メガホンとペンライト
71件の記録
hina@hina13f2026年8月7日読み終わった一人ひとりの抱える問題が「分断」に利用されているからこそ、それぞれの声を響かせる「多声的」なデモが有効なのかもしれない。 マスメディアも市民社会の構成員であるという当事者意識が低いという指摘に得心した。メディアの眼差しは、物事を大きく価値づける。






モりこ@mooooori2026年7月20日読み終わった韓国の日本統治時代から現代にかけて国民がデモを起こし声をあげ闘ってきた経緯が知れる本。 韓国のペンライトデモを見て韓国は穏やかにデモで悪政から勝利を勝ち取れているとばかり思っていたけど、実際には韓国ではそこに至るまでに街中で民間人が殺された事実があった。 近現代の韓国と日本とでは事情があまりに違うため、日本では韓国とも違う新たなデモのかたちを作り出す必要があるかもしれない。

えりた@negibata2026年7月3日読み終わった大事だなと思った所に付箋貼ってたら11ヶ所になった。 “もはやデモは、強固な前衛が率いる厳しい戦いではなく、対等な市民がそれぞれの声を響かせ、互いの存在を確認し合うための多層的な実践の舞台へと変貌を遂げた”とか “本当に何の問題もなく暮らしているのですか?他人事として見過ごしても大丈夫なのですか?あるいは、政治的無関心という自己合理化の背後に隠れてはいませんか?”とか “人々の声は、すでに冷笑と私的快楽の海に完全に飲み込まれてしまったのだろうか。あるいは、抵抗の動きは確実に存在するにもかかわらず、日本社会はそれを「見えない」ものにし続けてきているのだろうか”とか。 デモに関心のある人、デモに行ったことある人が読むと発見が多いだろうなと思いました。
うきわ@kikimimi332026年6月17日読み終わった寒波真っ只中に、銀幕を羽織って雪まみれで座り込みしてたあの熱量はどこからくるのか知りたかった。 韓国の民主化運動の歴史もだけどデモの方法が具体的で今読んでよかった。 バス1台貸し切って座り込みの合間の暖房と休憩所にしたの真似したい。 まだ間に合うはず。

JUMPEI AMANO@Amanong22026年6月8日読み終わった就寝前読書お風呂読書@ 自宅コラム2のホログラム・デモかっこよいなあ。第6章「日本市民の「静けさ」を読み解く」もとても良かった。良かったというか、一人でも多くの市民が読んだほうがいい。この章を使って読書会するのもよさそう。 特に「「第三者」の日本メディアと「当事者」の韓国メディア」の節からがおすすめ。私たちがデモや社会運動をめぐってどのような想像力を奪われてきたのか、どれほど足腰を弱めてしまってきたのかがよくわかる。そしてそれを取り戻すためにも、韓国の今や歴史を知ることがとても重要であることも。




JUMPEI AMANO@Amanong22026年6月7日まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅第4章まで読む。韓国の近現代史が「デモ」を軸にクリアに整理されていくのが気持ちいい。なにより読んでいるとエンパワメントされる。 〈多声性はメッセージの政治性を分散させる「リスク」ではない。それは、従来の「組織による動員」という古いモデルが機能不全に陥った現在において、多様な個人がそれぞれの理由で関わり続けるための、唯一無二の「参加基盤」かもしれない。この「怒り」と「喜び」、「切実さ」と「遊び心」が矛盾なく同居する緊張関係こそが、二十一世紀の民主主義が持つ新たなダイナミズムの本質に他ならない。〉(138-139頁) 2013年12月10日に高麗大学キャンパスに貼り出されたという一枚のデジャボ(壁新聞)もかっこよかった。 〈私はただ、皆さんに尋ねたいのです。お元気ですかと。本当に何の問題もなく暮らしているのですか? 他人事として見過ごしても大丈夫なのですか? あるいは、政治的無関心という自己合理化の背後に隠れてはいませんか? もし、あなたがお元気でないのなら、叫ばずにはいられないはずです。その内容が何であれ、です。だから、最後にもう一度、尋ねたいです。 皆さん、お元気ですか?〉(167頁)







ヒナタ@hinata6251412026年6月6日読み終わっためちゃめちゃよかった…!今読むべき本すぎた😭 キャンドルデモ以降の、活動家ではなく一市民がスピーチに立ち、多様な声を響かせ、遊び心と創意工夫に満ちた韓国のデモがまさに今、日本でも展開されている。 韓国ほどの大きなうねりとならない理由として、「中立」に固執しデモを外側から冷ややかに見つめる日本のマスコミの立ち位置と、大正デモクラシーやベ平連など日本にもかつてあった「熱いデモの時代」を語り継げていないこと、それによってデモが「見えなくなっている」という指摘は本当にその通りだなと思った。 相模原で修理した米軍の戦車をベトナム戦争に送り出すことを知った市民たちが座り込みをしてその戦車を止めたというドキュメンタリーを以前見たことがあって、日本でこういうことがあったのかと本当にびっくりした。現状知る手立てがほとんどない、こういう作品こそ配信でアクセス良くしてほしいし、いっそフィクション映画化してほしいと思う。 女性が多く参加したことでも注目されたキャンドルデモで「キャンドルママ」や「キャンドル少女」と当時のメディアがラベリングして報じたことへの批判のつながりで、日本の「#ママ戦争止めてくるわ」が社会的な責任感を動機として自ら「母」の属性を政治的な主体性に変換したという評価にもグッと来た。 子供たちが戦争に行かされるような社会にしたくないって当たり前の願いだし、大人として責任の一端を背負うのに、実際このハッシュタグはひどく冷笑された。 「ママ」という言葉へのミソジニーもあったんだろうけど、大人として真っ当なことを言うことへの冷笑って何なんだろうなと改めて考えてしまう。
JUMPEI AMANO@Amanong22026年6月6日読み始めた就寝前読書お風呂読書@ 本屋メガホン登録忘れてた。本屋メガホンの通販で購入。この本に相応しいところで買えた気がする。 足元の状況と照らし合わせつつ、しかし韓国固有の文脈も押さえながら読み進める。アカデミックな内容でありつつとても読みやすい。今日は第1章まで。 〈自己クーデターは、現職の権力者によるものだ。すでに権力を持っている者による「反乱」と言うと矛盾に聞こえるが、民主主義国家において国家元首に委ねられた権力は、選挙によっていつでも替えることができる一時的なものである。つまり、民主的な支持基盤が弱い現職の国家元首が、非合法な方法や武力を用いて政治体制を内部から破壊し、独裁体制に進もうとする欲望を持つことは十分にあり得る。こうした意味で、自己クーデターとは、民主的体制に対する転覆行為でもあり、明らかに民主主義に反する出来事である。〉(28-29頁) 〈「制度としての民主主義」は、国の権力体系に関する法律によって成り立つのに対して、「営みとしての民主主義」は、社会の中で民主主義の原理を守る人々の意識や実践を通してでなければ実現できない。この観点に立てば、現代のデモは一時的な抗議行動ではない。それは、その社会が脈々と受け継いできた歴史的問題意識や集合的記憶を背景に、制度の枠組みを越えた次元で民主主義を支える重要な実践であり、社会の深層に潜むエネルギーの噴出なのだ。/すなわちデモとは、制度の外部から現れ、制度よりも広範囲で機能する「もう一つの政治」として理解すべきだろう。〉(37頁)












































































