正義」と「悪意」がフィルターを通すことなく吐き出される瞬間をたびたび目撃していた。 その度に私は「この人たちが言っている正しさは本当に正しいのだろうか」と思っていた。 それはときに、自分を守るため、他人を守る(守っている気になっている)ために振りかざされる正義、一般論であり、そこに本当にあなたが考え出した正義はあるのだろうかと考えてしまう。 誰かが誰かに「正義」を振りかざすとき、相手の「正義」は無視される。 そういった議論が行われた末に存在しているのは、そんな勝ち負けや、白と黒をはっきりさせなくてはいけないものなのだろうか。 「私が間違っているかもしれない」 この言葉は魔法の言葉だ。 その呪文は自らの「正しさ」を殺すものではない。 相手の「正しさ」を受け入れようとする姿勢だ。 人は誰でも、自分のことを多かれ少なかれ合理的、理性的で、現実的に物事を考えられる分別のある存在だと思っている。 ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド、キャロライン・バングラー、ナビット・モディリ(訳:児島修) 『私が間違っているかもしれない』p.48 これらの違和感は慢心だ。 自分よりも知識のない相手、立場が弱そうな相手、間違いを犯した相手に対して、人は容赦なく正義を振りかざす。 私自身にだってそういう感情がゼロで、全く感じたことがないのかと聞かれれば、それは嘘になるだろう。 陰口や、悪口で、人との距離を縮めたことがないとは言い切れない。 しかし、その日の帰り道はどこか、胸に痛みを覚えたりもする。 「なぜあんなふうに言ったしまったのか」とか「むしろ相手に嫌われてしまったのではないか」「もしかすると今日話した内容が本人に伝わってしまうのではないか」など、負の感情が巡り始めてしまう。 何度もいうように、幾許かのそういった状況に巻き込まれたり、踏み込んだりしてしまうのは、人間社会で生きる以上仕方のないことである。 だが、自分を顧みることなく、相手の言い分を無視して、自分の正しさを主張し続ける姿勢に、納得することはできない。 誰かに対して「こうあるべきだ」と思ったからといって、その人がその通りの人間に生まれ変わったりすることは絶対にない。 ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド、キャロライン・バングラー、ナビット・モディリ(訳:児島修) 『私が間違っているかもしれない』p.86 人にものを教えたり、ときには怒ったりするのはとても難しい。 皆誰しもが引用部分のようなことを、なんとなく理解しているからだ。 人には人に合った教え方や、怒り方、受け取り方があり、けれど、自分への責任の重さなども相まって、それらの気遣いを忘れてしまう。 むしろ、気遣う必要などない、というふうに思う人もいるかもしれない。 私は「こうあるべき」の「べき」の部分は、特段強く否定はしない。 「べき」の部分をどのよう伝えたら、相手は、相手なりの「べき」を感じ取ってくれるかが重要だと思う。 自分が「毎日勉強をするべきだ」と相手に伝えたいのであれば「毎日勉強しないことでのデメリット」などを自分の体験などを通して説明した方が相手に伝わるかもしれない。 相手を、自分が求める人間に仕立て上げようとするのではなく、相手の考えを受け入れたうえで、どのようにすれば自分の考えを伝えられるかということを意識するのが、コミュニケーションなのではないかと、私は思う。 自分に対して優しく寛容になれば、自然と周りの人たちにも同じように接することができるようになる。 ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド、キャロライン・バングラー、ナビット・モディリ(訳:児島修) 『私が間違っているかもしれない』p.237 ここまでかなり他者に対しての言葉を連ねてきてしまったけれど、それは自分自身にも言えることだ。 とにかく自分を大切にする。 人にばかり向けている目を、自分の内側へと向けてみる。 自分は、自分が思っているほどまともではない。 だからこそ、そんな「まともじゃなさ」を認めてみる。 すると、相手の「まともじゃなさ」も自然も受け取れるようになる。 