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ユメ
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@yume_bookworm
紙の本と本屋さんを愛してやまない人間です。 吉田篤弘さん、辻村深月さん、三浦しをんさん、森見登美彦さん、今村翔吾さんが特に好きです。
  • 2026年9月2日
    夜明けのはざま (ポプラ文庫)
    【PR】 「今、何がいちばん怖いですか?」——もしそんなことを訊かれたら、私は迷わず「死」だと答える。 厳密に言うならば、「大切な家族と死に別れること」が怖いのだ。家族に先立たれることを心底恐れているし、自分が家族を置いてゆくことを想像するのも辛い。 そんな私にとって、家族葬専門の葬儀社「芥子実庵」を舞台にした連作短編集である『夜明けのはざま』という物語は、深く胸に響いた。 作中、ひとの命がローソクに喩えられる章がある。ローソクの炎が消えてしまうタイミングも、ローソクそのものの長さも、火が尽きてしまうその瞬間が来るまで誰にも分からない。 だからこそ、月並みな表現にはなってしまうが、日々をできるだけ後悔のないよう過ごすしかないのだと思う。 同じ章に、「ぼくたちはあまりにも、明日に任せすぎている」という印象深い台詞が出てくる。この言葉が本当に心に刺さった。 また、胸の奥に故人の居場所を作っておくことが、「心に椅子を置くこと」に喩えられているのにも感銘を受けた。 今日できることを明日に延ばさず、今この瞬間をよりよく生きる。 そうすることで、もし大切なひとを喪ったとしても、心の中に置いたそのひとのための椅子に、いつか本人がそっと座りに来てくれるような人間であれるかもしれない。あるいは、もし自分が愛するひとを遺して旅立ったとしても、そのひとが私のための椅子を心の中に置いておいてくれるような人間であれるかもしれない。 いつか別れが訪れることは誰にも避けられないけれど、人間は故人との記憶を受け継いでゆくことができる生き物だ。遺される側、遺してゆく側、どちらになったとしても、繋がれてゆく記憶が少しでも美しいものとなるよう、今をよりよく生きようと努めたい。 そんな大切なことを教えてくれる物語だった。今読むことができて、本当によかった。 ※ ポプラ社さんのキャンペーンで『夜明けのはざま』SNS応援メンバーに当選し、献本いただきました。
  • 2026年8月23日
    新装版 デルフィニア戦記
    ウォルとリィの結婚式の最中に国境付近が急襲を受け、デルフィニアとタンガのあいだで戦いの火蓋が切って落とされた。そこで躍動するタウの自由民たちの凛々しいこと!アウトローな生き方を選んでいる独立不羈な人々が、このひとならと見込んだ王の下につく展開は、夢が広がる。 そして明かされる、タウという土地に隠された秘密。第I部の終盤でジルたちがウォルの窮地を救ったことが、今後のストーリー展開の伏線になるのではないかとは思っていたが、まさかこれほど壮大な展開に繋がってゆくとは。互いの利益と、忠義と、清濁併せ呑んで手を組む選択をしたウォルとタウの自由民たち双方が本当に格好よい。このことでウォルとイヴンの友情が微塵も揺るがないのも、見ていて快かった。 じゃれあう二人を眺めながら、リィが故郷に残してきた友達のことを想うのには切なくなった。どうやら向こうの方でも異世界に「落っこちた」リィのことを捜しているようで、早くリィを帰してあげたいような、いつまでもデルフィニアにいてウォルの戦友であってほしいような、複雑な気分になる。 そんなリィが、仮にも結婚相手であるウォルに向かって「おまえ、家庭を持ってから、いやに保守的になってないか?」と大真面目に言ってのけるのには、散々笑わせてもらった。
