二月のつぎに七月が
223件の記録
琉璃@ruri-xxx2026年10月9日読み終わった2ヶ月ほどかけてゆっくりと読み進めていった。 何日間かまったくページを開かない日もあったけれど、それでも続きを読みはじめると、すっと物語の中に自分が溶け込んでいくような感覚があった。 読んでいる、というよりも自分もいちば食堂の中にいて、ひとびとの会話に耳を傾けている感じ。 話を聴くことで、誰かの記憶がわたしの一部になる。そしてそれをまた他の誰かに手渡す。その積み重ねで日々がかたちづくられているのだ、と思う。


ケイ@flyingkei2026年10月9日読んでる468〜582ページ いちば食堂とそこを訪れる人々の上に時が流れる。いちど雨宿りで立ち寄った母子が再訪する。常連の茅野さんは間もなく3人目の父となる。山野さんは恋人にプロポーズする。これら言わば人生の真ん中で起伏や幸福を経験している人々の隣で、丕出子さんも阿見さんも「人生」の王道に足を踏み入れていないような、目を逸らし通り過ぎてしまったような、そんな立ち位置に佇んでいる。 眠けに襲われたり降りる駅を間違えたり、自らの老いを意識し始めた阿見さんは、時間の認識が曖昧になることに危惧を抱くが、丕出子さんも同様に意識を「神隠しのように」なくす時間があると聞いて安堵も覚える。時はいつでも「現在」しかない、光の箭のような「現在」が身体を、胸を貫いて通り過ぎ続けているだけという認識は、時間の前後が見失われることの正当な理由ともなる。今のことと数十年前のことが切れ目なく目の前に浮かび上がるのは、阿見さんにとっては過去の一場面も「現在」として鮮度を保って胸の中に残っているものだからだ。 けれど、光の箭たる「現在」が、目の前の現実的な「現在」が次々と身体を持ち貫いていく中で、時が通り過ぎるに任せるのではなく、それらを降り積もらせ、通り過ぎた過去の箭を拾い上げて目の前にかざすことは、やはり老いの行為ではないだろうか。起伏のとば口でそこに踏み込むことをためらっている丕出子さんと、すべての起伏と幸福をすでに手に入れ損なった過去のものと見ている阿見さんでは、やはり人生との、時との位置関係は異なっているのだ。
hagi@y_hagi2026年10月4日読書力のことを英語でReading Comprehension とかReading Skills などと言うのだろうか。私は運動する人なのでReading Fitness というような感覚があるのだがそんな言い方はないのか。 とにかく読む力が低いので、文章を追うペースも遅く継続もできない、というわけで、貸出期間内に読み終えることができなかった。 でもラッキーなことに他の方の予約もなかったため、今日また延長して借りることができた。 おいしいと評判の洋菓子店のケーキを買ってきて食べた。大変おいしくてまた食べたいと思うが店は遠くにある。なかなか行けない。残念であり幸いでもある。





清水美穂子@favoriteworks2026年10月3日まだ読んでる空き地は用意しようと思ってできるものではなく、ぽかりと空いてまた閉じられるこの世界の生きものだ。 新刊で買って、途中で積読になっていたのを読書再開。やっぱり好きだ、この世界。
ケイ@flyingkei2026年10月1日読んでる365〜467ページ 「二月の次に七月が来た」という、本作のタイトルにつながる言葉が登場した。なるほど、阿見さんの読んでいるアミエルの『日記』に出てくる言葉だったのか。 忘年会と同じく、花見の会も回想でしか語られず、作中で描かれる「いま」は常に何でもない日常である。その日常のなかに、体調不良であったり詐欺未遂であったり長い時間をかけて実を結んだ恋であったりが伝聞や報告によって溶け込む。季節は静かに移り変わるが、ゆっくりと進む日常が突然「二月の次に七月が」来るような節目を見せる。留まっているようですべては進んでいて、進んでいくいちば食堂の中から阿見さんの姿はしばし消える。 暗算の答えを自ら告げた阿見さんの一歩は、何かを大きくは変えない。そのことに少し寂しさを覚える阿見さんの、「帰る場所、帰る家だと言い切れるところはなくても、立ち寄るところ、停泊地はある」という思いの背景に、いちば食堂が見える気がする。しかしそのいちば食堂は、本当に変わらないのか。何でもない日常の底で進む小さくとも確かな変化が、どのようにいちば食堂と阿見さんに覆いかぶさってくるのか、じんわりとした不安も感じ始めた。

