

ユメ
@yume_bookworm
紙の本と本屋さんを愛してやまない人間です。
吉田篤弘さん、辻村深月さん、三浦しをんさん、森見登美彦さん、今村翔吾さんが特に好きです。
- 2026年9月16日
読み終わった感想再読『丕緒の鳥』が下級官吏や民の生き様を描いた短編集であったのに対し、この『華胥の幽夢』は王や麒麟の周辺を描いた短編集。シリーズの長編作品に登場した人物たちの、これまでとは違った一面が見られるのが味わい深い短編揃いである。 今回の再読でとりわけ印象深かったのは、「乗月」と「華胥」。 「乗月」は、『風の万里 黎明の空』で峯王を討った月渓の元へ、慶からの使者が訪ねてくる話だ。 祥瓊が自身の生き方を改めたことが、月渓の心情にも変化をもたらす様が胸に沁みる。人ひとりの人生は世界に対してちっぽけなものかもしれないが、その変化が連鎖してゆけば、やがては国が動くことだってあるのだと思わされる。 「華胥」は、才国において采麟が失道したのちの王朝の混乱を描いた話。 恥ずかしながら、シリーズ初読時は壮大な物語を追うのに無我夢中で、細かい箇所は読み落としてしまっていたところもあった。今回の再読で、「華胥」に采麟を失道させた王・砥尚の叔母として登場する慎思が、『風の万里 黎明の空』で鈴を諭した采王・黄姑と同一人物であることにようやく気付き、震えるような感動を覚えた。 「華胥」の時点で相当な人格者として描かれている黄姑を、なぜ采麟は初めから王として選ばなかったのか。天命の不思議の真相は一読者には分かりかねるが、「華胥」において衝撃的な形で近しい身内を立て続けに喪った彼女が、残された王朝を支えねばと覚悟し、精神的に更に強くなったことで、王としての資質を備えたと判断されたのかもしれない、と思った。 『十二国記』が伝えてくれる「ひとは変わることができるし、変わるためには闘い続けなければならない」というメッセージを、黄姑の姿からも受け取ったような気がする。 - 2026年9月14日
図南の翼 十二国記小野不由美読み終わった感想心に残る一節再読再三書いてきたが、『十二国記』シリーズはどの巻にもそれぞれ異なる多彩な魅力がある。その中でも、純粋にストーリー展開がいちばん好きな巻を問われたら、私はこの『図南の翼』を挙げたいと思う。 王不在の荒れ果てた恭国を舞台に、弱冠12歳の少女・珠晶が家を飛び出し、麒麟のいる蓬山への昇山を目指す物語である。 その道程でずっと勝気に、さも自分が王の器だと信じているかのような自信に満ちた振る舞いを続けていた珠晶が、物語の終盤で昇山した真の理由を激しく吐露するシーンには、再読であっても胸を突かれ、熱い想いが込み上げてくる。彼女がどれだけの勇気と覚悟を持って危険な旅をしてきたのかを思い知らされ、すっと背筋を正されるのだ。 私が恭国の民であったとして、珠晶のように行動できるかと問われたら、答えは否だ。生まれてきた時代の荒廃を嘆き、かといって自分がそれをほんのわずかでも変えられるかもしれないことなど端から諦め、そのうち「運悪く」妖魔に襲われて命を落とす——そんな人生が関の山だという気がする。 だから私は珠晶の魂の叫びに己を恥じ、同時に、少しでもよい生き方をしなければと背中を押してもらったような想いになるのだ。 最後に珠晶が供麒に向かって放つ台詞「——だったら、あたしが生まれたときに、どうして来ないの、大莫迦者っ!」は、非常に痛快でありながら、彼女が王の不在によって奪われてきた命にどれほど胸を痛めてきたかの証左でもある。 珠晶が旅の途中で出会う二人の謎多き人物——利広と犬狼真君、それぞれの正体が明かされる瞬間の感動も鮮やかで、やはり私はこの『図南の翼』という物語が大好きである。 - 2026年9月12日