  • 2026年8月22日
    霧のむこうのふしぎな町 (新装版)
    言わずと知れた日本のファンタジー児童文学の名作だが、私は子どもの頃に読むタイミングを逃してしまっていた。「いつかは読んでみたい」と思い続けるうち、この夏ようやく手に取る決心をして、ページを開いたらたちまち物語の虜に。 すぐれた児童文学は、何歳になってから読もうと読者を童心に返らせて楽しませてくれる。でも、もしも叶うものなら、主人公のリナと同じ年頃だった過去の自分にもこの本を贈ってあげたい!夏休みになると、学校がないのをいいことにせっせと図書館に通いつめていた小学生の私は、さぞ喜んだことだろう。 そもそも私は、子どもが夏休みにちょっぴり非日常的な冒険を通して成長する、という物語が非常に好きだ。 本書においても、リナは夏休みに家族と離れて「霧の谷」に滞在することになる。そこは何でもござれの不思議な町。下宿することになったお屋敷のピコットばあさんに命じられ、「めちゃくちゃ通り」の風変わりな店で順に働いてゆくことになったリナは、少しずつ逞しさを身につけてゆく。 リナの心が生まれ変わった描写として、これまでは見向きもしなかった「西にしずむ太陽の色」が好きになった、というくだりが本当に素敵だ。 奇妙だが心優しい人々、魅力的な古本屋、口の悪いオウムに大人しい虎、いくら食べても太らない美味しいお菓子に、四季折々の花が同時に咲き乱れる美しい庭——心躍るものの詰め合わせのような「めちゃくちゃ通り」での生活をリナと共に堪能し、彼女が「霧の谷」を去るときには私もすっかり寂しくなっていた。 だが、最後にピコットばあさんが持たせてくれたお土産の素晴らしいこと!ハッピーエンドのファンタジーって、本当によいものだ。
  • 2026年8月22日
    星野道夫 アラスカ
    星野道夫 アラスカ
    スイッチ・パブリッシングが刊行してきた『SWITCH』『Coyote』などから星野道夫さんの膨大なアーカイブを再編纂した、全560ページにも及ぶ完全保存版。雑誌のバックナンバーはなかなか手に入らないので、1冊の本として纏まった形で読むことができてありがたい。 どの記事も読み応えがあるが、中でも星野さんの蔵書リスト700冊分を見ることができたのは、それだけでこの本を購入した価値があった。自然科学に関する本だけでなく、児童書も多く、私も大好きなアーサー・ランサムの『海に出るつもりじゃなかった』を見つけて嬉しくなる。以前から気になっていた本のタイトルもあり、星野さんに背中を押してもらったような気持ちでそちらも購入した。 星野さんの数々のエッセイ、そして親交の深かった池澤夏樹さんや松家仁之さんらによる星野さんを偲ぶ文章を読んで、人間の生死について考えこまずにはいられなかった。 ひとの一生はいちどきりしかない。私はこの先どう生きていくべきなのか、星野さんが言うように好きなものへの想いを深めながら生きていけるのだろうか。なかなか答えは出ないが、考えることをやめずにいたいし、星野さんが教えてくれた大切なこと——地球上には豊かな時間が流れていて、私が日本でせかせかした生活を送っているのと同じ瞬間、アラスカの海でザトウクジラが飛び上がっているかもしれないということ——を、ずっと忘れずにいたい。
  • 2026年8月20日
    八月の御所グラウンド