嫌な言葉遣いをするあの人も、あの人なりの生きてきた環境や、育てられてきた環境で培ってきた言語なのかもしれない。 そこに、「悪意」はないのかもしれないし、あるのかもしれない。 大切なのは、完璧を求めず、「自分はできる限りのことをしている」と考えるようにすることだ。また「他の人も同じように、できる限りのことをしている」と考えよう。 ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド、キャロライン・バングラー、ナビット・モディリ(訳:児島修) 『私が間違っているかもしれない』p.238 しかし、それでも相手は相手なりに大変なんだと、認めてあげることで、今ネットで感じているようなモヤモヤを少しでも軽くすることができる。 まぁ、そもそも見なくていいという意見もあると思うけれど、さまざまな思考が渦巻いているSNSは、あれはあれで面白い。 受け入れない姿勢でSNSを活用するのではなく、受け入れた上で、どんな感情を抱いて、でも、「間違っているかもしれない」という一歩引いた目で見ることで、新しい景色に連れてってくれる可能性を、私は信じたい。 勝ち負けや、白と黒にばかり気を取られないように、色んな意見を取り入れつつ、生きていきたいものですね。
    私が間違っているかもしれない
  • 2026年2月26日
    透明なルール
    透明なルール
    どちらかというと周りに合わせるということをしない学生生活を送ってきた。 多分それは学校の雰囲気的なものもあったんだろうし、私が知らないところで繰り広げられていた可能性はいくらでもある。 ただ、高校の二年生か、三年生のときに、部活の同級生から言われた「お前は八方美人だ」という言葉を今でも時々思い出す。 「なんてことをいうんだこいつは」と思ったし、実際、心当たりが1ミリもなかった。 そもそも八方美人であることが悪いこととも思わないし、誰にでもいい顔できるやつはそれなりにすごいのでは、とすら思う。 まぁだからといって「おれ八方美人!?ありがとう!ひゃっほーう!」となれるほど私は達観していない。達観ってこういうことなのかも分からん。 ちゃんとそれなりにダメージも負い、その日から今日までずっと、その言葉を時々思い出しながら過ごしている。 とはいえ、その同級生に言われたことよりも、なにを持って「八方美人」と言われたのかが、私は気になっている。 今思えば同級生は、誰とでもお喋りできる私の性格に嫉妬心なるものを抱いていたのかも知れないし、衝突を避けようとする(そもそもしない)性格に対して懐疑的だったのかも知れない。 それならわりかし説明ができると思うのだけれど、私は基本的に周りに興味がなかった。 というと冷たいニュアンスが出てしまうだろうが、個人に対して「どんな食べ物が好きか」とか、「どんなアイドルが好きか」みたいな話には興味があるけれど、クラスにうっすらと存在しているヒエラルキーであったり、誰と誰が付き合っているみたいな話にはまったく興味がそそられなかった。 特段、そういう空気に嫌悪感を抱いていたわけでもなく、本当にどうでもよかったし、なんならそういう話が自分には舞い込んでこなかった。 多分そういう認識すらされてない存在だった。 あれ?悲しい話だったっけ?これ。 たまに学生時代の友人と食事に行くと「そういえばこないだ〇〇とも飲んで〜」みたいな話になり、「え!おれも呼んでよ!」というと「いや、お前〇〇たちとかとも仲良いから色んなところ誘われるでしょ」と言われた。 誘われてない!!!!!! 誰とも会ってない!!!!!!! このザマである。 そうなのだ。 さっきまで「俗世に興味ないのかっこいいと思ってる系」に見えたかも知れないけれど、違うんや。シンプルに大人になっても遊んでくれる交友関係の築き方をしてこなかっただけなんや。 そういう意味ではあの日言われた「お前は八方美人だ」といわれた理由が少しわかる気がする。 誰とでもフラットに話せる代わりに、誰とも深い仲にならない美人だと言われているのだ。 (よかった〜美人だった〜) まぁ、それはそれで楽なのでいいんですけどね。 はい、解決〜。 ってなるわけでもないけれど、やはり私としてはこの「八方美人」と言われたことは、それなりにすごいことだなぁと思う。