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ユメ
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@yume_bookworm
紙の本と本屋さんを愛してやまない人間です。 吉田篤弘さん、辻村深月さん、三浦しをんさん、森見登美彦さん、今村翔吾さんが特に好きです。
  • 2026年7月23日
    受験生は謎解きに向かない
    受験生は謎解きに向かない
    『自由研究には向かない殺人』三部作の読者に対するファンサービスのような一冊。『自由研究には向かない殺人』の前日譚にあたり、ピップは友人であるコナーの家でいつもの仲間たちとマーダー・ミステリ・パーティーに参加する。『卒業生には向かない真実』を読み終えたあとだけに、ピップが溌剌としていること、ローレンやアントとまだ友人関係が保たれていることに、切ない気持ちになった。 架空の殺人事件の犯人当てゲームに対し、初めは乗り気でなかったピップだが、時代に推理にのめりこんでゆく姿は、三部作で描かれていた「とりつかれやすさ」の片鱗が見えてひやりともさせられるし、そんなところが愛おしくもある。 作中でのゲームの進行に伴い、プレイヤーであるピップに提示される手がかりが読者にも示されるので、ピップと一緒に推理を楽しむことができる構成となっているのが面白い。ピップが最後に披露した推理は、「法で裁かれない罪」という三部作のテーマとも重なるところが見事だし、結果としてその推理が外れた腑に落ちなさが『自由研究には向かない殺人』へのスムーズな導入となっているところも巧いと思った。
  • 2026年7月22日
    卒業生には向かない真実
    卒業生には向かない真実
    私の心の本棚には、「傑作であるし、心から読んでよかったと思うものの、辛すぎるから近い将来のうちにはとても読み返せそうにない本」を並べた一角がある。本書もその仲間入りをすることとなった。ピップとラヴィのコンビが大好きなだけに、この結末は本当に辛い。 ピップの取った行動は、倫理的に決して肯定はできない。その一方で、読者という安全圏の立場から私が彼女を否定するのも卑怯だという気がする。ピップはいちどはきちんと警察を頼った。だが、警察は動いてくれなかったのだ。三部作を通して、著者の警察や司法への不信感を強く感じたし、日本でもストーカー被害や性犯罪が軽く扱われがちな現実があることを思って暗澹たる気分になる。あとがきを読むに、どうやらイギリスでもその現実は変わらないらしい。私刑が横行しないためにも、司法が正しく機能することを切に望む。 本作では、冒頭からスタンリーの件でピップが精神的に追いつめられているのに胸が痛み、ボロボロな精神状態のまま自らに降りかかったストーカー事件を調査する彼女をハラハラと見守り、中盤からのミステリというよりクライム・サスペンスの方が相応しい急展開は泣きたいような気持ちで読んでいた。ストーリー展開も構成も本当に素晴らしかった、だが、決して見届けたかった結末ではなかった。ピップには何の曇りもなく幸せでいてほしかったから、本を閉じて、ひどく打ちのめされている。
  • 2026年7月20日
    優等生は探偵に向かない
    優等生は探偵に向かない
    前作『自由研究には向かない殺人』に引き続き、夢中になって読みふけった。シリーズ物の続編というと、単に登場人物と舞台が共通しているのに留まる場合も少なくないが、この『優等生は探偵に向かない』では、前作でピップが解き明かした事件の真相がストーリー展開のひとつの鍵となっている。その構成の見事さに唸らされた。 今作では、ピップの友人であるコナーの兄ジェイミーが失踪し、ピップはコナーから調査を依頼される。前作の事件の顚末で消耗していたピップはいちど断るものの、警察がろくに捜索をしてくれないことから引き受けた。ホーキンス警部補に対する、「こういうことをまたわたしにやらせないでください。お願いだから。もう一度やるなんて無理なんです」という懇願に胸を締めつけられる。 ポッドキャストやインスタグラム、フェイスブックといったSNSの分析に加え、フィットビットまで駆使した現代ならではの調査で推理を進めてゆく巧みな展開は変わらず面白く、徐々に明らかになってゆく事件の陰鬱さとはうらはらに、ピップとラヴィのコンビによる青春小説としての爽快さもあるので、ページを捲る手が止まらない。 スタンリーの件では、子は親を選べないということを痛切に思わされて辛くなった。遺族が彼を許せないのは分かるが、事件当時のスタンリーは齢わずか10歳で父親に支配されており、きちんと法の裁きも受けている。そんな彼がひっそりと埋葬されることを、赤の他人であるリトル・キルトンの住人たちが妨害しようとするシーンは、読んでいてやるせない。