    京都の街を舞台に不思議な出来事が起こるというストーリーは万城目学さんらしいが、例えば『鴨川ホルモー』や『鹿男あをによし』といった過去の作品とは毛色が異なる。 主人公たちがパスタやケーキを食べに入る「セカンドハウス」は、私も京都ですごした大学時代に訪れたことがあり(彼らとは別店舗なのだけれど)、懐かしいな——などと呑気なことを考えながら読み進めていたら、がつんと殴られたような衝撃を受けた。 沢村栄治が第二次世界大戦時に徴兵され、軍で手榴弾を投げさせられたせいで肩を壊したこと、いちどはプロ野球に復帰するも二度目の徴兵で戦没したことは知っていたのだが、改めて物語を通してその事実を突きつけられると、あまりの惨さに言葉を失う。どれほど野球がしたかったことだろうか。 我が国は二度と戦争を繰り返してはならないと強く思わされたし、今も身勝手な指導者たちによって世界各地で争いが起きていることを深く憂う。 本を閉じたあと、好きなアイドルの新曲を聴いていたら、「きっと私の明日は素晴らしい」という歌詞に涙が出そうになった。戦火によって奪われた、無数の「明日」があった。平和な時代に生まれることができた私は、「明日」が少しでもよいものになるよう、懸命に生きていかねばならない。 送り火の日はすぎてしまったが、8月にこの本を読むことができてよかった。
  • 2026年8月19日
    新装版 デルフィニア戦記
    ウォルの愛妾になることを希望する女性が現れたかと思えば、リィに隣国タンガの王子との縁談が持ちこまれ、コーラル城は大混乱。事態を打破すべく、ウォルはリィに結婚を申しこむという力技に打って出る。まったく、この二人はいつだって型破りで面白い。 このシリーズは軽妙な台詞回しも魅力のひとつだが、ウォルの「タンガの次期国王を袖にしようというのだ。滅多なものでは逆効果にしかならん。俺が言うのも何だが、デルフィニア国王ならば申し分ない当て馬だぞ」という言葉には笑った。 恋愛感情があっての結婚ではないが、ウォルは心からリィのことを同盟者として大切にしている。そのことが伝わってきて、胸が温かくなった。 ひとならざるリィの正体の一端を知ったウォルはリィに対して恐怖を抱くが、それでもリィと共に生きることを選ぶ。リィがウォルの優しさに涙しそうになったとき、私も二人の絆の在り方に感銘を受けた。相手のすべてを受け容れることができなくとも、お互いを尊重し合って手を取り合うことはできるのだ、と希望をもらった。 結婚の誓いの言葉も、ウォルとリィらしくてとてもよかった。それにしても、盛大な結婚式の最中にタンガからの急襲の報せを受け、婚礼衣装のまま騎乗して戦場に駆けつけてゆく国王と王妃、痛快だなあ! 第Ⅲ部以降の刊行も本当に楽しみだ。
  • 2026年8月18日
    新装版 デルフィニア戦記
    ウォルは、リィとはまた違った意味で不思議なひとだ、と思う。 おひとよしかと思いきや、いざ国を守るためとなれば、従弟のバルロに対してでも「“王命に背いて”マグダネル卿を討ち取れ」という命を下せる冷徹さもあり、その密命を叶えたバルロを大勢の前で叱責するという腹芸もできる。それでいて、北の塔に入れたバルロとナシアスの元へ忍んで行って、心から謝罪と礼を伝えるという誠実さもある。 偉大な王としての器量と、ひとりの青年としての純朴さ、その双方を奇跡的なバランスで兼ね備えているから、私はウォルが好きだ。 この『デルフィニア戦記』シリーズを読み始めたのは、Twitterで「『十二国記』の尚隆が好きなひとに勧めたい」という趣旨の投稿を見かけたのがきっかけだったのだが、まさしく『十二国記』では尚隆がいちばん好きな私はウォルの人柄に惹かれて『デルフィニア戦記』に夢中になっているので(リィもイヴンもバルロもナシアスもドラ将軍もシャーミアンも、皆好きなわけだが)、投稿主には本当に感謝したい。 リィの元へ刺客としてシェラを送りこんだ組織の構造は思った以上に複雑なようで、デルフィニアにタンガやパラスト以外からも魔の手が伸びているようなのが気がかりなところ。ウォルとリィが揃っている限りはきっと大丈夫だと信じているけれど、リィがいったいいつまでデルフィニアにいられるか分からないのが少し不安ではある。