丕緒の鳥 十二国記小野不由美読み終わった感想再読表題作「丕緒の鳥」の他、「落照の獄」「青条の蘭」「風信」の計四編を収録した、珠玉の短編集。 『十二国記』シリーズの長編の主役となるのが王や麒麟であるのに対し、この短編集ではおそらく歴史には名を残さないであろう下級官吏や市井の民にスポットライトが当てられている。いずれの短編も国が不安定な時期を舞台にしており、そんな中でも懸命に己のすべきことをなし、日々を生き抜こうとする人々の姿が心の琴線に触れる物語ばかりだ。 四作中、三作は新王の登極前後の話であるのに対し、「落照の獄」だけは国が傾き始めた頃の様子が描かれている。他の三作に見てとることができる、苦しい状況下でようやく兆した希望に対し、「落照の獄」は絶望感に満ちており、この対比に王という存在の責任の重さを改めて突きつけられた気がした。 今回の再読で最も心に残ったのは、「青条の蘭」だ。十二国の世界には、王が現物を手にして路木に願うことで、翌年に国中の里木にその植物の実がつくという理がある。「青条の蘭」においては、王不在の荒れ果てた時代に山毛欅の病が流行し、人々の暮らしをますます脅かすのだが、下級役人が苦節の果てに薬となる野草を発見し、ようやく践祚した新王の元へ届けようとする。 その険しい道程を、名もなき善意の人々のリレーによって乗り越えてゆくのにも目頭が熱くなるし、舞台となる国名が徹底して伏せられている構成も巧みだ。終盤、彼らが目指す都、王宮の地名がとうとう明かされたときの、かの新王なら彼らの願いを必ず汲んでくれるだろうという安堵と感動が忘れがたい。 - 2026年9月11日
風の万里 黎明の空(下) 十二国記小野不由美読み終わった感想再読上巻では面識もない景王・陽子に対して身勝手な感情を募らせていた祥瓊と鈴だが、慶国へ辿り着き、地方官吏の悪政を正そうとする市井の人々と関わりを持つうちに、次第に考えを改め始める。 ひとは変わることができる生き物ではあるが、それを可能にするには不断の努力が要求される。まず、昨日までの自分が誤っていたことを認めねばならず、己と向き合い続けることも生易しくはない。 けれど、祥瓊と鈴はそれを成し遂げた。率直に言って物語への登場時の印象がよいとは言いがたい彼女たちだからこそ、その変化が読むひとを勇気付ける強いメッセージ性を孕むのだろうし、最終的に二人のことを好きにならずにはいられない。 そして、上巻から——否、『月の影 影の海』の時点からずっと自分を変えようともがき続けていた陽子は、祥瓊と鈴との邂逅を経て更なる成長を遂げる。そんな陽子が物語の最後に下す初勅には、改めて胸を打たれた。 陽子は王の力が万能ではないこと、自身が権力を手にしているのは民のためだということをきちんと理解している。もちろん彼女は引き続きよき王となるべく努力をするだろうが、決して豊かとは言えない慶が復興するには時間がかかるだろう。そんな国で生まれ、生きてゆかねばならない人々への願いや祈りがこめられた、陽子の誠実な心根を反映する初勅だと思う。 - 2026年9月10日
風の万里 黎明の空(上) 十二国記小野不由美,山田章博読み終わった感想心に残る一節再読『十二国記』シリーズは、異世界を舞台にした王と麒麟による国の統治を描く壮大なファンタジーでありながら、現代日本を生きる私たちにも通ずるような、人間ひとりひとりの生き様や心の在り方を活写したヒューマンドラマでもあり、各巻にそれぞれ胸に迫るエピソードがある。 ゆえにどの巻にも思い入れがあるのだが、個人的に心に刺さる台詞が最も多いのが『風の万里 黎明の空』上下巻だ。 本書には、祥瓊と鈴という、慶の女王となった陽子に会うことを切望する二人の少女が登場する。祥瓊は陽子に一方的な恨みを、鈴は陽子に一方的な期待をそれぞれ募らせ、やがて三者の人生は運命的な形で交錯することになる。 上巻における三人の少女の行動を見ていると、自分を哀れむのがどれほど簡単なことで、いちどその心境に陥るとそこから抜け出すのがいかに難しいか痛感させられる。 もちろん、民の暮らしは政によっても大きく左右されるので、自分ひとりの力で人生を好転させられるとは限らないが、己と闘い、己を変えようとしなければ、何も始まることはない。 陽子に面会しようと旅をする鈴が出会った少年・清秀の、「しょせん人間なんて、自分が一番、自分に甘い生き物だろ?その自分ですらさあ、好きになれないような人間を、他人に好きになってもらおうなんての、ものすげえ厚かましくない?」という台詞はとても耳が痛く、ずっと心に刻んでおきたい言葉だ。 三者三様の苦境に立たされている少女たちだが、陽子だけは己を哀れむのではなく不甲斐なく思い、そんな自分を変えようともがいている。私は彼女のようになりたい。 - 2026年9月8日