我ながら。 出来たかも知れない大切な親友を失う代わりに、それなりにのほほんと生きる術が備わっているというのは、なかなか悪くない。 気づけば「八方美人」は「言われて嫌だった言葉」から「指針」のひとつとして考えられるようになっていた。 八方美人は生き方だ(ドンッ!!)。 たくさん友達がいるのも絶対楽しいし、家族や恋人とは違った楽しさが確実に存在しているはずだ。 けれど、人と緩やかに繋がりつつ、自分の時間を持つことが出来ている今の環境も大好きだ。家にいるのも好きだし。 人に合わせることは、大事だ。 同時に人と違うことを感じたり、その違うという気持ちを相手に伝えるということも、大事なのだ。 この物語の主人公は、クラスで「ぼっち」になることを恐れている少女。 本当は良い結果を残してきた実力テストにも本気で臨みたいし、今在籍(?)している一軍女子たちとの心の通わなさのようなものを感じている。 ただ目立つことも、ひとりぼっちになることも怖くて、ずっとモヤモヤとした感情を抱えたままで学校生活を送っている。 英文が自然に読めない。みんなの前でいい発音で音読するのが、なんだか恥ずかしい。 佐藤いつ子『透明なルール』p.29 実家には父親のレコードがあり、それを聴いて、歌ったりしているうちに主人公の英語のイントネーションは卓越したものになっていた。 けれど、「人にどう思われるか」が常に気になる主人公は英語の音読の時は周りに合わせて下手なイントネーションを使ってやり過ごしている。わかるぅ〜(わからない、発音がいいなんて羨ましい)。 「ね、萩野くん。あえて目立つようなこと、しない方がいいかもよ。いじられちゃうよ」 佐藤いつ子『透明なルール』p.35 主人公にとって、目立つということは死活問題だ。 けれど、それは学生時代だれもが感じ、悩みの種のひとつだったであろうことは想像に難くない。 周りを気にしてなかった私でも少なからず「八方美人」と言われたことにはダメージを負った。というか「周りは違うんだ」と思った。 「心ひとつって何それ。三十五人いれば、三十五通りの心があるんだから」 佐藤いつ子『透明なルール』p.78 急にこころ界隈のアンミカさん登場である。 体育祭のスローガンを決めているホームルームの最中に現れた不登校気味の転校生の登場により、主人公の常識は大きく覆される。 どうして、わたしは、素直に愛(著者注釈:転校生)のことが気になる、と言えないのだろう。 どうして、わたしは、愛の「三十五通りの心」に衝撃を受けた、と言えないのだろう。 どうして、みんなはどう思ったのか、と聞けないのだろう。 どうして、わたしは、瞳子(著者注釈:一軍女子)の考えることを、いつも先回りして予想しては、気をもんでいるのだろう。 どうして、どうして、どうして…。 佐藤いつ子『透明なルール』p.90 周りの同級生の主張も意に介すことなく振る舞うことができる転校生に、主人公は徐々に惹かれていく。 そして転校生の過去が告げられたとき、主人公は自分の中で作り上げていた「透明なルール」に気づくこととなる。 ひとりぼっちではいけない、中学生らしい行いをする、といった「透明なルール」から解き放たれることで、主人公は次第に周りが自分を受け入れてくれること、自分が周りを受け入れられるようになっていく。 これを読んだ私自身、自分に「透明なルール」を課していないか考えるきっかけになった。 ゲーム実況という活動をする中で「こういう言い方をしたら不快に思う人がいるかも知れない」とか「このやり方は良くないに決まっている」といった意固地な部分が出てくることもある。 もちろん前提として人を不快にさせないに越したことはないけれど、自分の気持ちを伝えたい場面では、しっかりと誤解なく伝えられるように努めてみたり、動画を見てくれている人のことを信じて発言してみようとか、そんなことを考えていた。 中学生の物語だったけれど、そんなことは関係なく、心のもやもやはいくつになったって抱えるもんだよなぁ、と10代の青春物語に触れて、10代の頃の自分を思い出したりして、面白おかしく悩んだり、考えたりしてたとさ。 ちなみに私の八方美人はネットではまったく機能しない。 SNSなどの顔が見えない人と話す方がよっぽど緊張する。 「気兼ねなく話しかけてください」と常に受け身な現在進行形の私であった。