  • 2026年8月17日
    新装版 デルフィニア戦記
    第II部も第I部に負けず劣らず面白く、あっというまに3冊続けて読み切ってしまった。 デルフィニア王女となったリィだが、自由奔放なところも口の悪さも茶目っ気も、何ひとつとして変わっていなくて安心する。立場や権力に目が眩んでひととなりが豹変してしまう者というのもいるから、異世界から来たという特殊な身の上とはいえ、そうしたものに執着せず、むしろ堅苦しいことを嫌うリィが好ましい。 しかし、リィのそうした心根を知らない者の中には降って湧いたような王女という存在を疎む人間もいるようで、シェラという刺客が侍女としてリィの元に差し向けられる。まったく暗殺の成功する気配がないどころか、シェラの正体と殺意を見抜いてなお自分の傍らに置けるリィの肝の太さは凄い。 ますますリィがいったい何者なのかということが気になるし、シェラの所属する組織を操っているのが誰なのかということも知りたいところだ。 魔法街という不思議な場所も登場し、ファンタジー要素が第I部より濃くなってきたようにも感じられる。シリーズは外伝を除いて18巻あるとのことで、あれだけ心を鷲掴みにされた第I部が物語の序章であるということがつくづく恐ろしいし、今後の楽しみを想って胸が躍る。
  • 2026年8月16日
    余命一週間の探偵として
    余命一週間の探偵として
    『自由研究には向かない殺人』三部作に与えられた衝撃が忘れがたいホリー・ジャクソンの書く、「自分を殺した犯人を捜す」ミステリだなんて、読まないわけにはいかなかった。 主人公のジェットはハロウィーンの夜に何者かに後頭部を殴打され、余命一週間と診断される。残された一週間で、彼女は自分を「殺した」犯人を見つけ出してみせると誓う——この設定の妙に、心底感嘆させられる。 かなり無茶な行動もしながら推理を続けるジェットにハラハラさせられ、親友ビリーとの名コンビぶりには『自由研究には向かない殺人』のピップとラヴィが想い起こされて、ちょっぴり切なくもなった。 ジェットの症状が日に日に悪化し、死を恐れるようになってゆく描写には胸が痛んだ。ジェットがビリーと共にすごした一週間を楽しかったと言い、実際その日々がきらめいているからこそ、忍び寄る死の影もいっそう濃く感じられる。 ジェットが最期に愛を見つけられたことは本当によかったと思うものの、その発見が余命宣告以外のものによってもたらされたならどれほどよかったかと胸が張り裂けそうになった。 遺されたビリーの心境を想うとなお辛くなる。彼にはどうか歌い続けていってほしい。 それにしても、ホリー・ジャクソンのミステリはストーリー展開が実に巧みで、分厚い文庫本を読み終えるのが一瞬のことのように感じる。
  • 2026年8月13日
    そして五人がいなくなる 名探偵夢水清志郎事件ノート
    この本といえばやっぱり夏休み!ということで、8月に再読。 子どもの頃からずっと変わらず大好きな物語である。私に初めてミステリの面白さを教えてくれたのが、この『名探偵夢水清志郎事件ノート』シリーズ、そして松原秀行さんの『パスワード探偵団』シリーズだった。 昔は、とにかく常識と生活力のない教授を、亜衣たち三つ子が面倒を見ているという印象だったのだが、大人になってから読み返すと、そのたび教授の優しさが胸に沁みる。 家族以外から見分けてもらえずどこか寄る辺なさを感じていた三つ子を、持ち前の推理力で初対面から判別し、彼女たちに深い安心を与える教授。どれだけ忘れっぽくとも、羽衣母さんとの約束は絶対に覚えている教授。世間にバッシングされようと、誘拐された五人の子どもたちが幸せになれるタイミングが来なければ謎解きをしない教授。 教授の「子どもはいつの時代だって幸せでなくちゃいけないんだ」という揺るぎない信念と優しさがあるからこそ、安心して謎解きを楽しむことができるのだ。人情派の上越警部に対しても同じことが言えるだろう。 子どもたちの幸せを願ってくれる大人たちに見守られながら、亜衣たちと一緒に奇妙な事件にワクワクし、ミステリの楽しさを学んでいった自分の子ども時代がどれだけ幸運だったか、大人になってから気付かされ、はやみねさんに感謝する。 星が零れ落ちそうな夜空の下、三つ子と教授が揃って家に帰るラストシーンが大好き。