東の海神 西の滄海 十二国記小野不由美読み終わった感想心に残る一節再読私は『十二国記』の登場人物の中で延王・尚隆がいちばん好きなので、彼が主役となるこの『東の海神 西の滄海』はシリーズの中でもとりわけ魅了された巻(言わずもがな、どの巻も夢中になって読んだのだが)。 尚隆は、公務を抜け出してフラフラしているかと思えば、その実、他国の様子を偵察していたり民の暮らしぶりに目配りしていたりして、十二国随一の剣客であり、豪放磊落な武断の王でありながら、民を傷つけることを頑ななまでに厭う情の深さを持っている。そんな傑物、好きにならずにはいられない。 六太に「国が欲しいか」と問われて「欲しいな」と即答した彼はしかし、私利私欲のために王座を欲したわけではない。尚隆は、己が民から託されているからこそ権力を得られているのだということにこのうえなく自覚的で、それこそが優れた王の資質なのだという気がする。 「民は俺の身体だ。民を殺されるは身体を刳られることだ」という尚隆のような指導者ばかりなら、どれほど世界は平和になることだろう。 「俺はお前に豊かな国を渡すためだけにいるのだ」という台詞には、本当にたまらない気持ちになる。 刊行順に従って先に『月の影 影の海』を読んでいる読者は、尚隆が更夜と六太それぞれとの約束を守り、雁を500年に渡って繁栄するひとの飢えない国にしたことを知っているから、六太が目を瞑っていなければならない刻はもう過ぎたのだ——と改めて嬉しくなるのだ。 - 2026年9月7日
風の海 迷宮の岸 十二国記小野不由美読み終わった感想再読『魔性の子』で広瀬は、ひとならざる者・泰麒が還ってゆくことに激しい嫉妬心(と簡単にひと言で纏めるのも憚られるが)を抱いていたが、彼が憧れた「ここではない世界」も泰麒にとって決して安住の地だったわけではない。 特別な存在・麒麟には麒麟にしかない重圧があり、王とはまた異なる形で自国の民の暮らしを背負っている。加えて胎果であった泰麒は、自らが麒麟であるという自覚の薄いまま、王を選ぶという大任に当たらなければならないのだから尚更だ。 結局のところ、どんな立場の者でも、自分の居場所を理想の地に近付けてゆけるかどうかは自分の生き方次第なのだろう。それは残酷な事実でもあり、同時に希望でもある。 泰麒と驍宗の強い結びつきを見ていると、『白銀の墟 玄の月』の終盤で両者が再会するシーンが思い出され、思わず目が潤んでしまった。転変も、使令を持つこともできなかった泰麒が、驍宗が絡むと途轍もない力を発揮する。時を経てのあの結末は、必然だったと言えるのかもしれない。 悩み惑う泰麒に対し、不器用な優しさで寄り添う景麒のことも好きだし、泰麒のためにノリノリで悪玉を演じる尚隆も、それをやりすぎだと叱る六太も好きだ。そしてもちろん、泰麒や驍宗、李斎のことも好きなわけで、『十二国記』は本当に魅力的なキャラクターの宝庫だなと改めて思わされた。 - 2026年9月5日