  • 2026年7月17日
    自由研究には向かない殺人
    自由研究には向かない殺人
    とにかく面白い!たまたま遠出をした日にこの本を持ち歩いていたのだが、行きの電車で読み始めてたちまち夢中になり、出先で立ち寄った本屋さんでシリーズの続編を買い、帰りの電車と帰宅後で一気に続きを読み切った。約580ページの分厚い文庫本があっというまに感じる、素晴らしい読書時間をすごすことができた。 イギリスの小さな町リトル・キルトンに住むピップという17歳の女子高校生が、「EPQ(自由研究で得られる資格)」のテーマとして、5年前にリトル・キルトンで起きたアンディ・ベルという少女の失踪事件を調査する。アンディの行方は未だ不明なものの、彼女のボーイフレンドでのちに自殺したサル・シンによって殺害されたものと見なされていた。だが、ピップにはどうしてもサルが犯人だとは思えない理由があったのだ。ピップは関係者にインタビューを行うと同時に、彼らのSNSへの投稿も解析してゆく。その調査結果がEPQの作業記録としてまとめられているので推理の過程を追いかけやすく、ピップにとって身近な人物が次々と容疑者リストに加えられてゆく展開に、手に汗握って読みふけった。 ストーリーの面白さもさることながら、ピップという主人公の人柄が魅力的なのも、本書に没頭できた理由のひとつだ。正義感が強く、家族想いで、ちょっと研究に熱中しすぎなところもあるピップ。時に大胆な行動にハラハラさせられながらも、彼女のことを好きにならずにはいられない。サルの弟ラヴィ・シンとのコンビも爽やかで、こんなに時間を忘れさせてくれるミステリと出会えて本当によかった。
  • 2026年7月15日
    キッチン常夜灯 満月のキッシュロレーヌ
    今作の主人公は、シリウスの新入社員として池袋店に配属された高坂あかり。希望を胸に入社した彼女が、飲食業界の厳しい現実に直面してゆく姿を見て、自分が学生時代に飲食チェーンでアルバイトをしていたときのことを否応なしに思い出した。休日は朝から晩までというシフトが当たり前で拘束時間が長く、仕事そのものはやりがいがあったが体力的にきつかった。学生バイトの身であった私でもそうなのだから、社員の方々は遥かに大変そうだったことを今でも覚えている。だから、この仕事を続けているひとには尊敬の念が絶えないし、あかりが落ち込んでは立ち直ることを繰り返すのを心から応援しながら読んだ。 シリウス池袋店といえば、前作の主人公だったいつきが店長を務めている店舗だ。いつきが優しくあかりを導く姿を見て、彼女もまた色々思い悩んでいたことを知っているだけに、そのいい先輩ぶりに胸が温まった。かなめやつぐみも登場するのも嬉しい(みもざにもまた会えたらいいな)。キッチン常夜灯での彼女たちとの交流が、あかりに変化をもたらしてゆくのがよい。 キッチン常夜灯でシェフが振る舞ってくれる料理の数々は、今回も実に美味しそうだ。中でも、ホワイトアスパラのビスマルク風、ステークアッシェ、ムール貝のシードル蒸しに惹かれる。私も疲れた夜に常夜灯に立ち寄れたらな、と夢見ずにはいられない。常連客の「美味いものを食べなきゃ、人生なんてつまらないからなぁ」という台詞が印象に残った。
  • 2026年7月13日
    菜の花食堂のささやかな事件簿 かぶと終活(7巻)
    シリーズももう7作目。著者の碧野圭さんのことは『書店ガール』で知ったのだが、あのシリーズに巻数が並んだのだと思うと何だか感慨深い。 美味しいごはん×日常の謎ミステリという私が好きな組み合わせの本シリーズ、基本的にはほっこりする読み心地なのだが、事件の真相は時にほろ苦いこともある。今作では特に、「トマトは嘘を吐く」の犯人の思惑にぞっとした。そんなとき、探偵役の靖子先生の温かく思慮深い人柄が、苦さを緩和してくれているように感じる。ミステリにおいて、解き明かされた真実をどう受け止めるかは、探偵の人となりに少なからず左右されるのかもしれないな、と思った。 菜の花食堂で開催される、毎回ひとつの野菜をテーマとして取り上げ、その野菜の様々な調理法を紹介してくれる料理教室は、料理のレパートリーがパターン化しがちな私にとって参考になっている。ちょうど夏に読んだので、トマト尽くしのメニューにとりわけ惹かれた。トマトとかぶを使ったおでんと、ミニトマトを入れた炊き込みご飯は真似してみたい。