  • 2026年8月12日
    四畳半タイムマシンブルース
    四畳半タイムマシンブルース
    『四畳半神話大系』でお馴染みの面々がタイムマシンに乗って大暴れする、愉快極まりない物語。作中の日付に合わせて8月12日に再読したことで、いっそう楽しめた。 「壊れたエアコンのリモコンを昨日に戻って取りに行く」——私の知る限り、最も矮小なタイムトラベルの目的である。浪漫の欠片もない。だが、そこがいい。何というか、実に「四畳半」的な冒険である。 そんなささやかなタイムトラベルが次第にカオスを生み、いつしか宇宙滅亡の危機へと繋がってゆくのだから面白い。 それにしても、小津の恐ろしさである。宇宙滅亡とタイムマシンへの興味を天秤にかけた結果、平気で後者を取る男だし、仮にその結果で人類が絶滅したところでなぜかひとりだけ生き延びていそうな不気味さがある。 小津と樋口さんと羽貫さん、絶対にタイムトラベルをさせてはいけない組み合わせから、果たして「私」と明石さんは平和な日々を守れるのか。二日間のすったもんだを楽しく読んだ。 夕暮れ刻の鴨川デルタの描写には、私自身の大学時代を京都ですごした日々が想い起こされ、郷愁のようなものを掻き立てられた。 森見作品らしい締めくくり方「成就した恋ほど語るに値しないものはない」もとても好き。
  • 2026年8月11日
    新装版 デルフィニア戦記
    前巻の終わり方にはかなり動揺したが、今作ではとうとう第I部がクライマックスを迎え、ウォルの出生の真実が明かされる。ウォルなら間違いなく民のための政治をしてくれる王になると信じていたから、女官長カリンが告白を終えたときには思わず天を仰いだ。 真実をただひとり知る者であったカリンにとっても、ペールゼンが口を滑らせるかどうかは一世一代の賭けだったことだろう。戦場には立たずとも、城の中でウォルのために戦い続けていた彼女に天晴れと拍手を送りたい。 そして、絶体絶命の窮地に駆けつけて国王軍を救った意外な人物の格好よさよ。タウの自由民との繋がりは、第II部以降のストーリー展開の伏線ともなっていきそうな予感がする。 戦いの末に王座を奪還したウォルに対し、リィが掛けた戴冠の言葉には、二人がここまで築いてきた信頼を感じられたし、戦友として自分の傍らに留まってほしかったウォルがリィを王女にするという力技は痛快だった。リィの「そんな法律、ばかばかしくて誰も書かなかったんだ!!」という台詞には大笑い。 リィの台詞といえば、奇襲で捕えたバルロの身柄を「おみやげ」と称してナシアスに引き渡したのも傑作だった。バルロとナシアス、改革派によって長く立場を分かたれていた二人だが、その固い友情が揺らがなかったのもいい。 第I部の全4冊、いちどたりとも面白さが途切れることなく、読んでいると時間が過ぎるのがあっというまだった。新装版を刊行してくれた中公文庫に心から感謝したい。
  • 2026年8月10日
    新装版 デルフィニア戦記
