日記をつけて何になる?
222件の記録
おこめ@sabookm2026年5月15日読み終わった日記本というジャンルを初めて知った noteで人の日常を見るのは好き。だから日記本も好きなのかも? 買ったものに日付と一言をつけるだけで日記になる、というのはあまりにもエモい



あけぽ@tsumu_062026年5月13日読み終わった読んだ文章が、ちょうど直前にノートに書きつけたことと同じ内容で「おぉ…!」となった。 読みたいなって感じた直感が当たって嬉しかった。 今の自分にとって日記は気になるコンテンツで、そのきっかけは所謂日記本に出会って読んで面白くて自分もこんな風に日常を残しておきたいと思ったから。 特に本が好きな人の読書や生活の記録とかを読んでるとわくわくしてくる。こうやって接点が、世界が広がっていくんだろうなと思った。 今の自分の生活の中心は子供で当分自由には動けないけど、ちょこちょことした隙間時間で忘れたくない、あっという間に過ぎ去ってしまう乳幼児期を少しでも多く残しておきたい。あと読書もしたい。 日記屋月日にもいつか行ってみたい。

- yk@y_k2026年5月10日読み終わった私がなぜ人の日記を読むのが好きなのかを改めて考えるきっかけになった あまりにもいま 意味が重視される、効率化を重視されることが多すぎるんじゃないかと思っている 日記を読むということは、私はその逆の行為だと思っている あえて表立っては語られない生活を知りたい、みたい p144 そして、他人の日記を読む時、私たちは別の誰かの時間にふれます。自分とは違う場所で、違う時間を生きている人がいる。その人の日常や感情にふれることで、世界の見え方が少しだけ広がっていく。一つの視点だけでは捉えきれない世界の複雑さを、日記は教えてくれます。 だから、私たちは、世界を知りたがっているのではないか。




yayano@yaya72026年5月8日読み終わった「日記ブーム」を懇切丁寧に解体して、普遍的な試みになればいいのに、と願う著者。語りかける文体が私には合わないのだけど、日記歴25年のものとして、考察に同調するものがあった。 また他人の日記を読むという行為について、「共感」と「発見」という接点の調和(これが醍醐味!)であり、「この人の時間に付き合ってみよう」という意思表示でもある、という二箇所の記述は、なるほど、と思った。





- メルキー@dogandbook2026年5月1日読み終わったエッセイ蟹の親子さんと言う人は、のんて優しい人なのだろう。書かれている内容から考えられる思想だけでなく、言葉の選び方、文章の紡ぎ方ひとつとっても、どうかこれを読んだ人が傷つきませんように、という細やかな配慮が伺える。 そして、日記をさまざまな角度から語っていて、特にやめることに対する肯定的な考え方が素晴らしかった。 これは、日記のことだけに限らず、色々な人に勇気を与える本だと思う。 昔から日記を始めては続かないということをなん度も繰り返してきた。繰り返してきたのは、やっぱり日記を続けることに憧れがあるから。 開始数ページで「この本を手に取るくらいですから、きっとみなさんは後者に近い繰り返す人じゃないかなと思います」とあり、見事に当てられてしまった。 --- 日記を読む姿勢として「書いてあること以外のことは受け取らない」というのは、いかなる場面においても大切なこと。 「大切なのは、決めつけないこと、差し出された言葉の重みを素直に受け取ること」 「一過性のブームの終わりは、実はより本格的な、文化的変化の始まりを予感させます。」 ブームが終わることで文化になるというの、すごく良い。 「やめることも一つの選択。状況が変わった、関心が移ったなどで営みをやめることは自然な変化の一部。変化が起きているのに受け入れず無理に続けることの方が不自然。」 「残すことは過去の自分とのつながりを、再会の可能性を保つこと。手放すことは、過去から自由になること。」 「デジタル環境ではアルゴリズムによって届けられる。日記はそうした分類を拒む。日常で他者と察する時も、相手が何を言うかどんな感情を抱いているかを完全に予測することはできない。それでもその不確実性を受け入れながら関係を築いていく。 日記を読む時のゾーニングができないという体験は、人と人が向き合う時の根本的な状況と似ている。 著者の予期しない感情の爆発や、突然の悲しみに触れた時も、想定外として退けるのではなく、この人に、この出来事が、起きたとただ受け止める。」