ケイ@flyingkei2026年9月22日読んでる700ページ超の作品、ほぼ半分というところまで来ました。 314〜363ページ 年が明け、梅の季節が近づく。時が過ぎることに、未来を待つ楽しみより振り返る過去が増える重さを感じるようになるのが老いなのか。 体調を崩しても見事な手紙を書き送ってくる丕出子さんの父親の「年上の老人さん」に対し、丕出子さんの父親は返事が書けず、電話も掛けられない。応答することの重たさが、丕出子さんには理解できない。阿見さんは読み続けている文庫本から、我が身に刺さる反射を受けて自らを省みる。自分の中に入ってくるもの、自分が目にした耳にしたものに対して、それらが自分の内側で発酵し全身にしっかり広がるまで我慢して待つことができず、すぐに反応し自分の外へと押し返してしまう。失望を先取りし、あり得たかもしれない未来から目を背け、そうして歩き続けて過去を振り返らない。丕出子さんの父親と同じく、そこには他者と対話すること、言葉に向き合い続けることの難しさがにじむ。 けれど勇気をもって振り返ったとき、ふとした景色や言葉から自然に浮かんできたものとは異なる記憶、現実かどうかもあやふやか記憶が阿見さんの中に浮かび上がってくる。記憶の真偽よりも、浮かび上がる細切れの情景が差し出す母の面影、幼い日に感じた印象が、これまで振り返らずにいた過去が隠し持っているもの、蓋をしてきた感情を予感させ、阿見さんを揺さぶる。自分の本当の内面というものに、阿見さんは揺さぶられながら目を向け始めている。 思念の背後でごく自然に数字を拾い脳裏の算盤の珠を動かしている阿見さんが、いちば食堂を去り際に丕出子さんたちに声をかける。同じ空間にいても店員と客との最低限のやり取りからはみ出すことなく、たまたま同じ軌道を巡っているだけといった距離感を保っていた阿見さんと丕出子さんたちが、軌道を外れて交わる。この先、いちば食堂に広がる人の輪の中で阿見さんの立ち位置は変わるのか。それともこの交感は一瞬のイレギュラーとなるのか。ゆるやかな時の流れの中で少しずつ変わるいちば食堂な人びとの立ち位置に、また一つ注目要素が加わった。