    透明なルール
  • 2026年2月25日
    「書くこと」の哲学 ことばの再履修
    書き出しに迷ったので、とりあえず、「書き出しに迷った」と素直に書いてみることにした。 上の「書き出し」を書き出して、5分が経った。 なるほど、全然書き出せない。書き出したのに。 本を読み終えてすぐにnoteを開き、思ったこと、感じたことを書こうというモードに入ったにも関わらず、なんだかボケーっとしてしまう。 書きたいと思っているのに頭が空っぽになっていて、あ、今寝っ転がってるんですけど、スマホが重いなぁとか、部屋の明かりが眩しいなぁとか、そんなことばばかり考えてしまっている。 そもそも、書くことについて書かれた本の感想を書くということはとても難しいことなのかもしれない。確か前もこんな感じになったような気がするもの。 とてもややこしいことである。 書くことについてを書く人(著者)が、書くことについて悩んでいる人(読者)に向けて書いていて、それを読んだ私が書くことについて学び、学んだことを書こうとしている。 だからこの場合、自分とっての「書くこと」とはなにかを、私の頭の中で考えて、本の引用なんかも挟みながら書き進めていけばいいのではないだろうか。そうだ、そうしよう。 では、さっそく。 私にとっての「書くこと」とは、「視野」だと思っている。 うそです、いま考えました。 だけど、自分の中で腑に落ちた答えがこの「視野」だということを、今から、説明してみたいと思う。 これを読んでくれているあなたと、私自身にも。 そもそも書くことを始めたきっかけは、正確にいうと「本を読む」ことを始めたきっかけは、ゲーム実況をするにあたって、自分のゲームへの反応が一辺倒になりつつあるなぁと感じていたことにあった。 他のnoteでも書いたと思うけれど、実況動画を撮っていると、視聴者なら集中して見たいシーンでも、「ここは喋っておきたいぞ!」というところでお喋りを挟みたくなるタイミングがあったりする。 せっかく喋るのだから、芯を食っていたり、ちゃんとリアクションとして受け取ってもらえるものであったり、なによりそこのリアクションを楽しみにしてくれている人に伝わる表現をしたい、と思うようになったのが主なきっかけだ。 そこで本を読んで、感想を書く、せっかくなので日記も始めた、そういったことで少しでも表現力を高めよう、深めようと色々模索している。 そして書いていくうちに、今回のような「書くこと」について書かれている本を読んでいくうちに、これは「視野」を獲得、拡大するための下積みなのかもしれないな、と感じた。 ことばの使い方を学ぶこと、書くことを学ぶこと、言語表現を学ぶことの目的は、究極的には、自分が自分だからこそ書けることば、ある意味では自分にしか書けない文章を書けるようになることだと思います。 佐々木敦『「書くこと」の哲学-言葉の再履修』p.17 本を読むということが新たな「視野」の獲得となり、書くということは新たな「視野」の拡大に繋がる。 この自分で出した答えを持ち続けながら、読むこと、書くことを続けていけば、努力の先に、なんとか、自分にしかできない表現が見つけられるのではないだろうか。 自分の文章のクセをある程度客観的に把握して、他者たちの文章との望ましい差異化の武器として利用可能か吟味すること。 ○多様性に埋没してしまわぬよう懸命に振る舞うこと。 ○「自分のことば」を書けるようになるためにこそ、「他人のことば」を読むこと、それもできればたくさん読むことが肝要です。 佐々木敦『「書くこと」の哲学-言葉の再履修』p.87 本の感想を書いていると、結局この答えに行きつきがちになってしまうのだけど、やっぱり、とにかく、「他人の言葉」を自分の体に取り込んでいく方法が一番個性を出す方法なんだよなぁ、と感じる。 自分の個性を知る、ことも大切だけど同時に、相手の個性を知ることが自分の個性を知るひとつのきっかけとなるということである。 読みの円滑な流れを一瞬、止めるようなことばに出会ったら、そこを何度か読み返し、なぜ自分がそこが気になるのかを考えてみて、答えが出なくても、とりあえずそれを覚えておく。