魔性の子 十二国記小野不由美読み終わった感想再読私は『十二国記』の世界に『月の影 影の海』→『魔性の子』→『風の海 迷宮の岸』という順番で入ったので、今回の再読も同じ順番で読んだ。私にとってはそれがベストな順序だったと思っているが、きっと読者の数だけ正解があるのだろう。 この三作で、選ばれし者(王)の苦悩、選ばれざる者(人間)の苦悩、選ぶ者(麒麟)の苦悩、それぞれが手に取るように描かれていて、いずれにも感情移入させてくれるのが本当に見事だなと思う。 本書は高里という特別な少年の物語であると同時に、広瀬という青年——私たちと同じ、その他大勢の選ばれざる人間の物語でもある。 広瀬は過去に臨死体験をしたことから自身を「故国喪失者」であると信じており、同じく「ここではない場所」にいた経験のある高里にシンパシーを抱く。だが、結局のところ広瀬は悲しいまでに、この現実世界を生きる普通の人間にすぎない。 本が好きなひとなら、若かりし頃、物語の世界から迎えが来ることを夢想したことがあるひとも少なくないのではないだろうか。広瀬のように「自分には帰るべき場所がある」と信じていたわけではなくとも、私にもそんな夢を見ていた時期があった。 だから、広瀬のエゴがいくら醜くとも、この結末——高里と広瀬の運命の別れ方には胸を痛めてしまうのだ。『白銀の墟 玄の月』まで物語を読み終えている身としては、泰麒が帰還できたことを心から嬉しくも思うのに。 「それでも人は現実の中で生きていかなきゃならないんだ」という後藤の言葉を、いつか広瀬が飲みこめることを、自戒をこめて願わずにはいられない。 - 2026年9月3日
月の影 影の海(下) 十二国記小野不由美読み終わった感想心に残る一節再読上巻でひとに裏切られ続けて人間不信に陥っていた陽子が、善良な楽俊と出会って助けられたことで、自らを見つめ直すくだりには本当に胸を打たれる。 『十二国記』という物語には心に残る台詞・文章が豊かに散りばめられているのだが、このときの「陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切ることは何の関係もないはずだ。陽子自身が優しいことと他者が陽子に優しいことは、何の関係もないはずなのに」という言葉は、個人的にシリーズ屈指の好きな文章だ。 ひとはつい見返りを求めてしまいがちな生き物だけれど、あれだけ苛酷で理不尽な目に遭いながらも、胸を張って生きようと自分を正せる陽子はとても格好いいし、陽子にそう思わせる楽俊も凄い。 陽子が景王だと判明していちどは恭しい態度を取ろうとした楽俊の、「……おいらには三歩だ」も名台詞。陽子と楽俊の友情がシリーズを通して変わらず続いてゆくことに、何度温かなものをもらったことだろう。 延王、延麒と面会し、慶の民のために王座に就いてほしいと請われてからも、悩みに悩んでなかなか決断できないのも、陽子の好きなところだ。ただ権力を欲する者より、民の生命を背負う責任の重さに対して誠実に葛藤する者の方が、王としての器量を備えているように思う。 私は『十二国記』の登場人物の中で尚隆がいちばん好きなので、延王の初登場シーンの格好よさと破天荒さには、久々に読み返してもやはり胸が躍った。 - 2026年9月2日
月の影 影の海(上) 十二国記小野不由美読み終わった感想再読新刊『幽冥の岸』の発売に備えて再読。 前回読んだときは初読の勢いに任せて一気に下巻まで駆け抜けたのだが、改めてじっくりと読み返すと、十二国の世界へ来る前の陽子は本当に普通の少女だったのだな、といささか新鮮な気持ちになる(シリーズを後半へと読み進めてゆくにつれ、名君への道を一歩ずつ堅実に進んでいるという印象に上書きされていったので)。 親の顔色を伺い、クラス内でのいじめに積極的に加担まではせずとも、いじめられている子を助けることはしない、そんなどこにでもいる高校生。陽子を見ていると、「ひとは変わることができる」というのがこのシリーズのひとつのメッセージであるように感じる。 もちろん、麒麟が失道するとそのまま沈む王朝が多いことからも明らかなように、誰もが変わることができるわけではない。それでも、自分自身の努力と選択の積み重ね次第で、やはりひとは変わることもできるのだ。 切羽詰まった状況下とはいえ、陽子を迎えに来た景麒は言葉足らずで、訳も分からぬまま異世界に連れてこられた陽子が放り出された環境はあまりに苛酷だ。命を脅かされながらも陽子が強く抱き続けた「帰りたい」という意志。その想いこそが、やがて陽子が国から逃げるしかなかった慶の民の心情を慮り、よき王へと変わってゆく一助となったのだろう。 自身がこれだけ「帰りたい」と願った故国を喪うことと引き換えに、故国を追われた慶の民の暮らしの責任を負う王座に就く。陽子は本当に、尊敬に値するヒロインだ。 - 2026年9月2日