  • 2026年7月12日
    大どろぼうホッツェンプロッツふたたびあらわる改訂
    大どろぼうホッツェンプロッツふたたびあらわる改訂
    『大どろぼうホッツェンプロッツ』は実家にあったため子どもの頃に何度も読んでいたのだが、続編があったことはちっとも知らなかった。先日立ち寄った本屋さんの児童書フロアに3冊並べて平積みされていたおかげで、この『大どろぼうホッツェンプロッツふたたびあらわる』そして『大どろぼうホッツェンプロッツ三たびあらわる』とも出会うことができた(やはり、本屋さんでの偶然の出会いはよいものだ)。 叶うものなら昔の自分にも本書の存在を教えてあげたいが、すぐれた児童文学がおしなべてそうであるように、この物語もまた、大人になってからでも十二分に楽しむことができる。留置場を脱走したホッツェンプロッツと、再び彼を追うカスパールとゼッペルの対決は、変装あり、知恵比べあり、水晶占いあり、消防車での疾走ありと、ワクワクする展開の連続だ。 前作ではあまりいいところがなかった巡査部長のディンペルモーザー氏が、今作ではちゃんと活躍するのもいい(相変わらず抜けたところもあるけれど)。ホッツェンプロッツは子ども相手にも情け容赦ない悪党だが、食い意地が張っているところ(しかも、今作ではそれが捕まる一因とも言えるところ)はちょっぴり可愛げがある。 焼きソーセージとザワークラウトで締められる大団円もよかった。
  • 2026年7月12日
    三十路の逆立ち
    三十路の逆立ち
    くどうれいんさんのエッセイは、いつだって表情豊かだ。喜怒哀楽、なんて言葉で括ってしまうのがもったいないと思うほど、くどうさんの文章は様々な顔を見せてくれる。くるくると移り変わるその表情に、私はいつも惹きつけられている。 くどうさんが綴る言葉たちは、時に優しくまろやかで、時に鋭く棘々しく、つまりは人間味に溢れている。読んでいてはっとさせられるたび、このエッセイを書くのにどれほどの勇気や覚悟がいるのだろう、と思う。ページを捲るたびに確かな生活の手触りが伝わってくる、そんなところもまた好きだ。 「三十路の旅立ち」という表題作を筆頭に、「ポストのひこばえ」「とんぼの看取り」「しあわせは乾燥」「すももは立って」など、いったいどんな話なのかと想像を掻き立てられるタイトルが並んでいるのもいい。 仕事で訪れた久留米での素敵な喫茶店との出会いを記した「ばんぢろのこと」が特によかった。(これが正解です)ではなくて(これがひとつの正解です)と言われているような味のコーヒー、私も飲んでみたい。くどうさんはとても美味しそうに食事をされることが文章から伝わってくるから、読んでいてその食べっぷり・飲みっぷりが気持ちいい。
  • 2026年7月11日
    プレゼント
    プレゼント
    豪華な執筆陣による、「夏」をテーマにしたアンソロジー。少し不思議な話、背中がさあっと冷たくなるような怖い話、甘酸っぱい恋の話。夏のどこか刹那的な空気を切り取った短編たちは、作家さんごとに読み味ががらりと変わって、これぞアンソロジーの醍醐味、と思う。様々な夏の欠片をプレゼントしてもらった気分だ。 私がいちばん好きだったのは、町田そのこさんの「きっとあの日の光と同じ」。『コンビニ兄弟 テンダネス門司港こがね村店』シリーズのスピンオフということで、読む前から楽しみにしていたのだが、期待以上によかった。 自覚した瞬間に叶わないと悟る初恋の切なさ、長年かけて結ばれる純愛の美しさ、そして変化を乗り越えて続く友情の尊さ。素敵な描写が物語の中に溢れている。最初、下の名前だけでは「彼」が「彼」だと気付けないまま読んでいたので、舞台が現代へと移ったときに誰だか理解したら、物語への愛おしさが増した。線香花火の小さな光とパチパチ弾ける音が恋しくなる、そんなお話だった。
  • 2026年7月7日
    ツバメ号とアマゾン号 下
    ツバメ号とアマゾン号 下
