自然のものはただ育つ
139件の記録
bitter100%@bitter1002026年6月11日読み終わった昨日から入院しているので「病室」で読んでいるのだけど、「病室」という選択肢がないので諦める。 徹頭徹尾、しん、と静まり返った世界。「いま」を切り取ると音がなくなる。そんな事実はわかっているけど、やっぱりそうなんだなと思う。「点は部分を持たない」ことと同様に「今は音を持たない」。そして本当に「自然のものはただ育つ」のだ。人生がいつか終わるその時まで、誰とも共有できない奈落の底で、光あふれる世界を夢見て生きるのだろう。

bitter100%@bitter1002026年6月9日読んでる@ 自宅早く読み終えなくてはと焦る。 「足踏みする私たちに、死者は必ずしも力を貸してくれない。」p.139 それでもやっぱり心の支えにしているし、夫が応援してくれている様子が目に浮かぶ。ただそれでもどうしても虚しい気持ちになるのは仕方ない。現にもう声をかけてくれることはないのだから。
bitter100%@bitter1002026年6月4日読み始めた借りてきた@ 自宅特に感情に任せて書いていることは一つもないのに、悲哀というか愛というか、そういうものに満ちている。愛する人を失い、こうも冷静に考えることができるものだろうか。何年経っても泣きながら暮らしている私と何が違うんだろう。もっとよく生きたいと願って借りてきた本。

neiO@naota45102026年5月31日かつて読んだ自分の力ではどうすることも出来ないことについて、 不安に囚われ、苦しい最中に手に取った。 「苦しみをわかってて、苦しみについてそんなに上手に書くのに、どうしてぼくたちを生んだの」 著者の息子によるこの問いは、私がずっと抱き続けている罪悪感と同じだ。 この一文を目にした時、息が止まるかと思った。 何度でも読み返したい一冊でした。





- APO@apo2026年5月22日読み終わった喪失のものがたり。淡々とごく客観的に息子2人の死と共に存在する(受容れる、ではなく)母が紡ぐことば。取り乱すでもなく、乗り越える、でもなく、残された生はそこにただ育つ。

ゆい@no1sin2026年5月18日買った読み終わった図書館で借りて読了したが、半ばまで読んだ辺りでこの本は必ず買って手元に置くと決めていた。 読んでいる間にピューリッツァー賞を受賞したようで、大手書店から在庫が消えかけていた。すぐ重版がかかるだろう。 長男を16歳で、次男を19歳で相次ぎ自死により失うという、壮絶な状況に置かれた作家によるエッセイ。 >でも、行き場がないというその考えは、ヴィンセントが死んだいま誰にも驚かされないという発言と同じように、誇張した表現だ。苦しみが大きいとき、そうした誇張は避けがたい。感じたことがろくに吟味されないまま、考えたことのような顔をするのだ。それどころか事実のような顔を。 >今回は感じたことが、考えたことや事実であるかのように勘違いしないよう気をつけている。(P.31) と書く著者の、徹底的な眼光の鋭さが全編に張り詰めた緊張感をもたらしている。 ぱっと見のタイトルと書影から想起されるような、ある種セラピー的な雰囲気は全くない。 ごくシビアな面を持つ本書はしかし、喪った子どもたちへの深い愛で満たされている。往々にしてそれを包むことになる、甘やかな感傷を極力排して表される愛。 彼女の際立った観察力と記憶力、表現力によって書き起こされる在りし日の息子たちの人となりは個性にあふれ、とびきり魅力的で時折危うい。彼らについての具体的なエピソードの数々がこの本をひときわ素晴らしいものにしている。 ティーンエイジャーが、とりわけ自死を選ぶ子どもが親に自らの心のうち全てをさらけ出すことはほとんどの場合ないだろう。子を喪った親が子どものことを語るときには、さまざまな理由からその子との思い出の美しい部分を掬い取りがちであろうとも思う。 命を絶った子どもたちがこの本で語られることをどう受け取るのか(ちなみにこのエッセイは基本的には弟のジェームズのための本とされていて、先に旅立った兄ヴィンセントのための本は別にある)、第三者には全く判断のつかないことだけれども、少なくとも子どもたちを一人の人間として尊重するため、考えに考え抜いて綴られた言葉ばかりだということは文章が信じさせてくれる。 大切な人を喪った相手と関わるときにまで自分を主役にしてしまう人々、的外れな行動をしてしまう人々を語る書きぶりのエッジの利き方も印象的だ。 一方で、真に相手のことを想って寄り添える聡明な人々のあり方も心に残る。 徹頭徹尾死に向き合う本であると同時に、思考というものの凄味を思い知らされる本。この先の岐路で何度も読み返すだろう。 > 私の庭は希望や再生の比喩にはならない。花に明るさや楽観の使者となる務めなどない。自然のものはただ育つだけだ。自死願望のあるバラも怒るバラもいないし、抑鬱状態のユリも反抗的なユリもいない。植物が目指すところは一つだけだ。生きること。生きるために、可能なときは育つし、必要があれば休眠に入る。死ぬまでは生き──やがて自然が定めるままに死ぬか、ほかの自然の要素に切られるかだ。庭はいっときだけ場をとっておくもの。花はプレースホルダー。(P.91) > 子どもが死ぬと、動詞も死ぬことがある。子育てする、養育する、パンケーキをZより先の文字に形作る。こういう死んだ動詞は、時間の琥珀に包まれた蜂や蟻や蝶のようなものだ。 死なない動詞は「いる」だ。ヴィンセントはヴィンセントでいたし、ヴィンセントでいるし、ずっとヴィンセントでいるだろう。ジェームズはジェームズでいたし、ジェームズでいるし、ずっとジェームズでいるだろう。私たちは二人の親でいたし、親でいるし、ずっと親でいるだろう。いまと次とか、いまと後なんてものはない。いま、いま、いま、いまだけだ。(P.113)