そこに生じた違和感は、その書き手の個性や才能を示していることもあれば、そうでなくても、そこにあなた自身の言語感覚が現れていることがある。 佐々木敦『「書くこと」の哲学-言葉の再履修』p.108 上記のようなものの見方を、この本でしっかりと学ぶことができたのが、私の中ではかなり大きかったように思う。 確かに本を読んでいると、どうしても読み進められなくなる瞬間が訪れることがある。 理解できないわけではない、けれど、ちょっと読みづらさを感じる、読み飛ばしたいのに、なぜか惹きつけられるような感覚。 そうか、私は書き手が生み出した「違和感」や「個性」を感じ取っていたのか、ということに気付かされたのだ。 またひとつ「視野」が拡大された。 しかし、相変わらず書くことは難しい。 だけど、出会った本、一冊一冊から、段々と、新しい視野を獲得することができている、なんなら今回の本を読み、考え、もうすでにこれまでの経験が少しずつ力に変わりつつあるのではないかと実感が湧いてきたようにも思う。 あらかじめ全体像を描くことなく、だが最後には必ずや全体像が出現するのだ/させるのだという、もしかしたらいささか闇雲かもしれない確信(?)を胸に、とにかく書き進めていく。 佐々木敦『「書くこと」の哲学-言葉の再履修』p.207 今やっているゲーム実況の活動においても、書くことにおいても、未だ全体像、自分の中のゴールはまったくもって見えていない。 けれど、なんとかなる、なんとかする、という気持ちで臨みたい、臨み続けたい。 自分にとっての「書くこと」と「ゲーム実況をすること」は密接に関わり合っていて、もしかしたら同時にゴールできたりしちゃったりするのかもしれない。 そうなってくれたら、今日ここで頑張って文章を書いてた私を、めちゃくちゃ褒めてあげたいのである。
    「書くこと」の哲学 ことばの再履修
  • 2026年2月24日
    アリアドネの声
    「諦めたらそこで試合終了ですよ」 このセリフはマンガ『SLAM DUNK』でバスケットボール部の監督をしている安西先生の言葉である。 このセリフは気を抜くとどこからともなくやってくる。 学校や会社、SNSやビジネス書、安西先生は色々な場面で「諦めたらそこで試合終了ですよ」と発言しているのだ。 講演だったら年間にどれくらい稼げるのだろうか。 コメンテーターとしてテレビに呼ばれるときには名前の上に「諦めたらそこで試合終了ですよ」が空前の大ヒット!とか書かれるのだろうか。 そんな「諦めたらそこで試合終了ですよ」教徒の方々にこの本を送ります。 井上真偽さんの『アリアドネの声』です。 この小説の中では「無理だと思ったら、そこが限界なんだ」というセリフが繰り返し使われる。 ある日、とある計画で作られた地下都市に巨大地震が襲う。 その地下には目が見えない、耳も聞こえない、話すこともできない、三つの障害を抱えた女性が遭難している。 その女性を主人公の会社で取り扱っているドローンでなんとか救出するというお話だ。 え〜!無理だよ〜!な展開が、鬼畜かというほどに続くこの小説のジャンルはミステリなのだ。 著者は「探偵が早すぎる」や「その可能性はすでに考えた」の井上真偽さんなのでミステリなことに違和感は感じないけれど、災害もの、女性を誘導して脱出させるといういわゆる脱出もの、などの特徴からはミステリなのか?という疑問を持ちつつ読み始めたけれど、読み終わる頃にはこういうミステリもアリなのか、と思った。 主人公は女性の救出を通して、自分の過去と重ね合わせて、とある答えを導き出す。 俺はやっぱり、人間に「限界」はないとおもうよ。 だって人間には、本当に何が「無理」かも、想像できないのだから。 井上真偽『アリアドネの声』p.297 見えなくても、聞こえなくても、話せなくても、希望を胸に、前に進み続ける姿は、今頑張っている誰かの背中を押してくれる。 とにかく自分ができることを、できる範囲でやるのだ。 「無理だと思ったら、そこが限界なんだ」 安西先生のセリフとも同じようで、また違う。 このセリフを読んだとき、あなたはどのように受け取っただろうか。 その答えは小説の中に、そして、あなたの頭と、心の中に。
    アリアドネの声
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