te no tempura@te_no_tenpura2026年9月20日読み終わった市場 定食 まかない そろばん ヤクザ 戦争 野球の記憶と記録 雑談につぐ雑談 ずっとごはん食べて雑談してる本 雑談の語り手としての女性が少ないので(妻や母は死んでいたり病気だったりする 主人公の1人も自分のことを語るより父親の言葉を媒介してる)そこはちょっと息苦しさがあった 女ともだちが出てきた時はホッとした 阿見さんがずっとアミエル読んでたり市場へと誘うのが一場さんだったりするのは駄洒落なんだろか
ケイ@flyingkei2026年9月19日読んでる今日は時間が取れず、ほんの少しだけ。隙間読書でもすっと心が凪ぐのが堀江作品の魅力! 291〜313ページ 扇風機が回る夏の情景から始まった本作、変わりなく穏やかないちば食堂にも季節は流れ、年末となった。食堂は変わりなくとも、登場人物はそれぞれに少しずつ変化している。この少しずつの、けれど確かな変化というものが、人生そのものという感じもする。 変わった、と区切りを付けるほど目に見える大きな変化があるわけではない。けれど、夕暮れ時の空がゆっくりと濃紺の夜空に移っていくように、少しずつ少しずつ、人は変わっていく。 算盤をご破算にするような、街がすっかり変わってしまうようなリセットとは違う。痛みが少し軽くなり、自分の仕事に対する解像度が少し上がり、手にした本の言葉の鋭さが少し和らぎ、身近な人との距離が少し縮まり、かと思うとまた広がる。そんな少しずつの変化を、本作はただ静かに描き続ける。その心地よさ、厳しくはないが優しすぎない距離感の視点が、本作のページを開いている間の、凪いだ、けれど確かに水の上にいるような揺らぎのある、独特の落ち着いた感覚を与えてくれている。
ケイ@flyingkei2026年9月15日読んでる252〜290ページ 親しい人の死をめぐる記憶。日常を断ち切るように訪れる死、知らぬ間に彼我を分けていた死。大切に取り上げた骨の記憶、埋める人とてなく捨て置かれた骨の記憶。死は当事者にとっては終着点となるが、周囲の人びとにとっては人生の途中で背負うべき痛みであり、場合によっては悔恨である。 判で押したような毎日を送っていた阿見さんは、背骨を痛めたことをきっかけに、いちば食堂以外での人との交流を得る。そもそも、背骨を痛めたきっかけ自体が、阿見さんから声を掛けた子どもたちとの出会いである。そしてまた戻ったいちば食堂で、阿見さんは他の客の会話に耳を傾け、心で同意する。声を出して会話に加わらずとも、阿見さんはすでに、この食堂での人の輪の中に心の内で参加している。 父の遺した文庫本(戦前発行の全八冊の日記文学ということで、ほぼ間違いなくアミエルの『日記』)を開いては抜書きし、回想の中に没入していた阿見さんは、父を経由して読む他人の日記に共感し触発されて沸き起こる記憶の中の人びととのやり取りを重ねるうちに、知らず知らず世界を、視界を広げて、渦を巻くじょうごの中で立ち位置を変え始めているようだ。