    改革派の卑劣な脅迫に対抗し、リィがコーラル城に侵入してフェルナン伯爵の救出を試みる。人間離れした能力を持つリィならではの作戦がどうか成功しますようにと、祈るような気持ちで読んでいた。 北の塔の地下牢から脱出し、夜空を見上げたフェルナン伯爵の「生まれて初めて星を見るような想いがする」という言葉に胸を突かれ、そこから先の展開には涙を禁じ得なかった。 フェルナン伯爵は頑固な忠義者といった印象の人格者で、このひとが育てたからこそウォルは立派な青年になったのだなと納得する。そんな伯爵が語る父子の絆に、深く心を揺さぶられた。 リィがいてくれてよかった、と改めて思う。リィがいなければフェルナン伯爵とウォルが父子として再会することは叶わなかったし、伯爵もきっと、最期に息子を友人と呼んでくれる「小戦士」に託せたことで、安心して旅立てただろう。 他のひとが立場に囚われてできないことを、しがらみのないリィは軽々と飛び越えてゆく。ウォルを王として敬い、忠実に仕えてくれる優秀な味方はたくさんいるけれど、ひとりの男としての心の痛みに寄り添えるのはリィとイヴンぐらいしかいない。 つくづく、ウォルとリィの出会いは運命的だなと思わされる。
  • 2026年8月8日
    新装版 デルフィニア戦記
    シリーズ1作目を読んだ際、魅力的な登場人物が次々と顔を出すところに心を奪われたのだが、この物語はまだイヴンというキャラクターを隠していただなんて!ウォルの幼馴染みであり、タウの山賊の副頭目である彼のことも、すぐさま好きになった。 ウォルを取り巻く人々はそれぞれ違った格好よさがあって、誰がいちばん好きかなんて考えてみても決めかねる。しかも、未だウォルの父であるフェルナン伯爵とティレドン騎士団長バルロは間接的にしか登場していないのだから、先恐ろしい(ウォルたちの話を聞く限り、彼らも間違いなく好人物なのである)。 イヴンに話を戻すと、ウォルが王座に就いてからも昔と変わらぬ態度で接してくれるひとが現れたことに深く安堵した。 もちろん、他のひとたちもデルフィニア国王を敬うがゆえにウォルへの接し方を変えたのであって、ウォルに対する親愛の情が薄れたわけではないということも重々承知しているのだが、どうしてもウォルの心境を想うと切ないのだ。 その点、イヴンは「いよう、国王陛下!!」という気安さを捨てないでいてくれるからいい。 そんなイヴンが口にするからこそ、「獅子には化けるかもしれないぜ」という台詞には痺れた。前作でリィが言った「ぜひともおまえに王冠をかぶせてみたくなった」という台詞もそうだが、ウォルのひととなりを知ってゆくうち、私もますますその言葉に共感するようになっている。
  • 2026年8月6日
    新装版 デルフィニア戦記
    ひと言で感想を語るなら、とにかく面白い!それに尽きる。 陰謀によって王座を追われたデルフィニア国王ウォルと、異世界から「落ちてきた」人間離れをした力を持つ少女(本当はもっと複雑な身の上なのだが、便宜上、少女と呼んでおく)リィ。運命的な出会いを果たした二人は、王座、そして囚われの身となった仲間を奪還すべく、波瀾万丈の旅に出る。 一見すると奇妙な組み合わせであるウォルとリィのコンビが愉快だなと感じて読み始めたら、たちまちこの二人に魅了された。作中では「因縁のおもしろさ」という表現が用いられており、なるほどと思う。 そして、私がこの物語にこれほどまでに夢中になったのは、主役である二人だけでなく、ウォルの軍勢に次々と加わってゆく面々もまた、こぞって魅力的であるからだ。 圧倒的劣勢である王の元へ馳せ参じる忠臣というだけで好感を持ってしまうが、ラモナ騎士団長ナシアスと副団長ガレンス、ドラ将軍にその娘シャーミアン——新たに登場する人物たちが皆揃ってキャラクター造形が活き活きとしており、この物語を好きになるなと言う方が難しい。 巻を措くあたわずな面白さで、あっというまに読み切ってしまった。これからシリーズの続きを追いかけてゆけるのが、本当に楽しみだ。こういう小説に出会えるから、やはり読書はやめられない。
  • 2026年8月4日