夜明けのはざま (ポプラ文庫)町田そのこ読み終わった感想心に残る一節【PR】 「今、何がいちばん怖いですか?」——もしそんなことを訊かれたら、私は迷わず「死」だと答える。 厳密に言うならば、「大切な家族と死に別れること」が怖いのだ。家族に先立たれることを心底恐れているし、自分が家族を置いてゆくことを想像するのも辛い。 そんな私にとって、家族葬専門の葬儀社「芥子実庵」を舞台にした連作短編集である『夜明けのはざま』という物語は、深く胸に響いた。 作中、ひとの命がローソクに喩えられる章がある。ローソクの炎が消えてしまうタイミングも、ローソクそのものの長さも、火が尽きてしまうその瞬間が来るまで誰にも分からない。 だからこそ、月並みな表現にはなってしまうが、日々をできるだけ後悔のないよう過ごすしかないのだと思う。 同じ章に、「ぼくたちはあまりにも、明日に任せすぎている」という印象深い台詞が出てくる。この言葉が本当に心に刺さった。 また、胸の奥に故人の居場所を作っておくことが、「心に椅子を置くこと」に喩えられているのにも感銘を受けた。 今日できることを明日に延ばさず、今この瞬間をよりよく生きる。 そうすることで、もし大切なひとを喪ったとしても、心の中に置いたそのひとのための椅子に、いつか本人がそっと座りに来てくれるような人間であれるかもしれない。あるいは、もし自分が愛するひとを遺して旅立ったとしても、そのひとが私のための椅子を心の中に置いておいてくれるような人間であれるかもしれない。 いつか別れが訪れることは誰にも避けられないけれど、人間は故人との記憶を受け継いでゆくことができる生き物だ。遺される側、遺してゆく側、どちらになったとしても、繋がれてゆく記憶が少しでも美しいものとなるよう、今をよりよく生きようと努めたい。 そんな大切なことを教えてくれる物語だった。今読むことができて、本当によかった。 ※ ポプラ社さんのキャンペーンで『夜明けのはざま』SNS応援メンバーに当選し、献本いただきました。 - 2026年8月31日
時計坂の家千葉史子,高楼方子読み終わった感想高楼方子さんの『十一月の扉』は昔から幾度となく読んでいる大好きな物語なのだが、この『時計坂の家』は未読だった。少女が夏休みに不思議な出来事を体験するお話だと知り、8月最後の日に読んだ。作中の季節に合わせて本書を読むのは、主人公フー子にとってのひと夏の冒険には及ばないかもしれないが、私にとっても忘れがたい体験となった。 汀館という美しい港街に位置する祖父の家で、フー子は古びた懐中時計を発見する。その時計に見入っていると、いつしか目の前の景色がぼんやりと変化し、花咲く美しい園が現れるのだ。 幻の園に対する、フー子の甘く切なく焦がれるような想い。(今ではとうに大人と呼ばれる年齢だが)私もかつては夢見がちな少女だったので、フー子の憧れには共感する。その一方で、彼女のあまりの空想力の強さが空恐ろしくもあった。 『十一月の扉』の主人公・爽子も想像力の豊かな少女だが、彼女のその力は自ら物語を綴ることに向かい、精神を健やかに育む方へと作用している(そして爽子は、そのことに自覚的ですらある)。だが、フー子は、美しいものに強く魅入られすぎる自身の性質の特別さに無自覚で、そこが危ういのだ。 幻の園に隠された恐ろしい秘密に囚われそうになったフー子を救ったのは、現実世界にできた大切な存在だった。その結末はほろ苦くもあり、一抹の温かさも孕んでいる。 - 2026年8月30日