chika@koitoya2026年5月12日読み終わった二人の息子を自死で失った作家のエッセイ。2026年ピューリッツァー賞を受賞した。 私は親友を亡くした経験と重ね合わせながら読んだ。 「子どもが死んだ後に母親が本を書いたら、結果的にその本を通じて子どもへの注目を求めることになりかねない。でもジェームズは注目とは対極にある人、とブリジッドは言った。ジェームズのために書くのは不可能に近いでしょうね。(中略)それでも、私には昔からなじんでいるこの言語しかないのだから、新しい文字といってもそれは象徴的な話にすぎない。破滅的なことが起こると、言葉は軟弱に見えたり陳腐に見えたりしがちだが、子どもを二人失うという極限状態に生きねばならない人間にとっては、言語の力が足りないことなどささいな不運にすぎない。 言葉もございません。言葉では言い尽くせません。 この二つの陳腐な決まり文句は反論しがたい真実を語っている。つまりジェームズのために何を書いても、部分的には失敗に終わる運命だ。」(p17-18) と述べる。それでもなお書くしかない。どんな言葉も息子の本質からずれてしまうと理解しながら、それでも問い続ける。その態度が印象的だった。 また著者は、 「それでもなお人生を生きねばならない。悲劇の中でも、悲劇の外でも、悲劇があっても」(p30) と書く。喪失が人生を完全に停止させるわけではなく、世界はその後も続いていく。その感覚は残酷でもあり、現実でもある。 特に印象に残ったのは、ヴィンセントの死を予感しながら生きていたという記述だった。 「現実にも非現実にも直面する母親は、直感を寄せつけないようにしながらも、同時に直感に頼るしかない。 直感とは物語だ。私は物語というものを根本的に信用していない。物語は人生の何よりも人を惑わせるものだ。物語に救われた人生も、物語に狂わされた人生も見たことがある。(中略) 直感は油断ならない物語群である。未完成で完成不可能。私は直感を言葉にするのは避けている。それは蝶を確かに所有していると主張するために、標本箱に虫ピンで留めるようなことだろう。」(p50) と語る。未来の破滅を感じながら、それを言葉にして確定させることを避ける感覚。私も、親友がいなくなってしまう気がして、何度も確認したことがあるのでよくわかった。 本書で興味深かったのは、「怒り」が中心になっていない点である。精神科医から怒りの有無を繰り返し尋ねられた著者は、 「怒りという感情は、私の人生の中で大きな存在どころか小さな存在ですらない」(p59) と答える。私自身も、彼女の死によって「人生がめちゃくちゃになった」という感覚はあっても、それを「怒り」とは呼べない気がする。怒りによって世界を整理することができないのだ。 さらに興味深かったのは、 「愛より大事なのは子どもたちを理解し尊重することだ。(中略)命を絶つという選択を理解し尊重することも含まれる」(p55) という言葉だった。自死を「理解し尊重する」という考え方に、私はこれまで出会ったことがなかった。完全には理解できないがなんだか風通しの良さを感じた。 「もしかするとその六年と四か月の間、彼が生きていたのはいま、次、後、ずっと先ではなく、いま、いま、いま、いまだったかもしれない。極みであり、奈落の底であり、私が彼を愛しても変えられなかった状態。」(p124-125) という箇所も印象深い。「後」があるから人は耐えられる。しかし「いま」だけが閉じた空間のように続く状態は確かに存在すると思った。 終盤の、 「足踏みする行為は何でも生者の世界のものだ。死者はどこにも行かない」(p139) という言葉も強く残った。私は親友の墓へまだ行けていない。「もう少しまともな人間になれたら行こう」と思い続けている。しかし変わろうとし、資格を測り続けているのは生者の側だけである。 そして著者は 「芸術には携わる価値があり、科学には探究する価値があり、正義には追い求める価値がある。 同じように人生には、突き詰めれば生きる価値がある。しかし、やる価値があるからといって必ずしもそれをやる力が与えられていることにはならないし、やる力があってもそれを失わずにいられることにもならない。やる価値があることとやれることには隔たりがあり、その隔たりこそ若者に野心が宿り、老人に衰えが待ち構えているところなのだ。」(p152) と書く。人生には価値がある。それでも、生き続ける力を失ってしまうことはある。そのどうしようもなさを、この本は否定もしないし、無理に救おうともしない。 本書には解決法も救済も提示されない。ただ、著者に届いた数多くの手紙の中で、「言葉にならないけれど伝えようとしたもの」が確かに存在したと書かれている。私もまた、この本から同じものを感じた。