ケイ@flyingkei2026年9月11日読んでる190〜252ページ 夜の工場で、ひそかな音を立てながら殻を弾かせ発芽するもやし。遠い雨の日の、「恋愛のほのかな模倣」の記憶。発芽しなかったと思っている阿見さんの恋心はきっと、その雨の日に実際には殻を弾かせ発芽していたのではないか。ひそかな音が雨音の中に消えてしまっていたとしても。 父親と息子の重なる面影。時代を異にする同窓生同士の間で話題になる同じ教師の逸話。人生も歴史も円環を描き、いつの日か中心の穴に吸い込まれ消えていくとしても、ひとり巡らす思考も他者と手渡し合うことばも、回りながら泡のように心をちりちりと刺激し続ける。同じ場所で回り続けているようで、次第にじょうごの先へ近づいてゆく老いの道のり。暗く狭くなっていくものかもしれないその道のりだからこそ、開いた本から、眺めた景色から、多くの泡が記憶の中から沸き立ち、彼我の境を曖昧にしてゆく。
ケイ@flyingkei2026年9月8日読んでる149〜189ページ 阿見さんが思い巡らす珠算塾の大松さんの語りの記憶。戦時中の過酷な経験が、決して具体的な言葉にはならぬまま、語りの背後から時折浮かび上がる。戦地で没した父の遺品の文庫本を読む阿見さんは、本の書き手と父の人生を二重にたどりながら、自分と若き日の父という二人の読み手を自らの中に住まわせている。前景と後景。現実と過去。語られるエピソードと語られぬ情景。今ここにいる読み手と、もうここにはいない読み手。二重写しの世界の中で自分に注がれた物語を、どう人に手渡していくのか、あるいはいかないのか。いちば食堂で丕出子さんと笛田さんが交換する物語の輪の中に、阿見さんは入らない。阿見さんの回想、阿見さんの中の物語は、食堂にはいてもどこまでも個である阿見さんの中だけに漂っている。
ケイ@flyingkei2026年9月7日読んでる夜にもひととき読書タイムが取れたので。 110〜148ページ 行商にまつわるさまざまなエピソードが、ゆるく章ごとをつなぐ。組織を離れ自らの道を行くひとによって届けられる商品、組織に属しながら現場との関係を滑らかにつなぐ人がするりと差し出す商品。縄張りと縁故のしがらみも、信用と信頼に支えられた邂逅も、互いに人生を背負った人間同士の出会いの形の一つだ。 見えぬ部分、知らない背景に思いを巡らせること。勝手な想像を走らせるのではなく、それぞれに事情があるのだと慮ること。寄り添う、より一歩だけ離れた、思い巡らす、という距離感が、めぐる季節、うつろう街の中で、ゆるい繭のようにいちば食堂の人々を包んでいる。
ケイ@flyingkei2026年9月7日読んでる70〜109ページ いちば食堂を訪れる客が連れに語る床屋の話。丕出子さんが思い起こす父に聞かされた実家での餅つきの話。笛田さんが丕出子さんに語る飲み屋の客に聞いた左官の話。直接語られたのではない、ワンクッション置いて伝わってくるエピソードは、話者に詳細を尋ねたりその後について問うことのできない距離感ゆえに、独特の余韻とともに記憶に残る。又聞きの不確かさに、話者が聞き手としてフォーカスした部分のはっきりした輪郭が混ざり、それらが丕出子さんの中へさらさらと流れこんで、同じトーンのエピソード、同じアルバムの1ページのような色味になっていく。 戦うのでもなく、戦わぬのでもない、笛田さんの「とんがらない」という信条、その切っ先のまるさと、まるくとも切っ先を持って生きるという矜持が、時や環境に流されているようでいて確固たる意思のもとここに在るいちば食堂と、そこに集う人たちによく合う表現だなと思った。
tsukasakitajima@tk-19652026年9月4日買った図書館で借りるも二週間では読み終えれるはずもなく、かといって読み始めると時間をかけて読みたくなって途中で返却。いつか買おうと思ってたら神保町の東京堂書店で見かけて購入。自分では気づかずに過剰に流れがちな思考を整えるため、じっくりと、ゆったりと読みたい小説。
ケイ@flyingkei2026年9月3日読み始めた発売日に買ったものの忙しく、少し読み始めたところで半年以上放置してしまっていたので、改めて最初から読み直し。 1〜69ページ 物語ではあるけれど、かぎ括弧を使わず句点で会話をつなぐスタイルが、すべての情景を懐かしい思い出のような、アルバムをめくりながら回顧する遠い日のことのような手触りにしている。登場人物たちも、怒りや挫折感、やるせなさといった人間的な感情の起伏はもちろんあるものの、事実上の独白であっても第三人称で語られるそれらの感情は、ガラス一枚隔てて眺めるようなふわりとした距離感があって、生々しく迫ってはこない。けれど、傷は傷としてそこにあり、乾いたかさぶたのような傷をそれぞれに抱えた人たちが、他人同士の優しい距離感を保って、物語の舞台である市場隣接の食堂に集っている。 堀江氏の端正でほんのり温かくどこまでも知的な文章が編み出す物語世界に、日常生活でざわついた心が凪いでいく。
琉璃@ruri-xxx2026年7月31日買った発売されたときからずっと気になっていたものの、読書のペースがゆったりとしている自分に読みきれるのだろうかという不安があり、手元に迎えるのを先延ばしにしていた。 やはり間村俊一さんの装釘は静謐さを纏っていて好ましく思う。カバーをはずした状態でもうつくしい。少しずつ読み進めてゆこう。- ねむくま@ukishirokuma2026年7月21日読み終わった借りてきた前回借りた時に読み終わる前に貸出期間が終わってしまったので、再チャレンジ。 最初から最後まで同じような空気が流れているのに、じわじわと食堂を取り巻く人々のそれぞれの人生が垣間見え、自分も食堂に通う1人であるかのような錯覚を覚える。 あまり強く感情を動かされる内容ではなく、自分の好みとは少し違った。 時折難しい言い回しや、つかみにくい感覚があり、置いてけぼりをくらったような気持ちになった。 もう少し年を取れば、ああ自分の中にもあるなと思えるようになるのか。そもそもの人間の種類が違うものなのか。 自分とは違う人々なのを感じながらも、「話を聞くのが大事」とはこういうことなのかなぁと思ったりもした。 ただ、もうすこし「わかるなぁ」の感覚が欲しかった。
白玉庵@shfttg2026年7月8日読んでるp410まで。また予約したとして、後半読めるのいつかな…非常に淡々としたエピソードの積み重ねで、毎日少しずつ読みたい感じなので、そんな先までモチベーションが保てないような気もする。この積み重ねを抜けた先に何があるのかは見たいのだが…。 現時点でのメモ。 生老病死の話。阿見さんが気に入っている。じゃがいものガレットが美味しそう。トニー谷(と思しき人)が結構活躍しており、その時はちょっと賑やかになる。 『燃焼のための習作』の拡大版なのでは???