    アマゾン海賊ことナンシイとペギイの姉妹が冒険に加わり、子どもたちの夏休みの輝きはいっそう増す。どちらが相手の船を先に分捕れるかの戦いに、ウの島での宝探し、サメ釣り。ツバメ号とアマゾン号の乗組員たちの豊かな想像力によって、お茶やレモネードがラム酒に、コンビーフがペミカンに、カワカマスがサメへと変わるのに心が躍る。こうしたキャンプでのごちそう、中でもバターで焼いたカワカマスの美味しそうなこと!子どもの頃、本書で描かれる光景に抱いた憧憬が、色褪せることなくよみがえり、幸福な夏の読書時間をすごすことができた。 船長フリントに泥棒の疑いをかけられたのち、疑いが晴れて謝罪を受け入れるのに至るまでのジョンの態度は本当に立派だし、その胸中で少年らしく揺れ動く感情の描写からは、作者のアーサー・ランサムもまた、自分がかつて子どもだったことを生涯忘れないひとだったのだろうということが伝わってくる。 そして、ジョンへの仕打ちこそひどかったものの、自らの誤ちに気付いてからはうんと歳下の少年相手に率直に謝り(それができない大人は決して少なくない)、子どもたちのよき仲間となり、『宝島』の海賊にちなんで「船長フリント」と呼ばれることを大らかに受け入れ、湖上のハウスボートで子どもたちと「決戦」を繰り広げたのちに渡り板を歩いて湖に落ちてくれる——そんなナンシイとペギイのおじさんもまた、素敵な大人だと思うのだ。
  • 2026年7月6日
    ツバメ号とアマゾン号 上
    ツバメ号とアマゾン号 上
    何度読み返しても、子どもたちの夏の冒険が放つきらめきに魅了される。 『宝島』や『ロビンソン・クルーソー』といった冒険小説に憧れるウォーカー家の四きょうだいが、自分たちを探検家に見立てて遊ぶ——これだけでも素敵なあらすじだが、何と言ってもこの物語が特別なのは、彼らが実際にツバメ号という帆船を操り、子どもたちだけで湖の無人島でキャンプをしてすごすという点にある。単なる空想ごっこに留まらない、本物の冒険。その眩しさこそが、初めて読んだ小学生のときに本書に強く惹かれ、今もずっと愛読書であり続けている理由なのだと思う。 今回の再読では、そんな子どもたちを支えるウォーカー家のおかあさんの素晴らしさもしみじみと感じた。帆船のタッキングを真似てジグザグに走ってくるロジャを、辛抱強く待つおかあさん。ヤマネコ島にひとり残っているティティから「こんにちは、フライデイ。」と呼びかけられ、すぐさま「こんにちは、ロビンソン・クルーソー」と返すおかあさん。子どもたちの空想に臨機応変に対応してくれる、優しくてチャーミングで、自分がかつて子どもだったことを決して忘れないこのおかあさんが、私はとても好きである。 そして、この巻には直接登場しないが、子どもたちだけでのキャンプを許可する電報として、「オボレロノロマハノロマデナケレバオボレナイ」という文面を送ってくるおとうさんもまた素敵だ。子どもたちを信頼して温かく見守ってくれる両親がいるからこそ、四きょうだいの冒険は成り立つのである。
  • 2026年7月4日
    たぶん、恋しい
    収録されている6つの短編のシチュエーションは、どれも少し奇妙、と言えるかもしれない。合コンで出会った彼女が飼っている、架空の愛猫。長年の単身赴任から帰ってきた定年を控える夫の、整形疑惑。施設で暮らす大叔母の、ある日突然止まらなくなった口笛。本書に詰まっている光景は、私が見たことがないものばかりで、それにもかかわらず、「こういうときにはこういう感情になるのか」と登場人物の心理がすとんと腑に落ちるのだ。 一穂ミチさんは、名前のつかないような心の機微を掬い上げて描写するのが本当に巧く、読んでいると主人公たちの感情を直接胸の中に流し込まれたような感覚がして、心が震える。形容しがたいそれらの想いを敢えてひと言で表すと、「たぶん、恋しい」ということになるのかもしれない。 短いお話の中に、あっと驚く展開が何度も仕込まれている構成も見事。「すげえ泣くじゃん」と「たぶんそんな感じ」がとりわけ好きだった。
  • 2026年7月3日
    成瀬は信じた道をいく