うにか@unica8062026年5月12日読み終わった著者が怖くて読み進めるのが大変だった。 素晴らしいタイトル。 植物のような生き方が時に嫌悪感を呼び起こす。 だけど共感が人を傷つけることもあって、その獣じみた共感力の高さもまた嫌悪感を呼ぶ。 (死を悼むと見せかけて自分語りをしにくる人、嫌すぎる) 決して励ましてくれる内容ではないが、ひとつのものの見方として書かれるべき一作だったと思う。

m@kyri2026年5月10日読み終わった再読中@ 図書館初めて読み終えたときも言葉がなくなったけど今回もなくなった いま、いま、いま、が繰り返されているのを読んで、わたしのいま、いま、いまはなんだろうと、今このときの手触りを確かめながら読んでいた

m@kyri2026年5月6日再読中@ 自宅ピュリツァー賞を受賞したと聞いたので再読してる 受賞おめでとうって言うことも憚られる深い深い悲しみの本だけど、これを書いてくれてありがとうという気持ちもまた偽らざるもの







- まみ@mami20252026年4月22日「そして、わざとだろうとうっかりだろうと他者を傷つける人々についてだが、彼らは自分でも手の施しようがないし、こちらも手の施しようがない、というのが私の出した結論だ。これはただの認識にすぎず、理解でも許しでもない。私はそのどちらも与えるつもりはない。」
- 腰越おん@koshigoeon2026年2月22日買った読み始めた読んでるまだ読んでる2026/02/21 〈購入〜読みはじめ〉 外国文学コーナーにて、背表紙に書かれていたタイトルに惹かれて手を取った。そして流れるような文字が連なった帯を読んだ。 自死で身近な人を亡くした経験がない私がこの本を手に取って、勝手に想いを膨らませたりすることは、かえって、同情を持つことになってしまうのではないのかと、一度購入を躊躇った本でもあります。 まだ読み始めたばかりなので、読み終わったらまた、ここに戻ってきたいと思います。

はち@hachiko23812026年2月20日読み終わった母親ではなくなった母親の、奈落の底の記録。2人の息子を亡くすという彼女の絶望は想像することさえできない。それでもわたしは彼女の文章にどこか救われている。




