メランコリーで生きてみる

58件の記録
- ハム@unia2025年4月23日読み終わった癒やしの書でした。 悲観と似て非なる「メランコリー」という感情、状態を大切に考えることを勧める。 〈ときにはきちんと嘆き悲しむべき、と考えることに本質的に耐えられない社会だ。〉 よく言われるように常に笑顔で、常に効率的で、常に完璧でいることを強いられているかのような社会では「メランコリー」とじっくり向き合うことすらできない。 そんな疲れた心をいろんなテーマから見つめ直して癒やしてくれる優しい一冊。 心がざわつくときは何度でも読み直したい。 〈わたしたちが胎内にいたことをもし覚えていたら、観念して出てくるよう強いられたことへの深い悲しみも、いまの自分の境遇に対する不満も、程度が激しすぎて耐えがたくなってしまう、というわけだ。前へ進むための勇気の代償として、一度は手にしていたものを忘れてしまわなければならない。〉 でもふと感じる郷愁は胎内にいたころを恋しがっているのかもしれないという感覚はなんかわかる。 雨の日に読み終えてどっぷりメランコリーを味わっているところ。
- okabe@m_okabe2025年4月4日読み終わった自分がメランコリックな性格だという自覚はあったが、この性格とどう付き合っていけば良いのか、ずっとわからない。でもこの性格は肯定的に捉えて良いものらしい。肯定的に捉えられる日が来るかどうかはわからない。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年3月15日読んでるまだ読んでる昨日今日と、というかこの1ヶ月ほど売上がメランコリーで、でもこんだけ天候が目まぐるしく変わっちまったら身体はついていかんよな、と自分自身の状況をみて納得する。本屋とメランコリー、春の訪れとメランコリー、みたいな章がほしい。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年3月13日読んでるまだ読んでる「こども読書ちょきん」を使いに来たであろう子どもたち3人が、最初はわいわいおしゃべりしていたもののいつしかそれぞれ真剣に本を選ぶために読み始め、つまりとんでもなくすんばらしい光景が目の前にあるのだが、花粉と食物のダブルアレルギーで死にかけている私は死んだ目で鼻をすすりながらどうにかメランコリーで生きている、生きているのだろうか、これは。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年3月12日読んでるまだ読んでる今日みたいな天候では売上は期待できないのだが、こういうときにかぎって写真ばかり無断で撮ってなんも買わずに出ていく客は来店する。いや、別に無断で写真を撮るのも構わない、ふだんは特に気にしていない、しかしどうやらあなたたちもなんらかのお店をやっているようではないか、そういう会話が聞こえてきたのだけど、ならばもう少しやりようはあるんじゃないのかい、あはーん?となったので仕事を放り出して本書を読む。メランコリーな人は「土星と同調している」らしい。そういえば『紙の民』では土星が語り手になったりするのだけど、その語り口もメランコリーだった気がする。違うかもしれない。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年3月9日読み始めたメランコリーを一時的に陥る負の感情としてではなく、常にその状態にあるべきものとして捉える。決して悲観主義でもなければ、被害妄想を拗らせるわけでもない。皮肉屋でもない。ネガティヴケイパビリティに近いのかもしれない。と、はじめにを読んで思うなどしている。となりでは賑やかしに来た済東鉄腸さんが通りかかるお客さんに声をかけまくっていて、そこから長話にいたったパワフルな志津の常連おばあちゃんが、気がついたらたこ焼きを買ってくれていた。本はぜんぜん売れてないがたのしい。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年3月8日明日から読む来店はそれなりにありつつも購入単価が低く、プルースト日記本の編集作業に集中していたらもうこんな時間で、明日のイベント出店の準備しなきゃ、あ、その前に出店中に読む本見つけよう、で選ばれた本。明日の売上が0でもこれで大丈夫。本屋なんてメランコリーくらいがちょうどいい。