ふしぎな木の実の料理法岡田淳読み終わった感想岡田淳さんの他の作品は昔読んだことがあるのだが、『こそあどの森の物語』シリーズは未読だった。これからは、子どもの頃に読みそびれてしまった児童文学もどんどん読んでいきたいと思っていて、ポケット版の刊行を機に本シリーズにも手を伸ばしてみることに。その結果、大好きな本がまた一冊増えた。 主人公のスキッパーは、バーバさんと二人で「こそあどの森」の「ウニマル」と呼ばれている家に住んでいる。バーバさんは現在、博物学の調査のために南の島へ出かけていて、スキッパーはひとり留守番中。ある日、バーバさんが「ポアポア」という不思議な木の実を送ってきたことをきっかけに、スキッパーはその料理法を求めて森の他の住人を訪ねて回ることになる。 ひとと喋ることが極端に苦手で、バーバさん以外との関わりを避けていたスキッパーが、徐々に他者に心を開いてゆく様に温かな気持ちになった。その姿は、雪の季節に始まった物語が、春に結ばれるのにも重なる。 トマトさん流のジャムの作り方は本当に素敵だ。森の住人たちが一堂に会してジャム入りの紅茶を飲むシーンでは、私の心にも春の幸せな風が吹き抜けたような思いがし、滅多に笑わないスキッパーが微笑むのに合わせて、私も思わず眦を下げていた。 作中、「ウニマル」を筆頭に登場人物たちの暮らす家の見取り図が挿絵になっているのにもワクワクし、楽しい読書の時間をすごすことができた。 - 2026年8月29日
ともだちは緑のにおい工藤直子,長新太読み終わった感想姉妹作『ともだちは海のにおい』は幼少期からの愛読書なのだが、本書の方はなぜか読む機会がなかった。だが、先日、星野道夫さんのアラスカの自宅の蔵書リストに2冊揃ってタイトルが並んでいるのを目にし、『ともだちは緑のにおい』も読んでみることに。そうしたら、こちらの物語もたちまち大好きになった。 『ともだちは海のにおい』に出てくるいるかとくじらは、性格も趣味も異なるものの、どこか似た雰囲気を纏っているような印象を受ける。一方、本書に登場するライオンとろばとかたつむりは、もっとバラバラな印象だ(生物の種があまりにかけ離れているからかもしれない)。 けれど彼らも、いるかとくじらのように、優しく柔らかな友情を育んでゆく。まったく異なる者同士が互いを尊重し合って親交を深めてゆく姿の、なんと尊いことか。三人が「永遠の友情」について語らうシーンには心を洗われた。 物語全体を通して、草原に吹く風の清々しさや、瑞々しい草の匂いが感じられたような気がする。 これからは、『ともだちは海のにおい』だけでなく、『ともだちは緑のにおい』も繰り返し読み返すことになるだろう。私の心の中にいるかとくじらの泳ぐ海があるように、ライオンとろばとかたつむりが遊ぶ草原もあったらいい。 - 2026年8月29日
ともだちは海のにおい工藤直子,長新太読み終わった感想再読子どもの頃から、いるかとくじらの優しい友情が大好きな物語。 今回、久々に再読して、冒頭の「海の はじまり」という詩に感銘を受けた。この詩は「ひとはみな 心のなかに 海をひとつ もっている」と始まる。ひとが流す涙がいつしか海となり、そこで泳ぐものたちが育つのだという内容だ。 つまり、このいるかとくじらの温かな物語は、私たち読者ひとりひとりの心の中で起こっている出来事なのだと捉えることもできる。やさしい目をしたくじらと、きりりとした口のいるか、この二人が私の心の中の海で仲よく泳いでいるのだと思うと、悲しいときに流す涙にも意味があるのだという気がして勇気付けられる。 活発ないるかと穏やかなくじらは、性格も好きなものも全然違うけれど、不思議なぐらい波長が合っているように見受けられる。それはきっと、二人とも思いやりの心が深くて、自分の好きなものを相手に知ってもらいたいという熱心さと、相手の好きなものを尊重する敬意がきちんと共存していて、綺麗なものを見たら共有したいという純真さがあるからだ。友情を育むうえで大切なことを、いるかとくじらは教えてくれる。 それぞれ結婚をしてからも変わらず寄り添って散歩をする二人の友情が眩しく美しくきらめいていて、何だか泣きたいような気分になるのだった。 - 2026年8月27日