タレ@miki_nike2026年2月19日読み終わった@ spiq次男ジェームズの死を悼みながら、またイーユン・リーの類稀なるパーソナリティに驚かされながら読んだ。どうして二人の息子の死を「因果応報」と切り捨てるような母親から、このような女性が育ったのか。 言語から詩的で音楽的で感覚的な喜びを見出していた長男ヴィンセントの死の際は、対話というフィクションの形を取った『理由のない場所』。哲学的な喜びを見出していたジェームズの死を扱った本作はノンフィクションとなった。 「子どもたちの母親でいた長い歳月、ずっと油断なく気を配っていた」という意識の重さ。それでも結局リー家はどこまでも自由意志を信じ尊重する一家である。「彼は命を絶つ決断を私たちが尊重するのを知っていた」という言葉の重さ。死は別種の新生児、死によって四人家族であることが変わることはない。 編集者や友だちの聡明さや誠実さには舌を巻く。「彼は去りたかったのですから、受け入れなければなりませんね」 「苦しみをわかってて、苦しみについてそんなに上手に書くのに、どうしてぼくたちを生んだの」というヴィンセントの言葉。常人にはこのような子どもを持つこともこのような言葉を受け止めることも難しすぎるだろう。 「ただできることをする」というイーユン・リーの慰めが、ピアノや製菓やガーデニングというところが興味深かった。奈落の底で心安らかに生き続けてほしい。









森乃栗@readskm2026年1月23日気になる毎日新聞の書評で知りました。 「千年の祈り」を読んでからずいぶん経ちますが、その後著者に起こったことを知り言葉がありません。読めそうにないけれど、いつか読める日がくるかもしれない。 堀江敏幸さんの評が心に沁みます。




月と星@moon_star2026年1月22日読み始めた読み終わった借りてきた息子2人がそれぞれ数年あいて自死を選んだ。 読みながら苦しい。 引用 「親でなくなった親のことを何と呼ぶのだろう。」 「親を失った子どもは孤児と呼ばれ、ときに妻は寡婦になり、夫は寡夫になる。でも兄弟姉妹や親友や子どもを失った人間を指すそういう単語はない。」 読み終えて。 ずっと苦しかった。奈落の底の本当の底は当人にしかわからない。私がこの本を読み、こうしている間も彼女は執筆したりガーデニングしたりして、ただ今の今を生きているのだろう。








