思いがけず利他
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- 夜瑠@yol_262026年8月24日読み終わったおわりにの最初の一文がこの本の内容を端的に表しているなと思った。 利他は自己を超えた力の働きによって動き出す。 利他はオートマティカルなもの。利他はやって来るもの。利他は受け手によって起動する。そして、利他の根底には偶然性の問題がある。ーと。 落語の文七元結から考えてみたり、人間のどうしょうもなさってあるよね、それって仕方ないものだよね、っていう切り口から利他ってなんだろう、どうしてこういう気持ちになっていくのだろう。と一緒に伴走するように気持ちを整理してくれる文章だった。 与格構文という言語の仕組みから目に見えないものを表すときのシステムがよく理解できる。 偽善も利他も一口で一蹴できるものではないなと感じた。人間はどうしようとなく関係性のなかで生きていく生き物なんだと思い知る。

- ふじ@mayu44bk2026年8月15日読んでるアイドル要素 共感して応援したくなる 正直さ、まっすぐな生き方 をじぶんのかわりに?とか自分が助けたら守れるならとか? 共感の危うさ 頑張っているからなんとか助けてあげたい 他者への共感、そして贈与 →日常的に援助が必要な人は共感されるような人間でなければ助けてもらえないと思う 人間は愚かで間違いやすい。時に誘惑に負け、身を打ち崩すこともある。しかし、人は世の中と折り合いながら、たくましく生きていく。 人間のどうしようもなさを肯定するのが、落語の醍醐味。 無秩序や無規範の肯定とは異なる。人間の愚かさを見つめることで、良識や良心の重要性があぶり出されるのが落語。 仏教の縁起の考え方 縁起によって変化し続ける私。私らしくあろうとすることは仮想の私に縛られている。私からの固執から解放し自分探しという迷路から私を救出してくれる。 親鸞の考え方 自力に溺れている者は、他力に開かれません。 自力の限界を見つめ、自分がどうしようもない人間だと自覚する人間には、自己に対する反省的契機が存在する。 私が私であることの偶然性 私たちは業や縁によっていかなる振る舞いをするのかわからない存在である。 自己責任論に対して、自分もそうなっていたかも知れないという意識を持つ 民藝 日常の正しい暮らしにおのずから美しいものが生まれてくる 美術館に飾られててもわからんかもな 利他の中には相手をコントロールしたいという欲望が含まれている。 利他が起動するのは与えるときではなく受け取るとき 与えることが利他と思い込む。何かいいことをしようと思うと相手を傷つけてしまうことがある。 自己が受け手になることで利他が生み出される。 受け手にとって大事なのは気づくこと 贈与 人のためを思って確かにやってるし給与のことを考えてないけど、与えた側が優位に立つ構図にならんのはサービスで提供してるし対価をもらってるからかな 特別な何かをするわけではなくて その人を知り、その人が一番本領発揮できる場面にいれるようにする。 介護をしないのが本当の介護だと思っている ケアが統制ではなく沿うことに主眼が置かれている それぞれの人が持っている能力を引き出し、主体性が喚起される事が目指されている 利他は時に目立たないもの 誰かが活躍し個性が輝いている時には必ずその輝きを引き出した人がいる
のん@nozooomin2026年7月24日読み終わったそもそも私が私であることが偶然の奇跡であって、過去や周りに与えられてきていて、自力だけでできることなんてない。 その無力さや自分の不完全さ、どうしようもなさ、人や過去からの利他を認められて始めて、合理性を度外視した「利他」がなんかよくわからないけど「立ち上がる」 特定の行為が利他的になるか否かは、事後的にしか分からないから それは「今」を生きることの虚しさに直結する。 もしかしたら意味の無いことかもしれない、誰にもうけとってもらえないかもしれない。 けど、偶然の中を懸命に生きること、思ってもいないような価値を生み出す可能性の中に生きることが生きるということ It's automatic!!
ほやぼ@-ok192026年5月27日読み終わった@ 電車"「利他」は、受け取られたときに発動する。" 与えられる人になりたい、と考えていたが、 まずは受け取れる人になるところから始めたいと思った。 九鬼周造の論は『急に具合が悪くなる』でも引用されていて、ここでも出会ったか!と自分の関心の中でつながりが見えた気持ちがする。 ミシマ社の栞にはいつもにっこりする