    ヨルダンの本屋に住んでみた
    初めて訪れた本屋さんで旅に関する本を集めたコーナーを見ていたら、インパクトのあるタイトルが目に飛びこんできて、思わず手に取らずにはいられなかった。タイトルに偽りなし、著者のフウさんがヨルダンの本屋さんで住みこみで働いた日々を綴ったエッセイである。 インターネット上で見つけたヨルダンの本屋さんに惹かれ、店長に「働かせてください」とメールでコンタクトを取り、その勢いのまま本当に現地に飛びこむ——という行動力にとにかく感嘆させられる。 本書には写真が多数収録されているのだが、岩壁に木製の本棚がしつらえられた「Kawon Bookstore」の店内は本当に美しく、ひと目惚れする気持ちもよく分かる。とはいえ私なら「綺麗だな」とネットで眺めるだけで終わりにしてしまうだろうから、フウさんの勇気は本当に凄い。 「Kawon Bookstore」には、フウさんの他にも世界各地から集まってきたスタッフが住んでおり、文化交流に関心がある私はフウさんと彼らのコミュニケーションの様子を楽しく読ませてもらった。「おわりに」に記されている「お互いを尊敬し合いながら面白がって暮らす」は、本当にいい言葉だなと思う。 スタッフ間のコミュニケーションは基本的に英語で行われていたそうだが、あるときフウさんが覚えたアラビア語の単語を使って喋ってみたら、ヨルダン人のスタッフたちに「日本のアニメの実写版みたいだ」「喋り方がマローコ(※ちびまる子ちゃんのこと)そのもの」と言われたというエピソードが、とりわけ面白かった。
  • 2026年8月2日
    パディントン妙技公開―パディントンの本〈7〉
    パディントン妙技公開―パディントンの本〈7〉
    ペルーの老グマホームにいるルーシーおばさんを遥々訪ねていったパディントンが、無事にウインザーガーデン三十二番地へ帰ってきてくれて嬉しい(無事といっても、当然のごとく船旅中にひと悶着起こしてはいるのだが)。パディントンとブラウンさん一家がお互いを大事に思っている様は、読んでいて心が温まる。 今作でもパディントンは数々の珍事件を巻き起こし、そのたびにハラハラさせられたりくすくす笑ったりしながら楽しませてもらった。中でも、なりゆきで床屋の留守番を任されたパディントンが、客の頭をめちゃくちゃにしてしまう章は大笑いしてしまった(ちゃんとハッピーエンドと言っても差し支えないオチがあるのも安心)。 お隣の家のカリー氏は、嫌なところもあるひとだが、こうもたびたびパディントンに自宅の一部を破壊されていると気の毒になってくる。台所の壁に穴が開いたときはどうなることかと思ったが、ブラウンさん一家の機転によってうまい方へ事が運んでよかった。 本シリーズはどこかとぼけた味のある挿絵も読む楽しみのひとつだが、表紙にもなっている、パディントンがバレエを披露する(!)イラストは格別味わい深い。
  • 2026年8月2日
    鳥とけものと親類たち (1977年)
    鳥とけものと親類たち (1977年)
    私は『虫とけものと家族たち』のことを森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』で知ったので、作中、黒髪の乙女が下鴨納涼古本市で買い求めていた『鳥とけものと親類たち』ももちろん読んでみたいと思っていた。だが、絶版になってしまっていて久しかったので、なかなか手に取れる機会がなかったところ、最近になって古書で縁があり、蔵書に迎えることができた。 いざ手元にやってくると、『虫とけものと家族たち』が大好きなだけに、期待が高まりすぎて読むのが怖いぐらいだったのだが、読み始めたらたちまちその面白さに魅了されることになった。 