jyue@jyue2026年7月6日買った読んでる読書日記7月某日 いまだに冷房をつけずに過ごせており、今年は涼しい夏のスタートを切っているなあと思いながら起きる。朝ごはんは頂きものの桃。歳を重ねるほどに、果物を貰えるありがたさが心と身体に沁みる。 7月に入ってからは『二月のつぎに七月が』をちみちみと読み進めている。不思議な本。舞台である「食堂」での日常が描かれており、堀江さんの書き方がうまいのか、わたしもその食堂にいて様子を見させてもらっているような感覚になる。そのせいか、本を読んでいない間も心はどこか食堂のなかに置いてきたままのような感覚で、夜、本をまた開くとどこか「ただいま、じゃあ続きをはじめようか」みたいな気持ちになる。 P.22 「それからね、あなたの話し方があくまで仕事の道具であって、ふだんとはちがうのだとしても、使っているうちに自分の顔になって、脱ぎ棄てることができなくなりますよ。」 ところでわたしは家のなかに不意に出来る影が好きで、昔からついつい写真を撮ってしまう。この写真は季節の変わり目に少しやられてしまいキッチンで療養中の植物の影。










白玉庵@shfttg2026年7月3日読んでる料理本愛好者私の理知は遠視であり私の感激は遅れ馳せである。私は折りのよい機会といふものを忌み嫌い、無益なことにしか興味を起さない。 p223 遠視をポジティブに使っている文章を初めて読んだ気がする。そう、感激するのに時間がかかって、そうではない人に責められてびっくりすることが時々ある。 こどものころから遠視の乱視で、その体で言えば乱視によってサブカルに進んだのかもしれない。 新聞連載小説なので小さなまとまりで平易に書かれているけれども、もちろん技巧がすごい。→新聞連載は嘘でした、群像連載でした。なんでそんな勘違いしたんだか…









白玉庵@shfttg2026年6月28日読み始めた料理本愛好者放送大学のレポートを準備しながら、2週間で読破できるのか?そんな時間を競うような態度とはおそらく真逆の本だが。 長い文章、なんだか一葉のような調子の良さがある。 食べてくれるひとの顔を具体的に思い浮かべて、よいものを提供したいという気持ちが、料理の味を決める。準備や技術を、愉しさ、喜ばしさが超えていく。賄いをつくるのが楽しいのは、ありあわせのものを使って、味覚をいかに喜ばせ、いかに食欲を満たすかを、そのつど現場で考え、すぐに試すことができるからだ。 p61 ケイパー入りのツナマヨおにぎり🍙、絶対に美味しい。









なかやま@asheepinthewell2026年5月20日読み終わった読まない日も多く、読めても数ページということもあり、永遠に終わらないのではと思えた読書がちょうど3か月で終わりました。まさにこの、時間をかけて文字を拾うように読むための726ページ! 鉤括弧のない会話と地の文が、読んでいる自分も「いちば食堂」のお客になりカレーやうどんを食べながら話を聞いているみたいな気分にさせます。お客のいない時間には生臭いような話もされていたようですが...