本棚探してる人@rubebe_4182026年1月17日読み終わった理由のない場所で自死した長男と語り合ったイーユン・リー。その後、次男まで…とは知らなくて言葉を失った。 “苦しみをわかってて、苦しみについてそんなに上手く書くのに、どうしてぼくたちを生んだの“ この問いに答えられる親はいるのか。 吉野朔実のエキセントリクスを思い出す。
Yamada Keisuke@afro1082026年1月16日読み終わった「イーユン・リーのエッセイ出たんや」と本屋で知り、積んでいた『水曜生まれの子』を読んでから本著を読んだ。前情報を何も知らなかったので、彼女の生活の機微を知れるのかなと軽い気持ちで読み始めたら、長男に続いて次男も自殺で亡くなったことをきっかけに書かれたエッセイと知り愕然…奈落の底にいる彼女が綴るドライな感情と思考の数々が心の奥底まで沁みてきた。 本著は次男ジェームズを亡くしたあと、彼女がどう考え、どう行動しているか、22章から構成されるエッセイ集。長男ヴィンセントを亡くした際には、彼とのやりとりをオマージュした小説『理由のない場所』を書いた著者だが、今回はフィクションではなくノンフィクションを選んだ。それは子どもたちの特性に合わせた選択だったという。 子ども二人を自死で失う。作家である彼女でさえ小説には使わないであろう、あまりに現実味のない出来事であり、その気持ちを想像することなんて到底できない。育児に正解はないと思いつつ子どもと向き合いながら、どうすればいいか試行錯誤しているわけだが、この日々の積み重ねが自死によって唐突に終わりを告げてしまうだなんて想像しただけで辛すぎる。 読み進めるにつれ、ヴィンセント、ジェームズを中心としたリー家の関係性、家族の風景が断片的に浮かび上がってくる。家族は外から見れば、どこも特異に映るのは世の常だが、リー家の子どもたちが、それぞれ異なるベクトルで社会と距離を取っていたことが伝わってきた。なかでもヴィンセントが10歳の頃に著者に伝えた言葉は、彼女の小説をずっと読んでいる身からすると、あまりにも悲しすぎて涙がボロボロとでてきた。 苦しみをわかってて、苦しみについてそんなに上手に書くのに、どうしてぼくたちを生んだの 神話や戯曲、小説を引き合いに出しながら、ジェームズの死について考えている様は作家らしい。古典ゆえだからこそ真理をついた言葉と、著者の論考が交じわり、さながら読書会の様相を呈している。また、物語が人生を救済する可能性について露骨には言及せず、引用を重ねることで、物語の存在意義そのものを示していく点に著者らしさを感じた。 なかでも象徴的なのは『シーシュポスの神話』である。「真に哲学的な問題は一つしかない。それは自殺についてである」というラインから始まる一冊であり、ジェームズは亡くなる数週間前に読んでいたという。神話に登場する「シーシュポスの岩」は日本の賽の河原に近い話で、大きな岩を何度も山頂に押して運ぶものの、運び終えると岩は転がり落ちる。一般には終わりのない徒労の象徴とされるこの岩を、著者は時間のメタファーと捉え、「時間を運ぶことの辛さ」を語っていた。つまり、育児をしていると時間があっという間に過ぎることに比べて、亡くなった後は時間が全く過ぎていかないことを示しており、さらに亡くなった子どもを「別種の新生児」と呼ぶあたりに並々ならない言語感覚を感じた。 さらに、「小石」という比喩も登場し、それはふい浮かんでくる思考のメタファーだ。この小石に逐一反応していると身が持たないから、小石を蹴飛ばしていながら生きていく。シーシュポスの岩との対比としても鮮やかだった。 先日読んだ『水曜生まれの子』でもパンチラインのつるべ打ちに圧倒されたが、エッセイゆえに切れ味はさらに鋭く、なおかつテーマがテーマなだけに心に強く響く。 直感とは、将来の可能性や起こりうることや別の選択肢をめぐる物語だ。そういう意味では、直感はフィクションだ。そして人生に裏づけられると、事実になる。 やる価値があることとやれることには隔たりがあり、その隔たりこそ若者に野心が宿り、老人に衰えが待ち構えているところなのだ。 こんな鋭い言葉を連発する彼女にとって、言葉こそがすべてなのだと読み進めるうちにわかってくる。それを裏付けるように言葉に関してさまざまな思索が展開される。世界でここでしか読めない洞察の連発に息を呑んだ。息子たちの自死という悲劇から導き出される言葉の奥行きは、他の追随を許さないものがある。そして、それは安易な救済の物語ではなく、彼女が今後の人生で考え続けていくだろうことの序章とも言える。 本著は一種の育児論としても読むことができて、子どもを失ったからこそ見えてくる、親が普段気づいていないことが言語化されている。特に育児における直感を信じるべきか、どの程度、楽観視するか、といった問いは奥深い。赤ちゃんのあいだは四六時中、見守る必要があるが、大きくなるにつれて、子どもの一挙手一投足を把握することはできない。そのとき親は、ある種の直感に従い、子どもを信じるしかなくなる。「どこまで信じるべきなのか?」と著者から問われると不安になった。目に見える行動や親にとって都合のいいことだけ信じるのではなく、子どもの内面についても思いを馳せていく必要性に気付かされた。そして、これはタイトルにも繋がり「ただ育つ」という楽観性と、一方で「自然に死んでしまう」という諦念。この相反する感情を、徹底的受容により引き受けている。 他にも「子どもが健康でいてくれるだけでいい」とよく言われるが、「存在」が当たり前になってくると「行動」ばかりに目を取られる。「存在」そのもののありがたみを理解できている親がどれだけいるのかと言われてドキッとした。「子どもは死ぬ」という強烈な言葉と、著者のドライな視点の数々は彼女以外に書きえない。 なんでこんなことが起こってしまったのか?と考えると、著者自身に自殺未遂の経験があることが、どうしても頭をよぎってしまう。そんな私の下世話な考えを見透かすように、終盤では彼女自身の自殺未遂についても言及されていた。そこまで言葉にする必要があるのかと思いつつ、彼女が公人であるがゆえとはいえ、あまりにも心ない報道や周辺の対応には言葉を失った。悪意がなくても、彼女の辛い状況に寄り添うために自分の経験を引き合いに出すことの不毛さを語っており、彼女の言葉で言われるとかなり重たかった。 私の悲哀に終わりはいらない。子どもの死は熱波でも吹雪でもなく、急いで駆け抜けて勝つべき障害物競走でも、治すべき急性や慢性の病気でもない。悲しみとは言葉であり省略化であり、その言葉よりはるかに大きなものの単純化にほかならない。 何よりも心身を大切にしてほしいが、著者は悲しむ母親として振る舞うことに否定的であり、止まることはないようだ。訳者あとがきによれば、今は大河小説を執筆中らしく、それが今から待ち遠しい。




riu@riufish2026年1月4日読み始めた@ 自宅「生きることは自然な流れ。 でも私やうちの子ともたちにとっては 決してそあではない。」 わたしにとってもだ 生きることは生きていくことだ ラジオから流れる歌 誰の歌だっけ 思い出すくり返すよに





