資本主義を半分捨てる
115件の記録
- こうた@spn3452026年5月4日読み終わった交換価値が本質的な価値とされているが、使用価値を忘れてないか? ・資本主義は経済が回るように、無料や低単価が市場に回るのを避ける傾向にある。マーケティングによって無料の美しさが、周囲の中で低いものとされることが多々ある。これは知っておきたい。 ・労働や紙幣は生を生きるための交換を円滑にするものだったが、投機や利潤追求の手段として肥大化しすぎた。→経済は社会から独立してしまった。 ・資本主義を内面化してしまうと、誰かに必要とされなければ価値がないと思ってしまいがち ・組織内で評価されて初めて価値が生まれるという考えに陥りやすい現代で、存在の尊厳をあたたかく見守れる力も持ってたいな ・労働力を商品化し、他社ニーズによって駆動する市場原理の中で目指される自律の先には共生ではなく孤独がある。 ★他社ニーズに応えることから立ち上がる近代的な個人ではなく、自己ニーズに基づく手作りから生まれる過剰をお裾分けし合う、この強制の先に自立した個人がある。 →他社にギブするために最強になると豪語するが、最強の意味を「資本主義社会の中で他社ニーズに応え、交換価値を上げること」にしてしまうと、自分の理想とするものとは離れて行く。 →「自己ニーズに向き合い、どんな厳しい資本主義自分の存在の尊厳を認めてあげ、自己充実の余剰分をお裾分けすることで与えられるギブ」を目指していきたいなあ ただ、資本主義ど真ん中で戦ってる以上、交換価値を高めたうえで個人的には上記の考えを大事にしていたいな ちょうどよく生きていこう!

中村洋太@yota10292026年5月3日読み終わった素晴らしい本でした。青木さんの考えに共感。自己ニーズを大切にし、自分なりの贈与で人とのつながりを回復させていきたい。「お金になるか、ならないか」の尺度だけで物事の価値を測ろうとすると、大切なものを見誤る。自分の活動(行動と発信)もお金になりづらいものだけど、せめて自分だけは「だから意味がない」とは思わないようにしたい。数値化できない長期的な価値を信じ、資本主義に染まり切らないようにする。
ブタコヤブックス@books_butakoya2026年4月21日読み終わった@ ブタコヤブックス担任を辞めて非常勤講師と本屋を始めた私の心の中にあったもやもやの原因が書かれていた。私は学校と本屋を行ったり来たりすることで、自己ニーズと他者ニーズの間のちょうど良さを探ろうとしているのかもしれない。ちなみに、学校の中でもその間を行ったり来たりして揺れていて、本屋の中でもその間を行ったり来たりして揺れている。揺れているので悩むことは多いが、それでもいいのかと思うことができた。
久保みのり|書店よむにわ@kubomisan2026年4月15日読み終わったなぜ僕たちは「ちょうどよく生きることは難しい」と感じているのか。それは、この社会にあるほとんどのものが「商品」として扱われているからです。商品化されるということは、あらゆるものが交換できるものとして価値を測られるということです。つまり、「このモノはいくらか」「この行為はいくらで売れるか」「この労働、この人の価値はいくらか」と、全てが市場の論理で評価されるようになっているのです。(p.13) 不思議だった。仕事を中断し、発熱した子どもを病院に連れて行き、機嫌の悪い子の夜泣きに付き合う日々、夫に引け目を感じていた。「稼いでない」「何の価値もない」でも同時に、そんなはずはないとも思っていた。市場でいくらなのか、そんな物差ししか持っていないのがおかしいと気づいてからは本書のようなタイトルに惹かれる。多くの人が自己ニーズと行き来できるようになるにはどうすればいいのか、私も考え実践していきたい。