- ねむくま@ukishirokuma2026年5月16日読んでる借りてきた1/3程を読んだところで返却期限が来てしまいそう。 後の予約が入っているので、その後にまた予約を入れるか…このまま中断させるか迷う。 物語の雰囲気や描かれ方はとても気に入った。 登場人物もそれぞれユニークで魅力的だ。 ただ、引用も含めて文章のリズムが自分と合わず、やや読み進めにくい。 会話文については、鍵括弧や場合によっては句読点すら省かれる形式に結構慣れてきたので、スラスラと読めるようになった。 回想が挟まると、どこまでがどの時期のことを話しているのか言及のないままアチコチに飛ぶので、混乱する。 引用についても旧仮名遣いに気を取られたり、馴染みのない言い回しを調べたり、人以外の抽象的な言葉を主語とする言い回し(具体的な例示もない)に引っかかりを感じてしまう。 気に入った部分はあるものの、それほどどっぷり気持ちよさに浸かれないので、自分で購入するほどではなく、再度借りて読むまでのブランクを考えるとまた文章に馴染むまでに時間がかかるかなぁとか… かといって、きっぱりこれきりにするには、魅力的… この淡々とした人々の日常を、さらにじっくりと味わった先に、どんなしみじみとした余韻があるのかと想像すると、期待は残る… やっぱり再予約がいいかな… 本当は手元に置いてジワジワ読むのが一番なのはよくわかる… ただ、このくらいの相性で4000円超えはやや厳しい…
- ねむくま@ukishirokuma2026年5月8日読んでる借りてきた三人の登場人物の様子がかわるがわる描かれているっていうのは紹介文で知っていたけど、 文章のクセなのか、わざとそういう表現なのか、 誰が思った?これは現在の事?過去のこと?みたいな、今の立ち位置を見失う事が多い。 50ページほど読んでその揺らぎにもやや慣れてきたけど、 読み進めるうちに、さっき読んだ部分の理解は間違いだった?ってなる。 読めているのかどうかが怪しい。
はち@hachiko23812026年5月5日読み終わった過去の記憶と現在の時間。 少しずつ大切に解きほぐしていく。 現実と地続きで存在しているような、市場と食堂をめぐるたくさんのひとたちの、人生も思考もそのまま受け入れながら生きていく。




まきの@komakino2026年4月3日読み終わったどうしても生理的に受けつけない描写がいくつかあって、その不快さをなんとなく引きずりながら読むことになってしまった。『雪沼とその周辺』以来の堀江作品だったけど、むかしは魅力に感じていた部分(いくつもエピソードの糸が撚られていってひとつになり、するっと解けるような感覚)が作為じみているように思えて、あまり楽しめなかった。
iram iram@booklover02142026年4月2日読み終わった2017年から雑誌に連載された作品とのことだけど、対面でひとがひとと何かを語り合い、誰かの話したことをそのままに語り継ぐ、そのことがまたそれぞれの重みで人の中におさまっていく、そのことの特別な価値はコロナ禍を体験した後にはとても切実に響くのだった。高校野球のスクラップブック、死んだ父の遺品の文庫、書き写す手帳といった記述されたものが、あいだの月日を飛び越えて違う世界を開いていくのも、これだけの長編ならではの深さと広がりで。すごくいい読書体験だった。