    昨年の7月に前作『成瀬は天下を取りにいく』を読んで、主人公・成瀬あかりが自らの意志を貫き通す姿に勇気をもらったのだが、ちょうど一年後にまた成瀬の信念の強さに励まされた。それに、成瀬が自分の決めた道を邁進する物語が爽快で、純粋に読んでいて元気になれるのだ。 今作の語り手となるのは、成瀬が組んでいるお笑いコンビ「ゼゼカラ」の熱烈なファンである小学生・北川みらい、成瀬の父・成瀬慶彦、成瀬がバイトをするフレンドマートに日々クレームを入れている呉間言実、成瀬と共にびわ湖大津観光大使に選ばれた大学生・篠原かれん、そして成瀬の相棒である島崎みゆきだ。様々な視点から見た成瀬の姿に、ますます彼女のことが好きになったし、成瀬の人生と交わったことによって語り手たちの人生が多少なりと変化するのにも胸が温かくなった。 成瀬は本当にぶれないひとだから、彼女と関わると自分自身を見つめ直す機会になるのかもしれない。そんな成瀬が、島崎と離れることだけは不安だというのも、二人の強い信頼関係がうかがえてよかった。 それにしても、京都大学に合格し、びわ湖大津観光大使となり、紅白歌合戦にも出場と、着実に自分の力で夢を叶えてゆく成瀬はとにかく凄い。成瀬なら本当に200歳まで生きられるんじゃないかと思えてくる。
  • 2026年7月2日
    ふつうの人が小説家として生活していくには
    島田潤一郎さんの丁寧なインタビューによって引き出される、津村記久子さんの実直な言葉の数々が胸を打つ。 小説家に限らず、クリエイティブな職種のひとは、自身の非凡なセンスや才能、ひらめきといったものを武器に仕事をされているという印象があった(あまりに雑なイメージかもしれないが)。だが、津村さんは、ご本人の言葉を借りるなら「オープンソース」で仕事をしている。好きなものを徹底的に掘り下げ、自身が経験したことを膨らませてゆくことで小説を書き、日々の執筆のルーティンをきちんと守り、キッチンタイマーを駆使したポモドーロテクニックに何よりの信頼を置く。その堅実さがあの作風に繋がっているのだなと腑に落ちたし、本書のタイトルから引用するなら「ふつうの人」だからこそ響く言葉がたくさんあった。自分と別世界ではなく、地続きの場所から言葉が届いてくるのだ。 「ケチはだめですね。ケチはつまらんと思います。世の中でウケてるかウケてないかとか、他人がどう思ってるかとか、どれだけ自分の気持ちを接待してくれそうかでコンテンツを選ぶ人っていうのは絶対につまらん。つまらんし、そんな人が自分の人生つまらんって言っててもなんも同情しいひん。私は不幸やとかって言ってても、なんも同情しいひん。それは感情的にケチやからやろって思う」という答えがとりわけ胸に刺さった。私が自分の人生に退屈したことがないのは、昔からずっと読書が好きで物語を追いかけてきたおかげかもしれないと思う一方、自分の好きそうな本ばかり選んで読んでいる傾向もあるので、感情的にケチにならないようにしなければと身につまされた。
  • 2026年6月30日
    本屋さんのある街で
    本屋さんのある街で
    本屋さんが大好きな私にとって、たまらないアンソロジーだった。どの短編も、作家さんの本や書店への愛が感じられる。 中でも、三浦しをんさんの「見晴らし書店の一日」が胸に響いた。しをんさんの『まほろ駅前多田便利軒』シリーズを愛読しているので、あのまほろ市が舞台だというだけで笑顔になる。昔ながらの街の本屋さんの、一日の業務の流れが分かるのも興味深かったし、「見晴らし書店」の書店としての凜とした矜恃のようなものがとても格好よくて、自分の住む街にこんな本屋さんがあったら嬉しいだろうなと思った。 「見晴らし書店」は、あからさまに差別心を煽るような本は置かない方針で、その理由というのが「ひとの心の見晴らしをよくするのが、本屋の務め」だから——なんと心強いのだろう。作品が必ずしも作者の思想をそのまま反映しているとは限らないけれど、好きな作家さんがこういう在り方の本屋さんを書いてくれたということにも励まされる思いがした。「見晴らし書店」が街のセーフティーネットとなっている様にも心温まる。 「見晴らし書店の一日」を含め、本屋さんがひとびとの居場所となっているところを描いた短編が多かった中で、一穂ミチさんの「歌うように生きて」は異色の内容。思いもよらぬ展開に度肝を抜かれ、こうして自由に本が読めるのは当たり前のことではないなと考えさせられた。
  • 2026年6月29日
    Another side of 辻村深月