さや@saya_shoten2026年4月9日読んでる@ カフェP100. すなわち市場原理によって労働力そのものが商品化される一方でその仕組みを支える不可視の労働が生まれたのでした。男性が市場で商品として働くよう仕向けられ、その背後で家庭や地域を支える「影の仕事」を女性が担うことで、近代社会の構造が成り立ってきたとイリイチは指摘しました。つまり近代社会を成立させてきた市場原理の根底には見えない労働があり、それは多くの場合、女性によって担わされてきたのです。 子どもの頃から一番身近な大人から念仏の様に聞かされてきたシャドウワークに、ここで出会うとは!労働とカウントされない労働…私のテーマでもあるかも。 P101. ところがルチャ・リブロでの働き方改革は無賃ではあっても、けっしてシャドウ・ワークではありません。むしろ心身や生活の質を保ちつつ生きるための、僕たちにとって不可欠な営みです。イリイチはこうした生活の根にある自生的な行為を「ヴァナキュラー」と呼びました。それは完全雇用を目標とする商品依存型社会とは異なり、人びとが互いに支え合い、生活の中から意味をつくり出す力を意味します。イリイチによれば、ヴァナキュラーという語は「根付いていること」や「居住」を意味する言語に由来します。ラテン語では家で育て、家で紡ぎ、家でつくり出した、つまり自家産、自家製のものすべてに対して使われていたといいます。 家も作っちゃう大草原の小さな家を思い出す!!!!

- むこうやま@65yama_kana2026年3月24日読み終わった「自己ニーズ」の追求=手作りの生き方を模索している自分にとって道標となるような一冊だった。息苦しさを感じる場面にどんな構造があるのか、そこから抜け出すための見取り図を端的にわかりやすく示してくれているというか。みあこさんのイラストがかわいすぎて何度も頬がゆるんだ。


_toooofu@_toooofu2026年3月20日読み終わった何事も行ったり来たりしながら、バランスを保つことが「ちょうどいい」状態なんだろう。今の社会に順応し、違和感を感じることなく、こういう社会だから仕方ないよねと愚直に突き進んでしまっている人たちにも届いて欲しい。



彼らは読みつづけた@findareading2026年3月20日読み終わった*読書で見つけた「読書(する人)」* 《都市に暮らしていたころ、僕たちの自宅には本が山のようにありました。しかし、その多くは段ボール箱に入ったままでした。大学院を修了する際、研究室から持ち帰った専門書も多く、本棚に並べきれなかったのです。できることならそれらの本を箱から出して並べたい。そんな思いもありました。ある時、自宅で友人たちとタコパ(タコ焼きパーティ)をしていた時のことです。世間話の流れから、「だったらこの本を読んでみたら?」と自然に本を手渡すことがありました。振り返ってみれば、ルチャ・リブロはそうした日常の延長線上に生まれたのです。》 — 青木真兵著『資本主義を半分捨てる』(2026年2月、ちくまプリマー新書)








柿内正午@kakisiesta2026年3月17日今週末の新潟に向けて『資本主義を半分捨てる』を読む。青木さんの自身の活動の来し方はそれこそ『彼岸の図書館』からずっと繰り返されているわけだけれど、研究からポッドキャストそして図書館へという変遷がとうとう安定したナラティブにまとまった一冊だった。やや本書からは脱線気味の感想なのだけれど、自らの市場価値を高めるというのはマルクス流にいえば交換価値を高めるということであり、つまりは交換可能性を上げるということだ。唯一無二の換えが効かない存在になるぞと張り切って労働したところで、むしろ容易に交換可能な「代わりなんていくらでもいる」存在になっていってしまうというジレンマがある。流通しやすい「私」の規律訓練と、市場価値に馴染まない〈私〉を制作し鍛練するのとを、両方もってそのあいだで塩梅を探ること。それが青木さんのいうちょうどよさの調整なのだろう。 2026.03.17







なすぴー@nasupi_52172026年3月10日買った読み終わった感想資本主義資本主義を否定するのではなく、目的にしないこと。交換価値に偏る社会の中で、自己ニーズや使用価値を取り戻す視点が印象的だった。市場は道具として使い、人間性や文化まで数値で測りすぎない。そのバランスを考えさせられる一冊でした。