Blueone@bluestuck42026年3月13日読んでる「あ、食べたい」と思う。朝読んだのが、ずっと頭に残っていて、夜ごはんにケイパー入りのツナマヨのおにぎりをつくって食べた。 ーーーー 時計を気にしながら、まずはひと口、豚汁を啜る。ツナマヨを食べた瞬間、丕出子さんは目を丸くした。おいしいです、さっきの緑っぽいの、あれ、なんですか。ケイパーだよ、もらいもの、ただ、ちょっとだけ賞味期限が切れてる、酢漬けだから問題ないと思うけどね、これはおつまみの領域、カニカマをほぐして、タマネギのみじん切りとケイパーを刻んだのに混ぜて、それを細切りのきゅうりといっしょに酢飯で巻けば寿司になる、飲み屋時代によくやってた。(p59)





Blueone@bluestuck42026年3月7日読んでる再び開き、読んでいる。 ーーー 山のように溜まった書類のなかの、至急、親展、重要とあるものを優先しないで、広告やチラシのたぐいばかり先に読む。義務でやっていると感じたらそれを避け、義務の発生しない骨折り損を求める。これはただのへそ曲がりのやることなのか、そうでないのか。(p10)





花蝶@hana-choh2026年2月28日買った一目惚れです。 以前より気になってました。 ラスイチ買いました。あぶなかった。 700ページを超える作品。会話が改行なしであるようで通常の会話文なら一体何ページになるんでしょうね。ある書評でおっしゃってました。この作品は700ページが必要だと。 ゆったりとした物語のようです。楽しみです。








mayu@yatsu_books2026年2月24日読み終わった@ 自宅700ページを超える大作。毎日少しずつ、読み終えるのに1ヶ月ほどかかったけれど、心豊かになる時間でした。 鉤かっこがないので時々誰の視点なのか、曖昧なままで語りが進んでいくこともあるけど、それが何の違和感もなく風景に溶け込み、これは小説なのだけれど、目に見えるものだけではなく、匂いや手触りなどが感じ取れるくらい詳細な文章も 読んでいる途中なんども「エッセイだっけ?」と思ってしまうほどでした。 めまぐるしいこの時代に過去と今が溶け合っていくことで、凝り固まった何かから解放されていくような、そんな気持になりました。「人間が人生で抱える哀歓」を書いてきたという堀江敏幸さんの文章が、今回もじんわりと染み渡っていくようでした。









よみ@zzz_true_282026年2月7日読み終わった久しぶりにこんな分厚い本を読んだ。 繰り返し読みたい大切な一冊になった。 「彼はきっと、一種の麻状態のなかで言葉を凝視しつづけたのだろう。自分が記しているものに大きな価値があり、後世に残るなどとは少しも考えないで、もしくは考えていないと思いなすことでしか書きつづけられなかったのだろう。大きな墓を建てるように、彼はノートを重ねていった。若くして老い、老いてなお深く老いる、どんなに過去を掘り下げても、忘却の力に負けて消えていく。」




烏織 青@ohriao2026年1月9日読み終わったすごく分厚い。 先日、燃焼のための習作をよんだのでとても楽しみ、と思って読み始めたところ、 追記 無事に読み終えた、何度か繰り返し読みたい、そんな本でした、




清水美穂子@favoriteworks2025年12月26日買った読み始めた自分へのクリスマスプレゼントに買ったが、外へは持ち出せない重量で、ベッドでも腕が痛くなるから読めない。机に置いて読み、バスタブのふたを半分閉めた上に置いて読んでいる。そこはもう、味わい深い食堂のなか。




かもめ通信@kamome2025年12月7日堀江敏幸さんの新刊を手に取ってみたが、700ページ越えの長篇で持ち歩けそうにないし、気ぜわしい年末に読む本じゃなさそう。年明けに読もうかな、二月ぐらいに…なんていっているうちにすぐ七月になっちゃうんだろうな…。





熊ぐらたん@kumagura2025年11月24日読んでるモーニングサンマルク。フレンチトースト旨。同じ値段で量が倍になったのは何故だ。『群像』のバックナンバーのコピーを持ってきて読めば楽なのはわかっているのに、発売されたばかりの単行本を持ってきた。本の重さ、その重みから伝わる連載の長さを感じながら読む。
















































































































