乖離@karu2026年5月24日読み終わった私周辺での話題書でキーブックだと思いながらもまだ読んでいなかった。ようやく読みました。 p.174 利他は自己を超えた力の働きによって動き出す。利他はオートマティカルなもの。利他はやって来るもの。利他は受け手によって起動する。そして、利他の根底には偶然性の問題がある――。 私の生活、労働の意義に思い悩んでいるという立ちあがってくる「何のために?」という問いのヒントが得られるといいなと思い手に取った。 p.55 自分はどうしようもない人間である。そう認識した人間にこそ、合理性を度外視した「一 方的な贈与」や「利他心」が宿る。この逆説こそが、談志の追究した「業の肯定」ではないでしょうか。つまり、談志がつかもうとしたのは、人間の力を超えた「浄土の慈悲」であり、「仏の業」だったのではないでしょうか。 今まであまり関心が無かったのですが仏教思想をいろいろ読んでみたくなった。 私は自己責任論を内面化しすぎているきらいがあるかもしれない。


Sanae@sanaemizushima2026年4月29日読み終わった気になる言葉だった「利他」について。 日常に潜む些細なことから利他を紐解いていくのでとてもわかりやすい。 落語「文七元結」、親鸞の言葉や九鬼修造から利他を紐解く。 のど自慢での伴奏は歌い手に合わせて演奏をしている風景を例に出して、著者はこのように書いている。 「利他は時に目立たないものです。しかし誰かが活躍し、個性が輝いている時は必ずその輝きを引き出した人がいます。利他において重要なのは『支配』や『統御』から距離を取りつつ、相手の個性に『沿う』ことで、主体性や潜在能力を引き出すあり方なのではないかと思います。」(p120) 海外旅行によく行く者として、痛いほど言われる「自己責任」論。 自己逃避なんかじゃなく、ただ楽しいだけでもないんだけどな、、(確かに楽しいんだけど) タイの洞窟遭難事故では市民から自己責任を言い出す人はほとんどいなかったというのは知らなくて、改めて日本にある自己責任論の怖さを思い知る。 救援に行ったダイバーが亡くなったり、周りの畑にも被害が出た事故だったので、もしこれが日本だと、肝試しに出かけた助けられたサッカー少年やコーチがバッシングにさられただろう。 「私の存在の偶然性を見つめることで、私たちは『その人であった可能性』へと開かれます。そして、そのことこそが、過剰な『自己責任論』を鎮め、社会再配分に積極的な姿勢を生み出します。ここに『利他』が共有される土台が築かれます。」(p145) 人に迷惑をかけないように、って小さい時から言われながら成長していく日本社会。それが過剰でどこかで歪んでしまっていることが少なからずある。完全に迷惑をかけずに生きていくことなんて不可能。おおらかに、人の立場になって考える想像力を持って生きていきたいし、もうちょっと深く利他について考えていきたいと思った。









寿司沢山@sushiumauma2026年4月18日読み終わった借りてきた友達のおすすめ。親鸞の「他力本願」の考え方をベースに、利他とは何か書かれた本。 利他的行為は、自己を超えた「他力」が宿った時に行われるもの。意志を持たずとも思わず行なってしまうもの、らしい。人の親切って、本人は相手のことを想ってやっているつもりでも、受け手からしたらありがた迷惑ということもある。自己満足な親切は利他とは言わない。利他は受け取られた時に発動する。つまりタイムラグがあるもの。なぜか高校の同級生に恩人だと思われているのだが、何気なく言った自分の言葉が利他になっていることもあるんだなぁ。それに気づくのがずっと後になってから、というところでタイムラグという言葉がしっくりきた。 「器」としての自分という考え方が印象的。情緒は向こうからやってくるもの。 今の私が、今の状態にあるのは「たまたま」である。だから、私は「その人」であった可能性を捨て切れない。業や縁によっていかなる振る舞いをするのか、わからない存在である••••その「偶然の自覚」が他者への共感や寛容へとつながる。 自己がどうしようもない人間だという認識を持った人間に、合理性を度外視した利他心が宿る。他者に親身になることができる。
木一@koob2026年4月10日読み終わった冒頭は落語についての引用がベースとなり興味深く読んでいたが、後半に進むにつれて前半の内容を拾いながら「利他」について紐解き、終盤には傍線を引く手が止まらなくなった。 引用している文献の中には、原文を読んでも全く頭に入らないような難しいものも多く、わかりやすく噛み砕いて伝えてくれるのがありがたい。 利他=他者によくすること という認識で、そのことについて話す本だと思って読み始めたが、ここにも驕りや他者を支配しようとする危険な欲望があるとわかった。 利他から繋がって「偶然」「縁」についての話も面白く、最後は励まされるような気持ちで読み終えた。