    『ファイア・ドーム』に辻村作品への熱を改めて掻き立てられ、ずっと読むのを楽しみにしていた本書に、今こそ、と手を伸ばした。全作品解説インタビューに、各界で活躍するクリエイターたちとの対談、作家仲間からの100問100答など、ファンにはたまらない充実した内容のガイドブック。辻村さんのことをますます好きになる、そんな一冊だった。 辻村さんは本当に、愛と情熱のひとだ。いつも高らかに真心を込めてエンターテインメントへの愛を語ってくれるその姿勢に、私は全幅の信頼を寄せている。エンターテインメントはひとを救うし、ひとを生かす。辻村さんはそのことをよく知っている。 本書には豪華な作家陣によるエッセイも収録されている。中でも一穂ミチさんのエッセイがとてもよかった。私は一穂さんのはっとさせられるような文章表現の虜でもあるのだが、一穂さんが辻村さんの作品を「夜空のてっぺんで輝く大満月」「鋭い爪痕のような三日月」「淡い傘をまとってぼうっと明るむ幻想的な朧月」「明け方、薄い水色の空にうっすら浮かぶ透明な月」「膨らんでいく未来にわくわくするレモン型の月」「水面にきらめく幻の月」に分類した比喩の美しさに感動した。天体になぞらえられる辻村作品の魅力に、きっと私はこの先もずっと夢中なのだろう。
  • 2026年6月21日
    とりあえずウミガメのスープを仕込もう。
    宮下奈都さんの書くエッセイが好きだ。綴られているのは何気ない日常で、でも読んでいると不思議なぐらいそこにある家族の生活が尊く、愛おしく感じられる。本を閉じる頃にはいつも、自然と宮下家のひとびとの幸せを願ってしまう。一読者にすぎない私が遠く離れた地で暮らす顔も知らない著者一家の幸福を祈ることが、はたして私自身に何をもたらしているのか、うまく言語化することは難しい。だが、それが善きものであることだけは確かで、胸が温かくなるのだった。 当たり前のようだが、日々生きていれば様々な煩わしいことが起こる。胸中穏やかではいられないときだってある。それでも、そうした喜怒哀楽のすべてをきちんと受け止めたうえで、宮下さんは家族との暮らしに優しい眼差しを向けている。だから、宮下さんのエッセイを読むとほっこりした気持ちになれるのだろう。 食べることは生きることそのものだからこそ、食をテーマにしたエッセイ集である本書からは家族の生活がいっそうくっきり浮かび上がってくるように感じられた。「あの味が好きだった、と思い出すしあわせな記憶の上に、毎年少しずつ改良したおいしさを重ねていけるのが家族の楽しさだと思う」という文章が好きで、この一文が宮下さんの幸せな家族観を象徴しているような気がする。幸せな生活というのは何も常にキラキラしているわけではなく、むしろ地味だったり、時に刺々していたりする、それらをすべてひっくるめて愛することなのだと教わった。
  • 2026年6月16日
    空への助走 福蜂工業高校運動部
    やはり壁井ユカコさんは、スポーツがもたらす青春の光と影を書くのが抜群に上手いなと感じ入る。 『2.43 清陰高校男子バレー部』シリーズで、主人公たちと同県のライバルとして立ちはだかる福蜂工業高校。その福蜂の運動部に所属する者たちを主にクローズアップしたのが、この『空への助走』という短編集である。 『2.43』のファンである私としては、やはり男子バレー部が登場する「強者の同盟」「桜のエール」そして「三村統の不信頼」に心を奪われた。三村統というひとのカリスマ性を想う。チームメイトの高杉や、盟友・越智の弟である高臣が沈んでいたときに短い言葉で彼らを鼓舞するその姿に、思わず「格好いい」と口に出しそうになった。嫌味なく頂点に君臨する王者。高杉の「おまえと一緒にいる場所では、みんなかっこつけたいんや。一番かっけぇ自分として三村統のチームに属したい」という台詞がよく似合う。 その三村統と越智の絆の原点とも言えるエピソードまで読むことができて、胸が熱くなると同時に、今後『2.43』の代表決定戦編を読み返すのがますます苦しくなりそうだなと思う。壁井さんはいつも、ライバル校の選手たちまで余さず魅力的に描くから、どのチームにも勝ってほしいと願ってしまって、でもそれは絶対に叶わないのだ。本書を読んでいっそう募った福蜂への思い入れを抱いたまま、『2.43』を再読してユニチカに会いに行こう。きっとまた二人にも魅了され直して、清陰も福蜂も応援してしまう、苦しくも至福に満ちた読書時間をすごせるだろうから。
  • 2026年6月10日
    少女小説家は死なない!