- さみ@futatabi2026年3月3日読み終わった自分に「ちょうどよさ」の概念が入ってきたの、高校生くらいのときに読んだ柚木麻子さんの小説からだった気がする。「適量がわからない」みたいな文脈で。それから他人に決められたものではない、自分にとっての「ちょうどよさ」について常に頭にあるようになったような。 実際あるタイミングで「外出するにあたっての装いのちょうどよさ」を見つけたタイミングがあって、それから化粧や洋服選びへのさまざまな思い悩みがなくなった。ちょうどよさを探り当てると他者ニーズに応えようと動くのではなくなるというのはかなりそうだなあと実感をもって納得。 本を一冊読むだけで万事解決になるわけはないけど、読んだ本一冊それぞれの存在が重要で、こういうさまざまな実践や思考を記録した本を読み重ねていくしかないしそれがいちばん自分に合っているとも最近になって思えるようになったし、人生とはちょうどよさを見つける旅(なんかうまく言葉にまとまりすぎてるけど)に費やす時間の連なり、くらいに捉えようかな〜というさわやかな読後感。何よりこの本を読みながら、これまで読んだいろんな本、書かれていたことを思い出した。それが一番たのしかったかも。







ひかりとかげ@hikakage2026年3月3日読み終わった資本主義を題材にしながら資本主義そのものの批判ではなく、禅問答のように資本主義から与えられたフレームを外し「自分とは何か」という問いに戻すような本。 著者は奥様の仕事事情をきっかけに奈良県東吉野の山村に移住し私設図書館の運営や障がいある方の就労支援などを行っていて、奥様が社会から受けた評価の事や障がい者たちと関わる中で評価軸があまりにも「他者ニーズ」に寄りすぎているのが現代の資本主義であると本書で語っている。その事を思想家イヴァンイリイチの「離床」に当てはめ「経済が生活の文脈から離れ、市場の原理だけで自律している」と指摘する。 この本で特に驚いたのは「障がい」(本書であつかう障がいは特に知的なものであると推察)は個人の属性ではなく社会の関係の中で生じるラベルであり、ただ周りと比べて「自己ニーズ」つまり自然の力が強すぎるが故にコントロールが効きにくいのであるという視点だった。 人は「自己ニーズ」、つまり「生きているから生きている」状態と「他者ニーズ」つまり他人や社会の評価軸の二人の自分を内在していてその間を揺蕩う存在であるという形而上学的であり、まるで素粒子の揺らぎのような結論をつけている。 それはまるで人間という字になぜ"間"が入るか?という問いに似ている。







espoir@umi_utatane2026年2月18日読み終わった学生の頃、縁があって東吉野村によく遊びに行っていたことを思い出す。川のせせらぎや家を取り囲む山々、満点の星空、ひょっこり現れる鹿が懐かしい。たしかにあの場所に身を置いたら、資本主義や他者の評価から距離をとれて、自分に還っていけるよねと思う。そんな経験もあり、もしかしたらすでに自分は自己ニーズと他者ニーズを行ったり来たりできているのかもしれない。でもやっぱり時々立ち止まって、自分の心地良さを大事にできているか確認しないとなと思った。

- さみ@futatabi2026年2月15日読んでるたぶんもう何年もこういう本を読みたいなあと思ってきて、今このタイミングがいちばん効いて浸透するなあというときに読めている。自分にとってのちょうどよさを見つける難しさも、そこに常に対向があることも、バランスを考えることがつきまとうこともずっと真摯に添えられていて、現実感を失わずに夢中になれている感じ。ちゃんと栄養になっている。ちくまプリマー新書はほんとうにありがたい……









さや@saya_shoten1900年1月1日買った読んでる@ カフェP42. 彼らは「生きているから、生きている」。その営みに特別な理由はなく、ただ食べ、排泄し、繁殖し、生を繰り返しているだけです。 大草原の小さな家の読書会で、「今のために今を生きる」という言葉が印象に残っていて、何となく思い出した。





















































