『虫とけものと家族たち』で書き切れなかった出来事を綴ったという本作においても、ダレル一家とコルフ島の友人たちの破天荒ぶりは変わらず、読者を愉快な気持ちにさせてくれる。中でも、レズリーがひょんなことから裁判沙汰に巻きこまれるエピソードは、スピロの解決方法があまりにめちゃくちゃで声を出して笑ってしまった。 コルフ島の豊かな自然の描写も前作同様に美しく、夜の沖で漁火がチカチカと光る様子が「まるで銀河のすみっこが海に落ちたようだ」と表現されているのが好きだ。 ジェリーにとって何度でも繰り返し訪れると思われていた明るい夏が、戦争によって遮られてしまったことには胸が痛んだ。 三作目『風とけものと友人たち』も、いつか手に取る機会があるといいな。
  • 2026年7月30日
    虫とけものと家族たち (中公文庫 タ 8-1)
    もう何度目になるか分からない再読。この本を読み返すと、それだけで「今年の夏はいい夏になったな」と思える。それぐらい、『虫とけものと家族たち』という本は魅力的なのだ。燦々と輝くギリシアの夏の陽光をぎゅっと閉じ込めたような、幸福の塊のような、そんな本なのである。 まず、コルフ島の自然の描写が本当に美しい。すぐれた観察眼の持ち主である少年ジェリーの視点から語られるコルフ島の豊かな色彩は、何度読んでも私を虜にする。中でも、夜の海で夜光虫を背中に纏ったイルカとホタルが共演する幻想的な光景は、読んでいてうっとりと夢見心地になる。 そして、ダレル一家と島の住人たち、加えてジェリーが家の中に連れこむ動物や虫たちの巻き起こすドタバタ喜歌劇の愉快なこと!イギリスの陰鬱な天候に滅入ってコルフ島へ移住してきたダレル一家の物語は、例え同じように塞ぎこんだ状態で読み始めたにせよ、たちまち心を晴れやかにしてくれる効果を持っている。 何より素晴らしいのは、本書がフィクションではなく、ジェリーことジェラルド・ダレルの幼少期の体験に基づいて記されているということだ。自分の身に起こったことではなくとも、これほどまでに幸福感に満ちた暮らしが実際にあったということは、私を「この世界は生きるに値する素敵な場所だ」という気持ちにさせてくれるのである。
  • 2026年7月28日
    世界の児童文学をめぐる旅
    児童文学の舞台となった場所を訪ね、ふんだんなフルカラーの写真と共に作品の魅力を紹介してくれる良著。 本屋さんで偶然見かけてパラパラ捲ってみたところ、たちどころに購入を決意した。というのも、私の愛読書であるアーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』が取り上げられていたのだ。 ランサムが自身の湖水地方への滞在経験に基づいて一連の作品群を執筆したのだということは知っていたのだが、ハリ・ハウ農場やツバメ号とアマゾン号それぞれのボートハウスなどに具体的なモデルがあったことまでは知らず、物語中での描写そのままな風景を見ることができて感激した。 リンドグレーンの『長くつ下のピッピ』においてピッピがトミーとアンニカと一緒に遊んでいたニレの老木や、『秘密の花園』の作者バーネットが自ら育てていた薔薇など、児童文学好きとして心躍る写真の数々にうっとり。 それにしても、英国の作家たちの、例えファンタジーであってもモデルをしっかり定めている率の高さには驚かされた。だからこそ描写が活き活きとしていて、児童文学の大国となったのだろう。 フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』やアリソン・アトリーの『時の旅人』を読み返したくなったし、未読の作品の中では、著者・池田正孝さんの高い熱量が伝わってきたローズマリ・サトクリフの作品群を読んでみたくなった。 本書の続編にあたる『英国児童文学の舞台を訪ねて』も読むのが楽しみ。
読み込み中...