    少女小説家は死なない!
    ひょんなきっかけで少女小説家の火村彩子に部屋に転がりこまれ、大学生の朝倉米子がはちゃめちゃに振り回される日々を描いたコメディ。 彩子センセというひとがとにかく暴君で、米子のことを気の毒に思いつつも、あまりの傍若無人ぶりに何度も笑ってしまった。彩子センセは口を開くたびに暴言を放つと言っても過言ではないぐらいなのだが、私がとりわけ気に入っている台詞は「あんたもあたしに心酔してる弟子なら、ライバル小説家の家に忍び込んで、原稿盗んでくるくらいの執念をもたなきゃだめじゃないの」である。 このライバルたちも揃って曲者なのだが、彩子センセも含め、皆お世辞にも小説が上手いとは言いがたい。上手いひと(=氷室冴子さん)が書く、様々な文体の下手なひとたちの原稿ときたら、これはもう笑うしかない。 奇人変人ばかりの少女小説家たちがライバルを蹴落とすべく繰り広げた修羅場ののち、『少女小説家は死なない!』というタイトルの意味が明かされるオチが実によい。そして、そのラストシーンから著者あとがき、久美沙織さんによる解説という流れがある種完璧とも言える美しさ。すぐれた少女小説家は本当に、いつまでも生き続けるのかもしれない。こうしてこの物語が復刊され、刊行当時を知らない私のような読者に届いたように。
  • 2026年6月9日
    ファイア・ドーム(下)
    息を呑むシーンで終わった上巻から下巻へ突入すると、ページを繰る手がさらに加速した。 私は普段は文庫本しか持ち歩かないことにしているのだが、今回ばかりは分厚い単行本を持ち運んでせっせと読んだ。それぐらい、『ファイア・ドーム』から離れる時間が惜しかったのだ。折悪しく泊まりで家を空けなければならない用事が入っていたため、最後はホテルで寝る間を惜しんで読みふけった。慣れない場所であることと、壮大な物語を読み終えた感慨が相まって、ずいぶん遠くまで来たな——という不思議な心地がしたことを鮮明に覚えている。卓上灯だけを点けたホテルの客室の薄暗さとは対照的に、ラストシーンの光が晴れやかだった。 辛く苦しい展開が続き、人間の無邪気な愚かさに辟易とさせられた(それはもちろん、書き手の描写が巧いからに他ならない)上巻に対し、下巻では救済が待っている。改めて、辻村深月という作家と同時代に生まれることができてよかったと思わされる骨太なストーリーだった。 作中とりわけ印象的だったのは、新沼忠治が二つの事件の犯人にそれぞれ投げかけた台詞だ。彼は、娘を殺害した獄中の犯人に対して「病気なんかで、死ねると思うな」と苛烈な言葉をぶつける一方で、孫を誘拐した犯人と遭遇した際には「ありがとう、あんたは殺さないでいてくれた!」と感謝さえ伝える。この対照的な台詞に、25年前の事件が遺族に与え続けた重みと、それを書き切った辻村さんの凄味を見た。後者の台詞は、犯人にかける言葉としては一見奇妙にさえ思えるが、二度と戻らない娘の命の重み、無事に帰ってきた孫の未来の尊さ、双方を端的に表しているように感じる。こんな台詞が書けるなんて本当に凄い、と感嘆した。
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