エムズワース卿の受難録P.G.ウッドハウス,P.G.Wodehouse,小山太一,岩永正勝読み終わった感想再読『ブランディングズ城の夏の稲妻』があまりに面白かったので、同じくブランディングズ城ものである『エムズワース卿の受難録』を続けて読む。こちらは以前にも読んだことがあるのだが、随分前のことで細かい筋などは忘れていたので、新鮮な気持ちで楽しんだ。 綿菓子のような頭脳と称されるエムズワース卿は、長編『ブランディングズ城の夏の稲妻』ではほとんどブタのエンプレスのことしか眼中になかったが、この短編集では、城の庭園やそこで育てている南瓜を品評会で優勝させることにもご執心。 頑固で癖の強い庭師のマカリスターとしばしばやり合う(気弱なエムズワース卿がたいてい敗北するのだが、時にびしっと言って聞かせることもある)くだりは、いずれもクスッと笑える。 本書はマカリスターとのやりとりに限らず、笑いの宝庫だ。ウッドハウスのユーモアセンスは、恐ろしいほどに私の笑いのツボを突いてくる。 どの短編も秀逸だが、中でも「豚、よォほほほほーいー!」「伯爵とガールフレンド」「ブランディングズ城を襲う無法の嵐」「セールスマンの誕生」が好きだ。 そして、エムズワース卿は登場しないのだが、巻末の特別収録作品「天翔けるフレッド叔父さん」もまた面白かった。この短編の主役・破天荒なフレッド叔父さんがブランディングズ城に乗りこんでくる長編(国書刊行会から出ている『春どきのフレッド伯父さん』)があると知り、本書の読後に急いで購入。 - 2026年8月25日
ブランディングズ城の夏の稲妻P.G.ウッドハウス,森村たまき読み終わった感想ウッドハウスのブランディングズ城ものは、文春文庫から出ている短編集『エムズワース卿の受難録』を以前読んだことがあるのだが、長編を読むのはこの『ブランディングズ城の夏の稲妻』が初めて。本当に、とにかく楽しく読んだ。 頭の中は飼っているブタのことでいっぱいな、ブランディングズ城の主エムズワース卿。彼はブタと庭園だけを眺めて静かに暮らしたいのに、周囲がそうはさせてくれない。口やかましい妹のレディー・コンスタンス、コーラスガールとの身分違いの恋をどうにか認めてほしい甥のロニーなど、ブランディングズ城はいつも賑やかだ。 もつれにもつれる人間関係、最悪なタイミングで鉢合わせる人々、降り積もる誤解、身元を偽って城に乗りこむ者——笑いに満ちたコメディを存分に堪能した。 私のいちばん好きなキャラクターは、エムズワース卿の弟であるギャリー伯父さんことギャラハッド閣下だ。 若かりし頃は相当やんちゃだったらしいギャリー伯父さんは、今や英国社交界の錚々たる顔ぶれとなった知人たちとの悪ふざけの数々を綴った回想録を執筆中で、刊行された暁には上流階級の多くの人々が震えあがる羽目になるのだという。 この回想録の原稿を巡るすったもんだも、若者たちの恋模様と並ぶ本書の読みどころのひとつだ。ロニーの恋人スーを救うために回想録の出版を辞めると宣言したギャリー伯父さん、格好よかった。 続編『ブランディングズ城は荒れ模様』も刊行されていることが、心底嬉しい。本書を読み終えてすぐに買った。 - 2026年8月23日
新装版 デルフィニア戦記茅田砂胡読み終わった感想ウォルとリィの結婚式の最中に国境付近が急襲を受け、デルフィニアとタンガのあいだで戦いの火蓋が切って落とされた。そこで躍動するタウの自由民たちの凛々しいこと!アウトローな生き方を選んでいる独立不羈な人々が、このひとならと見込んだ王の下につく展開は、夢が広がる。 そして明かされる、タウという土地に隠された秘密。第I部の終盤でジルたちがウォルの窮地を救ったことが、今後のストーリー展開の伏線になるのではないかとは思っていたが、まさかこれほど壮大な展開に繋がってゆくとは。互いの利益と、忠義と、清濁併せ呑んで手を組む選択をしたウォルとタウの自由民たち双方が本当に格好よい。