- 寝癖@keso242026年1月2日読み終わったリーの文章からは、ときどき、独特な寂しさの波が寄せてきて、心の奥の秘密の場所をしめらせる。「独りでいるより優しくて」を読んで以来、敬愛する作家である。その敬愛の所以の、その遥かな遠さをみた。呪われた才能に対する畏敬の念を抱く。 言葉を寄せつけない悲しみを、言葉をもって迎え入れること。 徹底的に受容される場所としての底。取り換えられていく場所としての底。 深い暗闇のなかを走る筆先に散る火が天体を描くさまを見つけては、まさに、言葉で言い表すことのできない感動を受けてきた。マスターピースと呼ばれる作品たち。 この本はそういった星のひとつに数えられる。


シモン@yansimon071103202025年12月29日読み始めた読み終わった恐らく今年最後の読了本。 とても軽々しく感想なぞ言えないが… 奈落の底の"いま"を想像してみたところで到底計り知れないし言葉も出てこない。 ただただリーさんの記した文章を受け入れるのみに集中して読み進めた。 読みながら… 親からの呪縛はいくつになっても解けやしない。反逆する勇気が欲しかった。と詮無い事を。 越えられそうにない困難が降りかかった時には必ず私の助けになってくれるだろう本でした。 新年初書店では『理由のない場所』を買います。





Blueone@bluestuck42025年12月26日読み終わった私は自己憐憫に浸って、ついこんなことを口走った――「私は世界一だめな母親じない?」ーーそれに対してブリジッドはこう答えた。私たちはその質問の答えを知っているし、それが真の質問ではなく質問の姿をした小石にすぎないことも知っている。小石には邪魔をさせないで蹴飛ばしたほうがいい、と彼女は言った(p104)


錦@nsk2025年12月13日読み終わった読む前に想像していたのとイメージがかなり違った。終盤の無神経な人々へのメッセージを読んで、内省的なエッセイというより外部に向けた息子二人と彼女自身の語り直しの側面が強いように感じた。



m@kyri2025年12月7日読み終わった@ 自宅私は悲しむ母親ではない。ヴィンセントとジェームズを失った苦しみと、二人を育てた思い出とともに、これから来る日も来る日も死ぬまで生きる母親だ。(p.167)



ジクロロ@jirowcrew2025年12月2日気になる本の帯を見て、胸が痛む。 前作が読んでいて苦しかった分、今日書店でたまたま見つけたけど、本を開くことが憚られた。 著者の境遇を思うと読めない、というのははじめての体験。それでもそれを書き切ったという事実が本となって現れているということ。 そんな著者に対しては敬意しかない。 ほんとうに凄いと心から思う。




Blueone@bluestuck42025年11月29日買った読んでる書店でたまたま見かけて、息子の自死について直接的に書いたというのが衝撃的すぎて手に取った。『理由のない場所』を買ったままにしているのに、どうしても気になって買ってしまった。




ぽち子@pochi_co312025年11月16日読みたい以前読んだ『理由のない場所』がよかったので気になる。ルミネ10%オフなのをいいことに本を爆買いした後だったので今日は見送り。装丁も素敵だったな。




Marua@marua2025年11月15日イーユン・リーは気になる作家で、ずっとその作品を追っていたけど、『理由のない場所』を最後に遠ざかっていた。『理由のない場所』は自死した息子と対話する形で書かれたもので、かなりきつい読書となったのをぼんやり覚えている。コロナ禍の中、部屋で読むにはあまり適さない本だった。 本書は、昨年もうひとりの息子を自死で失ったあとに書かれたエッセイだ。リーと自身の母親との関係に触れられている章は、これから何度も読み返すことになると思う。

























































































