Hiroki@teenageskaz792026年4月28日読み終わった興味深かったのは第七章「「日記ブーム」を再考する」。私的な日々の暮らしを開示することには抵抗感が強いのだが、現在の「日記ブーム」のなかで特徴的なものとして紹介されている「日記を書く」という行為そのものを共有することに驚いた。日記を書いている「音」や書いている様子を動画にするとのことだが、そのような行為の共有にはもちろん日記を書いているという意味でのつながり、共感を生むという意味が含まれるとのことである。とはいえ、こうやって「書評」めいたものを投稿するのも本を読んでいるという行為の共有のようなものか。 七章は「日記の商業化」という問題も扱っているが商業化には日記というメディアが資本主義的な側面を付与され、「面白い」や「売れる」という側面が強調され、何を書いても自由という性質があった日記を書くことの意味が変化していくということも書かれている。 そもそも『ロビンソン・クルーソー』から小説が始まったといわれているし、日記を考えることは小説とは何か、みたいな問題を考えることによく似ている。
穂鞠/もみ@homari_book2026年4月26日読み終わった図書館本今日から日記をつけるぞ!続かなくたっていいんだ!と前向きになれる本。 日記本ってたしかに今人気というか、たくさん出てますよね。エッセイや随筆とは何が違うのかな?いまいちわからないのは、日記本を読んでないからかもしれない。 日記屋 月日、気になるんだよなあ。いつも気になっている。 日記を本にすること、売ることについても書かれているのでZINEなりに興味がある人にもいいかもしれない。 日記つけようっと。


つばめ@swallow32026年4月25日読み終わったこれまで何度か日記をつけては空白の日数が増えていき、やる気がなくなりやめてしまうことを繰り返していたが、年始からつけ始めている日記はなんとか続いている。 最初は書くことがないとか、こんなこと書いても仕方ないとか色々と壁に当たったけど、最近はなんとか書くことを絞り出せたり、かけなくても仕方ないかと諦められたりできるようになった。 この本の中でも触れられているように完璧主義だったり、書くことを自己検閲してやめたりすることがこれまではあったが、今はそういう気持ちをある程度手放せてるのではないかと思った。 3ヶ月つけた頃ふと今まで自分が書いたページの厚みを見て、こんなに書いてたのかとしみじみ感動したことがある。 今年からの日記は忘れたくないことを忘れないようにと思ってつけ始めた。これからも壁に当たってやめてしまったり、また新しい形で日記を始めたりするんだろうと思うけど、どんな形であれ日記をつけていて良かったなと、あとから思えるように日々のことを残していきたいなと改めて思う。










ともろう@tomororz2026年4月25日買ったAmazonから届く。 ポチさんの投稿で知って購入した。私は日記は続かないけど日記好きなので。私は人の日記を読むのが好きなのだが、それは下世話な心性なのかもしれない。



ポチ@takupochi_19932026年4月22日読み終わった週一ペースぐらいでnoteで日記を書いている。いつか1年分くらい日記がたまったらいいなーというなんとなくの目標は立ててみたけどいつまで続くか分からない。 でもこの本を読んでそれでいいんだと思った。続けてもいいしやめてもいい。そしていつから再開し始めてもいい。 もう少し日記がたまったら自分でZINEみたいのを作って親しくなった人たちに渡す名刺代わりにしようかとか新たな目標も生まれた。 形として残して置くことで過去の振り返りが出来ること。書いている時、書いた後、1週間とか数ヶ月とか数年後でも振り返ることでその時の感じや気持ちの解釈を毎回やり直せること。ここまでは他の記録メディアと同じ機能だけど、日記の特性はそれがかつて自分や他者の誰かの内側にあったということ。誰かの時間や気持ちを共有出来るメディアであることが素敵だなと思った。



安藤みずき@andomizuki2026年4月17日読み終わった〈・自分の考えを受容する:無理に考えを絞り出さず、あとから思い直しても、その時の自分の発言を否定しないでください(「あの時はこうだったけど、いまはこう思うな」という感覚をどんどんゆるしていきましょう)。〉 著者がファシリテーターを務めたワークショップ「日記をつける三ヶ月」に参加した昨夏を思い出しながら読んだ。 文字にした途端(とくに人に読まれる前提だったので)確固たる意思表示のように見えてなかなか筆が進まなかったとき、このグランドルールが支えになった。自分の日記を読み返すといくつもの"ゆらぎ"が残っている。 他人の文章を読み反発を覚えることもあるけれど、「この人はその時そう考えていたんだな」と少し距離を取れるようになった。校正の仕事をするうえでもこのことをつねづね胸に留めておきたい。

みゆ@ant12bb212026年4月12日読み終わった@ 自宅私は小さい頃から書くことが好きだったので、日記や手帳はずっと書いているけど、それをかたちにしてみたいと思ったことはないので「第四章 自分のために日記を編む」「第五章 自分の日記を売るということ」は、いまいちピンとこなかったのが正直なところ。いろいろな人の日記本を読んではドキドキしたりしているのが今は楽しい。 「日記アイ」がまだまだ磨かれていないんだな、と自分の日記を眺めながら思う。とはいえ、この平凡な日常をずっと書き続けているのはきっと自分の中に何かがあるのだろう。その何かは分からないけれど。 「やめることはデトックス」という言葉や、付録の「日記ワークショップの記録」での書かなかったことを話し合うというのが素敵だと思った。