このことでウォルとイヴンの友情が微塵も揺るがないのも、見ていて快かった。 じゃれあう二人を眺めながら、リィが故郷に残してきた友達のことを想うのには切なくなった。どうやら向こうの方でも異世界に「落っこちた」リィのことを捜しているようで、早くリィを帰してあげたいような、いつまでもデルフィニアにいてウォルの戦友であってほしいような、複雑な気分になる。 そんなリィが、仮にも結婚相手であるウォルに向かって「おまえ、家庭を持ってから、いやに保守的になってないか?」と大真面目に言ってのけるのには、散々笑わせてもらった。 - 2026年8月22日
霧のむこうのふしぎな町 (新装版)杉田比呂美,柏葉幸子読み終わった感想言わずと知れた日本のファンタジー児童文学の名作だが、私は子どもの頃に読むタイミングを逃してしまっていた。「いつかは読んでみたい」と思い続けるうち、この夏ようやく手に取る決心をして、ページを開いたらたちまち物語の虜に。 すぐれた児童文学は、何歳になってから読もうと読者を童心に返らせて楽しませてくれる。でも、もしも叶うものなら、主人公のリナと同じ年頃だった過去の自分にもこの本を贈ってあげたい!夏休みになると、学校がないのをいいことにせっせと図書館に通いつめていた小学生の私は、さぞ喜んだことだろう。 そもそも私は、子どもが夏休みにちょっぴり非日常的な冒険を通して成長する、という物語が非常に好きだ。 本書においても、リナは夏休みに家族と離れて「霧の谷」に滞在することになる。そこは何でもござれの不思議な町。下宿することになったお屋敷のピコットばあさんに命じられ、「めちゃくちゃ通り」の風変わりな店で順に働いてゆくことになったリナは、少しずつ逞しさを身につけてゆく。 リナの心が生まれ変わった描写として、これまでは見向きもしなかった「西にしずむ太陽の色」が好きになった、というくだりが本当に素敵だ。 奇妙だが心優しい人々、魅力的な古本屋、口の悪いオウムに大人しい虎、いくら食べても太らない美味しいお菓子に、四季折々の花が同時に咲き乱れる美しい庭——心躍るものの詰め合わせのような「めちゃくちゃ通り」での生活をリナと共に堪能し、彼女が「霧の谷」を去るときには私もすっかり寂しくなっていた。 だが、最後にピコットばあさんが持たせてくれたお土産の素晴らしいこと!ハッピーエンドのファンタジーって、本当によいものだ。 - 2026年8月22日
星野道夫 アラスカスイッチ・パブリッシング,星野道夫読み終わった感想スイッチ・パブリッシングが刊行してきた『SWITCH』『Coyote』などから星野道夫さんの膨大なアーカイブを再編纂した、全560ページにも及ぶ完全保存版。雑誌のバックナンバーはなかなか手に入らないので、1冊の本として纏まった形で読むことができてありがたい。 どの記事も読み応えがあるが、中でも星野さんの蔵書リスト700冊分を見ることができたのは、それだけでこの本を購入した価値があった。自然科学に関する本だけでなく、児童書も多く、私も大好きなアーサー・ランサムの『海に出るつもりじゃなかった』を見つけて嬉しくなる。以前から気になっていた本のタイトルもあり、星野さんに背中を押してもらったような気持ちでそちらも購入した。 星野さんの数々のエッセイ、そして親交の深かった池澤夏樹さんや松家仁之さんらによる星野さんを偲ぶ文章を読んで、人間の生死について考えこまずにはいられなかった。 ひとの一生はいちどきりしかない。私はこの先どう生きていくべきなのか、星野さんが言うように好きなものへの想いを深めながら生きていけるのだろうか。なかなか答えは出ないが、考えることをやめずにいたいし、星野さんが教えてくれた大切なこと——地球上には豊かな時間が流れていて、私が日本でせかせかした生活を送っているのと同じ瞬間、アラスカの海でザトウクジラが飛び上がっているかもしれないということ——を、ずっと忘れずにいたい。
読み込み中...