鷲津@Washizu_m2026年3月21日わたしの本棚第一章 業の力 落語は素人に等しい私でも、談志の落語論に引き込まれました。落語は業の肯定。単なる人情噺とは違う。談志が終生かけた演目「文七元結」の変遷は興味深いものでした 親鸞和尚の教えと絡ませ、利他の本質に迫ります。他力はすなわち仏の業、浄土の慈悲は他力の利他 『人間が行う利他的行為は、この他力が宿ったときに行われるものです。意思的な力(=自力)を超えてオートマティカルに行われるもの。止まらないもの。仕方がないもの。どうしようもないもの。あちら側からやってくる不可抗力なのです。』 第二章 やって来る -与格の構造 「主格」に対して「与格」、この文法表現は新鮮でした。主格構文で「私はうれしい」を、与格構文で言い換えると「私にうれしさが留まっている」 自分の行為や感情が、不可抗力によって作動する場合「与格」となる…「利他」は「与格」の状態で現れる 次に大好きな数学者ラマヌジャン、岡潔が出てきて、読みが止まらなくなりました 『数学と音楽が似ていると感じられる理由の一つとして、「論理」というものがいつも決まって「流れ」を構成する、そしてその流れとは優れて音楽的な流れとよく似たものであるということが挙げられる。』 この後も志村ふくみ、土井善晴、民藝へと話が進み「与格」のイメージが補強されていきます 章の最後では 『利他的になるためには、器のような存在になり、与格的主体を取り戻すことが必要であると私は思います。』 ここまで読み終えて、「利他」に対する長年抱えてきたモヤモヤ感に決着がつく…期待に胸を膨らませました 第三章 受け取ること 「利他」と「利己」の違いに関する記述が続きます。この章から少しソワソワした気持ちに変わりました 『利他が起動するのは「与えるとき」ではなく「受け取るとき」です。(略)自己が受け手になること、そのことによって利他を生み出すこと。これは前章で論じた「与格」の構造と通じています。受け手にとって大切なのは、「気づく」ことです。』 ここで、はたと読みが止まりました…違和感、全然違う演目を見せられている感覚 この後も受け取ることで起動する「利他」が補強されていきます…読み進めるほど違和感が大きくなっていく、この本は「利他」ではなく別の言葉について語っているのでは… 第四章 偶然と運命 自己責任論への批判、現生人類の生き残りと偶然性、そして「合理的利他主義」の否定.利他の根底には偶発性がある…この章に至る頃には全く共感できない自分がいました おわりに 『重要なのは、私たちが偶然を呼び込む器になることです。偶然そのものをコントロールすることはできません。しかし、偶然が宿る器になることは可能です。そして、この器にやって来るものが「利他」です。器に盛られた不定期の「利他」は、いずれ誰かの手に取られます。その受け手の潜在的な力が引き出されたとき、「利他」は姿を現し、起動し始めます。 このような世界観の中に生きることが、私は「利他」なのだと思います。』 この本で「利他」と呼ぶ言葉は「(仏の教え)救済」と読み替えた方が私にはしっくりきます。親鸞和尚の教えをベースにしてるのだから当たり前なのかも知れません 私にとって「利他」「利他的行動」は、以下の事象を指すと考えています 『サバンナで突然ライオンに遭遇した親子二人連れ。子を助けるため親は迷いなくその身をライオンに捧げる様』 『小説「容疑者xの献身」で石神がとった行動』 「利他」は与格ではなく、主格だからこそ現れる行動。純粋に愛するものを守るための行動。神や救済への想いなんてどこにも存在せず、ましてや与格的な誰かが受け取ることなんて、はなから考えていない行動 「利他」が難しいところは、その愛情の対象をどこまで広げられるか、そこに尽きるのではないかと思っています 本をディスるような内容になりましたが、「利他」の本質を知りたい、そんな私がこの本を読んだ感想を、正直にそのまま書き記しました- はははのは@87_____hn2026年3月10日読み終わった作者が言う利他は、利他を形として定義するとしたらそうなることに納得をした。 利他というのは、自己の意識を超えた行動(自力の限界を感じた反省の末にやってくる他力)であり、それはその瞬間に(自らの意思で)利他になることはなく、未来から受け取り手によって利他の主体におしあげられる。 納得はしたんだけど、たとえば日々誰かを思ってする行動は利他的な行動だと信じたい自分もいる。押し付けかもしれないけど。


⛀⸒⸒@msd2025年8月24日読み終わった利他は相手に受け取られて初めて利他となるという視点には目からウロコだった。相手が喜んでくれるだろうというだけでは利他にはならないというのは肝に銘じたい。 与格の話と情動的なことが利他というのも興味深く、また仏教や九鬼周造の話との関連性が面白かったので、そこら辺も学んでみたいと思った。

灰猫の本棚@highneko2025年8月1日気になる読みたい読み終わった読了。 引用のジャンルが広く、学術一辺倒ではないので大変読みやすい。 タイトルにもある「思いがけず」 湧いてくる情動が、人間を人間たらしめているものなのかもしれない。 落語に始まる隣人愛から言語学、芸術論にも繋がる、興味深い展開だった。














































