- 垣花つや子@tsuyakodayon2026年4月9日読み終わったとても慎重に、でも風通しのよい形で「日記」「日記本」への扉になるよう書かれた本だと思った。慎重さと風通しのよさが両立しているのがすき。読んだことで他者(過去の自分も含む)の記録や日記への触れ方、自分がどんな呼吸をしながら出会っていくのか、たのしみになった。



m@kyri2026年4月4日読み終わった@ 図書館以前読んだ『増補版にき』が土台にあるのかなと思いながらもそれより充実した内容でとてもよかった わたしも毎日日記をつけているわけではないけど毎日つけていないからといって「日記がつづかない」とは別に思っていなくて、飛び飛びでもつづいてるには違いないじゃんと思うタイプなので「日記がつづかない」と悩む人たちのこと、ストイックだな…と思う やっぱり日記をつけた人が亡くなってしまうことによる日記のおわりには心がざわついてしまうよねと思った でもそれは未完の日記ではなく完全な日記だと言い切る著者にちょっと救われた 日記は奥が深い、わたしは自分の日記を本にしたいとは思わないけど、書くことはずっと続けていきたいし、いろんな人の日記を読みたいし、好きな人たちがみんな日記を書いてくれたらいいのにって思う やっぱり日記はいいなあ










仲西森奈@mit_valentin2026年4月3日読み終わった"小説の登場人物の不安に共感することはあっても、それは作者によって設計された感情です" p.187 そうだろうか。そうだっただろうか。そうなのか。とここで立ち止まった。本書ではこのくだりで日記の「未来を知らない不安」という特徴について述べられている。それはたしかにそう。けれど小説は、そうか。小説は。 ある一定の物書きは、小説においても「未来を知らない不安」を抱き書いているのではないかな、と思った。しかしそれはあくまで初稿を書いているときの話なのかもしれない。(書き手本人以外の)読み手へパッケージとして作品が受け渡されるときにはすでにその不安は消え、"設計された感情"になっている、ということなのだろうか。そんな気もするし、そうだろうかという気もする。なんにせよ、わたしが日記下手(と自認している)である理由がなんとなく掴めたような気がする。記録と制作/創作。本書を読みながら頭の中にあったのは「これは小説の創作論としても読めるのではないか(というかまさしくそうなのでは)」という思いで、それはわたしが記録するように日記以外を書いているから、なのかもしれない。そして「このようにして日記へ人を手招きできるのなら、小説(を書くこと)へ人を手招きすることもできるな」とポジティブに思った。まとまらないけれど、そんな感じ。









仲西森奈@mit_valentin2026年4月3日読んでる内容と関係あるようなないような話だけど、あれだけ"自伝的小説"を量産してきた室生犀星はおそらく日記を書いていない/日記本を出していないのだよな(犀星の小説を私小説ということには個人的になぜかブレーキがかかる)。それは時代的な理由ももしかしたらあるのかもしれないけれど、犀星はきっと日記が書けなかったのではないかな、と、読みながらふと思った。それはなぜ?と問われても勘でしかないのだが。






ぶっく@book12026年3月31日読んでる眠れなくなる夜中思い切って起きてしまい読む。菓子パン2個は余計で罪悪感。 多分私はこれ自体を日記としたいと思っている。いろいろな場所に日記(と呼べるような文章)を書く先を持つことは私にとって可視化はされない依存先を多く持つこと。





くまこ@iitenamoko2026年3月31日読み終わった日記をつけ始めて22年経った。日記本を読むことも好きだ。それはなぜだろうかと改めて考えてみた。日記をつけるのも読むのも、つまるところ「自分とはどういう人間なのか」を考えるためだと思う。日記をつけて自分の考えを整理したり、他者の日記を読んでその人の行動や思考に触れて自分との違いを比較する。そうして自分について知っていく。その行為が楽しいのだと思う。とことん内向き性格だなぁ。 また「思い出す」という行為も好きだ。日記は(基本的に)過去のことを思い出して書くものだ。普段考え事をしていても、これから起こることより、すでに起こったことを考えている。なぜ未来より過去を考えてしまうか分からない。でもその方が安心する。自分のそういう性質にも日記はぴったりくる。 本書を読んで、「日記」についてじっくり考えるきっかけになった。私にとって日記をつけることはもはや日常。







柿内正午@kakisiesta2026年3月14日家の支度を終えてからみなを待つあいだ、プロレスを追いかけたりもしていたが主に本を読んでいた。待機時間というのはやたら捗る。この日は応接の時間を除けばほとんど読書で、『「いまどきの若者」の150年史』を読み、『ゲンロンy』をちょっと触り、献本いただいた『日記をつけて何になる?』を読み終えた。蟹の親子さんの日記論は、日記を「つける」のであって「書く」のではないところが肝腎である。蟹の親子さんの文章表現はわりとややこしい「私」を練り上げているのだけれど、そのくせ日記に対してのスタンスは驚くほどケロッと恬淡としており、そのギャップがいつも面白い。その正体が「書く」と「つける」の区分にあるのだと腑に落ちる内容だった。そのうえで、あえて日記で「書く」をやりたがる自身の趣味判断について久しぶりに考えることになったが、まとまってはいない。日記本への意欲が満ち引きしているが、やっぱり作るかなという気分に傾くいい機会にもなる。 2026.03.14











































































































































































